第20話 おれと西明寺とジェットコースター
宝楽ランドのジェットコースター。それは、日本にあるレジャーランドの中で、五本の指に入るほど有名だ。
速さ、長さ、そしてスリル感。どれをとっても一流と言えるだろう。それゆえ、少しくらいジェットコースターに乗れるという人では、苦手意識を植え付けられることもあると聞く。
おれ、ジェットコースター得意じゃないんだけどな……。
冷めぬ不安が心を掻き乱す。
「あれ? もしかしてビビってる?」
「んなことねぇーよ」
楽しげな西明寺に、水を差すような真似はしたくない。
「でも、これって班行動って言えるのかな?」
「知らんよ。でも、まぁ乗りたくないもんを強制するのも良くないだろ」
「それはそうなんだけどね」
苦笑を浮かべながら云う西明寺に、どこにいても委員長なんだなと思う。
「そう言えばさ、中学の時。ほとんどテスト1位だったよな」
「まぁね。それを言えば、永月くんはずっと2位だったじゃん」
「ずっとってのは、失礼だぞ。1年の最初の中間期末は、1位だったからな?」
1位の結果。これだけは、絶対に忘れない。てか、忘れられねぇ。
「知ってるよ」
あはは、と笑う西明寺を見てふと思う。
「そのとき、西明寺は何位だったんだ?」
そう訊いた瞬間、西明寺は少しうつむき加減になり、メガネに蔭を落とす。
「ど、どうした?」
見ただけで分かる様子の変化に、不安が過ぎる。
聞いちゃダメなやつだったか?
「う、うんん。何でもないよ」
無理に作った笑顔だ。いつもの笑顔より幾分も崩れている。
「その時の順位だよね?」
「言いたくなかったら言わなくていいぞ」
彼女の様子を察し、そう告げるも西明寺は小さくかぶりを振った。
「その時はね、全然良くなかったの。中間が95位で、期末が72位」
「嘘っ!?」
「あはは、ホントだよ」
空元気で見せる笑顔。精一杯の彼女。
見てて辛くなる。でも、それを指摘することは彼女をさらに傷つけることになるかもしれない。おれは全く気づかない振りをして、言葉を紡ぐ。
「想像出来ないよ。だって、おれの中での西明寺って言えば、賢くて、委員長で、いつだってリーダーだから」
「何言ってんのよ。今だって、班のリーダーは、永月くんじゃない」
「それはみんなが押し付けたからだろ?」
口先を尖らせ、拗ねたように言い放つ。
ジェットコースターの列は、お化け屋敷やゴーカートの時と比べると大したことはない。
やはり、恐怖という感情が並ぶことを拒否しているのだろうか。
恐らくもうすぐ番が来る。
「思ったより早かったね」
「だな」
「ほんとはもうちょっと一緒に居たかったよ」
いつもの西明寺からでは聞けない言葉。
「……っ。えっと……どういうこと?」
驚きからか、上手く言葉が紡げず、情けない形になってしまう。
「みんな、長く居たから私も居たかったって思っただけ。深い意味はないからね?」
それだけでもそこそこ深いんだけど……。
そんなことを思っていると時だ。
「なぁ、兄ちゃん」
不意に背後から声が掛けられた。
「何ですか?」
振り返って返事をすると、そこには出来れば関わりたくない感じの雰囲気のお兄さんが立っていた。
綺麗に染められた金色の髪。剃られてない眉毛。厳つい漆黒のサングラス。
それだけでも怖いと思えるのに、黒の半袖シャツにダボダボの黒のジャージを穿いており、服で隠しきれない腕には、龍の刺青が入っている。
明らかに普通と違う。ヤのつく方じゃないことを祈るだけだ。
「し、知り合い?」
西明寺が、耳元で怯えた声で訊ねてくる。
「んな、わけねぇーだろ」
「イチャつくなら他所でやれや」
漆黒のサングラスに陽光が射し込み、グラス部分が透けて見える。覗く切れ長の瞳。妖しげで、冷徹。今までに何人か人を殺めていてもおかしくない。
「す、すいません」
慌てて謝ると、その男性は腰を屈めおれと視線を合わせてくる。
「謝れ言うてないやろ。ただ場所わきまえろ言うとんじゃ」
嗄れた声は、言葉一つ一つに恐怖を帯びさせる。そして、そんな男性の隣には、芸能人顔負けの美人な女性が立っている。
一般の人が声をかけるのすら阻まれるほどの、美貌で、ただ見られるだけで体が硬直してしまう。
「は、はい」
「すいません。そういったつもりじゃないんです」
震え声で返事をしたおれに代わり、西明寺がおれの袖をきゅっと掴んだまま、しかしはっきりと言葉を紡ぐ。
「姉ちゃん、ええ根性しとるやんけ。なぁ?」
「そうね。で、あなた達は付き合ってるんじゃないの?」
けたけたと笑いながら男性は言い、女性に話を振る。女性は、その美貌に見合う美しい鈴のような声で西明寺に話しかける。
「付き合ってなんていませんよ」
「へぇ、ならそっちのお兄さんは? この子のことどう思ってるの?」
楽しげにおれらの話を訊き、次から次へと質問を投げかけてくる。
「お、おれは……。西明寺は西明寺だって思ってるので」
「あらまぁ。でも、この口ぶりとあなたの顔」
女性は綺麗な細い人差し指でおれの鼻にちょんと触れる。
「好きな人がいるんじゃないの?」
おれは一体どんな表情をしていたんだ?
