HARUとSORA

柴咲 遥

第1話 facebook

2011年1月8日土曜日、日本企業の仕事始めは1月10日からが多いだろう・・・僕の働いている外資系企業は、正月休みは3日間だけで1月4日が仕事始めだった。

僕は、昨年末から続くクレーム処理で休日出勤を余儀なくされていた。

実のところ、家のリビングにいるよりもこのデスクに座っている方が何倍も気が休まり居心地がいい。

クライアントへのレポートを打ち込んでる最中、パソコン画面から一瞬顔を上げた時だった。

10メートルほど先のデスクに、見知らぬ女性が座っているのに気が付いた。

「ん?…見かけない顔だな…誰だ?」

僕は小さく呟くとその女性の視線が急にこちらに向いて、一瞬目線が合う…僕は思わず目を伏せた。

(どこかで?逢ったこと?)

「まぁいいか・・・」

さほど気にすることもなく、すぐパソコン画面に視線を落としレポート作成を続ける。

1時間ほど経っただろうか、また10メートル先に目を向けると彼女の姿はすでに消えていた。

またいつもの月曜日、スターバックスでコーヒーとBLTを注文するこれもいつもの日課だった。

「テイクアウトで・・・」

「堤さん おはようございます!」

「おはよう」

スタバの店員が声を掛けてくる。(こんな生活も今年でもう7年目か・・・)

ここの店長とも5年以上の長い付き合いで、同じ東北出身ということもあってか、会社の帰り一緒に飲みに行くこともある仲になっていた。

デスクで買ってきたコーヒーを一口飲んでオフィスに視線を向けると10メートル先のデスクに土曜日の女性が座っているのが見えた。

「あっ、土曜日の」

その女性はパソコン画面を凝視しながら淡々と仕事をしている様だった、そんな時内線が鳴る。

「堤部長 ミーティング全員そろってます」

「おぉ、すぐに行く」

コーヒーを持ってミーティングルームへ急いで向かう。

「そういえば、また新しい派遣入ったの?」

「あぁ・・・はい、コンプラに欠員出て確かぁ今週からだったと思います」

「ふぅ~ん」

ミーティングが終わってデスクに戻るとなぜか?自然に彼女の方に視線が向いてしまう。

(歳は、35歳くらい?かな?)

黒いロングヘアに少しウェーブがかかっていて必死にパソコン 画面を凝視している。

(あっ、マズ)彼女が顔を上げてまた一瞬目が合う。

「なにやってんだ、俺は・・・」

次のミーティングの準備をする。

(あぁ~今週は3つも新年会が入っている・・・外資なのに・・・新年会か)

若い頃から酒は強いが・・・仕事で相手に合わせて飲むのは得意じゃない。

また月曜日…「俺にはあとどの位こんな月曜日が来るのだろう」

そんなことを考えながらいつものように、テイクアウトしたコーヒーとBLTをデスクで食べていると、突然背後から女性の声がする。

「スタバ良く行かれるんですか?」

「えっ?」

10メートル先にいるはずの彼女が突然 隣にいて…声を掛けてくる。

僕は思いのほか動揺する。

「月曜日は、いつも・・・」

彼女の問いかけにそう答えるのがやっとだった。

「今朝 お店で お見かけしたので…失礼します」

そう言い残すと彼女は自分のデスクに戻って行った。

(あぁビックリした・・・突然声かけてくるから・・・)

僕が彼女を少し意識していることを見透かされているようで、何とか動揺を隠そうと必死だった。

彼女にそれを悟られるのがなぜか?すごく怖かった、50歳を目の前にして…異性に対してまだそんな感情が、残っていたことに僕自身少し驚いていた。

僕は仕事柄1度逢った人の顔を忘れない自信があったのに、以前彼女に逢ったことのある記憶は戻ってはこなかった。

もうひとりの自分が心の奥から「彼女に関わるな」と強く警告を発している、そんな気がしていた。

(いったいどうしたんだ? なにやってんだ俺は?)

気を取り直して仕事に集中しようとパソコンを凝視するが視線が定まらない。

僕は1年に半分以上の出張で、月曜日と特別なミーティングがある日以外ほとんど社内にはいなかった。

そしてまたいつも通りまた退屈で憂鬱な月曜日がやってくる、僕が小学生だった時も月曜日が嫌だった。

今も同じ、その繰り返し、そうして人間は歳を重ねていくんだ、そう自分に言い聞かせる。

朝のミーティングからデスクに戻ると彼女が忙しそうに動き回っている光景が目に入る、そんな彼女の姿をいつの間にか目で追っている自分に気づく。

少しボォ~っとしていると、不意に彼女が近づいて来て資料を渡される。

「ぁありがとう」

またしても動揺を隠せない、一体どうしたんだ?

