第3話 神崎朝日との出会い
「すぅーはぁー、ひっひっふー……よし!」
深夜子は必死に深呼吸をして心を落ち着かせる。そして――。
「あたし、寝待深夜子。あなたの身辺警護と生活補助をまかされた。よろしく」
うん、バッチリ。これでいつものペースだ。
「寝待深夜子さんですね。これからよろしくお願いします。僕のことは朝日と呼んでくださいね」
挨拶成立。しかし、まだ序盤も序盤。将棋でいうなれば駒組みの段階だろう。ここから――ち、ょ、っ、と、ま、て。今、彼は今なんと言った?
現実ならば呼ばない理由がない。むしろ呼ばせてください。さあ呼ぶぞ!
「んふぅん、ひんむははくひつにこなひゅ。あんひんひてあはひきゅうん(うん、任務は確実にこなす。安心して朝日君)」
「もう何を言っているのかまったくわからんぞ?」
こんなことは初めてだった。普通に、いや、好意的に接して貰えるとはこんなにも違うことなのか。深夜子が今までに出会った男性たちとは全く違う。中身も、外見も。実物を見ればはっきりとわかる。健康的な肌、適度に筋肉がついて引きしまっている身体。ああ、なんと情欲を
ついつい朝日の足元から顔まで、全身をくまなく、下から上まで、舐めるように
「し、失礼。その――」
「ん? どうかしましたか」
「あっ、いや、なんでも、なんでもない」
どうしたことか。朝日は気にした様子も無く、ニコニコとした表情のままだ。自分の目つきが怖くないのだろうか? やせ我慢をしているようには見えない。それでも今までが今までなので、どうにも確信が持てない。悩んだ挙句、深夜子は勇気をふりしぼりストレートに聞いてみることにした。
「あの……あたしの……目。その、こ、怖くない?」
「えっ、目? ああ、そうですね。少しキツイ感じはしますけど、僕はそんなに気にならないかな。んー、なんていうのか……うん! それよりもカッコイイ目だなって思います。凛々しい感じがしますよ」
「んなあっ!?」
絶句。朝日からいともたやすく素敵すぎる感想が返ってきた。しかも、さわやかな笑みのサービス付きである。
深夜子はかつてない衝撃をうけた。
――かっこいい? かっこいい!? かっこいい!! 凛々しい? 凛々しい!? 凛々しい!! 深夜子さん素敵ッ、抱いてッ……脳内で甘美な言葉がこだまする。もう、
こんな、このような素敵な男性がこの世に存在するなんて、心の底から感動を禁じえない。
深夜子の鼻や耳から蒸気が吹き出す。ついでに口から「げへおっふぇうえひへへへ」と感激のいななきが漏れかけた――おっと、危ない。ギリギリで踏みとどまる。危うく再度の失態を犯すところであった。セーフ。
さあ、それではお礼を言わなければなるまい。この愛らしい天使に、自分を受け入れてくれて『ありがとう』と! 口べたで、目つきの怖い自分だけど、精一杯を伝えよう。
「あっ、ああっ、ありが――――ぷっしゅー」
轟沈。
「おい、深夜子? 深夜子!?」
まるで電池でも切れたかのように、深夜子の視界はそこで暗転した。なんたる体たらく。
「あはは。寝待さんは面白い人なんですね」
――それでも
――薄れゆく意識の中で『なんて言いますか、もう宇宙は常に膨張して新しく産まれ続けているんですよね』と、悟りの境地に達した気がする深夜子であった。
こんなやり取りを何度か繰り返し、朝日とまともにコミュニケーションが取れるようになるまでに丸一日を費やした。翌日。二人は朝日の生活拠点となる場所へ向け、国より支給された黒のセダン車に乗って
◇◆◇
「――朝日君、本当に反省。あたしの説明不足」
「いや、僕も矢地さんから聞いてたことの認識が甘かったです。こちらこそごめんなさい」
出発してからしばらく。不覚にも、コンビニで朝日が暴女たちに囲まれる事態が発生してしまった。とりあえずは事なきを得たが、朝日の精神的負担を考慮して、以降の寄り道は考えず。目的地への移動を最優先にした。
「ところで……深夜子さんって凄く強いんですね。僕、びっくりしました」
「あっ、いやっ、そのっ、あ、朝日君。もう……怖くない?」
「え? あっ、あの時は少し驚いただけで、その……怖くはないですよ。深夜子さんは強くてカッコイイと思いました」
「はうあっ!? そ、そそそそそうかな。むへっ、むへへ、ふひっ、でへへへへ」
喜びに両頬へ手をあて、身体をよじらせつつ照れる深夜子。無論、必然的にハンドルから手は――。
「うわあああっ、みっ、深夜子さんハンドル持ってくだい。前、前っ、また車線からはみ出てますよ!!」
「うへへ……ほあっ? うわったああああああ」
何分、深夜子は浮かれ気味だった。
朝日は下の名前で自分を呼んでいいと言ってくれた。その絶好のチャンスを逃すなどありえない。恐る恐る自分も下の名前で呼んで欲しいな、とお願いしたら、あっさりオッケー。世の女性にとって、男性と下の名前で呼び合うことは一生のうちに実現したいシチュエーションベスト10に入るイベントだ。これで浮かれない方がどうかしている。
――結果、まるでコントだな。と言いたくなる道中になってしまった。そんな車中で二人の会話は続く。
「そうだ。僕、生活する場所のことってあまり詳しく聞いてないのですけど」
「えーと。この
