魔女と世界救済できたらいいね
未知比呂
第1話 魔女登場
「勇者様に助けを求めてくるのじゃ。わしらのことはいい。早く、早く、行くのじゃ。げほっ。お、おえええっ」
長老様の瀕死の言葉を思い出しながら、わたしは下を向いて歩いていました。自分の無力さを痛感していたのです。いや、無力さではなく運の無さかもしれませんが。
やけに身体が重たいです。これが絶望の質量なのでしょう。せっかくやってきた王都の街並みはまるで頭の中に入ってきません。視界に入るのは、薄汚れた石畳だけでした。
え? 薄汚れた?
突如として生まれる疑問と不安。
わたしはとっさに顔をあげました。
「ここ、どこ……」
少し前まで世界を彩っていた都会らしい色とりどりの街並みは消え失せ、いつの間にかさびれた古い建物が並んでいます。どうやら気がつかないうちにメインストリートから外れた裏路地へと迷い込んでしまったようでした。
少し怖くなりました。
王都の裏路地にはならず者たちがいるのじゃ。
そんな長老様の言葉を思い出したからでした。
ややや、やばっ。
わたしは急いでメインストリートへと戻ろうと踵を返そうとします。しかし、そうは問屋が卸しません。行く手を遮る声が聞こえてきたのです。
「にゃー」
その声を聞いてわたしの興奮は一気に頭頂部を突き抜けて行きました。
それまでの絶望という感情も一瞬で消え去ってしまいます。
羽の生えた猫。
羽猫が現れたのです。
ただの猫はわたしの村にもいるので珍しくありませんが、羽の生えた猫は別です。今まで十五年間の人生を歩んできましたが、実物を見たのははじめてでした。
羽猫のこと以外何も考えられなくなったわたしは、気がついたら駆け出していました。たった一度でいいから触れてみたい。そう思っていたのです。
しかし、その欲望が悲劇を生みました。
「きゃーっ」
もう少しで羽猫に触れられる。そう確信した瞬間、身体の自由は奪われ、気がついたら宙吊りにされていたのです。両腕は傍にある建物の二階の窓から垂れさがるロープで縛られ、ばたつく足は地上から一メートルほど浮き上がっています。
一体、何が起こったのだろう。
それを理解する前に、一人の男が現れました。
「けっけっけ。獲物が釣れたぜっ」
邪悪に笑うその男はスキンヘッドで上半身は裸というならず者そのものの格好でした。
「三十年ローンで羽猫を買ったかいがあったぜ。田舎娘はすぐにこいつに喰いつくっていう先輩の話しは本当だったな」
その一言ですべてを悟りました。わたしは騙されたのです。
「上手くできてるだろ。これ、玩具なんだぜ」
「玩具に三十年ローンって。高っ」
「褒めるなよ」
「褒めてませんしっ」
「というわけで、俺にはカネが必要だ。さあ、カネをだしなっ。あるだけ全部なっ」
くいっ、くいっと手を伸ばしてくる不良。
そんな不良にわたしは言います。
「無理ですっ」
「けっけ。そういえばお前は田舎者だったな。じゃあ、夕食代くらいは残していいからそれ以外はだしな。こう見えても俺は優しい男だって地元では有名なんだ。せっかくやってきた王都だ。夕飯くらいは食べてけや」
「いやいや、そういうことじゃなくて」
「どういうことだ?」
「見ればわかりますよね」
「なぞなぞは苦手なんだよ」
「なぞなぞちゃうしっ。見たまんまですしっ」
「はっきり言えよ。怒らねえからよ」
「手が拘束されてるんですよっ」
「ふっ。なるほどね」
「どうしてニヒルに笑いながら恰好つけてるんですかっ」
このならず者は馬鹿だ。そうは思いつつも、そんなならず者に捕まったわたしはもっと馬鹿だということに気がついて、地味にショックを受けてしまいます。
「こうなったら仕方ねえ。美学には反するがやるしかねえな。こう見えても目的のためには手段を択ばない冷徹な男だって地元では有名なんだ」
ならず者の手がさらにわたしへと延びてきます。
い、悪戯されるっ。
そのような恐怖を覚えましたが、ならず者の手はわたしには触れず腰のあたりに垂れ下っていた鞄の中へと入っていきました。そして、その中から白い巾着袋を取り出します。
「お、結構入ってるじゃねえか。一年くらいならローンが返せそうだな」
ならず者が奪った巾着袋にはお金が入っていました。しかし、それはわたしのお金ではなく、村を救うために長老様がわたしに託したものです。そのお金がないと村は……。
「か、返してくださいっ」
「ほらよ」
ちゃりん、という音と共に一枚の硬貨がわたしの足元に転がります。
「これでうまいもんでも食えや。お薦めはレンタルショップの隣にあるラーメン屋だ。俺がバイトしてるところだから来たらリザードの尻尾くらいはサービスしてやるぜ。まあ、オヤジにバレたらやべえけどな」
「是非、伺いますっ」
「おいおい、本気にすんなよ。社交辞令にきまってんだろ。尻尾なんかサービスしねえぞ。オヤジに殺されっからな」
「食べにじゃありませんよっ。お金をもらいに行くんですっ」
「やるじゃねえか」
「は?」
「だって、強盗に来るんだろ?」
「なわけないですよっ。お金を返してもらいに行くだけですっ」
「もしかしてお前、ローン会社の社員だったのか?」
「ちゃうしっ。わたしのお金を返してもらうだけですっ」
「お前からは借りてねえよ」
「ですよねっ。奪ったんですよねっ。ていうか、その恰好でラーメンって。火傷しますよっ。上半身、裸じゃないですかっ。湯切りできませんよっ」
「俺は配膳係なんだよ」
「そうですか。それは安心……って、ちゃうしっ」
「なんだよ。配膳係なめてんのか? 器があちいから運ぶの大変なんだぞ」
「そんなことを言ってるんじゃありませんよっ。返してくださいっ。そのお金がないと大変なことにっ」
「わりいな。それは無理だ。俺には小さな弟と病気がちな妹が……いるわけじゃねえけど」
「いないんですかっ」
「慈善事業でやってるわけじゃねえんだ。涙を呑んでくれ」
「たしかに慈善事業じゃないですよねっ。完全に私利私欲ですしっ」
「あばよ。ダチ公」
羽猫の玩具を抱えてこの場を去ろうとするならず者。
気さくに手を上げてわたしに背を向ける彼を見ながらわたしは叫びます。
「誰かあああっ、助けてええええっ」
最後の手段。
必殺、他力本願です。
その願いが天に届いたのでしょう。
突然、上空から巨大な何かがならず者の頭上へと落ちてきました。激しい衝撃で周囲にはほこりが舞い、わたしには何が起きたのか理解ができません。しばらくするとほこりがはれ、粉々になった羽猫の玩具と大の字になって倒れているならず者、そして――、
「お礼はいらないよ、子猫ちゃん」
わたしに向けてウインクをする女性がいました。
腰まで伸びた長い金髪を揺らし、真紅のローブを翻した彼女はわたしに背を向けて歩き出そうとします。ならず者からわたしを助けて満足したのでしょう。しかし、
「待ってくださいっ」
わたしは叫びました。このまま彼女をいかせるわけにはいきません。
「名乗るほどのものじゃないよ」彼女は言いました。「みんなはマリーって呼んでるけどね」
「名乗ってるしっ。いや、ちゃうしっ」
「ああ、ごめんね。子猫ちゃんは宙吊りにされてるんだから、解放してあげなくちゃいけなかったか」
「いや、そうじゃなくて」
「そうじゃない?」
「返してください」
「え?」
「こっそりローブにしまった巾着袋。それ、わたしのなんです」
「……」
わたしは一生、忘れないでしょう。
その時の、彼女の顔を。
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