第15話:一途な想いは行き過ぎると恐ろしい事に


 昼休憩の昼食を終えて、八雲は渡り廊下を歩いていた。

 何やら話し声が聞こえるので足を止めると、


「や、やだぁ、こんなところでダメだってば……」


 物陰に隠れるようにして重なる影が二つ。

 聞こえてくるのは甘い女の声。


「もうっ、んぅっ……ぁっ……」


 青春とはバカになることだ。

 自分たちの世界に入り込み、甘ったるい雰囲気でいちゃついているらしい。


――どこかのバカップルがキスしてやがる。人迷惑だな。


 人気の少ない場所だ、そういう場面に出くわす可能性もゼロではない。

 だからと言って、学校でそんなプレイに興じるとは度胸のある事だ。


――まったく、最近の若い奴は……けしからんな。


 覗きをする趣味はないので、道を変えようかと思っていたら、


「じゃぁ、また後で」


 キスを終えた二人はそのまま離れていく。

 状況終了。

 

――はぁ。こんな現場からはエスケープするに限るぜ。


 物陰から出て、八雲はさっさと通り過ぎようとしていた。、


「……やっくん?」


 しかし、残っていた女子の方に声をかけられた。

 その少女の方に視線を向けて八雲は驚く。


「って、お前かよ。彩萌!?」


 八雲の元恋人、彩萌だった。

 慌てて乱れた衣服を直す仕草を見せた。


――あのー、ここで何をしていたんだ、お前ら?


 明らかにイケナイコトをしていた様子である。

 

「も、もしかしてみてた?」

「今のお前らか?」

「やだぁ、見てたの? 恥ずかしい。やっくんのエッチ」


 彩萌は顔を赤らめて恥ずかしそうにする。


「恥ずかしいのはお前らだろう? ていうことは、今キスしてたのが?」

「そうだよ。アヤの恋人だけど?」

「……マジか」


 相手が女同士なのはさすがに想像していなかった。

 そもそも、普通は想定すらするものではない。


――なんていうか、一番嫌な場面に出くわしたな。


 彩萌の薄桃色の可愛らしい唇に視線が向いてしまう。

 今さっき、恋人とキスをした唇だと思うと八雲は複雑な心境だ。


――どちらがキスがうまいとか話になったら切腹ものだな。聞きたくもない。


 恋人同士の時には何度も彩萌とキスを交わしたことがある。

 その経験よりも上回ると言われると男としては自信喪失の危機だ。

 八雲は思わず顔を引きつらせながら、


「……変な場面に遭遇しなくてよかったぜ」

「変な場面って失礼な」

「何が悲しくても百合シーンを目撃しなきゃいけないんだ」


 彩萌は「百合って言わないで」と可愛く口を尖らせて見せる。


「アヤたちはただの純愛ですぅ」

「はいはい。お前らの愛はどうでもいい。相手の顔も知らないままでいいや」

「……元恋人として、今の恋人を紹介しておくべきかしら?」

「絶対にやめろ? そんなことされたら、俺の精神的ダメージが計り知れない」


 自分の恋人をネトられた相手との対面。

 例え相手が女であろうとしたくもない。


「ねぇ、知ってる? アヤの恋人は嫉妬深い子なんだよ。昨日なんてやっくんと一緒に食事してたのがバレて、放課後は大変だったんだから」

「何が大変だったかは聞きたくないな」

「え? 聞きたいの? 放課後、部室で強引にあの子からキスされて――」

「やめて、何も言うなぁ!?」

「キスあとがつくまで何度もされちゃった。あの子、キス魔なんだぁ」


 うっとりとする彩萌の惚気。

 八雲はうなだれて「もう勘弁してくれ」とお手上げ状態だった。

 彩萌は楽しそうに笑いながら、渡り廊下の端にもたれて、


「やっくんは新しい恋人さんと楽しそうね?」

「何がだ?」

「今日も朝から一緒のバスだったでしょ。一緒にいるところを見てたの。仲が良くてラブラブな感じがして、初々しいっていうか」


 八雲と和奏の関係を遠目から見れば自然な恋人に見えるものなのか。

 彼は「そんなことはいない」と彩萌には聞こえない声でつぶやくのだった。


「あの子、可愛い子よね。思わず、押し倒しちゃったのもよく分かる」

「うるせぇ……ハッ、お前、まさかアイツを狙って?」

「……ふふふっ。さぁ、どうでしょう? 可愛い子はアヤの好みだけどぉ?」


 完全にそっちの世界に入り込んでる彩萌の姿。

 