「それ?お子さんの? 写真ですか?」

彼女がデスクにあるフォトフレームを指差して言った。

「あぁ、まぁ」

「可愛いですね ~お幾つですか?」

自然に振舞おうと努力するが声が上ずってしまう。

「今はもう 高校1年と小学6年に」

写真は上の子が小学2年生、下の子がまだ幼稚園だったころの写真だった、あの頃は可愛かった、今はもう、最近話したのもいつだったのか?思い出せない。あの頃に戻りたい、そんな願望で昔の写真を飾っていたのかも知れない。

「私も・・・」

そう言いかけて彼女は話すのをやめた様だった。

(私も?)

「失礼します」

とまた言い残して自分のデスクに戻って行った。

(私も? 彼女にも子供が?別にいてもおかしくないが・・・)

その後彼女が何を言いたかったのか気になった。

それから彼女への好奇心が私の中に急速に広がっていった。

デスクに戻った彼女にまた視線を向ける。

「やめろ、彼女に関わるな」という心の声に逆らえば逆らうほどに、彼女を知りたいという衝動が増幅していくようだった。

そんな気持ちを振り払うようにエレベーターホールに向かう。

「何かあったら携帯に!」

「了解です」

アシスタントの天谷がチラッと私を見て応える。

社内では部長職、ここ数年は仕事も順調で結果も残してきたが、毎年業績が伸びるのに、反比例するかの様に生きている充実感は日々失われていく気がしていた。

社内で心を許せる人間もほとんどいない、家庭では数年前から孤立して家庭内別居状態が続いていた。

家族はもう僕など必要としていないのではないか?と考える日も多くなっていった。

もちろん そんなプライベートを知る人間は社内には誰ひとりいなかった。

会社の帰り本屋へ立ち寄る、ビジネスコーナーにあった フェイスブック の本を手に取った、

(フェイスブックって?)友達や同僚、同級生、近所の人たちと交流を深めることのできるソーシャル ユーティか、なんとなくこの本を手に取ってレジに並ぶ。

家に帰ってパソコンを開くフェイスブックのアカウント登録をしてプロフィールを書き込んでいく。

「写真か・・・」

さすがに自分の顔はマズイと思い、パソコンに保存してあった数年前ハワイ出張の時に撮った 真っ青な、空の写真を使う。

46歳  誕生日は、1967年4月、好きな本 好きな映画 好きな音楽、趣味関心、次々と入力していく。

「自己紹介か」

気の利いたコメントなど浮かぶはずもなく「外資系の会社に勤務しています、1年の大半は出張しています」とだけ真っ正直に書き込んだ。

フェイスブックを始めて1週間、何も変ったことは起こらなかった。

(誰にもを始めたことなど言ってないし、もともと友達も少ない、当たり前か・・・)

ニュースフィードに近況を書き込んでみる。

<フェイスブック・・・はじめました>

(これじゃ、なんだか夏に冷やし中華 始めました、みたいだな・・・)

そんなことを考えてひとり苦笑する。

(使い方が まだ よくわからんな)

単調な毎日、機械のような生活 また変わらないそれでもまた、月曜日はやってくる。

でも今までの月曜日と今日は少し違っていた。

僕はデスクでコーヒーを飲みながら先日買ったフェイスブックの本を読んでいた。

「おはようございます」

彼女がオフィスに入ってくる。

(んっ?今朝はいやに早いな) 時計は7時50分を指していた。

彼女はデスクに着くとすぐに 黙々と仕事を始めていた。

その光景を横目に私はコーヒーを持ってミーティングルームへ向かう。

1時間ほどしてデスクへ戻るとまた次のミーティングが待っている。

「はぁ~」

(ミーティングの次は、来客か)

18時過ぎやっとデスクに戻る、10メートル先の彼女はまだデスクでパソコンで何かデータを打ち込んでいる様子だった。

「今日は、残業か?」

オフィスには私と彼女を含め3名ほどしか残っていなかった。

彼女が僕のデスクに近づいてくるのが見えた。

「堤部長、お疲れさまです」

「ぉお疲れさま 」

「あっ、それ部長も?フェイスブックを?」

デスクの上の本を見つけて彼女が訊いてきた。

「えっ?あぁ2週間くらい前から」

「へぇ~ そう なんですか~では お先に失礼します」

そう言って彼女は笑顔でオフィスを後にした。

(なんだ?もしかして?彼女も?)

