第32話 つまり大きなおっぱいとかは無関係に 2
ベランダの外側に出て目線を上げれば、今まで気付かなかったが、質素な森? と呼べるような空間が広がっている。そしてその空間にまで、紫乃先輩の手が行き届いている形跡があった。様々な作物が、果実を実らせたり、花を咲かしている。その光景が綺麗すぎて、あまりにも純粋過ぎて、嫉妬した。
「あっ、この子なんて良いな。元気に実ってる」
紫乃先輩のしゃがみ込んだ場所に近づくと、光沢のある赤色を放つ野いちごが、柔らかそうな手の平で心地よさそうに転がっている。紫乃先輩はそれを丁寧にモいで、俺に差し出した。
「どうぞ」
「い、いただきます」
言われるがまま、野いちごを受け取って口に入れた。酸っぱっ!! の後に、微かな甘みが広がる素振りを見せて、恥ずかしがるように、すぐに姿を消した。初恋の様な酸っぱさだけが、口内に残る。でも、美味しかった。
「どう?」
「美味しかったです」
「イチゴはね、可愛いだけじゃなくて、万能な子なんだよ。貧血も和らげてくれるし、お腹を綺麗にもしてくれるの」
「そう、なんですか」
口内の酸っぱさが消えると、再び濃厚な不安に支配された。目線が下がってしまう。終わりの見えない疑心が次々と膨れ上がり、紫乃先輩の言葉を押しつぶしていく。
「おばあちゃんが言ってたの。昔は薬なんて無くて、どんな病気もね、色んな植物が治してくれたんだって。植物には、地球の優しい魔法が掛かってるんだよって。その話を聞いたとき、紫乃は凄く良い話だって思ったの。だって本当に、おばあちゃんの育てた野菜や果物さん達は、体の弱かった紫乃を、お父さんやお母さんに会えなくて寂しがっていた紫乃を、どんどん元気にしてくれから」
「良い、話ですね」
何とか耳に入れつつも、ちゃんと聞かなければと思いつつも、やっぱり、教室の方が気になってしまう。しゃがみ込んだまま野いちごの葉に優しく触れながら、フフっ、と笑う紫乃先輩の声が、そんな心境を微かに癒してくれた。
「紫乃はそんなおばあちゃんを、魔法使いだったんだって信じてるの。お日様を浴びた土の匂いがするおばあちゃんに抱きしめられるとね、どんなに寂しい夜でも、落ち着いて眠れたの。転んで怪我をしても、熱が出て苦しくても、おばあちゃんに撫でられて、魔法を掛けてもらうと、すぐに良くなったの。いたいのいたいのとんでいけーって。良いおばあちゃんでしょっ」
ああ、凄いな紫乃先輩って。こんな時でも、皆に嫌われた俺と二人きりの時でも、そんな俺を嫌がる素振りも見せず、元気付けてくれる。ただそんな気遣いが、俺の胸を一層に締め付けた。もう、謝るしかないじゃないか。もう、出ていくしか。
「紫乃がね、おばあちゃんは魔法使いだっていうとね、おばあちゃんはいつも同じ言葉を返してくれてたの。じゃあ紫乃ちゃんは、おばあちゃんにとっての魔法使いだねって。その言葉が、凄く嬉しかった。それでね、亡くなるときに、このペンダントをくれたの」
その言葉に目線を動かせば、紫乃先輩は開いた首筋を俺に見せつけていた。緑色の宝石が輝いている。そりゃあおっぱいも輝いていたけど、そりゃあ宝石に負けず劣らず輝いていたけど、目を逸らした。
「紫乃がいつまでも元気で、皆から愛されて、皆を愛せるように、そんな魔法が込められたペンダントを、おばあちゃんに貰ったの。だから紫乃は、そのときに、おばあちゃんみたいな、凄く優しくて、元気で、皆に愛されて、皆を愛せるような、そんな魔法使いになりたいって思ったな。えぇっと、つまり長くなっちゃったけど、それが紫乃の魔法、研究ってことになるのかな。ちょっと違うかな」
紫乃先輩はフフっと笑って、微かに潤んだ目元に指を流して、明るげな余韻を残して、話を終えた。なれてますよ、紫乃先輩。俺は癒されすぎて泣きそうです、と伝えたかった。だけど、もう、口を開けなかった。俺はここに居られないし、居ちゃいけない様な気がしていた。ダメだ、泣くな、格好悪すぎる。耐えろ。もうっ。
「全然紫乃の話聞いてないじゃんっ」
黙りこくるしか手段を持たない俺に、紫乃先輩は宙に舞う真っ白な羽毛を思わせる笑い声を上げた。フワフワと、俺を包み癒してくれる。
「き、聞いてますよ。ただ……やっぱり」
どうにか言葉を発して、どうにか涙を耐えて、でもどうしても、この後に続く言葉は吐き出せなかった。吐き出してしまえば、その先の言葉を知ってしまえば、本当に、俺は。
「でも良かった。シュウヤ君が本当に辛そうでっ」
不意に発せられた紫乃先輩の意味不明な言葉に、俺は今世紀最大の混乱を味わう。
「教室に入ってきてから、凄く辛そうだったもんね、シュウヤ君。紫乃はそれが、凄く嬉しかったな」
は? 何言ってんのこの人?
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