第3話 3.11

ケーキの上にはハート型のチョコレートがのっていた。

「…ザッハトルテ」

僕の大好きなケーキだった。

「これも手作り?まさか?僕のために? そんなはずないか…」

僕は彼女がこのケーキをどんな思いで作ってくれたのか?知る由もなかった。

誰も来ない間にリフレッシュルームにある冷蔵庫に入れておく、デスクに 戻ると彼女もパソコンを立ち上げていた、またいつもの様に髪を左耳にかける、しばらくふたりきりの時間がゆっくり流れていく。

「このまま誰も来なければいいのに…」

私は彼女の横顔を見つめながらそう思っていた。

「おはようございます」 

「…おはよう」

他の社員が入ってきて我に返る、日常が戻っていく。

ミーティングをいくつかこなして、19時過ぎやっとデスクに戻る。

「はぁ~今日も、疲れた…」

机の上には百貨店で買ったと思われるチョコレートが1つ…メモと一緒においてあった。

「義理チョコです!お疲れ様でした」

と一行書かれていた。(天谷か…)

会社の冷蔵庫を開ける、いくつかのチョコが入っている中から水色のバックを取り出す。

本当はすごく嬉しかったのに、そんな表情をすると僕の気持ちが彼女に見透かされそうで…

「いったい俺は、なにを怖がっているんだ?」

ザッハトルテが横にならないように慎重に持って帰宅する。

「ただいま…」

水色のバックを持って、すぐに2階に上がりクローゼットに水色のバックを隠しリビングへ降りていく。

「パパ、はい…これ 」

そう言った、娘からチョコを渡される。

「ホワイトディのお返しよろしく~ 何にしようかな~」娘がテレビの画面を観ながらそう言った。

妻が続ける。

「はい これ、 電話しておいてよ 」

「あぁ わかった 」

毎年届く義理の母からのチョコレートだった。

シャワーを浴びた後、こっそりと キッチンから皿とナイフを素早く持ち出し2階へ上がる。

ザッハトルテを慎重に箱から取り出し皿に移す。

部屋にチョコレートの甘い香りが満ちていく慎重にナイフを入れる。

「あっフォーク…何度もキッチンに行くと怪しまれるし、そのままでいっか」

ザッハトルテをそのまま摘んで一口食べる。

「うまい」

濃厚なビターチョコレートとしっとりしたスポンジケーキ 酸味のある爽やかなアプリコットジャム。

「これ 本当に彼女が?すごいな」

有名店に引けを取らないほど完成度が高かった。

「あっ、まずい 写真 撮んないと」半分ほど食べてしまったザッハトルテを携帯のカメラで撮る。

お世辞抜きで彼女のザッハトルテはうまかった ハートのミルクチョコレートを口にする、

なんとも幸せな気持ちに包まれる。

早速facebookに書き込む。

< ザッハトルテすごく美味しかったです(○゜ε^○)v 本当にお店に出せるくらい☆☆☆

すごい!あっという間に食べました♪ 写真送りますありがとう(*^^*ノ >

初めてもらったValentine's Day の日のことを思い出す。

「確かあれは、中学1年の時、うれしくてチョコレートしばらく飾っておいたんだったよなぁ」

彼女からのプレゼントはそんな昔のことを思い起こさせてくれた。

