第62話 寧々音の過去
梅VS寧々音。
単独警護訓練が始まって、約二十分が経過。
「嘘よ……。そんな……ありえない。この私が……手も足も出なかった?」
「いや、ちょっと見くびっちまってたな。お前、
結果、片手の梅に善戦
震える手を悔しさごと握りこんで拳をつくる。
そして、そのジト目に力を込めて梅をにらみつける。
「ふっ、ふざけないで! ……警護対象の安全エリア確保と誘導。襲撃者への牽制、脅威度の策定も一切無し。そんな男性警護が許されるわけがないわ!」
「あん? つってもお前。俺から一度もアウト取れてねえだろ」
そう、片手で完封されてしまった。
「くっ……それは……。警護任務の基本中の基本だから――と言いたいけど……。そうね、私の実力不足は理解したわ。……あっ、それにしても
ふいに寧々音のジト目が、朝日に向けられた。
「えっ!? ぼ、僕?」
「そうよ。矢地教官から警護訓練の臨場感を出すための男性役。と聞いてたけど……本当に凄いわね」
「そ、そうかな……は、ははは」
「ええ。本物の男性を警護をしてるって感じがして驚いたわ」
矢地は今回の件を、男性警護訓練の内容改良試験と称していた。
寧々音はM校生徒代表。朝日は一般から募集した、訓練に男性役として参加する
(おい矢地。全然普通に朝日と会話してんぞ)
(これ、意外といけるんじゃないっスか?)
(ふむ。そうだな……ちょうどタイミングも良さそうだ)
事前に弥生から聞いていた『男性の前だと極端に緊張してしまう』寧々音の問題点だが、今のところ影も形も見えない。
餡子、梅との訓練中も、しっかり朝日を警護対象として対応できていた。
これならば予定通り『ほら、大丈夫だったでしょ? できるじゃない作戦』で、任務完了になると思える。
「よし、笠霧。そのままでちょっといいか」
「はい」
「実はここからが君の特別訓練本番だ」
「はい……!? えっ?」
全体を通して冷静、ほぼ無表情の寧々音だったが、この矢地の一言には少し困惑と焦りを見せた。
「神崎君。それでは帽子とマスクを外して貰えるかな」
「あっ、はい」
「ふえ? えっ……女性……じゃ、ない?」
「あの……ごめんなさい。僕、本当は男なんです。弥生おばあちゃんから頼まれて笠霧さんの――――って、ええっ!?」
事情説明をしようとした朝日だが、目の前にいる寧々音の豹変に驚いてしまう。
まさに一変。
常にぼっーとしていた半目は完全に見開き、本来のぱっちりとした可愛らしい形を取り戻す。
さらに、乳白色だった頬から耳まで真っ赤に染まり、金魚のように口をパクパクとさせ、呼吸も荒くなっている。
「おっ、おとっ、男の人…………あわっ、あわわわわ、わたわたわたし」
「ええっ!? ちょっと、大丈夫?」
「あああっ、はひっ、ふへっ……」
だんだんと
ついには――。
「ふっ、ふええええええええええええん!!」
まるで幼い子供のように手をバタつかせながら、猛ダッシュで出口のある扉へ向けて走って行った。
「――――ぴぎゃあっ!?」
訓練時の身のこなしはどこへやら、扉に全身がへばりつかんばかりに激突!
弾かれて、そのまま後ろに倒れこんでしまう。
「……おい、矢地。これどうすんだ?」
「……緊張とかのレベルじゃ無かったっスね?」
「……ふむ。想像以上だったな」
床に大の字になってピクリとも動かない寧々音。気絶してしまったようだ。
特別訓練は続行どころか、むしろこれから開始の空気が漂いはじめた。
◇◆◇
「おい、笠霧? 大丈夫か――」
『きょうもかけっこは、ねねねちゃんがいちばんだ――』
「ダメっスね。これ完全に伸びてるっス――」
『ねねねはけんかもつよいもんね。なんでもいちばんだね――』
混濁する意識の中で寧々音の耳に響くのは、現実なのか過去の記憶なのか曖昧な言葉。
――ああ、そうだ。過去の記憶だ。
その瞬間。眼前に広がるのは子供の頃よく遊んでいた公園。
五歳か六歳か……当時の友達が、別の子供たちと揉めている光景であった。
あの日。
寧々音が友達と公園で遊んでいると、一人の男児がやってきた。
二次性徴前とは言え、この世界の女児たちは初めて見る男児の登場にハイテンションだ。
『ねえねえ、きみおとこのこ? かーわいー!』
『どこからきたの? やっぱりちかくのだんち(男地)?』
『ねーあそぼうよ。あたしとよるのふーふせいかつごっこしよ!』
実にアグレッシブな女児たちである。
ところが、それを見ていた年上女児グループが乱入。
男児と遊ぶ権利を取り合って小競り合いが発生した。
この年齢から”女”の熾烈な競争はすでに始まっているのだ!
形勢不利だった友達を助けるべく。何より”男の子”のために、寧々音は単身で年上女児グループの前に立ち塞がる。
持ち前の才能を発揮して年齢差、人数差すら関係なしに、一人また一人と叩きのめしては公園から追い出した。
あっという間に年上女児グループは壊滅。
友達から喝采を浴びながら、寧々音は興奮気味に
『もうだいじょうぶだよ! わるいやつはねねねがやっつけたから! さ、あそぼ』
『え、え? なにそのめ? あかい……ひかってる……かみのけも、へん……ふ、ふえーーん! おばけこわいよー! ママっ! ママーーーーーっ!!』
『ふえっ?』
目が赤くて怖い? 髪の色? ……お化け?