――こ、こいつ、もうダメかもしれん。救うことはもはやできない。


 これ以上の謎の世界の深みへ彩萌にはハマってほしくない八雲だった。

 元恋人としてとても悲しい現実である。


「和奏ちゃんだっけ? あの子も嫉妬深そうな感じがしてたね」

「嫉妬深いというか、ただのスト子だ」

「スト子? あー、スパッキング女子? ああみえて女王様プレイとか大好き?」

「違うわっ。それじゃスパ子だろ。叩かれて喜ぶのはドMの彩萌だけだ」

「アヤ、暴力や痛いのは苦手。ソフトに意地悪されるのが大好きなだけですぅ」


 どちらにしても、変態の類だと八雲は呆れつつあった。

 人の性癖は人それぞれである。


「やっくんだって変な性癖あるじゃん」

「ねぇよ」

「えー。どんな時でも靴下は脱がせず、最後まで……」

「話を戻そう。変な話はこれまでだ」


 泥沼になりそうなので、やめておく。


「スト子さん。つまり、ストーカー被害にあわれてると?」

「似たような感じです」

「なるほどぉ。押し倒して強引に関係を結んでしまったせいで、弱みを握られちゃってるのねぇ? それはやっくんの自業自得なのでは?」

「……してないっての」


 あながち外れと言うわけでもなかったが。

 彩萌は「一途な女の子って怖いよ」と真面目な顔をして忠告する。

 

「アヤのお兄ちゃん。職場で失恋したばかりの女の子を励ましてあげたの。励ますどころか、思わず手も出しちゃって……一夜の関係から始まる、スト子の恐怖」

「それ、手を出したのが悪いだろうが」

「そうだけどさぁ。その相手に朝から晩まで付きまとわれて、お兄ちゃんは大変苦しみました。ある事ない事、会社内にも噂を流されたり、そのうちに住んでるアパートの隣にまで彼女が引っ越してきて……」

「半端ない執着心だな。一途な愛って恐ろしい」


 行き過ぎた想いを人はヤンデレと呼ぶ。


「そして、最初の一回で出来てしまったのがアヤの姪の羽留奈ちゃんです」

「既成事実で子供までできちゃった!?」


 まさに自業自得としか言いようのない展開だ。

 子供という既成事実を武器に迫りくる恐怖。

 女性と言うのは時に恐ろしい存在になるのだ。


「アヤもさすがにびっくりだよ。子供ができちゃったお兄ちゃんは、さすがに責任とらないと自分の命が危ないと思ったようです。結婚する覚悟をするまでに追い詰められました。今でこそ普通の夫婦だけど、結婚するまでは大変そうだったよ」

「さいですか」


――俺もあの時、うっかり手を出していたら同じような目にあっていたかも。


 人は自らの行動には責任が伴うもの。

 だが、“責任”とは取るものではなく、取らされるものである。

 そして、誰しもその”責任”に後悔しかしないのだ。


「姪っ子の羽留奈ちゃんも可愛いし、今は義姉さんも落ち着いて、結果的にはいい夫婦だけど。結果的には、ね?」

「結果だけでまとめるとお兄さんが可哀想すぎる」

「愛が行き過ぎると憎しみに変わっちゃうからねぇ。普通の愛がいいです」

「俺だって普通の恋愛がしたい。あと、お前の愛は普通じゃないからな?」

「えー、アヤの愛だってどこにでもある恋愛なのに」


 間違っても彼女の兄のようにはなりたくない八雲だった。

 人生とは思わぬ所で落とし穴に落ちるものである。


「というわけで、やっくんもアヤのお兄ちゃんのような目にあってるわけ?」

「さすがに身の危険を感じるほどではないな。アイツはアイツでただ一途で行動的なだけだから。まぁ、その話と似たような始まりではあったかな」


 最初のきっかけは和奏に優しい言葉をかけたからだ。

 弱っているときほど、言葉が胸にしみるもの。

 些細なきっかけで八雲に恋をした和奏は想いを暴走させている。


――裏切ってでもしたら、ホラー映画並みに危ない展開になるんだろうか。


 恐らく、遠慮容赦なく徹底的に追い込まれるであろうことは容易に想像できる。


「やっくんって、口は悪いけど優しいからなぁ。で、責任とらされて付き合い始めてるんでしょう? お兄ちゃんの二の舞になるかも?」

「……言わないでくれ」

「でもさぁ、やっくんは嫌がってる風には見えないね?」


 唖然とする八雲は「は?」と尋ね返す。


「お兄ちゃんの場合は全力拒否で逃げまくってたけど、やっくんはあえて受け止めてあげようってしてる感じがするなぁ」

「受け止めてなんていない」

「アヤから見ると、やっくんは和奏ちゃんの事を愛しちゃってるんじゃないの? 自分の気持ちが分かってないだけじゃない? そんな風に見えるけど」


 彩萌に八雲は「そんなことはない」と言葉だけの否定をしていた。


「やっくん、鈍感なフリする子だもん。優しいのに恋愛に不器用で、人の気持ちを弄ぶ悪い癖もある。アヤも付き合うまで苦労しました」

「付き合った後に苦労したのは俺だ」

「あはは……」


 渡り廊下に吹き込んでくる心地よい初夏の風。

 その風を感じながら八雲は思うのだ。


――スト子の事を思う気持ちが俺の心の底にあるっていうのか?


 人は自分の気持ちに気付くのが難しい。

 自分でもまだ気づいていない。

 いや、気付いていないフリをしている想いが芽生えているのかもしれない。

 

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