第37話 深夜子の気持ち、朝日の気持ち

 朝日と深夜子は、屋台ロードそばの広場へとやって来ていた。

 花火の打ち上げ開始まで、まだ少々の時間がある。

 どこで時間を潰すか、会場案内をながめて朝日が思案中だ。


「ねえ、深夜子さん。ここに行って見たいんだけど、どうかな?」


 朝日が指し示した場所。そこは港の神を祭っているという神社であった。

 それでは、と出発する二人に少し離れて、警護中の五月たちが後を追う。

 ところが、神社のふもとまで来たところで問題が発生した。


「……朝日君。これはいくらなんでも女性ひとが多過ぎるかも」

「そうなの? あー、おみくじ引いてみたかったな……」

「そう。うーん」


 神社は一般区画にある小高い丘に建っているため、多数の一般女性たちが出入りしている。

 そして、その混雑ぶりは深夜子の予想よりはるかにひどかった。

 この神社。境内まで続く長い石段が売りなのだが、今は少し歩けば、誰かにぶつかるレベルの混雑状態。

 いかに深夜子とは言え、浴衣姿で朝日を連れて、女性だらけの石段を登るには少々荷が重い。

 歩く女性ホイホイである朝日にとって、危険な環境だと判断する。


 さて……どうしたものか?

 朝日の希望はできるだけ聞きたいが、万一があってはならない。

 深夜子は顎に手をあて思案をする。難易度的に、つい厳しい表情になってしま――ん?

 くい、と浴衣のすそが引っぱられる感触。


「あのっ……ごっ、ごめん。ごめんね深夜子さん。無理にとは言わないから。うん、いいよ。もう、花火大会の土手に行こ、ねっ!」


 あっ、しまった。深夜子は表情に出さないようにして悔やむ。

 朝日が悩んでいる雰囲気で察してしまった。

 しかも、自身ではなく、深夜子じぶんの負担にならないようにと考えている。

 Maps――いや、朝日を愛する一人の女としてあるまじき失態。猛省。

 

 それにしても、自分の身を守るべき警護官に気をつかうなんて……と、深夜子は自然と笑みがこぼれてしまう。

 本当に見たことも、聞いたこともないタイプの男性だ。

 だからこそ、朝日のためなら――深夜子は心を決め、パッと明るい笑顔に切り替えた。


「ふへへっ、朝日君、あたし勘違いしてた。神社には行けるよ」

「えっ、そうなの!? でも……」

「無問題。ちょっと忘れてただけ。だから少しだけ待って」


 それから朝日に聞こえないように、インカムで五月と梅にある・・指示を送った。

 即座に離れていた二人が、血相をかえて自分のもとにすっ飛んでくる。

 ま、そうなるわな。


「ちょーーーっと深夜子さん! 貴女、この状況で一体何をお考えですの?」

「てめえ、アホかよ!? 俺ら二人が朝日にガードかけるだけでもルール違反でやべえのに、この女だかりの中に突っ込むってか?」


 その通り、強行策だ。五月と梅にも朝日の周りをガードさせる。

 これなら、朝日の安全を確保できる自信が深夜子にはあった。

 もちろん梅の言うとおり、必要以上の人数で行う密着警護には『男権だんけんの条令』が関わる。

 でも、このひとだかり、是非の判断が微妙な状態とも言える。

 ならば、朝日のためにゴリ押し一択だ。

 すごい剣幕で問い詰めてくる五月を押し返していると、朝日が割り込んできた。


「待って、五月さん。あっ……あの、僕が――え、深夜子さん?」

 おっと、危ない。朝日が自分のわがままだと口にしかけたので、すばやく前をふさぐ。

「朝日君。大丈夫だから」


 キラリーン! と、朝日へ愛の視線付きでサムズアップ。

 深夜子さんにおまかせなのだ! 惚れてもええんやで?

