第三章 神楽坂古書店の事情
7
「ちゃんとやってんの」
「はっきり言って、暇だな。ここで一日中座っていると、時間がまったく流れていないように感じる。これならば、家で寝ていた方がまだマシだ」
「止めてくれよ。家で寝てるとか、そんな夢が崩れるような発言は」
「お前はどんな答えを望んでいたんだ」
チトセが困った顔をして雲雀を見た。
「んー、空を飛んでいる方がいいとか。飛竜っぽいやつを期待してた」
雲雀はそう言って、チトセに向かって笑顔をみせる。
チトセは雲雀のそんな顔を見て、細く長いため息を吐いた。
「お前さ、竜騎士を目指してるんだっけ」
「うん」
雲雀はチトセの言葉に頷く。
「何で?」
チトセがじっと雲雀の顔を見つめてくる。その顔は真剣だった。
「何で、俺の背中に乗りたいんだ?」
雲雀は、チトセの質問に少しだけ息を吐いた。そして答える。
「昔さ、テレビで竜騎士の特集してたんだ。それを見て、かっこいいって思ったんだ。俺もこんな風に、大きな竜に乗って、空を飛びたいって。そしてこの国を守りたいって思った。それから、俺はもうずっと竜騎士に憧れてる。この国の平和を守って英雄になれたら、それってすっげーかっこいいと思わない? だからさ、チトセも俺と一緒に……」
「思わない」
雲雀の言葉を最後まで聞かずに、チトセがそう冷たく言い放った。
「え?」
雲雀は思わず首を傾げた。
「思わないよ。お前さ、ちょっと夢見すぎなんじゃないの。お前は、テレビの中の映像に騙されて、現実を知らないだけのただの子どもだよ」
「そんなこと……」
雲雀は、チトセの言葉に顔をしかめた。
「お前が見てる世界は、現実じゃない。偽物の世界だ。それがわからないうちは、俺はお前を背中に乗せる気にはなれない。お前のようなガキが、俺は死ぬほど嫌いだ」
チトセの言葉に、雲雀は返す言葉を完全に失っていた。
確かに、雲雀はありもしない夢を見ているのかもしれない。だけれどそれは、自分の力で現実にできる夢だと、信じているのだ。
チトセは雲雀に言いたいことだけ言って満足したように、椅子から立ち上がって二階の事務所へ行ってしまった。
雲雀はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
彼の言うことはもっともだ。
雲雀はテレビの中で活躍する竜騎士に憧れた。そして竜騎士になるための学校へ入った。学校では、やはり竜騎士は生半可なものではないことを教えられた。それは、夢を見ろ。だが現実も教えてやると言われているようだった。
訓練は厳しいし、勉強も難しい。そして中型竜の相方。雲雀が思い描いていたものとは大きく異なっていた。だけど、それでも雲雀が竜騎士になって大型竜に乗って空を飛びたいのは、一度決めたことから逃げ出すのが、嫌だったからだ。雲雀だって、生半可な気持ちで竜騎士を目指しているわけじゃない。
「あの人」
突然後方から声がしたので、雲雀は驚いて振り向いた。
「ああ、人じゃないか。あの竜人。ちょっと言葉足らずだけどいいこと言うね。現実じゃなくて偽物の世界。つまり、今見てる世界じゃなくて、視野を広くして他を探せば、もっと違う世界が見えるよ。ってことかなとあたしは思うよ」
そう言って、雲雀の方を見る人物。そこに立っていたのは神楽坂月見だった。一体いつから聞いていたんだろうか。
「月見……ちゃん……」
いきなり呼び捨てはまずいかなと思って「ちゃん」を付け足してみる。
「月見でいい」
怪訝な顔をして月見がそう言う。
月見は、昨日より雰囲気が違って見えた。学校帰りなのか、制服を着ていたせいだ。
「月見って、歳いくつなの」
雲雀は月見の着ている白い制服を見ながら言う。白い制服に紺色のりぼんがついていて、なかなか可愛らしかった。
「一四歳。あんたは?」
「あんたじゃなくて、雲雀。
雲雀は月見の質問に答えた。
「ふーん」
あまり興味のなさそうな相槌を返される。年上だと知っても態度を変えないとは。肝が据わっている。