それに、おれは茉莉のことなんて……。
「ほら、また表情が硬くなった。ダメだよ、そんな分かりやすかったら」
触れていた指を離し、厳つい男性をチラリと見る。
「そうだぞ。遊べないぞ」
遊ぶつもりなんてないんだけど……。
心底でそう思いながらも、
「そうですね」
と口にする。
「ほらまた、嘘」
男性は、嗄れた声を低くしドスを効かせる。
「す、すいません!」
勢いに任せて頭を下げると、男性はおれの頭を掴む。
「いやぁ、謝らんでええ。遊ばへんって思っとんやろ? そりぁ、ええことやからな」
そう言うと、男性はおれの頭を離し軽く前へと押す。
「もうすぐ乗れるから前向いとけ」
「はい」
男性はそう言うと、女性に向き直った。それを一瞥してから、おれと西明寺は前を向く。
「好きな人、いるんだ」
少し重みのある声音で西明寺が訊く。
「いない──って思ってたんだ」
「私だって、永月くんに好きな人なんていないって思ってた」
そう告げる西明寺の声は、硬かった。まるで先ほど後ろの女性に言われた表情が硬いが声のそれに変わっただけのように感じる。
「おれだってそうだよ」
「……そうなんだ」
哀愁漂う声。それが何だかとてもいたたまれなくて、おれは彼女に掛けるべき言葉が見当たらなくなった。
ちょうどその時。ジェットコースターへの乗車が案内される。
ナイスタイミングだ。
そんなことを思いながら、10列ほどあるジェットコースターの全容を一瞥し前から3列目に乗り込む。
「ドキドキする。私、ジェットコースター好きなの」
「そうなんだ。おれは、そんなにかな」
昔は怖くて乗れなかった。そして、最近ようやく普通のやつなら乗れるようになったところだ。
そこへ県内、いや日本屈指のジェットコースターを乗るとなるとビビるだろ。普通。
西明寺にはカッコつけたくて、ビビってないなんて言ったけど、あそこで引き返してれば良かったな……。
今頃言うな、と思うことが次々と頭に浮かび、そして水泡の如く消えていく。
儚いおれの思いは、ただの夢想。
「それなら最初に言ってくれればよかったのに」
笑顔を見せながら、動き出すのを今か今かと待っている彼女が云う。
そんな顔してるやつに、水指すようなことできるかよ。
心の中で毒づき、
「余裕だから」
と、嘘を吐いた。
まもなくして、ジェットコースターはレールを軋ませながら動きだした。
おれたちの後ろには、先ほどの厳つい男性と美女が乗っている。
「楽しみだな!」
2人で話すにはあまりに大きな声で、嗄れた声が聞こえた。恐らく、おれたちに言ってるのだ。
「そうですね!」
おれは思い切ってそう返すと、ガハハと大きな笑い声が耳に届く。
そして同時にジェットコースターは、傾きを大きくして急斜面をノロノロと登っていく。
「いよいよだね」
隣からは、西明寺の浮ついた声がする。
ジェットコースターは、その傾きの頂上まで登りきった。瞬間──
言葉では言い表せない超加速で、角度にしておよそ15度ほどの急斜面を降る。そして、斜面が終わると今度はスピードを保ったまま水平に走り、その勢いを殺すことなく一回転する。
これは……まずいぞ……。
皮膚からは冷や汗が滲み出て、脳は回転の影響か思考も何もかもがぐちゃぐちゃに混ざる。さらに、体内の臓器も本来あるべき場所から飛び出てあってはならない場所に存在しているような、そんな気分になってしまう。
「ひゃぁーー!!」
西明寺は、悲鳴のような、奇声のような、それでもって楽しそうなそんな声を上げ、手は体の前に下ろされている安全バーから離し、天に掲げて、ジェットコースターを満喫している様子。
なんで安全バーから手離せるんだよ。
胸中でそう零し、自分の今の体勢を顧みる。前傾姿勢で、安全バーだけが頼りと言わんばかりに強く抱きしめている。
うん、完全にビビってる。