 …………。

 では、五月たちを説得しよう。


「なぜなら、あたしが行きたいから!!」

「…………」

「…………」

「「あっ、あっ、アホかぁーーっ(ですわ)!!」」


 傍若無人、傲岸不遜、コミュ障、その他もろもろ。

 五月と梅が、唾を飛ばしながら猛反発してきた。なんかひどい、しかも汚い。

 でも、朝日のためなら仕方ない。深夜子は心の中心で愛を叫ぶ。

 ここは譲らない。顔中唾まみれにされようともだ。


◇◆◇


「まったく……仕方ありませんわね」

「ったく! あとで矢地にアイアンクロー食らっても知らねえぞ」


 勝った。しぶしぶながら、五月と梅がガードにつく。

 深夜子は、申し訳なさそうにしてる朝日の手をとって元気づける。


「ほら、朝日君。神社に行って、おみくじするんでしょ?」

「あ……う、うん! あの……五月さん、梅ちゃん。なんかごめんね……」

「なんの問題もごさいませんわ!」

「朝日、まかせときな!」


 この二人、さらりと手のひら返しおった。

 

 さて予想通り、朝日は道行く女性たちを引き寄せた。

 気を抜けばすぐに囲まれてしまうが、五月と梅がしっかりとカバーしてくれる。

 まずは無事境内まで到着、おみくじを全員で引くことになった。


「うわ、やった大吉だ」

「おお、さすがは朝日君。さす朝!」

 まあ、男性用は大吉しか入ってないだろうけど。

「おっ、あたし中吉。しかも恋愛運が二重丸! これ超レア!」

 男性比率が少ないだけに、恋愛関係はおおよそ当たり障りのないことが書いてあるのが大半なのだ。

「ぐぬぬ……末吉ですわ」

「別におみくじなんかに――って、うげえっ!? 凶とかマジで入ってやがんのかよ、くそっ」

 あと、女性向けは意外と容赦ない。


 時間の頃合いもちょうどよく。結果に一喜一憂しながら帰り道へと向かう。

 が、困ったことに混雑が悪化していた。

 結果、朝日のガードを意識し過ぎて、ついつい足早で石段をくだるハメになる。

 その時――。


「うわあっ!」

 予定外のトラブル。朝日が石段で転んでしまった。

「朝日君っ!?」

「あー、やっちゃった。下駄の鼻緒が切れて…………痛っ!」

 見れば、朝日が右足首をかばって痛みをうったている。これはまずい。

「朝日君。足、大丈夫!?」

「朝日様っ。ご、ご無事ですか?」

「おい朝日、大丈夫かよ?」


 すぐに深夜子たちが朝日に駆けよって、石段の踊り場に避難させるも、ここが一般区画であること、何より女性ひとだかりがよろしくない。

 軽く足を捻っただけだったのは不幸中の幸い。

 だが、朝日はもう先ほどまでのようには歩けないだろう。


 ――それはもはや足をくじいた子鹿が、サバンナでライオンの群れの前を歩くに等しい行為である。


 深夜子は努めて冷静に考える。

 デートは中断すべき、自分の非番も解除して、五月たちと共に朝日の護衛に集中。治療のため帰宅する。

 ……これが正解だろう。

 それは深夜子にとって、あまりにも苦渋の決断。

 だが、足を痛めた朝日を見れば自ずと答えは出る。

 ちょっと泣いちゃいそうなのは秘密だ。


「ごめん……ごめんね、朝日君。その……おうちに……帰ろ?」

「え? 深夜子さん。大丈夫だよ」

「ふえ?」


 ところが、今度は朝日が深夜子に笑顔を向けてサムズアップ! 

 自信ありげに胸を張って宣言する。


「実はね、こんな時の対処法。僕の国にはちゃんとあるんだよ」

「はい? そんなのあるの?」

「そ、しかもすごく由緒正しい対処法」

「あ、朝日様のお国の……対処……法ですの?」

「おい、なんか猛烈に悪い予感がしてきたぞ……」

 

 ええ、そうでしょうとも。


「じゃあ、深夜子さん。ちょっとそこでしゃがんでくれるかな?」

「ん? しゃがむ……はぁ」


 なんだかよくわからない。

 困惑しながらも、深夜子は言われるがままにしゃがみこむ。

 すると朝日が、自分の背中側にまわってきた。

 あれ?

 それから「よいしょっ」とか言いながらおぶさってきた。

 はひ?


