第20話:一目見れば分かるから
週末の休日、恋奏は趣味のヴァイオリンを奏でていた。
リビングでひとり弾いていると、弟がやってくる。
「姉ちゃんっ、ギターをください」
「やだ。奏太は飽き性だからあげても楽器が可哀想だもの」
弟の奏太(かなた)は中学3年生の生意気盛り。
姉弟の力関係に屈することもなく、
「いいじゃん。使ってないやつとかあるんだろ? また教えてくれよ」
「貴方の場合は女の子にモテたいという不純な理由でしょ」
「うっ。そ、それの何が悪いんだよ」
「ギター弾ける程度で女の子にモテるほど、世の中は甘くないの。人間性に魅力なければ振り向いてもくれないの。はい、終了。お部屋に戻りなさい」
姉の痛烈な批判に奏太は「ぐぬぬ」と悔しそうに唇をかみしめる。
「俺も自分のギターが欲しい。かっこよく弾けるようになりたいんだよ。姉ちゃんは独学で弾けるようになったんだろ? すごいよなぁ」
「……ただの趣味よ」
「趣味でそこまで弾けたら十分だろ」
ヴァイオリンもギターも、恋奏にとってはただの趣味の範疇である。
音楽関係の本格的な指導を受けた経験はない。
ただ、家に祖母が昔使っていたヴァイオリンがあった。
子供時代から遊び半分で始め、独学ながらも今ではそれなりの音色を出せるようになっているだけなのだ。
高校に入り、弦楽器同好会という、これまた趣味の部活をしていることもあり、
「姉ちゃんみたいに弾けたらカッコいいじゃん」
「はぁ、調子のいいことを言ってくれて。しょうがないわね。昔、お父さんが使ってたっていう古いギターがあるわ。それでいいなら使いなさい」
「マジで? いいのか?」
「ただし、壊さないように。奏太が乱暴に使うなら没収するからね」
「大丈夫だって。大事にします。ほら、早く出してくれよ」
仕方ないとばかりに彼女は自室から古いギターを持ってくるのだった。
彼女の父親が学生時代に使ってたらしい。
物置にあったのを使えるように手入れをしたものだ。
恋奏が初めの頃によく弾く練習に使っていた思い出のギター。
「奏太に譲るのは少し寂しいけど、私も自分のギターしか使わないし」
誰かに弾いてもらった方が楽器も喜ぶと、恋奏は気持ちを切り替えるのだった。
自室からリビングに戻ってきた恋奏を待っていたのは、
「やぁ、コイカナ。お邪魔してるよ」
幼馴染の牧子がソファーに座ってくつろいでいた。
彼女が家に上がるのは別段珍しいことも出ない。
「あら、マキじゃない。遊びに来てたんだ」
「奏太君が家に入れてくれたの。それ、どうしたの?」
恋奏の手に持っているギターが気になる様子。
「奏太がギターを弾きたいって駄々をこねるから古いのをあげるのよ」
「いいじゃん。姉ちゃんは自分のギターがあるんだからさぁ」
彼女はそれを待ち望んでいた奏太に手渡す。
「やったぜ」
「大事にするのよ。壊さないように」
「へぇ、奏太くん。ギターとか弾けるんだ?」
「まだまだ、人様に聞かせられる腕前じゃないわ」
「でも、頑張ってる男の子ってかっこいいじゃない。ねぇ?」
牧子が褒めると彼は調子に乗って「そうだ、そうだ」と声をあげる。
「はぁ。弟を乗せないで。この子はすぐ調子に乗るんだから」
「姉ちゃんは俺に厳しすぎ。弟には優しくするべきだ」
「実は私、可愛くない弟よりも可愛い妹が欲しかったの」
「俺の存在否定!? いや、マジで凹むんで冗談は冗談に聞こえるように言って」
「冗談ではないのだけど?」
辛辣な恋奏の言葉に「ま、負けないぞ」とへこたれそうになるのを堪える。
どこにでもある姉と弟の関係。
姉に勝てる弟はそうはいないのである。
そんな姉弟の様子を眺めていた牧子は笑いながら、
「コイカナってさぁ。ホント、奏太君にだけは強気よねぇ」
「これが姉弟ってものでしょ。マキ、この子が気に入ってるのならあげるわよ」
「俺はモノ扱いか!」
「貴方の扱いにはとても困っているもの。どう、マキ? いらない?」
「うーん。近場に相手を求めるのはどうかと」
「俺も年上の女子はどうかと」
その発言に牧子はムッとして奏太の首根っこをつかんで引き寄せる。
急に胸元へ抱き寄せられて顔を赤らめる彼に、
「なーに、生意気なことを言いました? 年上の魅力というのを教えてあげよう」
「ひっ!? す、すみません」
「キミの年齢くらいだと恋人にするのなら年上女子の方がいいんだぞ?」
「で、ですよねぇ。ま、牧子さん、美人で素敵だなぁ。あはは」
顔を引きつらせて笑う奏太は早く逃げ出したくなった。
年上には敵わない。
これまでの人生で身をもって思い知っている奏太である。
数分後、部屋から逃亡した奏太と入れ替わりに恋奏の母親がリビングに入ってきた。
「なんか、奏太が慌てて逃げたけど、何かした?」
「少し年上の魅力を教えてあげただけです。お邪魔してます。和奏おばさん」
