剣聖の罪
それは、剣聖がおよそ九歳の時の話だ。
彼は、生まれ故郷のとある神社で、祭りの片づけを手伝っていた。
その時、彼は神社の蔵の中で、ある奇妙な箱を発見した。
木箱が積まれた一角に置かれた、その漆の巨大な箱は、蔵の中で妙な、異質ともいえる存在感を放っていた。
まだ九歳の子供である。
しかも、この時の剣聖はまだ闊達で好奇心旺盛な子供だった。
興味をそそられぬはずもなく、彼はその箱に近づいた。そして、たまたま上に張り付いていた、封がわりの札を、封とは知らずに剥がしてしまった。
その瞬間、その中にいた存在は、解き放たれた。
出て来たのは、不気味な翁のような魔であった。
翁の姿をしているが、一目で不穏、危険だと分かる気配がある存在だった。
それは、すぐに剣聖へ襲い掛かった。
当時、剣聖はすでに武術の面で常人離れした才能を発揮し始めていたが、それでも九歳の子供である。すぐに逃げだせばよかったものの、半端に大人顔負けと強さがあり、過信があり、その魔に応戦してしまった。
結果、剣聖は魔に対抗するも、重傷を負った。
その騒動を聞きつけて、大人が駆けつけた時には、魔は逃げ去っていた。
現場の状況から、駆けつけた大人は、剣聖がふざけて怪我したのだと勘違いした。
これが、悲劇に繋がる。
剣聖が逃したのは、『雨ふらし』という恐ろしい魔であったが、それは数百年前に封印された大昔の魔であった。
ゆえに、その封印の歴史も半ば忘れられていた。そのため、その地の退魔士もすぐには気づけなかったのもまた問題だった。
その魔にまつわる伝承は、今の言葉に訳すと、こうだ。
『山の上流において大雨を降らし、里へ大型の鉄砲水を押し寄らせる』
幼き剣聖が目を覚ましたのは、彼が雨ふらしの封印を解いてしまって十日以上が経過した時だった。
その時には、彼の街は既に悲劇に見舞われていた。
多くの家屋や建物が水没し、公共機関の多くも濁流に飲み込まれていた。
無事だったのは高台に立つ家屋などのみで、剣聖が運ばれた市民病院もそのうちのひとつだった。
剣聖は、こうして助かった。
自分が解き放った魔により、二千人以上が犠牲になった中で、のうのうと。
「魔を解き放ち、多くの人間の命を奪った餓鬼は、それから思う様になった。『災いを呼ぶと理解しているのにもかかわらず無力でいては、多くの人間が犠牲になることがある』。あるいは、『自分が戦って守らなければ死ぬ人間が多くいる災厄がある』のだと」
さとり鵺が、そう話を告げる中、それを聞いていた晶は愕然としていた。
明らかになった剣聖の過去に、彼女は大いに動揺する。
剣聖が魔を放ち、それがきっかけで多くの人間が死んだ――それは、彼のことを知っていれば信じがたい話である。
そんなことを思う晶を、さとり鵺は無視して告げる。
「ゆえに、その餓鬼は恐れているのだ。怨霊たちの百鬼夜行のような、過去の水害を彷彿とさせる、魔による被害で呑まれて死んでいく災厄の具現化を」
そう言って、さとり鵺は嗤う。
「実に滑稽な話ではないか。自分の起こした過ちを引き摺り、我ら魔との戦いで公私混同させ、冷静な判断力を失うほどに焦る……愚かな話だ」
「黙れ」
鋭い眼で、剣聖はさとり鵺を睨みつける。
それに、さとり鵺はわざと首を傾げた。
「おや? どうしたのだ。まるで他人には語りたくなかった過去を暴露されて、心を荒れているような顔をして」
「黙れ!」
刀を力強く握りしめ、剣聖は奥歯を軋ませる。
心を読める相手だ。惚けているのも当然わざとで、完全なる挑発だ。
それが分かっていながら、しかし剣聖は怒る。
「いい加減その口を閉じておけ。耳障りだ。ぶっ潰す」
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