次の日彼女からの返信があった。

<堤部長からそんなに褒めてもらえると嬉しいです♪(^^)bGood! 日曜日 がんばって作った

甲斐がありました♪ 私 ザッハトルテ大好きなので、自分の分も作っちゃいました (;^_^A  

私は再来週2日ほどお休みを頂きます。おやすみなさい☆GOODNIGHT☆(;д;)ノ~▽''。・゜゜・>

その後も僕と彼女とのフェイスブックは続いていった。

<長崎に来ています!お昼は長崎ちゃんぽんを食べました。

お土産は「松翁軒」のカステラにしました300年以上も前からある老舗のカステラ屋さんです>

<えぇ~w(゜o゜)w 300年以上も前の?江戸時代?歴史得意じゃなくて(-"-;A … >

<カステラ しっとりしていて 美味しかったです♪ さすが300年☆ザラメのとこがめちゃくちゃ

好き v(^_^ v)  もうすぐ3月ですね ♪ 大好きな 桜の季節です。(=^ー゜)ノ 堤部長は

お花見とか行きますか?>                  

<お花見かぁ、しばらく行ってないな~ 会社行く駅までの桜並木を見るくらいかな( ´△`) >

<岩手県に出張です東北はまだ春は先みたいです。岩手には岩を割って生えている樹齢360年の

石割桜が有名です。岩手は海の幸山の幸が本当に旨い、 釜石 中村家の海宝漬をお土産にしました☆

冷凍だから自然解凍して食べてみてくださいv(*'-^*)-☆ ok!!>

私のお土産好きは 今に始まったことではないが、彼女へのお土産は特別な意味を持ち始めていた、

なんていうか、そぉラブレターみたいな感じ。

彼女とのフェイスブックで 僕は救われていた そして 失いかけていた何かを取り戻していくようなそんな気がしていた。

でもどれだけ言葉を尽くしても 日本中のお土産を彼女へ届けてもたった一つの想いを彼女に伝えることはまだ出来なかった。

そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、フェイスブックは綴られていく。

<海宝漬ご飯にのせて食べました♪ アワビやイクラ三陸の海の幸が一体になって宝石みたいにキレイです☆☆☆ご飯おかわりしちゃいましたよ~メカブがいっぱい入っていてとってもやわらかくて おいすぃ ~感動です~ (⌒¬⌒*)>

<良かった 僕も海宝漬をのせて食べるご飯が大好きです♪9日からは仙台に出張です!鎌倉の桜は3分咲きくらいですか?>

<大変ですね (;-_-) =3 堤部長は いつも出張で、ひとりで寂しくないんですか?ごめんなさい 余計なこと訊いちゃいましたねヾ(_ _*)ハンセイ 鎌倉の桜 今年は開花が少し遅れるみたいです。仙台まだ寒そうですね お気をつけて♪>

「寂しいか…」

長い間の孤独が寂しいっていう感情を麻痺させているのかも知れない。

でも今は寂しくて…恋しくて…そして胸が苦しかった。

3月7日月曜日、今日は朝からミーティングが詰まっていた 朝の定例ミーティングが終わり、そのままセールスミーティング その後は新製品に関する役員へのプレゼンテーションが続いていた。