なんとなく、そう勝手に確信してパソコンでフェイスブックを開いてみる・・・

「友達検索か? 彼女の苗字は 確か「しばさき」だったよな」

(漢字がわからない!)名前は?私は 彼女のことなど何も知らなかった。

「しばさき、しば、しばさき・・・」 

(「しばさき」で検索を続ける、そんな簡単に見つかる訳ないか)

彼女がアカウント登録しているかもわからないし、30分ほどして検索して見つからず、諦めかけたその時、1枚のプロフィール写真に目がとまる。

(彼女?)

間違いない 彼女だった プロフィール写真に笑っている彼女がいた。  (柴咲 ・・・亜美、あみ )基本データを開く、1971年10月16日生まれ 血液型AB型、プロフィールを開いて見る、居住地は、鎌倉か 好きなスポーツはサッカー、 メッシ、バルセロナ好きな音楽はボサノバ・・・ 好きな本は東野 圭吾か。

彼女のことが少しずつわかってくるのが嬉しくもあり、こんな形でしか知る事が出来ないことに、少し後ろめたかった。

気づくとデスクの時計は22時を回っていた、いつの間にか、オフィスには僕ひとりしか残っていなかった。

(何 やってん だ、俺、どうかしている)

パソコンをシャットダウンする音が、自制心が現実に引き戻そうとする。

彼女のことをこれ以上知って何になるんだ?帰宅途中 自問と後悔を繰り返す。

自問をいくら繰り返そうとも、答えなど出るはずもない。

(忘れよう 忘れないと)そう思えば思うほどに彼女に惹かれていくのが自分でもわかった。

それから数日間、僕はフェイスブックを封印していた。

そんな中、出張中の札幌のホテルのデスクでパソコンを開く、窓の外は昨日からの冬の嵐、明朝は旭川への移動が待っていた。

ベッドに横たわりながら ふっと彼女のことを考えてしまう、一瞬にして自制心は吹き飛びフェイスブックの封印は解けて行った。

そしてまた、彼女のウォールを覗いてしまう。

写真のアルバムを開くと目元が彼女にそっくりな女の子と腕を組んでいる写真が貼り付けてあった。(娘さん?)

彼女もフェイスブックを始めたばかりらしく友達は娘さんと思われる『柴咲 遥』という名前だけだった。

僕は真夜中のホテルの部屋で、思い悩んだあげく、意を決して柴咲亜美に友達リクエストを送ることにする。

そして『+1友達になる』をクリックする、それは数十年前高校で、クラスメイトの好きな女の子に告白した時の緊張感と似ていた。

(いい年して、真夜中になにやってんだ・・・)

簡単に友達になるIT世代の若者と違い僕はこのクリックの意味する言いようのない重圧を感じていた。

(あぁ、クリックしてしまった、もう戻れない・・・) 

また少し後悔する自分が本当に情けない。

(たかが、フェイスブックじゃないか)

窓の外から風を切る音が聞こえてくる、画面を見ながら、少しの罪悪感と期待感が入り混じった、複雑な想いでしばらく寝付けなかった。

金曜日 北海道の出張も無事に終わり新千歳空港のラウンジで帰りの便を待っている間パソコン でメールをチェックする。

「あっ」思わず声が出た。

「す、すみません」

怪訝そうに私をにらみつけた年配の男性に謝って、パソコンを持ったまま席を離れる。

ラウンジの一番奥の席に移動して、柴咲亜美からのメッセージを開く。

<本当に? 本当に堤部長なんですか? 驚きました(ノ*゜▽゜)ノ♪ でも嬉しいです☆今もご出張中ですか?お身体気をつけてくださいね (o^∇^o)ノ >

「きた、返事・・・彼女?」

もう一度読み返す。

(お身体気をつけてか・・・ )

久しく言われたことがなかったフレーズが気恥ずかしかった。

「嬉しい・・・か」

ラウンジでビールを一気に飲み干す。

(フェイスブックってホント凄いな・・・)

(よかった、とにかく、よかった、何が?よかった?)

