第6話:スト子とはストーカー女子の略称である
まるで蜘蛛の巣に放り込まれた八雲は放心状態だった。
以前から少しだけ気になっていた少女。
通学途中のわずかばかりの心の潤い。
マスク女子の正体が、己の尊厳とプライドを踏みにじった女だったなんて。
思いもしなかった現実に直面させられていた。
「マジでお前なのか、大倉和奏」
「私ですよ、先輩」
「……いつからそこにいた。いや、もうずっと前からだったのか」
二ヶ月半も傍にいたことに気付かなかったのは自分の落ち度だ。
窓の外の移り行く景色。
八雲はぐったりとしながら、はっきりとした言葉を彼女に告げる。
「あれか、お前は俺のストーカーか何かなのか?」
「言葉を選んでください。私はストーカーではありません」
「ならば、何だよ? 俺に付きまといやがって」
「ただ一途に先輩を思う後輩でしかありませんよ」
「嘘つけ!?」
可愛く言われてもスト子には違いなかった。
「……?」
周囲の人間が彼らに気付いて興味本位の視線を向ける。
「ちょっとこっちにこい」
「いいんですかぁ? 先輩の隣に座っちゃっても?」
「……距離が離れているとその分、よそに会話の声が聞こえるだろうが」
「勘違いされますよ。むしろ、恋人同士っぽく腕を組む演出でもしますか?」
「何もせずに座れ」
小声で話したい八雲は渋々ながらそう決断した。
普段は会話などしない二人が会話をしていれば目立つ。
あまり目立ちなくない彼はそう判断するしかなかった。
「では、遠慮なくお隣に失礼します。ふふふ」
八雲の隣に座ってご満悦な和奏。
――最悪だ。朝からどうして、こうなった。
逆に憂鬱すぎて吐きそうな気分だった。
揺れるバスの中で八雲は小声で彼女に囁きかける。
「おい、スト子」
「スト子って呼ばず、和奏と呼んでください。和を奏でる、と書いて和奏です」
「……ストーカー女子、略してスト子で十分だ」
「もうっ。意地悪な先輩ですね。そういう素直になれない所、可愛いと思います」
どんな形であれ、自分を認識して自分を呼んでもらえる。
その幸せをかみしめる和奏だった。
「お前の目的は何だ?」
「何が目的と言われても、私は先輩と同じバスに乗って学園に通っていたというだけですが? それの何が問題なのでしょう?」
「昨日の事件を忘れたとは言わさないぞ」
「お母さんが『八雲君には責任を取らせる』と断言してました」
「ち、ちくしょー!」
男が悪い、と言われたらそれまでの状況だった。
部屋で無防備な和奏を無理やり押し倒した。
それをどう言い訳しても、やってしまった事実は変わらない。
「やだなぁ、先輩。私のこと、愛してるって言ってくれたら終わる話ですよ」
「言えるか」
「……先輩は自らの行動の責任を取らない卑怯者だと言いふらします」
「しないで。俺はつくづく、昨日の誘惑に負けなかったことをよかったと思うよ」
誘惑に負けていたら、一生彼女に飼い殺されていたかもしれない。
そう思うとゾッとする八雲だった。
「話を戻そう。スト子はずっと前から俺をつけ狙っていたのか」
「……ずっと前。そうですね。約6年ほど前から」
「さらっと怖いことを言うな!?」
さすがに6年も前から八雲を狙っていたと言われると言葉がない。
まさに小学生時代からだった。
「先輩が私を惚れさせたのが悪いんです。責任とってください」
「……いつだ。お前と俺の間に何があった?」
「それは言えません。トップシークレットです」
「なんだよ、そりゃ」
彼女は自分の胸に手を当てて過去を思い出すように、
「懐かしい思い出ですから。あの時、先輩が無垢な私に悪戯をして……」
「過去をねつ造するな、スト子」
「あら、覚えていないのならどうして捏造と言い切れるんです?」
ああいえば、こういう。
相手にしづらいと八雲はお手上げ状態だった。
「真実は一つ。私がたまらなく先輩を愛しているということです」
満面の笑みで告白されながら微笑まれても困るしかない。
「……高校に入学してからずっと俺を付け回していたのか」
「そんなことはしてませんよ。ただ、先輩の事を知るために情報収集は欠かせません。私には先輩の事で知らないことはありませんよ」
「言ってくれるな。例えば?」
聞かなきゃよかったのに、と八雲は後悔する。
「例えば、先輩の恋愛関係の話でもしましょう。最初に付き合ったのは三歳年上の女子大学生でしたね。以前から知り合いだったお姉さんでしたが、高校入学直後に再会した二人は恋に落ちて、恋人関係になりました。最初に利用したラブホテルはクリスタル丸川で……」
「なっ!? そ、そんな情報をどこで」
「秘密です♪ 次に付き合った恋人は他校の生徒さんでした。一日だけのヘルプのアルバイト先で知り合い、何度かデートを重ねて付き合い始めました。結局は一ヵ月あまりで彼女に飽きられてポイ捨て。ひどい話です」
八雲の個人情報がだだ漏れだった。
それも、プライベートで誰かに話したこともない情報ばかりだ。
「最近、付き合い始めた同級生の女の子は……」
「も、もういい。最近の話は聞くのもアレだ」
「異性に持っていかれるのならまだしも、同性に奪われる貴重なネトラレ体験でした。そうそうできる経験ではありませんよ?」
「ぐすっ。だから言わないでくれよぉ」
肩を深く落として落ち込む。
癒えぬ傷をえぐられている気分だった。
「という具合に先輩の事なら何でも知っています」
「お前、怖いよ。俺の情報をどこでつかんだ。浩太か? あいつか」
「さぁ、どうでしょうねぇ?」
「……なら、俺が今一番苦手な相手の名前は?」
「大倉和奏。私ですよね? ちゃんと分かってますよ」
和奏はあっけらかんとした口調で言い放つ。
――この女、少しだけ厄介かもしれん。
ストーカー気質でも空気が読めない、言葉が通じないタイプの人間ではない。
「今は苦手でも、そのうち好きになってもらえますよ」
だからこそ、対処が難しい。
「お前……?」
「苦手意識を持たれてしまったのは残念ですが、この際、仕方ありません。昨日の運命的な出会いは私にとっても予想外のものでしたから」
唇に人差し指を触れさせて彼女は言う。
「私の処女を強引に奪われた件は私と先輩だけの秘密にしておきます」
「だ、だから、何もしてないっ!? お前のそういう所が苦手なんだよ!」
「ふふっ。私にとって一番大事なのは先輩に認識されることです。これまでずっと見つめ続けることしかできなかったのに、今はお話ができているんですから」
完全に和奏ペースで翻弄されてしまっている。
「先輩に和奏という女の子が貴方を好きだと知ってもらえた。これは幸福です」
「俺にとっては不幸だぜ。知らなければよかった」
「その不幸をいつか幸福にさせてあげますよ」
一途な愛を捧げる和奏。
彼女の存在が八雲の日常を大きく変えるのは間違いなかった。
そんな話をしていると、バスが目的地についたのだった。
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