私立海豚高等学校の魔法学は飛び抜けてほろ苦しっ!!

さじみやモテツ(昼月)(鮫恋海豚)

第1話 そんなモノは、無い



 空を飛んでみたい。誰もが一度は思い描く。着の身着のまま自由自在に。青く澄んだ空に向かって。カタツムリみたいな雲を越えて。どこまでも高く。


 雷を操る。誰もが一度は思い描く。指先から青光る電磁を放ち、雷雲を呼び寄せ、敵を討ち倒す。その感動は、静電気を肉眼で捉えた何億倍だろう。


 炎を、氷を、闇を、光を、この手で操る事が出来たなら、どれほどに愉快で、どれほどに爽快で、どれほどに満ち足りるだろうか。


 ただ、そんなモノは、無い。


 いつ気づいたのか。いつ忘れたのか。いつ諦めたのか。俺は覚えていない。誰だってそうだろう。いつの間にか、口にしなくなる。


 大人びた誰かが子供びた誰かを笑い、そして笑われたそいつは気づくのかもしれない。そんなモノは無いと。そして次は、そいつが誰かを笑い、現実の連鎖は続いていく。そして周囲の誰もその事を口に出さなくなった頃、そいつらの心と体は大人に近づいていくのかもしれない。


 誰だって通る道で、誰もが避けては通れない道。あえて口にするなら、避けてはいけない道だ。普通の大人になるならば。


 テレビや漫画で覚えた必殺技を、大声で叫んでも許されるのは、いくつまでだろう。顔が焦げたように火照るのは、まるで罰ゲームの様な、何かしらの仕打ちの様な恥ずかしさを覚えるようになるのは、いくつからだろう。冷たい眼差しを、侮蔑ぶべつ微笑びしょうを、周囲から浴びせられる様になるのは、いくつからだろう。


 俺だって、そうだ。もしコンビニで弁当を温める店員が、火の魔法を使う素振りを見せれば、鼻で笑う。満員電車の中で瞬間移動を叫ぶサラリーマンが居れば、車両を変える。ビルの屋上から両手を広げて飛び降りる女性が居れば、目を覆う。本当に、いつからだろう。そうなったのは。


 腰に剣を差して、宝物を求めて、森を進む。飛び降りるのは、高ければ高いほど格好良かった。風よりも速く走れてた。拳を叩きつけた地面は、揺れて割れた。全身の魔力を手の平に集めれば、雷だって、炎だって、氷だって、光も闇も、操る事が出来た。空だって、大きくなれば飛べると思っていた。世界中で俺だけが、特別な人間になれると、そう思っていた。全部無理だ。無いモノは、無い。それに気づいた事さえ、すでに忘れている。


 しかし俺には、絶対に口にしない、口にしてはいけない、秘密がある。雷は出せない。炎は熱い。氷は冷たい。光は眩しくて、闇は怖い。ただそれだけ。それは分かってる。だけど、どうしても、諦め切れないことがあった。


 何度も諦めようとした。幼い自分に別れを告げた。だけど毛布の中で、誰もいない帰り道で、湯船に顔を沈めて、俺は気づくと念じている。心の奥で、矛盾を抱えたまま、叫んでる。


 飛べっ!!


 毛布の中で、全身に力を入れる。


 飛べっ!!

 

 誰もいない帰り道で、ほんの少しだけ、地面を蹴り上げる。


 飛べっ!!


 湯船の中で、拳を握る。


 飛べっ!!