恋奏の母、和奏(わかな)は微笑みながら、
「マキちゃんが奏太とくっつくのなら歓迎よ。あれ、いらない?」
「もう少し年上の魅力が分かる年になったら考えさせてください」
母と姉からの同じ扱いに「アレ扱いかよ!」と遠くで奏太が嘆いている。
「それよりも、コイカナ。パソコン借りるわよ。例の動画ができたの」
「デスクトップへ適当に落としておいて。あとで消す」
「なんで!? 私たちの苦労を何だと思ってるの」
「知りません。私、自分の動画なんて見たくないし」
つれない反応をされて牧子は「えー」と不満そうだ。
映像制作部がここ数日、徹夜をして文化祭に間に合わせた動画を見てももらえない。
「本人のチェックの意味も込めてるんだけど? もう勝手に編集して、あんな動画やこんな動画にしちゃってもいいと?」
「好き放題にしてるでしょ。勝手に動画を配信したり、投稿サイトにアップしたり。私としてはすごく迷惑なのでやめてもらいたいです」
「えへへ。今回も反応はいいよ。コイカナはやっぱり舞台映えするもの」
「……はいはい」
パソコンを操作してUSBメモリからデータをうつす。
その動画に興味を持ったのは和奏だった。
「ねぇねぇ、マキちゃん。恋奏の動画を見せてよ」
「いいですよ。ほら、こちらです」
牧子が動画を再生すると、中庭の舞台に立ってヴァイオリンを演奏する恋奏の堂々とした姿が映し出されていく。
花に囲まれた舞台に流れる綺麗な旋律。
時折、学校の様々な場所が映し出されていく。
「いつもながら、よくできてるわねぇ」
「ホントは水着着用の動画もあったんですが、学校の許可が下りず採用できませんでした。ごめんね、コイカナ。また今度、別の素材に利用するわ」
「無駄なことをさせてくれたわ。もうマキには協力しない」
「そう言わないでよ。ならば、その水着映像はイメージビデオとして再利用を」
「しません! もうっ、変な映像をばらまいたら許さないわよ」
膨れっ面をして見せる恋奏を母はなだめる。
「恋奏も拗ねないの。自分の映像とか写真を残すのが嫌いなんだから」
「自撮りとかほとんどしないもんね? なんで?」
「別に。自分の顔を見て楽しむ趣味がないだけよ」
「恋奏は美人さんなのにもったいないなぁ」
昔から写真や動画に自分が映るのを苦手とする恋奏である。
「もうひとつ動画があるのね? これは?」
「それは後輩ちゃんに頼んで撮影させてもらったやつですよ。見てみます?」
「あー、信愛ちゃんの?」
「そう。どこかの幼馴染が断ったせいで、大変な目にあったの。私たちの救世主、ミーナの動画だよ。彼氏君も付き合ってくれていい出来なんだよねぇ」
牧子が学校紹介の動画を再生した時の事だった。
『ここが学校の体育館になりまーす。普段は部活動をしたりして……』
映像の中心に映る男女、まさしく自然体な表情を浮かべて、撮影されていた。
その動画の少女の顔を見た瞬間、和奏の顔色が変わる。
「この子……?」
そのわずかな変化に気づいた恋奏は問いかける。
「どうかしたの、お母さん?」
「この可愛らしい女の子、もしかして……水瀬って名字?」
「え? 何で知ってるの? そうだよ。水瀬信愛ちゃん」
「水瀬、信愛。後輩ってことは一年生か」
「そう。見た目通り、性格も無邪気で可愛らしい子なのよ」
流れる映像の信愛を凝視する和奏は静かな声で、
「恋奏。この子とは仲がいいの?」
「仲がいいってほどではないかな。まだ数回しかあってないし。どうして?」
「和奏おばさん。ミーナのことを知ってるんですか?」
「どなたか知り合いの子供?」
ふたりから問われて彼女は「えぇ、多分、昔の知り合いの子よ」と答えを返す。
「本当によく似てるわ。似すぎてびっくりした」
「そうなんだ?」
「……似てることがいいことではないのだけどね」
「え? どういう意味?」
「何でもないわよ。それよりも、こちらの相手の子は彼氏くん? 年下の後輩にはちゃんとした彼氏がいるのに、年頃の女の子が二人もそろって彼氏もいないのはどうしてかしらね? おふたりとも、青春時代を無駄にしてない?」
いつもの表情に戻した和奏は恋奏と牧子にそう説教を始める。
「うぐっ。藪蛇った」
「わ、私、奏太君をもらおうかな」
年頃の女子ながら、恋人がいないことを責められて耳が痛い恋奏たちであった。
そんな二人を説教しつつも、和奏は映像の方が気になっていた。
無邪気な微笑みを浮かべる信愛の顔。
「……一目見ればわかるわ。この子が誰の子かって」
それはかつて、自分が人生を変えてしまった相手の子供。
「運命ってやっぱりあるものなのね。世の中、うまくできてるわ」
和奏は誰にも聞こえない声で、静かにそう呟くのだった。
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