互いの違う正義

 雨は一層強く鳴る。

 先までむせかえる程に蔓延っていた血の臭いも、流し落とす様に。


「赦す? 」キミィが、右の瞳を細めて、訊き返したのは迂闊な行動であった。しかし、それでもその言葉は、口を突く。

「赦すとは、国王を。君のお父さんを殺した事を赦すと言うのか? 」


「はい」迷いの一切ない、つまりは即答。

「何故? 」そこまでが、一連の流れであったかのように、その問答は速やかに行われる。この状況であっても。それは変わらぬように。


「私は、国王を、君の父親を殺したのだぞ? 私は歴史に残る大罪人だ。 」


 アルトリウスは、黒髪からまるで球の様に乗る雨露を振り払うと、立ち上がり、凛とした表情を浮かべた。

「必要な犠牲であったのだと――既に受け容れました。

 だが――勿論、貴方にはその償いを受けて頂きます」


 キミィは両手の重力を忘れていた。十年ぶりに会う――あの己を慕い、その背を直向きに追いかけて来た少年は。


 正に、只ならぬ空気を身に着け、今その目前に立っている。


「償い? 」

 キミィは、周囲を観察している事を悟られぬ様、瞳を動かさず、アルトリウスと距離をとる事で、視野を広げる。


「そう――反逆者キミィ・ハンドレットは、れきしの上では私、アルトリウス・ジェイド……アポトウシス国王、スカタ五世によってスカタ四世の仇として討たれます。

 が――それでは、貴方がこの度行った大きな罪は決して清算されません」


 アルトリウスの瞳が強みを増す。

 急襲の際、アルトリウスは内部の混乱を誘う為、最も闘気の大きい者から狙い、そして成功した。それでも、時間は限られているという事だ。

 この提案を――勇者が……キミィ・ハンドレットが呑まなければ。その時は。


「貴方は、正体を永遠に隠し、僕の後継の白騎士として……人族の為に――戦い続けるのです。天に召されるその時まで」


 キミィの背筋に衝撃が駆け抜けた。

 巡る己の運命は――逃れられぬ戦い、その永遠の輪廻か。


「私に……」

 アルトリウスは首を横に振るった。


「その、畏まった言葉遣いは止めて下さい。キミィさん。あの頃の様に……」

 キミィは息を呑む。


「アルス……わ……俺は……」

 アルトリウスは微笑みを浮かべ、キミィにその手を伸ばした。


「俺は……行けないよ」

 アルトリウスの動きが止まり、その凛々しい瞳がまるで可笑しいくらいに丸みを帯びていく。


「どうして――? 」

 今度は、アルトリウスがキミィに問い掛ける。


 キミィは、その老いた蒼の瞳を落し、少し悩む様に間を空けて答えた。


「人族の為に戦った。

 勇者として――育てられ。魔族を悪だと……教えられた」


 その言葉、アルトリウスには理解出来ない。

 何故ならば。

 今、キミィが言っている事は――彼にとっては今も真実そのものであるからだ。


「そうではないですか。

 魔族は、長年に渡り人族を虐げてきた、この世界の悪しき闇です。

 貴方は、それを打ち滅ぼす為に生を受けた。人族にその闇を打ち払う為に。貴方は……『勇者』は存在しているのです! 」


 その言葉を受け――キミィは……

 齢を三十とした、その男は。

 幼子が浮かべる様な泣き顔を見せた。


「なぁ……アルス。

 俺が……俺達が、魔王を倒して齎した、今のこの世界は。

 本当に……皆が望んでいた世界。なの……かな? 」


 その時、アルトリウスの中で、何かの引き金が鳴る。

 一寸の疑いも無かった。

 自分が憧れ――追いかけていた人は。

 自分と全く同じ考えだと思っていたから。


 思考。その行き着いた結論は。

 ――危険だ。

 アルトリウスは魔殺の槍を、地に突き刺したまま、ゆっくりと腰に装備した剣を鞘から引き抜いた。


「キミィさん。大丈夫です。

 次に目を覚ました時。

 貴方に、もうその悩みはありません。

 また、あの頃に。

 あの頃の。勇者の、キミィさんに。

 きっと戻れます」


 キミィも、またその歪んだ表情のまま、構える。

 

「駄目だよ。アルス。

 俺は、もう――見てしまった。

 信じていた、自分と同じ種族が。

 邪悪――と教えられていた、それ達と。

 全く同じ事をしていた事を。

 だから、解るんだ。

 今一度、人族の為に剣を振るうという事は――

 正義という言葉で括るには。余りにも残酷なだけだという事が」


 かつて、その国の為に歩を並べた師弟は。

 今、向き合った。

 決して解り合えぬ。

 互いの『たがう正義』を信ずる為に。

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