第29話:好きだと認めたら負ける気がして


 和奏の友人達に囲まれて、包囲網を形成された。


「あれぇ、キスしないんですかぁ?」

「そうだ、そうだ。和奏ちゃんが望んでるのに」

「……下手に煽るな、後輩たちよ」


 女の子と言うのはどうにも扱いづらいものである。


「ほら、飯を食え。冷めるぞ」

「私はもう食べ終わりましたのでお構いなく」

「ぐっ。ちくしょうめ。逃げられないか」

「ほら、先輩。ちゅーしてください」


 薄桃色の唇をわざとらしく尖らせて迫ろうとする。


――こんな大衆の面前で、キスなんてできるはずもない。


 もしもしてしまったら、色んな意味でチェックメイトだ。

 場の雰囲気に流されるわけにもいかず。

 八雲は「いいのか?」と迫る和奏に問いかける。


「私はいつでもオッケーですよ? 今日は心の準備もできてます。さぁ、どうぞ」

「へぇ、俺は台湾ラーメンを食べたばかりで口の中が辛い状態だが、それでキスなんてムードも何もないうえに、トラウマレベルのキスになると思うのだが?」

「……ぅっ……!?」

「それでもいいのか? キスしてもいいのか? どうなんだ?」


 激辛ラーメンを食べた後にキスなどするものではない。

 想像するだけで体調不良を起こす和奏はよほどつらかったのか、

 

「きょ、今日の所は諦めます。気持ち悪いので少し口の中をゆすいできます」


 辛い地獄は勘弁してほしい和奏であった。

 例え、キスの甘さでも相殺できない。

 がっくりと落ち込み、フラフラと席を立って手洗い場の方へと向かい始める。


「あー、待って。大丈夫? 私もついていくよー」

「先輩。逃げ口実としては最低。そこはちゅーしちゃえばいいのに」

「できるか!」


 有紗と陽菜乃に付き添われて、和奏が立ち去っていく。

 残された静流と八雲は顔を見合わせて笑ってしまう。


「和奏さん。辛いのがダメなのに頑張ってるのが健気です」

「弱みを見せたがらないからな。ちょっと意地悪しすぎたか」

「神原先輩はまるで好きな子イジメをしてるようです」

「ひどい言われようだな」

「……実際の所、どうなんです? 和奏さんとはいい雰囲気なんですか?」


 静流からの質問に、八雲はぐいっとコップの水を飲み干して、


「さぁ、どうだろうな。アイツと知り合って、本当の意味で接点を持ち始めたのはここ一週間の話なんだよ。それまでただの顔見知り程度でしかなかった」

「……私達の間ではずいぶんと前から先輩の話が和奏さんから出ていましたよ。お兄さんのお友達で憧れの人なんだと楽しそうに話をしてました」

「俺には憧れられる理由なんてないのに」


 実際の所、八雲は和奏にここまで好かれる理由に覚えはない。

 昔会った時に呟いた何気ない言葉が和奏の心に響いたことも。

 ずっと傍で声もかけず人知れず熱視線を向け続けてきたことも。

 何の自覚もない事だったのだ。


「だけど、今は俺が何をしたのか、どうしてそんなに愛されてるのか、とか。いろいろと考えたりするよ。愛される理由を探してみたりしてさ」


 昨日のキスは八雲にとっても驚きだった。

 知らず知らずに大きくなっていた自分の気持ち。

 気付かずにいた、可愛いと思える相手。


――俺はスト子が好きなんだろうな。


 いつからそんな気持ちが芽生えてたのか。

 昨夜はずっと彼女の事を考えて、自分なりに和奏に向き合っていたのだ。


「片思いってそういうものではないでしょうか」

「え?」

「自分の知らない所で誰かに愛されている。想像もしてなかったことかもしれません。ですが、相手は貴方を想ってずっと愛していたんです」


 人の想いは言葉にされないと分からないもの。


「大切なのは相手が惚れている気持ちを知った今の気持ちでは?」


 静流は落ち着いた声色で八雲に問う。


「神原先輩にとって、和奏さんはどういう人なんですか?」

「俺につきまとう鬱陶しいストーキング女子。その一言に尽きる」

「す、ストーキング女子?」

「スト子のせいで俺は男としての矜持も踏みにじられてひどい目に合った。押し倒されて、親バレして、脅されて……思えばひどい展開なのにな」


 思い返せばひどい目にしかあっていない。

 暗い表情を浮かべて落ち込みそうになる。


――それなのに、どうして。アイツがこんなにも気になってるんだろうか。


 たった一週間の出来事だった。

 あっという間に過ぎ去る日々の中で。

 毎日のように同じ時間を過ごすたびに、和奏の新しい一面を発見したりする。

 相手の事をよく知るたびに、自分の中に何かが芽生えてくるのだ。


――人間の感情って天邪鬼と言うか、不思議なものだよな。


「私は恋をしたことがないので説得力はないでしょうが、先輩と和奏さんが一緒にいるところを見ていると、すごくお似合いだと思いますよ」

「そうか?」

「まるでお兄ちゃんと妹のような親密さがありますよね」


 微笑ましく言われたが、褒められるようなことでもない。

 思わずガクッときそうになりながら、


「……それはそれで微妙だな。浩太のポジションを取るのは可哀想だ」


 なけなしの兄の立場を取られたら浩太が嘆き悲しむであろう。


「でも、たった一週間でそこまで仲良くなるなんて運命かもしれませんね」

「運命ねぇ」

「人の縁は不思議なものです。それに恋はするものではなく、落ちるものだって言うでしょう? 先輩は和奏さんに恋に落ちてしまったのではないでしょうか?」


 ふと静流に言われた言葉が胸にすっと来る。


「恋に落ちる、か」

「これは私のお姉ちゃんの言葉なんですが、『相手の事を考えて、不安に思えることがあるのなら、それは恋だよ』と言っていました。恋愛は楽しいだけじゃなくて、苦しくもなります。そういう気持ちこそ大事にしなきゃいけないんだって」