友達リクエストを受けてくれたことと、彼女からのメッセージに、安堵感のような、いや違う、ドキドキした、忘れかけていた感情が込み上げてくる。

こうして僕と柴咲亜美とのフェイスブックが始まった。

いつもとはすこし違う、月曜日がやってきたフェイスブックでその後 彼女からの書き込みもない、無論、僕からも。

彼女は仕事にも慣れてきた様子で忙しそうにオフィスの中を動き回っている。

無関心を装いつつも 何も出来ない、僕はその姿をいつも見守っていた。

(あっ)

彼女と一瞬目が合う、10メートルの空間に先週まではなかった 誰も知らない、ふたりを結ぶ何かが存在している、そんな気がして嬉しかった。

明日から3泊4日の沖縄出張が待っていた。

いくつかのミーティングを終えて沖縄でのプレゼン資料をチェックする。

時計は22時を回っていた、「はぁ~」思わず溜息が漏れる、23時過ぎ帰宅する。

「ただいま」誰に聴こえるはずもない小さい声で玄関に入る。

大きな声で言ったところで、返事などあるはずもない、妻はリビングでTVを観ている。

そのまま2階に上がりシャワーを浴びる そしてそのままベッドに入る、こんな生活が3年以上続いていた。

既に僕と家族との間には埋めることの出来ない深い溝が生まれていた、離婚も何度も考えたが・・・子供たちのこと、養育費とか現実には難しく、自分さえ我慢すればと思うようになっていた。

部屋に行きフェイスブックを開く、何の書き込みもなく少しがっかりする自分がいる。

(明日は8時30分の便だ、早く寝なきゃな)

翌朝 5時に目が覚める、足音を立てずにリビングに下りて行き冷蔵庫にあった野菜ジュースを1杯飲んで、昨日準備しておいたバックを持って家を出る。

まだ薄暗い道を自転車で駅に向かう 羽田空港へは約1時間半、北風が頬を刺す。

(沖縄は暖かいだろうな)2年ぶりの沖縄出張だった。

羽田に到着してラウンジでベーグルサンドとトマトジュースとコーヒーの朝食を取る。

搭乗案内のアナウンスが流れ、いつもの前方通路側の席に座る、機内ではいつもヘッドフォンをして眠っている。

「お客様、堤さま」

着陸態勢に入りCAに起こされる、出張の時はいつもこんな感じだ。

沖縄の澄みきった空と、真っ青な海が機内の窓から見える。

那覇空港に無事到着する 空港には現地駐在の喜屋武さんが迎えに来ていた。

「ハイサイ!ひさしぶりだね~堤さん 相変わらず忙しそうねぇ」

「ご無沙汰していました」

何度来ても沖縄はいい、東京とは全く違う空気とゆっくりとした心地いい時間が流れている。

少し早いが昼食を取ることにする、喜屋武さん行きつけの琉球そばの店に連れて行ってもらう。

「やっぱ旨いな~」

思わず口に出る。

沖縄での仕事も順調に毎晩7時前から深夜2時過ぎまでの連日の宴会は少ししんどかったが、沖縄を満喫した2泊3日の出張もあっという間に最終日となった。

毎晩踊らされたせいで、カチャーシーもだいぶ上手くなった、20時発の便を予約していたが 空港に着いたのは3時間前だった。

チェックインを済ませてから、喜屋武さんにお願いして国際通りへ連れて行ってもらう。

「堤さん、また絶対にきてよ~今度は奥さんと、待ってるからねぇ」

「はい、是非、喜屋武さんもお元気で」

そう言って固い 握手を交わして別れる。

国際通りをひとりぶらつく、路地の店を覘いているとオレンジ色の袋のようなものが目に入る。

「お土産にいかがですか?これは ひとつ ひとつ、手作りだからねぇ」

お店の80歳くらいの女性が声を掛けてくる。

「これなんですか?」

「これは、御守りよ、琉球王朝から続くマース袋っていって中に清めの塩が入ってるさ」

「御守りか・・・じゃあこれ、お土産に1つ」

「はい、ありがとねぇ~あなたに、幸運がきますように」

そう言ってそのおばあさんはオレンジ色のマース袋を箱に入れて包んでくれた。

小さな箱に入ったマース袋をバックに入れて、ゆいレールで那覇空港に戻る。

「お土産・・・お菓子とかの方が、良かったのかな?」

僕は無意識にそのマース袋を彼女へのお土産と決めている、自分に少し驚いていた。

(何やってん だ、どうかしている これを彼女に?本当にどうかしてる)