お昼を取る時間もなく13時過ぎスタバに行きテイクアウトを頼む。

「チャイティラテとマリボーチーズと何か甘いもの、じゃあシナモンロールを」

「堤さん、また会議ですか?」

「そぉ…お昼食べに行く時間もなくて」

「そうだ、以前堤さんにチャイティラテ買って行かれた女性、1時間くらい前に食事されてたんですけど、何だか元気なくてねぇ 少し気になっちゃって」

「そぉ、そんなに?」

「ん~何だか顔色も良くなかったんですよ、すみませんまた余計なこと」

「いや、ありがとう」

テイクアウトしたチャイラテとサンドイッチを持ってエレベーターに乗る。

ミーティングは続き、時計は17時を回っていた。

「少しリフレッシュしないか?」

そう言って15分の休憩を入れる。

僕は彼女のことが気になって急いでエレベーターに乗った、23階のドアが開くと彼女が俯いて立っていた。

「あっ」

彼女は軽く会釈をして、エレベーターに乗ってきた、僕は右奥の隅に立って彼女の後ろ姿を見つめる。

数名の社員が降りていく、エレベーターには私と彼女だけが残された。

少し張り詰めた空気、と沈黙、僕は意を決して彼女に話しかける。

「大丈夫?何かあった?」

「えっ?」彼女は少し驚いた様子でこちらを見た。

「ぃいや、店長…スタバの、元気なかったって言うもんだから」

「平気です、元気ですよ私、堤部長 明後日から仙台ですよね?お気をつけて」

彼女はそう言って微笑んだ。

心なしか一瞬悲しそうな表情に映る彼女の表情が僕を一層不安にしていた。

エレベーターの2階のボタンが消えてドアがゆっくりと開く。

「お疲れ様でした、部長降りないんですか?」

「ぁあ、お疲れさま」

僕はそう言ってエレベーターの中から彼女を見送る、ゆっくりとドアが閉まり、エレベターが静かに上昇していく。

「何だろう?なにかが、彼女を苦しめている?」

そんな気がしてならなかった。

そしてその不安を僕が消し去ることが出来るのだろうか?と考えていた。

その後も、言い知れぬ不安が私の心を覆い尽くしていた。

その後のミーティングは全く集中力を欠き、結論が持ち越された。

3月9日水曜日 東京駅から2泊3日の予定で仙台へ向かう。

東京駅の大丸は来週に迫ったホワイトディのギフトで溢れていた。

彼女へのホワイトディは「マカロン」と決めていた、理由など、とにかくあのカラフルで可愛い形のマカロンが彼女に一番合ってると・・・まるで高校生の発想だ。

春風が気持ちいい、花粉なのか?マスク姿の人も多くなっていた。

大丸地下で弁当を買い新幹線に乗り込む、銀むつの入った弁当を大宮に着く前に平らげる。

「マカロンは普通の焼き菓子とは違い賞味期限が短いから、14日当日に会社を抜け出して買いに行こう」

車内でそんな計画を想うのも楽しかった。

3月11日金曜日 仙台でのクライアントの説明会も順調に終わり気持ちは充実していた。

その後 仙台支店でのミーティングが終わり品川へ戻る予定だった、14時26発の『はやて』の指定席

を予約していた。 11時30分にミーティングが終わり 皆で昼食に出る。

「今日は俺がごちそうするよ!」

「おぉ~部長 ゴチになります!」

「じゃあ中華にしますか?」

「おぉいいね~」

調子に乗って腹いっぱい食べる。

(まずい また食べ過ぎたな、 くるしいぃ )

「じゃあ また、次回のミーティングまで」

「お疲れ様でした~ 部長 ごちそう様でしたぁ」仙台支店を出て駅に向かう。

(運動のために歩こう)少し早足で歩き出す。 

(そうだ、白謙のかまぼこ お土産にしよう)10分ほど歩いて駅に着きそのまま地下1階の

白謙へ向かう。(お母さんとふたりだから、このくらいの大きさで)

「これ1つください」 

「はい ありがとうございます! 極上笹かま、白謙揚げのセットですね」

5時間の保冷剤をつけてもらう。

改札を抜けホームに上がると2本前の「やまびこ」がホームに停車していた。

(「やまびこ」の方が4分東京に早く着く)少しでも早く東京に戻りたい気持ちで、迷わず

「やまびこ」の自由席に飛び乗った。

乗ると同時にドアが閉まり新幹線は静かに動き出す、仙台駅始発ということもあり自由席も空席が目立っていた、3号車8番Eに座りバックを網棚に上げる。

通路の向かいの席には20歳代のカップルが座っていた、しばらく車窓を見てから新聞を開く。

「各駅もたまにはいいか」

新聞をひと通り読み終え ヘッドフォンでお気に入りの曲を流した途端に睡魔に襲われる。

しばしまどろむ、新幹線は福島駅に到着した。

だいぶ長い間、ウトウトいたように感じがした、予定では17時くらいには会社に戻れそうだった。

郡山駅を出てしばらく車窓を眺める、トンネルに入る直前 車内のライトが一斉に消える。

「あれっ?どうした?停電か?」

そう思った瞬間 とてつもない衝撃で新幹線が左右に大きく揺れ、車内に悲鳴が響き渡る。

「ゃ…やばぃ」

何かを考える間もなく身体が一瞬宙に浮いたと思うと、なすすべも無く身体が車内の通路に叩きつけられる。

「痛っ」左膝に激痛が走る。

(なに?いったい なにが起こったんだ?)

