第19話 沼の呼び声・本質顕現


 駅前は帰宅中の学生や、近所のショッピングモールをにぎやかにする家族連れなど、人であふれていた。見たところ、騒ぎらしき気配は見られない。

 駅の改札口が見えたところで、その場にいた長身の青年がこちらに向かって手を振っていた。だが動きはぎこちなく、当人の顔は真っ青になっていた。


「こっちだ! 助かる!」

「助かるって……その様子じゃ……!」


 滝田の前回受けていたダメージは深刻なもののはずだった。救急車で運ばれ処置を受けたとはいえ、すぐさま走り回るには無理のある状態である。現に滝田の額には脂汗がにじみ出て、言葉も息も途絶えながらなんとかはき出している、という様子だった。


「滝田さん、体は……」

「お、俺のことはいい……今すぐこれを」


 と、滝田は腕時計型の『インデコ』を手渡した。これは『デヴォイド』が最初から内蔵されているモデルのものだった。

 液晶画面にはレーダーのような点滅する光と数字などが浮かび上がっている。大きく光り点滅する点は二つ。そして近隣のマップであろう地形もグラフィックで再現されていた。


「これは俺たちで『自立デヴォイド』を認識出来るようにいじったものだ。違法ぎりぎりだがな……」


 点滅している大きな点の一つはこの近辺にとどまっている。この位置では、二つ通りを越してしまえば駅前の大通りに出てしまうほどの近距離だった。


「これって、かなりまずいんじゃ……」

「あ、ああ……それにもう一つ。そいつは動く様子はないんだが、近くにはマンションがある。ベッドタウンの近くだ、被害がどうでるか考えたくはないが……」


 滝田の声は、走ってきた大護のものより疲れている。

 滝田はただ留守をしていたのではなく、怪我の容態がひどく動かすわけにはいけないと、鎌田は判断したのだろう。あの時見ただけでかなりの暴行を受けた痕があった。あれからすぐにダメージが消えるとは思えない。


「これ、お借りしてもいいですか! こちらから出向きます!」

「……頼む」


 絞り出した一声。滝田は大きく息をつき、膝に手をついて震える指先を強引に握りしめていた。下げた顔がどうなっているか、見るまでもないだろう。だから大護は無言のまま腕時計型『インデコ』を握りしめ走った。

 大通りを抜け、散歩コースなどで広がる駅前の通路。その側で点滅する反応を、左右を確認し異常がないか視認で周囲を探った。


 『デヴォイド』は持って歩く日用品やアクセサリーの形をしたものも多い。『インデコ』に最初から設置される最近のモデルとは違い、そこで個性を出すアイテムでもあった。

 大護は故に小型のものだと予想した。よく見ないと見落としてしまうかもしれない……慎重な行動が求められる。

 反応だともう近くにいて、目についてもおかしくない位置にいるのだが……


『探し、モノか。ご同輩』


 そっと風が吹いた。背筋を生温かくぬらすような、べたりとした気配が張り付いた。弾けるように振り返り、声の主を探す。


『下だ、ご同輩』


 大護は大声を上げる寸前だった。小さなナイフと思われる銀色の刃物が、柄にローラーでも着いているのかと思えるほどゆらゆらと動いていた。

 声の主は本当にすぐ側にいた。もう数歩歩けば踏んでしまうかもしれない距離だった。


 刃渡りは5センチもないだろう。よく見れば先端は丸く、刃はぎらついたものではない。ペーパーナイフがモチーフのものだろうか。元の持ち主の姿らしきものもなく、ここまでさまよい歩いてきたかと思うと怖気がする。


「で、でた……! こいつが……!」

『フ、フ。ご同輩』


 男性とも女性ともとれない声が繰り返し『ご同輩』と言う。


「な、なんだよご同輩って……!」


 大護は仕方なく左腕のチェーンを腕からふりほどくよう腕を伸ばし、次の瞬間、チェーンは重たく黒い鎖へと変貌した。

 苦々しく歯を食いしばった。これ以上『ソロプレイヤー』としての力を……もう、これを行使したくはなかった。

 まっすぐな鎌田の目と声がよみがえる。『正規選手コールプレイヤー』となれと。

 その試験に手をさしのべてくれたししねや氷室の思いも。


 裏切っている。だ、。間違いを


 あの日みた背中を、また裏切っている。


『迷っているのカイ、ご同輩』


 『ソロプレイヤー』と『自立デヴォイド』の違い。

 それは。

 その差異は。


『フフ、フ。そう怖いカオ、するなヨ。なア、ご同輩』


 差異は、ない。


 規則正しく敷き詰められた、レンガ造りの散歩道。そのレンガにくぼみを穿ち、大護は揺らめく熱を持った鎖を引き上げた。がらがらと、砕けたレンガのかけらを拾いつつ、鎖は引き上げられた。