それから、月見は雲雀の着ている制服を指さしてこう言った。
「それ、どこの制服? その制服着た人、たまに見かけるからずっと気になっていたの」
「ああ。これ? 四百一号にある、白銀の騎士学校の制服だよ。確かにあんまり、五百号まで遊びに来る人はいないだろうね。だってここ、遊べるところは何もないし」
「騎士学校なんだ。そこって、普通教科の勉強もするの?」
何やら月見の興味を引いたのか、くい気味にそう聞いてくる。
「するよ。騎士の授業と普通科目の授業がある。文学とか歴史とか。魔法もちょこっと。竜騎士科は、それに加えて竜や竜騎士についての科目があって、騎士科よりも結構大変なんだよ」
「ふーん。そうなんだ。やっぱり、そういう方面って大変なんだね。よかった。普通科希望しといて」
「月見は、普通科の学校を受験するんだ」
「そう。あたしはお姉ちゃんみたいに無謀なことはしないの。普通に学校行って、普通のところに就職して、普通に結婚して、普通の暮らしをして、普通に死ぬの」
月見がそう言って、柔らかく微笑んだ。
「月見も、華士の力持ってるんだろ?」
雲雀は確認の意味で月見にそう質問してみる。
華士は血筋。と菫が言っていたから、月見もその血を継いでいるはずだ。そう思っての質問だ。
だけれど月見は菫みたいにいつ死ぬか分からない人生ではなく、ごく普通の。一般人が歩む、何の変哲もない人生を歩みたいらしい。
月見は少しだけ目を丸くしてから、嘆息した。
「お姉ちゃん、あんたたちにどこまで話したの。ただの手伝いかと思ってたんだけど」
「華士だってことぐらいしか、聞いてないよ」
「事務所にも通してたし。まったくお姉ちゃんは……」
仕方ないなと言うように、月見は呆れた顔をしていた。
「ちょっと色々あってさ。チトセなんか、ああ、チトセってのはあの竜人の名前で。チトセは事件に巻き込まれた感じで。俺はまあ、その事件に無理やり首を突っ込んだっていうか。本当は何も関係ないんだけどね」
そう言って、雲雀は笑った。
「なるほどね……。大体わかったわ。それならそうとちゃんと言ってくれればいいのに。本当、お姉ちゃんは何を考えているのか」
「まあ、俺たちもあの人が何を考えてるのかわからないんだけどね」
二人して、事務所のある二階に上がる階段の方を見つめる。
「あたしね、正直お姉ちゃんが華士を仕事にしてるの、よく思ってないんだ。誰かのために何かをしたいって気持ちは、わかるよ。でもね、その誰かのために命を賭ける気持ちはわからない。だから、あたしには竜騎士になりたいっていうあんたの気持ちもわからない」
月見は、そう言って雲雀の方を見た。雲雀は少しだけ顔をしかめる。
月見の気持ちも、わからないでもない。でも、菫の気持ちも、わからないでもない。
普通の人生を送って普通に死ぬ。
それはそんなに難しいことではない。なぜならばそれは、最初から敷かれたレールに乗れば、何の問題もなく送れる人生なのだから。
「俺は、普通の人生を歩みたくない派の人間だけど、普通の人生を歩みたい派の人間を否定する気もないね。だってさ、人生って人それぞれだし。そういう人もいていいと思う。月見の家の事情は何も知らないから偉そうなこと言えないけど、普通じゃない人生も色々辛いけど、楽しいよ」
雲雀の言葉に、月見が少しだけ目を丸くした。それから、すぐに目を細めて言う。
「まあ、自分で選択した道。だもんね。お姉ちゃんが、自分で選択した……。力を使い続ければどうなるか、一番知ってるのはお姉ちゃんだもんね」
「え。どういう意味?」
雲雀は月見の言葉に首を傾げる。
「ううん。なんでもない。ちょっと話すぎたかな。歳が近いからか、雲雀ってなんだか話しやすい。じゃあそろそろお店閉めてくるよ。雲雀は、事務所行くでしょ」
月見は笑いながらそう言って、人差し指で二階を指した。
「あ、うん」
雲雀はそれに頷くと、後は月見に任せて事務所へ向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます