第61話 あなたと約束した未来予想図が本当に本当に楽しみだったから
月曜日の六限目、俺は少し遅れて魔法学の教室に向かっていた(ユキノブが体操着を忘れたと騒いだ所為)。今日から寿門先輩と一緒に俺だけの魔法の杖を作るという未来予想図が、逸る足下を浮き足立たせている。
小走り気味で廊下を通り教室に到着すると、いつも通り全員が席に着いていた。そしてやはりいつも通り、箒に跨がる魔法中年は箒に跨がり壁際で飛び跳ねている。
俺は軽い挨拶を口にしながら早々といつもの席に腰を落ち着け、正面で机上を見つめている寿門先輩にすぐさまと声を掛けた。
「あの、寿門先輩っ」
「えっ?」
「えっ?」
意気揚々と話しかけた俺に、寿門先輩は微かに肩を強ばらせて不安げな上目遣いを向ける。予期せぬそのリアクションに俺も驚いてしまった。いや、いつもの寿門先輩ではあるのだけれど。あるのだけれど。でも、でも……えっ? ちょっと待って。
束の間の沈黙に、寿門先輩の目が泳ぐ。そんな様子に、俺の揚々(得意げ)は消沈と言わんばかりに、消え沈んでいった。思い描いていた未来予想図が、ブレーキランプも点滅させずに遠ざかっていく。
楽しみにしていたのは、俺だけだったのか。
そんな悲しすぎる考えが体中に漲っていたご陽気を厚い曇天の様に覆っていく。それでも俺は、必死にお調子者を演じて、言葉を絞り出した。
「えっと、あの、今日から、魔法の杖を」
俺の言葉に、寿門先輩の目線が一度だけ俺に向いて、またしても泳ぎだした。そのか細い喉がゴクリと波を打っている。苦しそうに。精一杯に。俺の心に、雨音が鳴り始めた。
「そ、その話、なんだけど」
寿門先輩が、目も合わせずに口を開いた。
「は、はい」
悲しみを表情には出さないように笑みを固定させて(ヒキツっている気がするけど)、なんとか返事をした。俺の体は重くなり、呼吸すら忘れる。聞きたくないと思った。耳を塞いで床に転がり、駄々を捏ねくり回したかった。
「あ、あれは、もしシュウヤ君が、良ければと思って、話しただけで」
「は、はい」
だから…………だから、だからっ、凄く良かったですよっ。楽しみにしてんですっ。二日間ずっと。だからっ、そんな顔しないでっ。あはあああっ、ヤダヤダヤダっ。一緒に作るって約束したじゃないっ。魔法学の教室で、机並べて、ノートを広げて。約束したじゃない。よろしくねって言ったじゃない。あなた約束したじゃない。だからそんな辛そうな顔しないでっ。
ついに悲しみの壁が崩壊してしまい、まるで亡くなった恋人を追い求めるかのように奈落へと落ちていく俺の心境など余所に、寿門先輩は意を決したかの様に深く息を吸い込んで、口を開く。
「だから、当たり前に、その、シュウヤ君が、他の事をしたいなら、僕に付き合う必要は無いから」
その言葉に、ふと違和感を抱く。俺が、寿門先輩に付き合う??? 違和感どころじゃ無い。日本語が間違っている。
「そ、それだけ、伝えたくて、それだけ」
寿門先輩はそういって、再び俺から目を逸らし、深い吐息を付いた。と同時に始業の鐘が鳴り響き、鳴り止む。そして俺は一人、キョトンである。
僕に、付き合う必要は無い? 逆だと思うんですけど。やはりキョトンである。そしてなんだか急に落ち着き払ってしまった俺は、不意に開き直った。
当たり前に、寿門先輩と一緒に魔法の杖を作れないのはとても寂しいけれど、それはただの、俺の我が儘だ。それこそ、寿門先輩が俺に付き合う必要は無い。至極当たり前のことである。
「なんか、気を使わせたみたいですみません」
本音を、俺の本音を伝えよう。
