第31話 つまり大きなおっぱいとかは無関係に


 いつもの廃れた二階建ての校舎に入り、赤のネクタイを外す。気分を少し落ち着けて、ニヤけてしまう表情も押さえつけながら、教室に足を踏み入れた。

「うっ……す」


「あ、シュ、シュウヤ君、来てくれたんだ。うん……良かった」

 まず返ってきたのは、堀田先輩の余所余所しい言葉だった。いつもの優しい笑みが、少しだけ、それでも分かり易く、沈んでいる。そして同時に気づく。教室の空気が……違う? やっぱり、違う。重たい。期待に膨れ上がっていた胸が、一瞬にして縮こまる。


 堀田先輩はすぐさまに俺から目を逸らした。いや、当たり前に見てなくても構わないんだけど、見続けて欲しい訳じゃないんだけど、私だけを熱烈に愛してよっ、なんて言わないけど、やっぱり、空気が違う。なになになになにどうなってんの? やだ、やだやだ、嫌だ。怖い。


 教室を見渡せば、箒に跨がり飛び跳ねる魔法中年は、いつもと変わらず箒に跨がり飛び跳ね、鼻息を吹き曝している。まるでそう有り続けなければならないという固定観念に囚われ水を吐き続けるライオンの様に、いつも通り箒に跨がっていた。


 続けて教室の中央に目線を移す。堀田先輩はなにやら肩を落として、机上を見つめていた。寿門先輩は、何かを伺うように、不安の灯る上目遣いで俺を見ている。く、くく、苦しい。なに、どうなってんの?


 気づけば、アリス先輩まで俯いていた。いつもの高飛車なツインテールが、少しだけ位置を下げている。そしてそうさせているのは明らかにお前だと伝えるように、オカッパの小鬼が俺を睨みつけていた。


 なんだこれ? これなんだ? 何しちゃったの? ああ、怖い。聞きたくない。でも何かしちゃったなら凄く聞きたい。土下座したい。悪く無くても今すぐに土下座したい。ごめんなさいごめんなさい。


「ほら、シュウヤ君、座ったら?」

 唯一の笑みを浮かべる紫乃先輩が、教室の入り口で動けなくなってしまった俺を促す。正直逃げ出したかったが、言われるがままにいつもの、肩を落とす堀田先輩の隣に座った。


 やっぱり堀田先輩は、こっちを見てくれない。やーん、挫けちゃう。何かが挫けちゃう。ねぇ、私を見て。いつもの優しい笑みを浮かべて。ねえったら、堀田先輩っ。


 静まりかえる教室の中で、そんな行き過ぎた愛情を求めていたら、始業の鐘が鳴り響き、鳴り止んだ。くく、苦し、苦し過ぎる。ダメだ、訊こう。ちゃんと謝ろう。


「じゃあ、いつも通りにっ」


 堀田先輩の、無理矢理に上げた明るげな掛け声が、俺の胸を締め付ける。このままは、絶対に嫌だ。嫌われてもいいから、ちゃんと、ちゃんとしよう。ああ、怖い。


「あ、あの――」

「ほら、シュウヤ君立って。今日は紫乃の魔法を教える約束だったでしょっ?」

「いや、でも」

「まずは紫乃とっ」

 

 俺は脆すぎる決意を遮られ、正直少し有り難いなんて最低の感謝も抱きつつ、そして自己嫌悪に苛まれながら、紫乃先輩に従う事にした。


 だってたぶん、今は口を開くなって言われたような気がしたから。不意に寿門先輩と目が合えば、そうだよ、今は紫乃と話してきな、とでも言いたげに、小さく頷いてくれたような気がした。気がした。気がしただけだけど。


「紫、紫乃君」


 紫乃先輩の背中を追ってベランダに出る直前、背後から堀田先輩の声が上がる。紫乃先輩が振り返り、俺も恐る恐る、振り返った。堀田先輩の目線は、紫乃先輩だけを見ている。明らかに、俺とは合わせないようにしていた。泣いちゃうぞおおぉおっ、堀田ああぁあぁあっ。泣きわめくぞ。なんだよっ、なんだよ……それ。


「えっと、その……いや、何でもない」

「大丈夫っ」


 堀田先輩の気落ちした声と、紫乃先輩のふんわりと舞う綿毛の様な声が重なる。その会話が、もう明らかに俺の事だと察しが付き過ぎて、辛すぎた。向き直れば、紫乃先輩はすでにベランダへ出ている。俺はその背中を追った。


 ベランダで紫乃先輩に、もう来ないで、って言われたら、どうしよう。泣きわめいて出ていこうか。大好きだったと思いだけは伝えて、泣きわめいて出ていこうか。俺が居ることでこんな空気になるならば、出ていこう。ちゃんと謝って、伝えて。ああ、辛い。辛すぎる。


 俺がベランダに出ると、紫乃先輩は大窓をゆっくりと閉めた。声を遮る為だろう。俺の悲痛な泣き声を遮断する為だろう。もう二度と、俺を魔法学の教室に入れない為かもしれない。ああ、被害妄想が膨れ上がる。妄想で有ってくれという願望と共に、膨れ上がる。頼む、全部俺の妄想であってくれ。


「前の授業の時は、堀田先輩とか寿門君に、なんて質問したのかな?」

 紫乃先輩の柔らかな声が、普段通りの何の思惑も含まれていない、青に浮く白の様な声が、俺を包む。凄く有り難いと思ったが、俺の心境はすでに、灰色に覆われた土砂降りだ。


「あの、俺、絶対なんかしま――」


「まっ、ずっ、は、魔法の話からっ。ね?」


 俺は今、どれほどに情けない顔をしているのだろう。なんで嫌われたんだろう。何をしたんだろう。土砂降りの雨は洪水を起こし、すでに俺の全てを飲み込んでいた。


「はいっ、とりあえず質問っ」

 言葉を吐き出せない俺に、紫乃先輩はなぜだか少し嬉しそうに笑う。今の俺には、その優しさに従うか逃げ出すかの、二択しか残されていない様な気がした。


「この前の授業の時は、どんな研究を、してるのかって、訊きました」

 もしかしてそれがダメだったのかな? なんて考えた。目線を下げれば、俺の心境などお構いなしに、様々な植物が可愛げな花を咲かせている。なんだか羨ましくて、視界が滲んだ。必死に耐える。


「よし、じゃあ少し体験してもらおうかなっ。こっちきてシュウヤ君」

 紫乃先輩はベランダを囲む壁の隙間から、さらに外へ出た。言葉に従い、俺はその後を追った。


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