車両が左右に振れる度、悲鳴が響く、隣の席の男性は彼女に覆いかぶさって必死に何かから彼女を守ろうとしていた。

新幹線はしばらく左右に振られながら徐々に減速して行きトンネル手前で停止した。

「地震か?大きい、とてつもなく大きい」直感的にそう思った。

「どこだ 震源地は?近い…」

「東北地方で非常に大きな地震が発生した模様です」

「詳しいことは現在確認中です、しばらくお待ちください」

5分ほどして、所掌の緊張した声が車内に響き渡る。

皆 携帯を持ってデッキへ向かう、僕も席を立とうとした瞬間に左膝に激痛が走る。

「いたっ」先ほど飛ばされた時に痛めたらしい。

車両はトンネル手前で停止していた幸い携帯の電波はつながっている。

新幹線の中とはいえ今まで経験したことのない揺れだった 震度5以上であることは感覚的にわかった。

14時50分過ぎ 皆デッキに出て携帯で連絡を取っているがつながらない。

泣いている女性客も多くいる、会社、夫、妻、家族、友人、皆 愛する者の声をすぐに聴きたかった。

「東京は?大丈夫なのか?」

情報が全く入らない、自宅に連絡するがつながらない。

誰の携帯も、鶴岡の実家にも全くつながらなかった。

「ダメだ ぜんぜんつながらない…」

仕方なくメールで無事を送信する。

「届くのかな?このメール」

デッキのドアの窓から 空を見上げる 青い空にはなにもなかったかのように白い雲が浮かんでいる。

「東京は?彼女は?柴咲亜美は? 会社にいるのか? 無事なのか?」

そう思うとまた不安になって、携帯を握り締めて何度も何度も会社にリダイヤルする。

「やはり、無理か?」

誰ともつながらないまま時間だけが空しく過ぎていく。

携帯のバッテリー表示が半分になる、一刻も早くただ 彼女の無事な声が聴きたくて、諦めずリダイヤルを何度も 何度でも、でも・・・つながらない。

どのくらい時間が経っただろう、バッテリーも残り少なくなっていた。

何度目のリダイヤルだろう、その時 呼び出し音が鳴る。

「つながった」

「堤です」

「堤部長?大丈夫ですか?」

なぜか?役員秘書室につながった。

「はい僕は大丈夫です、それより、東京は?本社は大丈夫ですか?」

「はい、今のところ大丈夫です 相当揺れましたが」

秘書室の服部が冷静に答える。

「じゃあこの電話」少しためらい…「860番へ回してください」

「かしこまりました 860番ですね…少しお待ちください 転送します」

服部の冷静な声に逆に緊張感が伝わってくる。

860番は彼女の内線番号だった。

「はい…コンプライアンス 柴咲です…」

心細そうな、今にも泣き出してしまいそうな彼女の声が携帯から聴こえる。

「堤です、大丈夫? 怪我とか? 平気なのか?」

僕は少し興奮して、彼女に質問した。

彼女は僕の質問には1つも応えずに。

「堤部長?ホントに?堤部長なんですか?仙台でしょ?大丈夫なんですか?今どこにいるんですか?」

と涙声で反対に質問を返してくる。

「僕は…大丈夫だ、問題ない」

僕は彼女の質問にそう答えた、電話の周りが騒がしい。

「堤部長なの?代わって!」

アシスタントの天谷が代わる。

「堤部長?天谷です、今どちらですか?」

天谷に今後の対応を指示する、派遣社員を含めたスタッフの安全を最優先させて早期帰宅などの指示を管理部門に委ねる。

「じゃあ部長も お気をつけて」

「あぁ」

結局 彼女と話せたのはお互い質問したことだけだった。

「でも無事で本当に良かった…あっ 白謙のかまぼこ、今日は無理か」

僕はこんな時に、彼女に渡すはずのお土産の心配をしていた。

一先ず 彼女の無事も確認出来てホッとして席に戻る、皆 不安そうな顔をして携帯電話を見つめている。

家からはその後連絡もなく、私はメールで無事を伝えた。

新幹線は全く動く気配がなく時間だけが空しく過ぎていった、30分ほどして車掌がやってきた。

「お客様には大変申し訳ございません、現在復旧の見込みなく情報も少ない状況です。

新幹線のバッテリーを使用して照明空調を動かしていますが、バッテリー保持のためすべての電源を切らなければなりません、どうかご理解ください 」

そう言って車掌は深く頭を下げた。

(これだけ大きな地震が起こったんだ、誰も車掌を責めたりしない)