「寿門先輩のおかげで、魔法の杖作るのめちゃくちゃ楽しみだったんです。この間は、一緒に色々考えてくれてありがとうございました。分からない事があったら色々と訊いたりするかもしれませんが、その時はよろしくですっ」
そう、きっとこれが正解だ。俺は一人でも、寿門先輩と一緒に考えた杖を作る。寿門先輩が居ないと何も出来ない訳じゃ無いと、本当に本当に楽しみだったから、もう魔法の杖を作らないなんて言わないよ絶対と、伝えよう。だってそれが楽しみだったのは、間違い無い訳だから。
そんな俺の決意に、寿門先輩は少しだけ慌てた口調で口を開いた。
「つ、作るなら、手伝うよ。で、でもほら、この間、僕だけテンション上がっちゃって、勝手に話し進めちゃったから、悪い事しちゃったと、思って」
この人は、本当に何を言っているんだろう。
「何を言っているんですか?」
口に出てしまった。
「だ、だから、あの、勝手に、シュウヤ君の予定を決めちゃったから」
だからつまり、悪いことしちゃったと思っちゃったわけ? 前の授業で、俺の杖を一緒に考えてくれて、俺の杖を一緒に作ろうって約束してくれたのが、悪い事だと思っちゃったわけ? 俺はこんなにも喜んでいるのに? こんなにも楽しみなのに?
「で、でも、杖を作りたいと思ってくれたなら、シュウヤ君さえ良ければ、て、手伝うよ。この間、約束したから」
寿門先輩は未だ、不安げに慌てている。でもすでに俺の口元には、笑みが漏れ出していた。
つまり、言葉をそのままに飲み込むと、寿門先輩は自分が勝手に、俺の予定を決めてしまったと思いこんでいるということだ。ハハハハッ、なんだそれは。そんなバカな。
でもしかし、だからこそ、寿門先輩なんだろう。俺の大好きな、優しい闇の魔法使いなんだろう。やっぱりいつか、ちゃんと配下に申し込もう。仕えたい。支えたい。そう思った。
「寿門先輩が迷惑じゃなければ、手伝ってください。俺は凄く楽しみにしてたんですっ」
きっと顔にはダダ漏れの笑みを浮かべて、俺は本音を吐き出す。
「ぼ、僕も、シュウヤ君が、迷惑じゃなければ、一緒に」
「俺が迷惑な訳ないじゃないですかっ。もうっ、寿門先輩っ」
あまりの幸福に包まれた俺の口元からは、ついに笑い声も漏れ出す。
「じゃ、じゃあ、良かった」
そういって、寿門先輩はやっと微笑んでくれた。その顔を見れただけで、背中に翼でも生えそうなど俺は浮かれた。
ああ、良かった。
「男二人でイチャイチャしないの、もうっ」
俺が安堵に胸をなで下ろすと同時に、紫乃先輩が笑いながら立ち上がる。
「なんの事かと心配してたら、羨ましくて笑っちゃったよ。今度は紫乃も混ぜてね」
そういって、いつもの様にベランダへと向かった。
その背中を眺めながら、なんとなしに寿門先輩との会話を思い出す。変な気恥ずかしさが背中を伝っていった。
「僕も何か作りたくなっちゃったな」
堀田先輩が、朗らかに笑う。
クスクスと繊細な笑い声を、アリス先輩が奏でる。
俺は耳が熱くなる感覚に襲われた。
寿門先輩を見ると、顔を赤くして、
そしてなぜだか真穂さんも、顔を赤くしていた。なぜだ。
そんな状況が可笑しくて笑ってしまうと、寿門先輩も笑みを浮かべる。そしてなぜだか真穂さんも、フーと深呼吸をして、笑った。やっぱりなぜだ、真穂さん。またしても、俺は笑った。
「じゃあ、始めようか」
堀田先輩のいつものかけ声に、始業の鐘より少し遅れて、魔法学の授業が、また始まる。
それにしても、本当に良かった。俺は改めて、まるで懐メロを聞き入る休日の様な幸福に浸り、ゆっくりと、息を吐き出した。
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