 飛んだ試しは、一度も無かった。当たり前だ。分かってる。人間は、飛べない。俺は、特別じゃ無い。だから一人で、誰にも言わず、信じている。どうせ飛べない。もしかしたら、いつか。もしかしたら。それは、無い。


 高校の入学式を前に、俺が洗面所で歯を磨きながらそんな事を考えてるのは、きっと夢に出てきたあいつのせいだろう。サッカーと魔法が大好きだった頃の、俺だ。ボールを蹴りながら、必殺技を叫ぶ。


「サンダーボール」

 細かないかずちを纏ったボールが、ゴールネットに突き刺さる。


「台風ドリブル」

 強風を纏う俺に、誰も近づけない。


「ファイヤーキック」

 炎を纏った俺の右足が、ボールを蹴り上げる。


「天空シュート」

 天高く、雲すらも越えて、俺は空を飛ぶ。胸が高鳴る。太陽が近い。ゴールは遙か先。歓声が耳に届く。足下で白煙を吹きながら回転するボールを蹴る直前、目を覚ました。


 下らない、夢だ。幼稚な必殺技に、幼稚な映像。幼稚な夢。だから俺は、誰にも言わない。空なんて、飛べない。


 鏡に写る、俺が笑った。なんて幼稚だと。細い眉。逆立つ雑な金髪。普通の鼻。大きめの口。それにしても、目つき悪っ。あからさまにグレている鏡の自分に、今度は俺が笑う。そして、同情する。仕方ないよな。グレるしか、なかったもんな。


 中学時代は、サッカー強豪校の、エースだった。三年の、五月まで。まるでなにかしらのゲームだ。練習中に膝が壊れるなんて。激しいスポーツは控えて下さい。目を逸らしながら医者が言う。笑えないほど、笑えた。


 全員が、同情してくれた。全員が、俺に明るく話しかける事は無くなった。小学校から一緒にやってきた仲間から、両親まで。当たり前だ。俺が陰気になったから。被害妄想の固まり。悲劇のお姫様気取り。無様だったと、今なら思う。


 優しいってのが凶器だと、俺は幼稚な純文学みたいな事を思った。優しさで、俺はメッタ刺しにされた。何もない夏休みがあれほどに辛いとは、思わなかった。そして俺は、あからさまにグレた。


 勢いって怖い。喧嘩なんてしたこともないのに。初めて髪を染める時なんて、手が震えていた。それでも俺は、グレるしかなかった。一人でも大丈夫だと、強がるしかなかった。俺の事は気にするな、皆、頑張れよ、って。あぁ、勢いって、怖い。


 狙い通り、俺は一人になった。学校も休む様になった。皆勤だったのに。声を掛けてくれる奴もいたが、振り払った。泣きそうなほど嬉しかったのに。両親は何も言わなかった。俺は髪を染めて、グレて、学校を休んで、引きこもった。夜遊びも無し。遊ぶ友達が居なかった。それでも教室で、同情と哀れみと好奇に囲まれるよりは、幾分か楽だった。


 そして俺は、地元から離れた高校を受験した。私立海豚高校。全てが中の中。飛び抜けて盛んな部活動があるわけじゃ無し。偏差値が高い訳じゃ無し。低い訳じゃ無し。誰も来るなと願った甲斐あって、地元からは誰も来なかった。安堵と同じぐらい、寂しかった。


 何を浸ってんだ? とまた、鏡の中の俺が笑った。うるせぇな、と俺は口をユスいで、鏡に写る俺を無視して、脱衣所を出た。


「おはよう」

 優しい父親が朝食を食べている。俺の高校入学を機に引っ越した、新築賃貸マンションのリビングで。

「おはよう」

 優しい母親が俺の弁当を包んでいる。綺麗なシステムキッチンで。

「うん」

 俺は素っ気ない返事をする。グレてるんだから仕様がない。一人っ子だし。お礼も謝罪も、口に出せるわけがない。早く着替えて家を出よう。罪悪感に蝕まれる。優しいって、凶器だ。


 俺は両親と目も合わせずに自室へ入り、制服に着替えた。深緑のブレザーに、灰と白のチェックズボン。赤のネクタイ。全身鏡で確かめる。ダセェ。似合わねぇ。金髪邪魔。まぁいいや、早く家を出よう。リビングへ顔も出さずに、玄関へ向かう。


「シュウ、お弁当」

 母親が玄関まで持ってくる。俺は目も合わせずに受け取った。

「頑張れよ」

 父親の声が届く。

「うん」

 素っ気ない返事をする。いってきます、と呟いて、俺は家を出た。



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