「うわひゃああああっっ!!」

「じゃ、ここからは僕をおんぶしてね!」

「うおおおおいっ、朝日マジかよ!?」

「ちょーっ! こっ、ここここれは、あたしの背中に朝日君がっ! はひゅうううう!!」


 これが頭パァン祭り? 深夜子は弾けそうな頭で精一杯現状を理解しようと試みる。

 そうだ。これはきっと、発情した野生の牝馬が、大好きな人間に乗馬されたかの如き状態。

 つまり、えーと、やっぱりなんだかよくわからない状態!! それでも朝日の言葉だけは、しっかりと聞こえてくる。


「せっかくのデートでしょ。ねっ、深夜子さん。二人で花火を見にいこっ!」

「デ、デート……花火……ふっ、二人で! ふっ、ふおおおおおおおっ!!」


 背中に伝わる朝日のぬくもり! 腰に感じる朝日の太もも! 支える両手には朝日のSHIRI

 深夜子の脳内で新しい扉が開く。

 恐ろしいほどに覚醒していく未知の感覚!

 この扉の先をいけばどうなるものか? 危ぶむなかれ! 危ぶめば尻はないっ!!


「ちょっとお待ちください朝日様! いくら深夜子さんにおぶられても、この人ゴミの中で石段をおりるのは――」

「ムッハーーーッ!! ならばぁーーーっ!!」


 今の深夜子は興奮最高潮。

 研ぎ澄まされた感覚によって、見える。見えるぞ!

 神社の石段横に広がる雑木林。ここを直線にくだっていけば、男性福祉区画の花火観賞用の土手まで最短距離で到達可能。

 空中撮影したかの如く、脳内に地形が映し出される。理屈はわからないけど。


「ちょっと、深夜子さん……貴女まさか!?」

「朝日を背負って林をくだるつもりかよ! 正気かてめえ?」


 色めき立つ五月と梅。対して深夜子は不敵な笑みを浮かべる。

 朝日をおぶったことで、興奮が限界突破した自分は『究極完全興奮態グレート深夜子』とでも呼ぶべき存在。

 ドーパミンも、エンドルフィンも、アドレナリンも、脳内全開。銃の弾丸すら止まって見えるであろう。

 日が落ちて薄暗い視界もなんのその。

 行ける! 今ならどこへでも行ける! 行けばわかるさ、ありがとう!!


「んじゃあ、行く。朝日君、あたしにしっかり掴まって! ひゃふう!!」

「えっ、深夜子さん? ちょっとそっちは――――うわぁーーっ!!」


 朝日をおぶったまま、石段の踊り場から飛びおりる。

 高さ4、5メートルほどだが問題はない。下の雑木林へ余裕の着地。

 勢いそのままに、すぐさま前方へ猛ダッシュ!

 木々の隙間を突っ切って、道なき道を一気にくだる。ヒャッハー!


「はっ、はやいっ!? 浴衣姿で朝日様を背負ってあのスピード? ……あ、ありえませんわ」

「とんでもねえな……あいつテンション上がり過ぎだろ? 朝日のやつ、舌噛んだりしなきゃいいけどよ……」


◇◆◇


「うわああああああっ!?」


 凄まじい勢いで、朝日の視界を木々が横切る。

 これはまさに、林の中を走るジェットコースター。

 ひと一人をおぶっているとは思えないスピードで、深夜子は障害物の間を絶妙に抜けていく。

 気がつけば、あっという間に男性福祉区画の土手が見えてきた。

 林を抜けると、今度は土手に繋がる急斜面。深夜子はさらに加速しながら駆け降りる!


「朝日君。土手で止まるから、力いっぱいあたしを掴んで!」

「うひゃあああっ! りょ、了解ーーっ!」

「んー、いよいしょおおおっ!!」 


 猛烈な砂煙を巻き上げながら、深夜子が足で急斜面を削るように急ブレーキをかける。

 めちゃくちゃ怖い! 朝日はその速度と衝撃にたまらず目を閉じて、深夜子にしっかりとしがみついた。

 勢いが弱まったと同時に、宙に浮かぶ感覚。深夜子が斜面を蹴ってジャンプしたようだ。

 一瞬のち、無事土手に着地? ――朝日は恐る恐る目を開ける。


「あっ! と、止まった? 着いた? はぁ……すごかったね、深夜子さん」

「おひょはゅ、ひゅん。あにょ、あしゃひきゅん。しょの、てぎゃ、てぎゃ」


 ん? 深夜子がへなへなとその場にへたり込み。何か訴えている。


「…………えっ、あれ?」


 だんだん冷静になるにつれて、朝日の右手になんとも言えない柔らかで弾力のある感触が伝わってきた。

 なんだこれ? ムニムニと感触を確かめる。


「ひゃっ、ひゃんっ! ちょっ、あしゃひきゅん……もっと……ひや、しゅ……しゅとっぷう」


 あっ! 朝日はそれが何かを認識した。

 そう、着地の衝撃で右手が偶然、ほんとに偶然、深夜子の浴衣の中に滑りこんでしまったのだ。

 現在、サイズはひかめえながら、張りも柔さも申し分なしのアレ……ぶっちゃけ、おっぱいを握った状態になっていた!