文句を言うものは誰もいなかった。(私も含め東北人は忍耐強いのだ)

車内の電源が落ちた、社内は暗闇に包まれた。

「皆様、エアコンも使えませんので、これから冷えてきます、室温保持のためサンシェードを下ろしてください」

そこから長い長い夜が更けていった。

おそらく ここは那須高原の手前だと思われた、まだ3月上旬、夜になると気温がどんどん下がってくる。(もしかすると、新幹線の中で1泊ということも)

僕は覚悟を決め、売店へ向かう、しかしお茶などの飲み物はすべて売り切れていた。

「コーヒーとこれ1つください」

非常食にと「薄皮饅頭」も1箱買う。

サンシェードを下ろし暗くなった車内、静寂な時間だけが流れていった。

目を閉じる自然と 彼女の顔が目に浮かんでくる、フェイスブックでのやり取りは2ヶ月になろうとしていた。

僕は、今までドラマティックな出来事など望まず 平凡を生きてきた、彼女との出逢いを境にして、壊れかけていた僕の心は何とか持ち堪えていた。

僕はそんな彼女に本当に感謝していた、その一方で なぜ 彼女ともっと早くにめぐり合えなかったのだろうと思ったりもした。

日が陰り窓からは漆黒の闇が支配していた、冷えた空気が車内を覆っていく。

僕は東京を出発する時の暖かさからスーツにマフラーだけの軽装だった、寒くてとても眠れない。

携帯で時間を見る22時23分 (もうすぐ8時間か)