男の子が泣きながら親の元へと走り去って行くのを、ただ見送るしかできなかった。
以来、寧々音はより『一番である』ことに固執するようになる。
義務教育が終わってすぐにMapsを目指し、M校にも首席合格。もちろん、入学後も全科目オールトップ。
非常に珍しい、民間男性警護会社の男性警護実習受け入れの第一号にも選ばれた。
――九月某日の実習当日。
あの時の記憶は忘れていた。
『おい、
『
『まあねぇ……
『こら、暑苦しい胸を押し付けるな
『ふむ……わしらとの模擬訓練の時は、全然優秀じゃったのにのう』
それを見た主が、痺れを切らしたらしく小走りで近づいて行く。
『おいオマエ! さっさとこっちへ来いよ! M校で成績一番じゃ無かったのかよ?』
『ひゃい! すっ、しゅみません。しゅみましぇん』
『だ、か、ら! ボクの顔を見て話をしろよ』
『ひいっ!? み、見なゃいで、見にゃ――ふうっ』
『気絶した? もうコイツ何がどうなってんだよーーっ!』
――幼少時の
◇◆◇
しばらくして、気絶から回復した寧々音。とっさに起き上がり、自分の状況を
嫌な記憶を思い出してしまった。根深く残っていた男性への苦手意識。
だが、それから何もしていなかった訳ではない。自分なりに克服する努力はしてきた。
冷静さを取り戻した寧々音は、スッと白金の髪をかきあげて腰に手をあてる。
「ふっ――とて――――男――ね。私と――――が――驚い――しまっ――ど。そ――――特別――練――そう―――ね。矢――官も――悪いわ」
「んな遠くでしゃべっても聞こえねぇつーの!!」
「訓練場の端っこでカッコつけて無いで、こっち戻って来るっスよーー!」
一定距離さえ離れていれば、男性がいても普通に会話できるまでには進歩していた。
ただ、距離的にまったく意味が無いのが残念である。
「はは……なんだか、思ったより大変そうだね。あの子」
寧々音と梅たちのやり取りに笑うしかない朝日。矢地も困り顔で顎に手をあてる。
「ふむ、これは参ったな。どうしたものか……」
「おい矢地。俺に考えがあるから耳貸せよ」
思案に暮れる矢地に、梅が耳打ちをする。
(む!? しかしそれは――)
(ババアもショック療法でいいっつってただろ? ちんたらやってたら
(うむ……そうだな、仕方あるまい。それで行くか)
(よっし、朝日。ちょっといいか?)
(うん。梅ちゃんどしたの)
(いや、それがよ……)
今度は朝日にも何やら耳打ちをはじめた……。
梅たちの相談終了後。
まずは朝日が一人で少し離れた所へ移動する。
寧々音の周りには梅たちが集まり、改めて矢地から特別訓練の趣旨説明が行われていた。
「大和先輩……私に目隠しをさせてどうするつもッ!? ――もしかしてっ」
「そうだよ。見えてなきゃ朝日に
「ちょっと待って! あんな素敵な男のしとに……近じゅいたら……私」
「こら、まだ近づいてねーっての!」
訓練内容の説明で、寧々音は朝日を完全に男と認識した。
しかも、以前見た美形と評判の海土路造船の御曹司すら遥かに超越する美少年。もはやナイトメアモード以外の何物でもない。
「笠霧。経緯は説明した通り、これは特別訓練だ。失敗を気に病む必要はない。結果はどうあれ非公式であるし、何よりお前の未来を思って閣下からのお心遣いだ。思い切ってやってみろ」
「はい……やって……みます」
「うっし、じゃあ俺が手を取って誘導するぜ」
「わ、わかった……わ」
目隠しで視界が塞がれた寧々音の両手を、柔らかくて暖かい手がきゅっと握ってくる。
あれ? この感触は?
「え? 大和先輩。思ったより手のサイズが大きいわね? それに何か……」
「あっ、あああ、お、俺よ。身体の割りに手が大きいって良く言われんだ」
そうなのか。と考える間もなく両手がぐっと引っ張られた。
仕方なく、引かれるままに歩き始める。
進むこと十数メートル。
「うっし、笠霧。もう目隠し取っていいぞ」
ついに
恐ろしいまでの緊張感が寧々音を襲う!
……それにしても、大和先輩はどうして自分の片手を離さず握ったままなのだろうか?
しかも現役Mapsのくせに、やたら柔らかでふわふわな感触の手だ。
どうにも気になるが、今はそれどころではない。
「う、ううう――」
目隠しを握る手が震える。
しかし、これは男性への苦手意識を克服する為の特別訓練だ――意を決して目隠しを取り外す。
「えいっ! …………え!? や、大和……先輩?」
目の前にいたのは、小柄で赤茶色のショートヘア猫娘こと梅であった。
……と、言うことは?
「ふえええっ!? まままままままさ……か?」
寧々音はぎこちなく首を曲げ、視線を
そのままプルプルと震えながら、握っている手を
「笠霧さん。驚かせてゴメンね」
それはまぎれもなく
――お察しの通り。
目隠しをさせた寧々音と梅たちが会話をしている間に、朝日がこっそり移動して誘導役を代わる。
梅のアイデア『実は手を引いてたのは朝日でしたショック療法』である。まさにパワーレベリング。
「あああああ、おっ、おとっ、男のしとと、てててて手をににににぎにぎり――」
「あっ、えと、大丈夫。落ち着――」
「やっ!? みっ、見にゃいで、私ダメ――なのっ! ゆ、ゆりゅして……やあああああああっ!!」
絶叫と共に、握られている手を弾くように手放し。
勢いあまった寧々音は、床に倒れて転がってしまう。
「わっ、大丈――――あれ?」
朝日が手をさしのべようとするも、寧々音は寝転がった体勢のまま、ゴロゴロと回転してその場を離脱して行った……。
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