「うわぁーーっ、みっ、深夜子さん! ごっ、ごめんなさい!」

「あ、あたしこそ……変なとこ触らせて、ごめん」


 もはや語る必要もないかも知れないが、この世界。

 女性が男性に・・・・・・故意に胸を触らせる行為は、痴女として取り締まられる・・・・・・・のである。


「ふへっ……うへへへ」

「あ、あは……あははは」


 朝日と深夜子。お互い見つめ合って、うすら笑いでごまかしながら……。

((なんというラッキースケベ!!))

 ちょっとした幸せラッキーを二人して噛み締めていた。


「朝日様ーーーっ、ご無事ですかーーーっ?」

「うぉーーーい。朝日ぃーーーーっ!」


 そこにちょうど五月と梅が追いつてきた。

 深夜子は先程の衝撃おっぱいで、ノーマル状態へと復帰。再度、朝日をおぶってゆっくりと歩きだす。


 朝日の無事を確認して、五月たちは通常警護に戻る。

 深夜子のデート再開。クライマックスである花火の時間まであとわずかとなった。


「朝日君。足、痛くない?」

「うん。大丈夫だよ」

「そっか、良かった」


 朝日をおぶったまま、深夜子がテクテクと土手をすすむ。

 他愛もない会話の途中。朝日が深夜子の肩ごしに顔をそっと耳元に近づける。


「ねえ、深夜子さん。神社のとき……僕のわがまま聞いてくれて、かばってくれて……ありがとね」

「ふえっ!? べっ、べべべ別に……あ、ああああれは、あたしが行きたかったら! そ、そう朝日君のためじゃない……よ?」

「ぷっ、何それツンデレのつもり? へったくそ! あははははは」

「むう」

「ごめんごめん。あのさ、僕ね……深夜子さんの――あっ!」


 朝日から深夜子へ、何かを告げようとしたその瞬間。

 轟音が空から鳴り響き、花火の輝きが頭上へと広がった。

 二人の視界は舞い散る光の色彩に包まれ、朝日の言葉は空気を揺らす爆発音に打ち消された。


「ん? 朝日君、今なんか……」

「ううん。なんでもない」

「そっか。あっ、あの辺りがちょうど見やすい!」


 深夜子の目に、ちょうどよいサイズの街路樹が写った。

 根本には芝生があり、この木を背もたれにすれば花火観賞に最適の場所だ。

 深夜子と朝日はそこで腰をおろし、隣り合ってゆっくりと花火をながめる。


 色とりどりの星が大輪を咲かせ、空を染め上げる。

 重なりあう炸裂音が揺らす大気の振動が、まさに夏を思わせ心地よい。

 少し離れて朝日たちを見守る梅と五月、深夜子も、みんな夢中で空を見上げる。


「深夜子さん。今日はほんと色々ありがとね」

「え? ああ、うん」


 つい花火に意識をとられて、深夜子は朝日の言葉に軽く相づちを打つ。

 

 ――ちゅ。

 ふと、その頬にやわらかな感触が触れた。


 それと同時に、花火に照らされた二つの影は、一人の頬に、一人の横顔が、少しだけ重なっている姿を描く。


「はっ、あっ、ふええっ!? あさ、あさあさ朝日君? い、いいいい今、にゃにににゃにお!?」

「え、なにも? 気のせいじゃない? ふふ」

「でも、なんか、ほっぺにふにゅーんって! うにゅーんて! ふえっ!? ふえっ!?」

「だ、か、ら、気のせいだって、ほらほら深夜子さん。花火花火!」


 ――左手で頬を押さえながら絶賛挙動不審中の深夜子と、空を指さして笑顔の朝日。

 そんな二人の頭上には、ちょうどハートマークの打ち上げ花火が輝いていた。

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