念のため、コンビニであったようなことは起きない場所だ。と深夜子は付け加えて置く。
「そうなんですね。それで、男性が一割……それって、この世界では凄いことなんですよね?」
「うん。男性は保護の意味でこういった地域に集められてることが多い」
「うっ……なんか微妙に闇を感じますね」
「そう? でも、そうじゃないと男の人には危険が多い」
「そ、そうなんですか……」
『
男性福祉対応型都市としてデザインされた国の重要管轄区――男性福祉特別区域。
人口は約三十万人。その一割が男性という通称『男性特区』だ。このような区域が国内の各地域に点在している。春日湊はその中でも最大級の一つである。
深夜子の運転する車は、街の中心部にある大通りを抜けて郊外へ。朝日の目に写る景色はだんだんと閑静な住宅街になる。少し先に見える小高い団地、その一部はゲーテッドタウンとなっていた。
どうやらそこを目指して進んでいるようだ。
団地の中腹にある、壁に囲まれた住宅街。検問所を車に乗ったまま通り抜ける。壁の内側に入ると、外と比べ物にならない豪華な一軒家が建ち並んでいた。贅沢に土地を使い、一軒ごとに数十メートルの距離が取ってある。深夜子がナビを確認しながら、その内の一軒に入って駐車場に車を止めた。
「到着。お疲れ様、ここが朝日君のお
目的地、いや自分が住む場所へ到着。朝日が車を降りるとそこには……。
「ちょっと!? これって、めちゃくちゃ豪邸じゃないですか」
日本の一般的な住宅の五倍はあろう敷地に、これまた二倍以上あろうサイズの二階建ての豪邸が建っている。
「このくらい当然。朝日君は特殊案件の保護男性だからむしろ余裕」
「いやいや……僕一人に、いくらなんでも……これは……」
豪華すぎる。あと何が余裕かわからない。
「んー、資料で見たけど、朝日君の今までの生活環境。あたしたちからすれば虐待レベル」
「え???」
豊かな日本の一般家庭で育った自分の生活が虐待? これは常識の根本が違う。
ふと、朝日は思い返した。そう言えば、自分の生活環境の聞き取りをしていた女性調査員。途中、目頭を押さえて嗚咽を漏らしていた気がする……。
それはともかく、豪邸の外観をマジマジとながめる。どうやら男性が警護官たちと生活できるように、二世帯住宅に近い造りになっているようだ。さらに、家の中へ入ってからは驚きの連続であった。
「なんだこれ……部屋多すぎでしょ」
なんと朝日一人が使う部分ですら5LDKの間取り。
「お風呂場も凄かったけど……キッチンもめちゃくちゃ充実してる。……この家、一体いくらかかってるんだろ?」
高校生の金銭感覚ではさっぱり計り知れない。一部屋一部屋の家具や家電製品も、高級品に最新型と思われるものが遠慮なく揃っている。
そしてこの世界らしいと言うべきか。一部の部屋や出入口には生体キーも設置されており、ブライベートセキュリティも万全。果てはトイレは全て男女別など、徹底した作りとなっている。もう、朝日の口からはため息しか出てこなかった。
一方、こちらは個人の持ち物をせっせと積み込み中の深夜子。
「ふおあああっ!? こ、これはGRAVIA最新の65v型液晶テレビ。いいの、使っていいの? いやっふぅ、ありがたやありがたや」
朝日の恩恵に預りまくり、最新家電の数々に歓喜の雄たけびを響かせていたのだった。
◇◆◇
――小一時間ほどで荷物(主に深夜子のもの)の積み込みは終了。
現在、朝日はリビングでソファーに腰掛けていた。
机の上にはお茶とお菓子に街の地図。その他、数枚の書類が広げられている。その中の一枚を深夜子は手に取り、これからの生活に向けて説明を開始すると伝えてきた。
「朝日君。文字読むのは大丈夫?」
「はい。不思議と会話と文字は日本語――えと、僕の国の言葉で見えたり聞こえたりします。ただ、書くのは無理で……僕が字を書いたら、深夜子さんたちに読めない字になりますね」
「らじゃ。んじゃ地図を見て、今いる場所はここ。外出するときは最低一人、基本二人は
「わかりました。ところで僕、学生なんですけど……学校ってどうなるんですか?
「学校? んと、義務教育は十三歳まで。で、男性は危ないから、そこから学校に行く人はまずいない」
危ない? 聞き捨てならないキーワードが深夜子から放たれた。
「えと、それって――」
深夜子の説明によると、この世界の義務教育は、おおよそ第二次性徴が始まる十三歳まで、日本基準の小学校卒業で完了する。もちろん男女共学もそこで終了。義務教育後の女性は、専攻に合わせた学校を選び進学する。それから数年間の学生生活を経て社会へと進出する。
男性に関しては、上流階級のみで構成された地区に例外的な学校はあるが、ほとんどの場合は家庭的にも、社会的にも管理され、家から出ることも少なくなる。そもそも二次性徴の終わった女性たちの中に、同年代男性が混ざるなど、バターを体中に塗りたくって雌犬の群れに飛び込むのと同義である。との事だった。
――あまりの内容に、朝日は自然と指でこめかみを押さえていた。
この世界では、男性に生活力は求められない。
求められるのは性活力なのだ!
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