羽田行きANA139便の出発の時間が近づく。

機内でビールを飲み いつものようにヘッドフォンをして眠りにつく。

家に着いたのは深夜1時近く、 真っ暗なリビングを抜けて2階に上がりシャワーを浴びる。

昔は出張でよく家にお土産を買ってきた、家族が珍しいお土産を見て喜ぶ顔を見るのが好きだった。

僕の親父も出張しては、美味しいお土産を買ってきたものだった。

僕は出張でお土産を家に買うことはなくなっていた。

「いつからだろう?お土産買わなくなったの・・・」

バックからマース袋の入った箱を取り出す。

「どうしようか?これ・・・」

彼女に渡そうか、今になって迷い、こんなものを買って来たことを後悔する、つくづく僕は情けない人間だ。

月曜日の朝、一先ず デスクの引き出しにマース袋の箱を入れておく。

今日も午前中からミーティングと来客でスケジュールが埋まっていた。

お昼 やっとデスクに戻る、彼女の姿は見えなかった。

午後のスケジュールもいっぱいで ランチは手っ取り早く近くのインドカレー屋で済ませる。

午後のミーティングが終わってデスクに戻ったのは17時を過ぎていた、肩がパンパンに張っている 10メートル先の彼女は未だ忙しそうにしている。

そんな姿をぼんやりと眺める (あっ沖縄の)急いで引き出しを開ける。

マース袋の入った箱を取り出して(どうしようか?)彼女に渡そうか悩んでいると彼女が大きな溜息をついて背伸びをするのが見えた。

そして彼女は、タンブラーを持って席を立つと廊下の方へ歩いて行った。

僕は、リフレッシュルームに向かう彼女の後を追う、幸いリフレッシュルームには彼女ひとりだった。

(今しかない)彼女は紅茶を入れていた、僕の気配を感じたのか彼女がこちらを振り向いた。

「あっ 堤部長 おかえりなさい」

「あっ、た、ただいま、これお土産、沖縄の・・・」

少し ぶっきらぼうな言い方で彼女に箱を手渡す。

「えっ?私に?ですか? ありがとうございます」

彼女は一瞬驚いた顔をしたが 笑顔でその箱を受け取ってくれた。

「なんだろうな~ うれしい」

そう言って彼女はデスクに戻っていった。

翌朝 フェイスブックで彼女からのメッセージが届いていた。

<堤部長 お土産ありがとうございます( v^-゜)Thanks♪ 沖縄のきれいな海 私も見に行きたいな~ >

ウォールの写真にはドレッサーの上に置いてあるオレンジ色のマース袋が写っていた。

「うれしい・・・か、よかった」

それが本心かどうかはわからない、本当は迷惑なのかも知れない、でも今はこうやって彼女とフェイスブックを通じ言葉を通わせることが僕にとって本当に嬉しかった。

早速、返信する。

<マース袋、気に入ってもらえてうれしいです! 今度またお土産買ってきます。沖縄で撮った海の写真も送ります!>

夕方には彼女から「いいね」とコメントが入っていた。

<やっぱり 沖縄の海きれいですね♪>

彼女は相変わらず忙しそうにしていた、そんな彼女をデスクから眺める、私の心の色が少しずつ 変わっていく。

今夜は、珍しく19時過ぎに帰宅する。

「ただいま」テンションの低い声で玄関のドアを開けるが何の反応もない、これもいつものことだった。

スーツのまま2階に上がる、リビングからは妻と子供たちの笑い声が聴こえてくる。

そのままシャワーを浴びる、書斎などないが 誰も使っていない7畳ほどの洋室が唯一この家で僕がくつろげる空間になっていた。

新築して15年、まだ二千万以上の住宅ローンも残っている。

「この先どうすれば、今、この家売ったら幾らくらいになるのだろう?」

部屋にいるとそんなことが頭を過ぎる。

出張の多い僕には夕食の準備などなかった、キッチンへ降りて冷蔵庫からヨーグルトを取り出して食べる。

(いつも外食が多いから、今夜はこれでいいか)

