気ままに短編集

古野あき

花はご入り用ですか?

「ちょっと、そこの方」

「はい?」

「花はご入り用ですか?」



いつもとは少し違うルート。

私は会社からの帰り道、気分転換に遠回りの道を選んで帰っていた。

別段、何をするわけでもなく、ぶらぶらと歩く。

家に帰って誰がいるわけでもない。

特別しなきゃいけないことがあるわけでもない。

少しブルーな気持ちを紛らわしたい。

ただそれだけの気ままな散歩。

いつもとは違う景色を仰ぎながら、ため息を吐いたその時だった。

「ちょっと、そこの方」

若い女性の声が私を呼び止めた。

「はい?」

長い髪を後ろでひと括りにした大人しそうな女性だった。

後ろには小さいけれど品の良さそうな花屋が温かい光を放っている。

こんなところに花屋なんてあっただろうか?

「花はご入り用ですか?」

店員の手を見ると小さな花束がひとつ握られていた。

ピンクの花を基調にしたとても可愛らしい花束だ。

「……」

「見るだけでも如何ですか?あなたが探す花が見つかるかもしれません」

「じゃあ……」

決して強引ではない穏やかな言葉に押されて、店に足を向けた。

「いらっしゃいませ」

店内に足を踏み入れると、店いっぱいの花が私を出迎えた。

優しい香りが鼻をくすぐる。

「とても、たくさんの花があるのですね」

「ええ、全世界から季節の花を取り寄せているんです。今の時期は冬に花を咲かせる植物を扱っています。例えばこの子……」

店員は手近なテーブルの上にあった小さな鉢を手に取った。

「可愛い花ですね」

「ええ。カランコエという花です。花言葉は「幸福を告げる」「あなたを守る」」

「あなたを守る……」

オレンジの花を咲かせる鉢に手を伸ばすと、店員はにこりと微笑んだ。

手の中にズシリとした花の重みを感じる。

「……私は花の世話をしているので、この子の他にも見てあげてください。花たちも喜びます」

店員は水が入った霧吹きを手に、また微笑んだ。

私はひとつ店内を見渡し、手の中の小さな命を見つめる。

ひたむきに生きる小さな花は、元気付けるように温かい色の顔(かんばせ)を私に向けている。

「……私、会社で失敗してばかりで」

ポツリと弱音が口を出た。

「なにをやっても迷惑をかけてばかりなんです」

静かな店内に私の声が響いた。

たぶん店員にも聞こえているだろう。

それでも良かった。

目の前の花は静かに私を見ていたし、店員も静かに耳を傾けていた。

それで良かった。

「同僚も私を白い目で見ます」

誰かに話を聞いてほしかったことを自覚したら止められなかった。

「私の居場所はないんじゃないかって思ったら悲しくて……でも、諦めたくないんです。この仕事がしたかったから頑張ろうって」

「……がんばってるんだね」

「え……?」

ふいに聞こえた幼い声に顔をあげた。

店員を見ても、先程と同じ場所で花の世話をしていて、こちらに背中を向けている。

手の中で咲く花を見ると微かに揺れ動いた気がした。

「カランコエ……?」

「どうかなさいましたか?」

声に顔をあげると、さっきまで奥の方にいた店員がすぐ近くに戻ってきていた。

「今、幼い声が聞こえた気がして……この子の声かと……変ですよね」

自分の突飛な発想に恥ずかしくなり、はにかむと店員は緩く頭を振った。

「たまにあるんです。きっと花と心が通じたんですね。カランコエもあなたの手の中にいて心地良さそうですから」

店員は愛しげに私の手の中にいるカランコエを見つめている。

「もしよろしければ、この子を育ててあげてくださいますか?」

「この子を?」

「ええ。その方がこの子にとっても幸せですから」

私も手の中にあるカランコエを見つめる。

この子が私と一緒にいて幸せ?

「でも、私、植物を育てる自信がなくてて……」

「この子は比較的、育てやすい子なんです。日当たりのよい場所で土が乾いたら水をあげてあげてくだされば大丈夫ですよ」

カランコエはオレンジ色の花を目一杯咲かせている。

『……がんばってるんだね』

さっきの言葉が思い出される。

「私の話し相手になってくれる?」

カランコエが微笑んだ気がした。

「……この子をください」

「はい。今お包みしますね」

店員は手際よくカランコエをラッピングしていく。

「また花のことで聞きたいことがあれば、おいでください。いつでも待っています」

「ありがとうございます」

綺麗にお目かししたカランコエを受け取って、花屋を後にする。

カランコエと仰いだ空は星がよく見えた。


「今日からよろしくね」

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