「あぁ、楽しかった」
ジェットコースターから降りた西明寺は、ぐっと背を伸ばしながらそう呟く。
「そ、そだねー」
やっぱりジェットコースターってどこが楽しいか分からない。速いだけだし、危ないし、ぐるぐる回転するし……。早死にするだろ。
「もうっ。そんなに怖いなら無理して乗らなくても良かったんだよ?」
「そんな訳にもいかねぇーだろ」
並んじまったのに、のこのことみんなの方へ戻るとそれはそれで竹内さんや水口さん、茉莉に笑われるだろうし。
「何であっても、永月くんが一緒に乗ってくれたの嬉しかったよ」
「そうかよ」
あぁ、上手く歩けねぇ。何か変な浮遊感が体中にあって、違和感だらけだ。
そんな違和感だらけの体に鞭打って、1歩2歩と出口の方へと向かう。
「兄ちゃん、後ろから見とってもめっちゃおもろかったで」
「ほんとによ。怖がりすぎだよ」
厳つい男性と美しい女性が笑顔でそう告げてくる。
「へぇ、永月くんそんなにビビってたんだ」
「だからビビってねぇーよ!」
西明寺の言葉に反射的にそう反応すると、男性は大きな口を開け笑う。
「ほんと、おもしれぇよ。兄ちゃん」
「そ、そうですか?」
何だかすごく馬鹿にされてる気分だよ。
「君は、君の恋を頑張ってね」
女性は、おれをじっと見つめそう云う。大きく、まるで真珠のような輝きのある瞳に吸い込まれそうになりながらも、こくんと頷く。
それを一瞥すると、女性は今度は西明寺に向く。
「で、あなたは諦めるの?」
一体何の話をしているのかは分からない。しかし、西明寺にはわかったようだ。目を見開き、驚きを露わにしてから大きくかぶりを振る。
女性は、同時に微笑を浮かべる。
まるでどこかのガラス細工のような美しさの如くで、その中に華やかさが散りばめられているようだ。
「それなら、あとはどうアピールして振り向かせるかよ」
「でも、私……。あの子みたいに可愛くないし……」
西明寺がポツリと零した言葉は、いつもの西明寺らしくないマイナスの言葉。しかし、その言葉に今度は女性がかぶりを振った。
「問題は顔だと思ってるの?」
「──」
真剣な表情の女性に、西明寺は視線を下の方へとずらして交わっていたそれを逸らす。
「気持ちだよ? 想う気持ちがどれほど大きいか。それをぶつければいいの」
西明寺は小さく頷き、それから口を開く。
「……貴女も?」
その言葉に女性は小さく微笑む。
「私は顔もいいけど、この人に対する想いは誰にも負けない自信あるよ」
「当たり前やろ。愛の無い、想いの無い恋愛なんて
嗄れた声で男はそう言い放つと、おれの肩に手を回す。
「厄介者が外から何を言おうと兄ちゃんらの恋慕に変わりはない思う。だからこそや」
男は言葉を切り、おれと西明寺の視線に交互に絡ませてから再度口を開く。
「後悔だけはしたらあかん」
それだけ云うと、男はおれから離れ女性と腕を組み、颯爽と歩き去る。
「何だったんだろうね」
「分からねぇーよ」
歩き去る2人の背中を見つめながら、西明寺がポツリと零す。
「でも、なんだかすごいいい事聞けた気はするよ」
「そうだな。人は見かけで判断したらダメってことかな」
おれの言葉に西明寺はクスリと笑う。
「──行こっか」
少しの間の後に西明寺は囁くように告げた。どこか名残惜しそうな、寂しさが滲むような声音だった。
「そうだな」
2人の間だと、西明寺は西明寺らしくない。おれに原因があるのかな。
そんな風な考えが脳裏を過ぎる。
「みんな待ってるしね」
それだけ云うと西明寺は、ポツリポツリと出口に向かって歩き出した。
おれはそんな彼女の背中に、漂う哀愁とそれに勝る強い想いを感じながら彼女に追いつく歩幅で歩を取った。
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