第60話 弥生おばあちゃん

 ――翌朝、朝日は職員朝礼に特別参加となっていた。


 講堂にはMapsを始め、特務部の職員が集まり整列をする。

 その職員たちの列後方に設けてある来賓席で、朝日は帽子に加えてマスクまで装着して、朝礼を見守っていた。


 それは何故か?


 今、ビデオカメラを持った広報課の職員たちが、朝日の周りを囲んでいる。

 保護男性による好意的・・・な男性保護省視察、その記録映像の撮影中なのだ。

 マスク装着は、男性プライバシー保護の観点からである。

 朝礼終了後には、簡単なインタビューも行われた。


 後日、男性保護省内で厳しい検閲と編集がされた後にマスコミ各社へ提供。その日のニュースで流れる――という段取りになっている。

 もちろん、目的は今回の男性保護省側のテーマ『世間へのイメージアップとアピール』だ。

 インタビューが終わって、編集素材の追加撮影も終えた頃。

 時間は午前十一時を回っていた。


◇◆◇


 現在、朝日はエレベーターにのって移動中。

 付き添いは矢地と、顔面に矢地の手のひらマークつきな梅の二人。

 目的地である男性保護省の最上階を目指している。


「神崎君、お疲れ様。インタビューだけでなく、追加の撮影まで受けてくれて、広報課の連中が小躍こおどりして喜んでいたよ。本当に助かる」

「はは、ちょっと緊張しちゃって、インタビューがダメダメだったから。その代わりにと思って」

「ぷっ、お前。インタビュー噛み噛みだったもんな」

「もう、梅ちゃん。それは言わないで!」


 ちなみに、朝日の噛み噛みインタビューは広報課内で『これはヤバい、萌え死にますやん。こんなんお茶の間に流したらあきまへん。えらいことになりまっせ』と評価され。

 編集時に大幅カットとあいなった。

 後日、何故か未編集版のデータを五月が持っている事実が発覚。

 黒歴史を掘り起こされて怒る朝日に、人生最大とも言えるピンチを迎えるのだが……ここでは割愛させていただく。


 さて、朝日たちが話をしている間に、エレベーターは最上階へと到着する。

 よく見れば、階層ボタンに最上階である20Fの表示はない。

 扉の開閉ボタンの下側で、矢地がセットしたセキュリティキーが点滅している。


 最上階は、一定の権限を持つもの以外入れない特別な場所なのだ。

 エレベーターの扉が開くと、他の階層とはまったく異なる造りのフロアが現れた。

 一面ガラス張りで、眺めの良いロビーになっている。

 他の階ほど面積は無く。シンプルにして豪勢な絨毯貼りの廊下。

 それは一本道で、奥の突き当たりからLの字にまがり、部屋は全部で三つしかない。


「へっ……まさかババア・・・が来てやがるとはな。朝日を連れてきてラッキーだったぜ。おい矢地、わりいが先に行かせて貰うぜ!」


 エレベーターを降りて開口一番。

 梅がゴキゴキと拳を鳴らしながら、興奮気味に矢地に声をかける。


「お前も懲りんな……まあ、好きにすればいい。閣下・・もそのつもりだろう」

「つーわけで、先にいくぜ。すまねえな、朝日」

「え? え?」


 話が見えない朝日をよそに、梅は小走りで廊下の一番奥にある部屋――木製で凝った意匠の両開き扉の前で立ち止まる。


「おらあっ、来たぞババア。俺だ!」

「あいよ。入って来な」


 到底この場所の雰囲気からは、考えられないほど乱暴な梅の挨拶。

 対して、部屋の中から高齢者と思われる女性の、軽い返事が聞こえてきた。


「あれ? この声……もしかして?」

「おっと、神崎君。そろそろ私の後ろに隠れた方がいい。何か飛んで来てもいかんからな」

「えええっ!? ちょっと、一体?」


 部屋の主の声に聞き覚えがあった朝日だが、矢地からの物騒な指示に困惑してしまう。

 とりあえずは、恐る恐る矢地の背中へと回る。

 それと同時に、扉を蹴破らんばかりの勢いで開けた梅が、部屋の中へとかけ込んで行く。


『久しぶりだなババア! 今日こそはぶっ倒してやんぜ!!』

『ほっほっほ、相変わらず元気じゃのう梅っ。少しは腕をあげたのかい?』

『おうよ! すぐにわからせてやんぜえええっ!!』


 扉が閉まっても、耳をすませば梅と老婆の会話は聞こえてくる。

 朝日は扉から少し離れた場所で、中の見えない部屋の様子を伺う。


「あっ!? やっぱり、この声って弥生やよいおばあちゃんだ」


