百合のネタ帳

ゆーぎり

OLと小説家

「死ーーーぬーーー。寧ろいっそのこと殺してーーー」


 それは私がリビングで家に持ち帰っていた仕事をしている時のことだ。

 隣の部屋から絶叫が聞こえた。

 正直に言ってしまえばそれはいつものことでだから無視してしまえば良いのだろうけれど私にはそれが出来ない。

 それはまあ、惚れた弱みってやつなのだと思う。私は恋人の苦しんでいる声を聞きながら仕事が出来るほど図太くはない。

 ただでさえ会社で鬱陶しいおっさん達の話を聞いてくたくただと言うのに今度は恋人の愚痴か……と思うと少しうんざりする。

 けれど彼女が相手ならばそれも良いか、と思ってしまう辺り私も中々の重症だ。

 私は溜息をついて立ち上がる。キッチンに向かい、彼女を落ち着かせる用のコーヒーを注いでから彼女の部屋に向かった。


「大丈夫?」

 私は扉を開けて中に居る人物に声を掛けた。

「大丈夫だよー」

 入っちゃって、と部屋の中から女性の声が聞こえる。

 はいよー、と私は言って扉を開けて中を見る。

 その部屋の中では一人の女性がパソコンに向かってひたすらキーボードをたたいていた。

 彼女の名前は黒式詩織こくしきしおり——私の彼女でもある。

 ほっそりとした彼女の肉体は強く触れば砕けてしまいそうで、頼りなく見えるけれど、スゴク魅力的だ。まあ、その細いという部分はとある部分にも当てはまることだけれど。

 別にそんなことはどうでも良い。と言うか男子がこだわりすぎなのだ。


 だけれどそんな彼女が今は見るも無残だ。

 こう、なまじ見た目が良いぶん残念さが際立っている。

 壊れそうな程に華奢な肉体、とか吸い込まれそうなほど深く澄んだ黒い瞳などと形容される彼女が、今は目にぐるぐる渦巻きを浮かべながら黒赤、赤黒、青黄、黄青、緑高、高緑などとぼそぼそ呟きながら時々ハアァァなどと声を挙げながらパソコンに一心不乱に向き合っている。

 はっきり言って怖い。

「さっき叫んでいたけれど大丈夫?」

 私は若干引きながら彼女に尋ねた。

「うん、大丈夫だよぉ」

 熱に浮かされたような甘ったるい声で彼女は答えた。その声が無駄に艶やかでドキッとする。テンションが変わりすぎだ。

 何が有ったのだろう?

「虹色キャプテンが全部解決してくれたからぁ」

 彼女は文章が一段落ついたからかキーボードから手を放して私の方を見ながら言った。声は相変わらずに色っぽい。と言うか目には涙さえ浮かんでいた。

「そ、そうなんだ……」

 私の声は分かりやすくひきつっていた。本当に恐すぎだよ……

「一度叫ぶとアイディアって湧くんだよねぇ……」

 詩織は恍惚とした笑みを浮かべていた。成程、小説を書いていてネタに行き詰っていたけどそれがさっき叫んだことで何とか解決したらしい。

 小説家ってスゴイ……私ははぁはぁと息を荒げている美女を見ながら思った。

 生きている次元が違う。

 けれどこの状況を見ると詩織は本当にヤバい人みたいだ。薬でも飲んだのだろうか……?

「あ、でも帝バスのssを書いているってことはもう仕事は終わったってこと?」

 私はふと疑問に思ったので聞いてみた。因みに帝バスと言うのは「帝国のバスケ」と言う漫画の略称。普通のスポーツ漫画のように見えるけれど所々に男子同士の友情を超えた絆と言うものが垣間見えることもあってオタク女子にも人気がスゴイ。主に腐向けの。勿論、詩織の大好物である。……流石!

 何が?

 そんな物を書いていると言うことは仕事が終わったということだろうと思って言った。

 しかし、その言葉で時が冷や水を浴びたかのように詩織のテンションが元に戻った。寧ろ顔色が真っ青になった。その様子に私の心臓もバックバク♪じゃねぇよ。

「おい、お前。次の締め切りはいつだ?え?」

 思わず詰問口調になってしまいながらも私は尋ねた。

「え、えーっと……12時?」

 目を泳がせながら詩織は答えた。

「日付は?」

 私はより声のトーンを下げて質問を続けた。

「6日?かな……」

「そうだよね。そう言ってたよね。私はそのセリフを昨日も聞いた。ところで今日の日付は?」

「5日ですね、はい。因みに時間は23時です。はい」

 もう質問の内容を予測して先に答えてくる詩織だった。いや、そこが成長してもしょうがないだろうに……

 私は呆れてモノが言えなくなる。それでも私は無理矢理にでも言葉を続ける。

「分量は?」

「雑誌に短編を10ページ分載せるだけだから多分、徹夜すればいける」

 ふーん、と私は答える。正直な話、ただの会社員である私にはそんなモノだとは全く思わないのだけれど。まあ、プロである彼女がそう言うのならそんなモノなのかもしれない。

「じゃあ、今晩は寝られないね。寧ろ私が寝させないよ」

 私がそう言うと彼女は笑いながら言った。

「どうしよう、全くエロくない」

「うっせー」

 私は苦虫を嚙み潰したような声で言った。


 私と彼女の長い夜が始まる。

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