「静流ちゃんのお姉さんの言う通りかもしれないな」


 相手の事を考えて不安になることもあるだろう。

 苦しくても、逃げずに乗り切りたい。

 それが恋愛なのかもしれない。


「私も一度はしてみたいですね。胸を焦がすような恋も、泣きそうになるほど不安になる恋ゆえの痛みも。今の私には想像しかできませんから」

「静流ちゃんならすぐにでも恋人くらいできるだろ」

「どうでしょう? 素敵なご縁でもあればと思っています」


 お淑やかさ全開の微笑みに、八雲は思った。


――和奏にもこのお淑やかさがあれば、俺もすんなりと落ちていたかもしれん。


 彼女にはお淑やかさではなく、恋に暴走する積極さしかなかったが。

 静流と話をしていたら、ようやく和奏が戻ってくる。


「お待たせしました。歯磨きも終えまして、大倉和奏、完全復活です」

「……ハンカチを持ってる手がまだ震えてるぞ」

「ふふふ、これは武者震いと言う奴です。実は先ほど、例の悪女先輩と出会いまして。今日の放課後に再戦を挑んできましたよ」

「悪女先輩? 誰ですか、それは?」


 事情を知らない静流は不思議そうに言う。

 相性の悪い和奏と那智の前哨戦が行われてきた模様である。


「ついに最終決戦の時が来たようですよ、うふふ」

「……そう意気込むな。俺もビビるから」


 光景を目の当たりにした有紗と陽菜乃はギスギスとした関係を思い知った。

 女の戦いとは高度な”陰湿な駆け引き”と”精神攻撃”の応酬である。


「わ、和奏がめっちゃ怖かった。相手もすごく目つきが悪いし。何よ、アレ?」

「あれが修羅場と言う奴ね。あの悪女とどういう関係?」

「八雲先輩絡みで因縁があるとしか言えません」

「……マジかぁ、神原先輩の昔の女とか?」


――那智自身とは何もないんだが。あってたまるか。


 那智との因縁を別の方向で誤解されて、後輩に嘆かれてしまうありさまだ。


「先輩、そういうのは自分で解決しなよぉ。負けるな、頑張れ。和奏ちゃん」

「そうそう。恋は戦いだと言うもの。戦って勝ち取るんだよ」


 友達から応援されて「頑張ります!」とやる気を見せる和奏だった。





 食事も終わり、先に教室に戻ってしまう3人の女子たち。


「神原先輩はさっさと和奏を恋人にしてあげてください。いろんな意味で危ない」

「このままじゃ学校内で大惨事が起きるかも……頑張って、先輩」

「先輩なりに和奏さんと自分の想いを見つめなおしてみるといいと思いますよ」


 三者三様の励ましの言葉を残して食堂から立ち去っていく。


「後輩に励まされてどうするよ、俺……なんか泣きそう」


 和奏は八雲と共にゆっくりと廊下を歩いて、


「……静流とは話をされました? 和風系の美少女でしょう?」

「あの子もいい子。意外と和奏は友達と良好な関係で付き合えているようだ」

「はい。私は友達に恵まれています。……ですから、その友達を裏切るかもしれないと思うと心が痛むんです。私はこの戦いで大切な友情を失うかもしれません」

「不穏なことを言うな!? 何をするつもりだ、何を!」

「例え、友情を犠牲にしてでもこの戦いに勝利するしかありません。那智先輩を倒した勝利の先には私にとっての幸せが待っているんです。そのためなら友情すらも犠牲にできます」


 那智との因縁にケリをつけるために。

 すべてを賭けて、和奏は那智に立ち向かうのだ。


「さぁ、ついに最終決戦ですよぉ。頑張りましょうね、八雲先輩」

「……おー」

「もっとやる気を見せてください。悪女から彩萌先輩を解放したいのでしょう?」

「そうだった。傲慢な悪女、那智を倒すぜ! エイエイ、オー!」

「先輩のためのやる気はちょっと不愉快ですが。ここが正念場、反撃開始です」


 八雲の手を取り、固い握手をしながら和奏は意気込む。


「心配せずとも那智先輩対策は万全です。私には3つの矢がありますからね」

「三本の矢? 三本の矢は折れないっていう毛利元就の逸話か?」

「そういう意味ではなく、三段構えの罠です。私にお任せあれ。あの人の心を折りまくるための策はあります。見事、あのふたりの関係を解消して見せましょう」

「不安が多いが、過去にケリをつけるためにもやるしかないか。任せるぞ」

「はい。勝利の栄光を先輩に!」


 彩萌を奪われた過去。

 弄ばれている現在の彼女を解放するためにも那智を倒さないといけない。

 これは絶対に負けられない戦いなのだから――。

 

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