 朝日は老婆の声に聞き覚えがあった。

 男性保護省のトップ――男性保護大臣『六宝堂りくほうどう弥生やよい』、この世界へ転移して保護され、最初に出会った者たちの一人だ。

 当時、パニック気味の朝日を落ち着かせ。優しく気を使ってくれた恩人でもあった。


「うむ。神崎君がここに来ると知って、予定を急遽変更されたんだ。すまないな、閣下の行動予定は事前に教えることができないのでね」

「ああ、そう言うことですね――って、うわ!?」


 突如、道路工事でも始まったかのような轟音が響く。朝日は驚きに話途中で声を上げてしまう。

 どうやら、梅と弥生が手合わせをしているらしい。


「おっ、始まったな」

「で……あの……矢地さん。梅ちゃんて、いつもこうなんですか?」

「ん? まあ……そうだな……梅は閣下に大変可愛がられている。たまに顔を合わせた時は、腕試しに……と言った感じだよ」

「うーん、梅ちゃんらしい……ですね」

「ははは、確かにそうだ。それに何より、閣下に出会っていなければ、梅はMapsになる前に養成学校を退学になっていた身だからな」

「えっ!? そうなんですか?」


 ――四年前。

 Maps養成学校で梅が三回生。つまりは卒業を迎える年のこと。

 身体能力、格闘術などの実技関連は常に首位の梅だったが、交渉術、男性学など座学関連の成績は壊滅的で、教官内でも評価が割れていた。

 

「なんと言うか……当時の担当教官と梅は、折り合いが非常に悪くてね。その教官も優秀な者だったが……エリート思考なところがあって少し嫌みっぽいと言った感じで、片や梅は梅であの性格だからなあ」

「あー、それって絶対合わない奴ですよね?」

「その通り。それで、ある時その教官が梅の学習態度を注意する際に、奴の母親まで侮辱するような発言をしてしまってな……」

「あっ……もしかして、梅ちゃん。学校の先生を殴っちゃったんですか?」

「半殺しだ」

「うえっ!?」

「正確に言うと全治六ヶ月の重症だ――おっと!」


 部屋から大きな激突音が響き、今度は矢地の話が中断される。

 どうやら、梅と弥生の手合わせが佳境かきょうに入ったようだ。

 中から苦戦してるらしき梅の声が聞こえてくる。


『くっ! くそっ、離せってーの! ぐぎぎぎぎ』

『わしに力負けしておるようじゃ、まだまだじゃわい。ほれほれ、梅っは相変わらずちんちんりんじゃのう』

『うきゃあーーーっ、胸を揉むなああああ! 尻をさするなああああ!!』

『ふむ、72のA……まったく成長しとらん』

『俺はもう二十一だ。変わるかっつーの! てか、なんでわかんだあああああ!!』


 しばし廊下に響く梅の絶叫。

 それをまったく気にしていない矢地は、腕時計に目をやっている。

 一方の朝日は――あっ、なんか今のどっかで聞いたことあったなあ。と苦笑いだ。


「そうだな……後、五分は持たんか。しかし新記録だな――おっと、失礼神崎君。話の続きだが……本来なら、そこで警察沙汰になって梅は退学のはずだった。ただ、Mapsの教官と言うのは元Aランク以上でないと務まらない。それを一方的に半殺しにした異常な強さが注目され、事情聴取をした閣下が梅のあの性格をいたく気に入られてな……。その後は、説明するまでもないかな」

「そっか……矢地さん。梅ちゃんについて教えてくれてありがとうございます」

「いや、時間潰しの昔話さ」

「でも、僕は梅ちゃんはMapsになって良かったと――梅ちゃんに、この仕事は合ってると思います!」

「ふふ……そうか……(君の担当になったあの三人は本当に幸運だな)」

「え?」

「いや、なんでもないよ。さて、そろそろかな……神崎君。私の後ろから離れないように」


 部屋の中から聞こえる梅の声には、最初のような勢いが無くなっていた。

 矢地の言葉通り、そろそろ決着の頃合いであろう。


『うっ、がっ、くそっ!』

『ほらほら、ちゃんと避けな。自分の頑丈さを過信するな。不器用なら不器用なりに攻撃をかわせ、捌け、ずらすだけでええ。その上で自分の頑丈さを活かさんかい!』

『うっ、ぎゃふ! くっそおおおっ!!』

『ほうら、これで今日の授業はおしまいじゃ』

『ふんぎゃあああああああ!!』


 一際ひときわ大きい轟音と梅の絶叫が響くと同時に、扉ごと梅が吹き飛んで廊下に転がり落ちる!