 歯を食いしばり、自らの無力さに……『ソロプレイヤー』としての力に依存しないかぎり、『オケリプ』には関われないもどかしさに、「苦痛」という形で顔を歪ませていた。

 痛みがある。いびつな、未熟な自分が存在することそのものに。


『フ、フフ。どうやら、訳ありカイ? ご同輩』

「……ッ! 黙れ!」


 荒々しい鎖のしなりは雑な動きとなり、ペーパーナイフ型の『自立デヴォイド』は振り下ろされた鎖をするりと回避し、蛇がうねり進むようにスムーズな動きを取った。


『どう、ヤラ。ご同輩には理由ガあるらしイ。興味がある、ネ』

「興味、だと……」


 全身から力が抜け落ちそうになる。それに引きずられるように、意識まで地面の底に引っ張られ、何もかも黒い影に溶け落ち、タールコールのようなヘドロになってしまえば。

 それが一番楽になるのかもしれない。そんな気持ちがわき起こった。


『フフ、フ。沈みなヨ。楽になる』


 視界が狭まる。黒い膜が、目の端から迫りつつあるように、舞台の幕が降りそうになっている。


 見たくなかった。

 『コールプレイヤー』となることで、これまでが精算されると思っていた。

 だが違った。甘い考えだった。あまりにも都合が良すぎる話だ。

 自分から『ソロプレイヤー』になることを望んだあの瞬間は、永続的に脳裏に焼き付き離れない。


 黒く黒く燃えていた。<考えるな>

 重たく分厚い鎖で締め付けられ<思い出すな>

 肌は焼け肉はきしみ骨が砕ける<感じるな>

 縛り付けられたあの人たちは<見るな>

 もう誰かと視認できる状態でもなく<比べるな>

 

 だから僕は、あの草原に夢を見た。よどみない白い空が地平線と溶け合う安らかな夢を。


『フフ、フフ。何カ、思い出せたカナ? これはワタシの『スティグマカバー』としての能力ダよ』


 いつの間にか地面に膝をついていた。背中は冷たい汗で濡れ、血の気は引いて貧血の症状が出ていると自分でも分かった。


『これワタシに備わった、他者の腹を探ル「洞察力」に特化したモノだ。ワタシの主も、自らノ重みで沈んでイッタよ』


 腕の感覚は、ある。その先は。肘は曲がる。動かせる。手は、かじかんで動けないようなしびれを持っているが、それは感覚の話だ。物理的に動かすことは可能だった。



『ご同輩。ヤハリご同輩。『ソロプレイヤー』の……暴力でしか物事を解決できないご同輩ヨ』


 体が重い。重力が倍になってのしかかったかのような鈍い足元だ。だがやはり感覚の問題。一歩踏み出すだけなら制御下を離れたといっても、動くことには変わらない。


『何ヲ見た。何ヺ思い出した? フフフ、フフフ。さぞ苦いモノのようダ』


 鎖を握りしめる。やはり指先はしびれたままだ。だが、握りしめた指を目で確かめ、大きく振りかぶった。


『なあご同輩。過去ヺ帳消しニ出来るとお思いカイ? これカラものうのうト生きていけるつもりカイ?』


 緩やかな加熱。滑り出した鎖は刀身もろともレンガを砕いて、破片を周囲にまき散らした。

 もう二度と。あのペーパーナイフ型の『デヴォイド』は起動しないだろう。

 まるで打ち砕かれることを望んでいたかのように、最後の最後まで避ける時間をも、おしゃべりに費やした。何故それほどまで。単にそういう気質だったのか。それとも。


 破滅願望でもあったのか。


 『デヴォイド』が? 機械が? 『スティグマ中身』が?


 レーダーを映す『インデコ』の画面を見た。

 もう一つの大きな点滅はすぐ手前で光り、大護に顔を上げさせる。


「実にくだらない。身勝手極まりなく分不相応。我が手を焼くこともあるまいが……どちらにせよ衰弱死か」


 ……女の子……?

 淡々と言葉を並べた少女の姿が、かすれていた視界に映っている。

 だが、その背中には透明な羽根らしきものが羽ばたいており、時折電流が見せるスパークが飛び交っている。


 人間、ではない。明らかにそう言えたのは羽根でもなく電流でもなく、そのサイズだった。

 目の前にいる少女は、手のひらほどの大きさしかない。妖精、という言葉が一番似合っている。


 そんな幻想的な存在が腕を組み、値踏みするような目でこちらを睥睨し、笑った。


「今我は解放されて機嫌が良い。優しく接することもできる」


 耳に残る、空気を裂いた電圧が麻痺していた肉体から痛覚を呼び起こした。貫いた電流が生む真空の狭間で肌を切り、尖った雷の槍は心臓をも揺るがす。

全身の毛穴が開き、沸騰したやかんのように体内から危険信号が爆発的に広がった。


「一撃で楽にしてやろう。苦しむこともない、肉が焼け焦げることも知らぬ死を送ろうか。我は優しいのだ」


 いつの間にか手放していた腕時計『インデコ』の反応は、この駅前近辺全てを覆い尽くすほどの点滅を液晶画面いっぱいに広げていた。

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