緊張感で空腹感は全くない、また目を閉じるどこからか赤ちゃんの鳴き声が聞こえてきた。

しばらくしてトイレに行く、車内を携帯電話の光を頼りに進む。

新幹線で使えるトイレは既に1箇所に限られ長蛇の列、もうこれ以上、新幹線の車内にいるのは困難に思えた。

時計が深夜0時を回った時、サンシェードの隙間から光が漏れてくる。

サンシェードを上げて見ると、ヘッドライトをしたJRの職員が線路脇にライトを立てていくのが見えた。

「助かった・・・これで」

もう限界だった、しばらくして車掌が来てバスで那須高原まで搬送する準備が出来たことを告げに来た。

順番が来てハシゴで新幹線から線路脇に降りる、15メートルくらいの間隔で照らされた非常用ライトはまるで滑走路のように、冬空の下で幻想的に光っていた。

ライトに沿って一列になって線路脇を歩く、数百メートル歩くと遠くにバスのヘッドライトが見えた。

バスを待つ間 夜空を見上げる、雪が舞っている雲の間から無数に煌く星が見える。

「ハァ~キレイだなぁ星」

吐く息が白い。

「無事に家に帰れたのかな?」

星空を眺めながらバスを待ち、彼女のことを想う、携帯メールの着信表示があった。 

「いまどこ?今日帰ってくるの?」

と一行書いてあるだけだった。

バスの中でメールを返信する、外で20分ほどバスを待っていたせいで指先が悴んで感覚がない。

ヘッドライトに照らされる舞い降る白い雪、バスが真っ暗な闇の中を進んでいく、皆 不安そうな顔で窓の外を見つめていた。

バスは避難所としてJRが用意した那須高原のホテルだった。

バスはそれから、50分ほど走ってホテルに到着する、雪が降り続き辺りは一面の銀世界に変わっていた。

ホテルから明かりがもれる、幸いここは停電していないようだった。

ホテルに入ると温かいお茶とおにぎりが配られる 本当にありがたい。

時計は午前2時30分を過ぎている、皆 疲れているが度々の余震で緊急地震速報のアラーム音が、館内に鳴り響き渡る。

余震の恐怖と極限状態の不安で誰一人眠る人はいなかった。

電源が確保出来てパソコンと携帯を充電する、パソコンでフェイスブックを開く、彼女からの書き込みはない。

非難している人たちはそれぞれの家族、友人、大切な人の無事を祈っているように俯いていた。

またあの音が・・・余震がまた身体を震わせていた。

フェイスブックに書き込みをする。

<今 那須高原のホテルに避難しています、大丈夫ですか?家には帰れましたか?心配しています>

窓の外からは雪が降り積もっていくのが見えた。

彼女への想いは降り止まぬ雪のように募っていった、追いかけても辛いだけの恋をする覚悟が、今の自分にあるのだろうか?夜が明けようとしていたその時ロビーの大型テレビから気仙沼の街の映像が流れる。

思わず自分の目を疑いたくなる様な津波の映像 、そして街を焼き尽くす炎で画面がオレンジ色、一色になった。

「これが本当に現実なのか?」

誰もが信じられない、信じたくないという表情で画面を食い入るように見つめていた。

津波の映像を観ていた、石巻から東京へ向かっていた親子がタオルで顔を覆い咽び泣いていた、

その光景を見て皆 泣いていた、僕も涙が止まらなかった。

「なんで?こんなことに・・・」

その場を離れてエントランスに降りて行く、悲しみの雪が那須高原に降り積もっていく。

テレビの画像を見て、僕も一歩間違えれば命を失っていたのではないか?と思った。

私も数十時間前 今津波に飲み込まれた街にいたのだから、 仙台支店のスタッフから全員無事のメールが入る。

(よかった皆無事で・・・本当に良かった )

どのくらいの被害者が出るのだろう?阪神淡路大震災のことが思い起された。

(僕はこうして生きている いや、生かされている 思えば今までずっと走り続けてきた結婚して、子供もふたり授かった。それからは家族のために 家族を守るためだけに必死で、どうして?どうしてこうなってしまったのだろう・・・)

そんなことをいくら考えても答えなど出てこなかった。

こうして生かされているのであれば、自分に偽りのない人生をこれからは 歩んでいこう そう思った。

那須塩原市の指示でホテルに分散されていた乗客をスポーツセンターに集めることになった。

しばらくしてバスでスポーツセンターへ移動する、深夜全く見えなかった街並みが車窓から見える。

避暑地だけあって別荘らしき建物が並んでいた。

バスの中は静まり返っていた、30分ほどバスは走りスポーツセンターへ到着する。

スポーツセンターでJR宇都宮線の復旧を待つ、東京へ戻る者はまだ幸せだった。

乗客の中には石巻 気仙沼 岩手県からの人たちも多く東北方面の交通機関は全てが不通で帰れる見込みなどなかった。

JRの社員から15時くらいに宇都宮線が復旧する見通しという説明があった。

(やっと 帰れる…)

冬の嵐が過ぎ去った那須高原を写真に収める、1時間ほどバスに揺られて宇都宮駅に到着する。

まだ完全復旧していないため上野からの折り返し電車を待つ間フェイスブック を開く、彼女からの書き込みはなかった。

ニュースでは首都圏の帰宅難民が数百万人にのぼったと伝えていた。

(彼女の自宅は鎌倉か)歩いて帰れる距離ではなかった。

(昨日は会社に泊まったのか?)彼女のウォールにまた書き込んだ。

<大丈夫ですか? 家には帰れましたか?>

(また電報みたいになってしまった、な)