「うわあっ!?」


 あまりの衝撃に、思わず矢地の背中できゅっと縮まる朝日。

 その横を弾かれたピンポン玉のように、梅がバウンドしながら勢いよく飛んで行った。


「ギャフン!!」


 廊下の角まで転がると、壁際にある花瓶台へ激突してやっと停止する。

 ――カポンッ。

 台から落ちて来た花瓶が、梅の頭上でいい音を立てて割れる。

 生けられていた花は、見事ダウンしている梅の髪飾りとなった。


 一方、部屋の扉が吹き飛び、風通しのよい出入口となった場所から、身長190センチ近い巨体の老婆が姿を現した。

 鋭い眼光を放つギョロリとした目元から、顔全体に年相応のしわが入っている。

 その視線が朝日を捉えた瞬間、眼光はふにゃりと和らいだ。


「おやおやまあまあ、久しぶりだねえ坊や。また会えてババは嬉しいよ。元気にしていたかい?」


 矢地と同じく男性保護省の記章付き制服を着用しているが、記章の数やデザインが国のトップの一人であることを物語る。

 そして、梅とあれほど激しい手合わせをしたにも関わらず、その制服に汚れはほとんど付いていなかった。


 高齢者とは思えない、服がはち切れんばかりの筋肉質な腕と脚。肩に届く長さの白髪ドレッドヘアに、雄々しく太い眉毛と特徴的な鷲鼻わしばな

 覇気にあふれる雰囲気から受ける印象は、年老いてなお”豪傑”と言ったところだ。

 六宝堂弥生、これでも御年七十歳のご老人である。


「こんにちは、お久しぶりです。弥生おばあちゃんもお元気そうですね」

「おうおう……ずいぶんと明るくなったのう。ほんによかったわい。ほれ、こっちにおいで。近くでババに顔を見せとくれ」


 その外見からは想像もつかない蕩けんばかりの笑顔と甘い口調で、朝日の頭を撫でる弥生。

 まるで、目に入れても痛くない孫に接する祖母のようだ。


「ほっほっほ、ほんに可愛いのう。そうじゃ、坊やに意地悪をするような不心得者がいたらババに言うんじゃぞ。ババが物理的に消し去ってあげるからねえ」

「閣下。そう言ったことを口に出されるのは……ちょっと」

「痛ってて……おいババア。てめえが言うとシャレになんねーぞ」


 矢地が苦言を呈していると、花瓶の水を滴らせながら梅も戻ってきた。


「ふむ……よしよし。さて、いい時間だね。みなで食事でもしながら話をしようかのう。こっちの部屋に馴染みの肉屋を呼んどるでなあ」

「おおっ!? 昼から肉が食えんのかよ。へへ、ラッキー!!」


 肉と聞けばゴキゲンの梅。急かすように朝日の手をとって弥生の後を追う。

 連れられて入ったのは、十人程度は会食可能な広さの部屋。

 しかし、本日は朝日たちの人数に合わせたテーブルセッティングとなっていた。

 奥側が厨房になっているようで、料理の準備をする音が聞こえ、美味しそうな匂いも漂ってきた。


◇◆◇


「えっ? 特別訓練のお手伝いですか?」

「ほっほ。いやいや坊や、それは建前での。実際は非公式で、養成学校のちょいとわけありの生徒一人の訓練じゃよ」


 昼食はステーキランチとなり、しばらくは朝日についての話題で食事は進んでいたのだが、ふいに弥生から朝日へお願いがふられた。


「ふあ? ははあ、ふぁさふぃにらにはへはへひょうへんは?(はあ? ババア、朝日に何させようってんだ?)」


 その申し入れに、梅がジャンボステーキ(1キロ)をもくもくと食べながら、話に首を突っ込む。


「閣下……もしや、例の深夜子に次ぐ養成学校最年少合格記録を出した笠霧かさぎりですか?」

「そうよ。せっかくの有望株じゃからの……坊やなら、相手にうってつけじゃろう」

「お言葉ですが……神崎君は通常男性とは比べ物になりません! 果たして訓練になるかどうか……」

「なぁに、じゃからええんじゃよ」

「あの……弥生おばあちゃん。協力をするのは全然問題ないんですけど……ちょっと話が見えない、かなと」

「おうおう。すまんのう坊や。簡単に言うとじゃな、将来有望そうな生徒が一人おるんじゃがの。それがまあ、箱入り娘で男慣れに苦戦しそうでな。そこで坊やと仲良くできれば万事めでたし、という話じゃよ」


 あまりにもかい摘まみ過ぎな弥生の説明に、矢地から補足が入る。


 昨年、Maps養成学校で深夜子に次ぐ最年少記録を出して合格した少女が一人いた。

 名前は『笠霧かさぎり寧々音ねねね』、現在一回生の十四歳。

 実技、座学ともに非の打ち所が無い優秀さなのだが、男性を前にすると極度に緊張してしまう。肉食系女子だらけのこの世界にすれば、非常に珍しい体質であった。

 しかし、それで切ってしまうには惜しい逸材。

 なので、いかなる肉食系女子でも問答無用で昇天させる朝日で男性慣れさせれば、逆になんとかなるのでは? という危険な考えである。


「ちょっと待てババア。そんなガキを朝日で男慣れさせるとか、無謀にも程があんだろ?」

「私も同意です。確かに笠霧は将来有望と聞いていますが……男性慣れにそんなショック療法みたいなマネを――」

「おう亮子! それよそれ! ショック療法でええんじゃよ。それに、少しばかり自分の才能を鼻にかけて天狗になりかけとるらしいからの。梅っもおるし、この機会は逃せんわい。案ずるより産むが易しさ、よろしく頼んだよ」

「はあ……閣下からのご命令とならば……従わないわけには参りませんが……」


 ――結果、弥生の権限の前に押しきられる形になった。


 何よりも朝日が、生徒とはいえど自分がMapsの訓練相手になれるのは面白そうと快諾。

 昼食後。分刻みのスケジュールで忙しい弥生と別れて、矢地は笠霧を迎えにMaps養成学校へと走るのだった。

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