<私は宇都宮駅に着きました、これから宇都宮線で大宮に移動します>

20分ほど待って、やっと上野からの折り返し電車が到着する。

電車のシートに座る、安堵のため息が出る、電車は上野へ向け走り出した。

通常の倍以上の時間を要し大宮駅に着く、埼京線に乗り換え池袋へ 土曜日だというのに店はシャッターを閉じ、街は死んだように静まり返っていた。

家に着いたのは23時を回っていた。

「ただいま…」

いつもと変わらず返事はない、そのまま2階へ上がり熱いシャワーを浴びる。

こうして長かった2日間が終わろうとしていた。

月曜日は出社出来るのか?パソコンで交通機関の情報を見る、JR、私鉄、東京メトロ、相当の交通規制があるようだった。

フェイスブックには彼女からの返信が届いていた。

<堤部長 ご無事で本当に良かったです。那須高原に避難していたんですね、私も心配していました。もうご自宅ですか?東京もすごく揺れて、オフィスの中もとても怖かったです。金曜日は品川の友達の家に泊めてもらって、土曜日には何とか鎌倉に帰れました。ご心配して頂きありがとうございます。>

「よかった、本当に…無事でよかった」

彼女の無事を確認出来て安堵する。

彼女へのお土産『石巻 白謙のかまぼこ』は避難所で皆と分け合って食べた。

「彼女へは また今度、買えばいい」

そう思っていると、石巻の壊滅的な街の様子がテレビに映し出される、時間が経つにつれ被害の大きさに愕然とする。

3月14日月曜日、ホワイトディ、朝6時駅に着くがシャッターが閉まっているまさに異常事態だった。

「やはり 無理か?」

携帯で情報を見る。

バスで東武線に乗り池袋に出るのが唯一の手段だった、乗りなれないバスに揺られいつもの倍以上の時間がかかって何とか会社へ辿り着いく。

スターバックスは開いていない、(店長は大丈夫だったのか?)デスクに着くがオフィスには人影がない。

デスクには決済待ちの書類が散乱していた、チェックを入れる。

8時過ぎアシスタントの天谷が出社してきた。

「堤部長!大丈夫でした?」

「新幹線の中だったんですよね?何時間閉じ込められていたんですか?」

矢継ぎ早に質問をしてくる。

彼女はまだ出社していない、朝のミーティングで計画停電により遠方の出社は控えるといった

指示が管理部門から出された、対象は鎌倉も入っていた。

10時過ぎ、部長以上の緊急ミーティングが入る、ミーティングは昼過ぎまで続き今後1週間の各支店のシフトが決定した、仙台支店は1週間の閉鎖と決まった。

部下が心配だった、デスクに戻り仙台支店の部下に連絡するが電話は通じない、仕方なくメールと伝言を残す。

しばらくして仙台支店から連絡が入り全員の無事を確認し1週間の支店閉鎖が伝えられる。

彼女のデスクに目を向ける「やはり今日の出社は無理か 」

14日以降の出張はすべてキャンセルになり終日ミーティングが入り就業時間も1週間15時までと決まった。

時計は14時30分を過ぎていた、その間もニュースで被災地の映像が流れる。 

日に日に大きくなる東北の被害に皆 愕然とし言葉を失う、避難所で一緒に過ごした石巻の親子のことを思い出す。

15時過ぎ会社を出る、計画停電で帰りも東武線とバスを使うしかなかった。

「家に早く帰っても…」

西武線は練馬高野台までの折り返し運転だった。

「2駅か?歩けるかな…」

練馬高野台の駅は通勤客でごった返していた、方向音痴の私は皆の後について行く。

石神井公園駅には15分ほどで着く。(案外近かったな )

そう思って大泉学園のタワーマンションを目指し歩く、直線距離は数キロなのだが 道が入り組んで、同じ道をグルグル回っているように錯覚する。

15分、20分時間は過ぎていくが思うように駅に近づかない、人通りも疎らになっていく少し心細くなってきた頃やっと知っている道に出る。

結局、電車で5分の距離を40分以上かかって大泉学園の駅前に出た。

「ダメだ、明日はやはりバスにしよう…」

最近サボっているジョギング、運動不足が祟ってまた左膝が痛くなってきた。 

練馬高野台から1時間以上かかって家に着く、風呂に入り左膝にシップを貼ってベッドに入る。

「ホント、情けないな…こんな程度で…少し身体も鍛えなおさないと 」

次の日また次の日も計画停電による交通制限が続く、相変わらず西武線は練馬高野台からの折り返し運転だった、今度は迷わず東武線成増行きのバスに乗る。

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