時折考える、この家に住む意味があるのか?って もはや僕たちは家族の形体を成してはいなかった。

ここには僕が 守るべきものはすでに 存在していなかった。

部室にこもり来週からの名古屋出張で使うプレゼン資料を準備する。

(名古屋かぁ、味噌煮込みうどん、きしめん)彼女へのお土産を何にするか考える。

こうして彼女のことを想っている瞬間に僕は自然と癒されていた。

そんな時、書き込みが届いた。

<まだまだ寒いですね~ 今夜は石狩鍋にしました ヾ(@⌒¬⌒@)ノ やっぱり寒い時は鍋ですね~身体温まりました♪ 堤部長は何食べましたか?>

湯気の立った土鍋の横で微笑んでいる彼女の写真。

「石狩鍋か、ホント旨そうだな、彼女の顔・・・ホント」

なんだか急に切なくなって返信する。

<石狩鍋 旨そうですね まだ寒いですね 来週から名古屋に出張です>

彼女に気持ちをさらけ出す勇気など今の僕にはなかった、パソコンを閉じてベッドに入る。

翌週 木曜日、8時発のNOZOMIで名古屋に向かう。

名古屋では、2ヶ月以上の難航しているクライアントとのタフな交渉が待っていた、新幹線の中で資料に目を通していたその時。

「あっ、富士山 」

雪化粧をした真っ白な富士山が一瞬車窓から見える、何かいいことがある予感がした。

名古屋に着きタフな交渉がスタートする、ランチをはさんで交渉、まったく合意出来る糸口さえ見えない。

「いいことなんて 全然ないじゃないか・・・」

1日目の交渉を終えホテルにチェックインする。

「ふぅ~あぁ~疲れた」

エレベーターで独り言が出る、相当疲れている証拠だ。

部屋に入りバスタブにお湯を張る、その間 フェイスブックを開いてみると彼女からのメッセージが届いていた。

<こんばんは ▽・w・▽ 堤部長 今夜は名古屋ですか?こんなこと言ったら怒られちゃいますけど、いろんなところ行ける部長が少し羨ましいです お仕事あまり無理しないでがんばってください d(@^∇゜)/ファイトッ♪>

「ファイトか、何年ぶりだろう?こんなに励まされたのは、明日もがんばろう」彼女からの励ましは心からうれしかった。

「羨ましいか、俺のどこが?」

バスタブに浸かりながら、彼女のことを想うそしてホテルのデスクで彼女に返信する。

<こんばんは 昨日 新幹線で真っ白な富士山が見えました たぶん今週末まで名古屋です、タフな交渉が続きます でも大丈夫 問題ありません>

「本当は大丈夫なんかじゃないのにな・・・」

彼女の前で気丈に振舞う自分が少し滑稽だった。

彼女が心配するようなことがないように強がって見せているだけ、弱音など彼女に決して見せてはならないそう思っていた。

金曜日、タイムリミットは刻一刻と近づいていた 交渉は一進一退を繰り返している。

午前中には合意に至らず軽めの昼食を取ってで再び大詰めの交渉が始まった、また胃がキリキリ痛みだす。

ここ数年でもベスト5に入るタフな交渉だったが 15時過ぎやっと合意の道筋が見えて、とうとう交渉相手と握手を交わす。

相手と別れた後、通りに出てすぐにタクシーを捕まえる。

「松坂屋まで、急いでもらえますか」(間に合うかな?)

松坂屋 地下1階の『山本屋総本家』へ急ぐ、店は地元客と観光客とで混雑していた。

店員に4人前の味噌煮込みうどんを注文する、新幹線ホームへ小走りで向かい何とか飛び乗ってシートに座り 深く呼吸を整える。

「ふぅ~何とか間に合った」

(味噌煮込みうどん 口に合うかな? 4人前にしたけど、足りる?彼女は何人暮らしなんだ?こんなお土産 本当は 迷惑なんじゃ)

またしても不安が頭をもたげる。

このままだと会社に着くのは、18時30分過ぎになる。

(まずい、彼女の勤務時間は17時30分まで、間に合わないかも)

新幹線の中でも僕の心配は尽きなかった。

品川駅に着いてから小走りに会社へ戻る、18時46分 オフィスには数人しか残っていないかった。

「いない、やっぱり、間に合わなかったか」

そう呟くと、今までの疲れがどっと出てくる。

「ふぅ~はぁぁはぁ」

味噌煮込みうどんの予想外の重量と、走ってきたせいで息が上がる、買ってきた味噌煮込みうどんを持ったままデスクで呆然としていると天谷が声を掛けてくる。

「部長、お疲れ様です、交渉合意できてよかったですね」

「あぁ」

(重い、これ、どうしよう) 

「さすが堤部長です、どうしました?」

「いっいや何でもない」

「じゃあ~お疲れ様でしたぁ」

そんな時、廊下から彼女の声が聴こえてくる。

すぐに廊下に出ると エレベーターホールに向かう彼女の姿が見えた うどんを持ってすぐに彼女に駆け寄る。

「あっ堤部長、お疲れ様でしたぁ 名古屋から?お戻りになられたんですね 」

「ぁあぁ、これ名古屋の ハァ、お土産 」

そう言って彼女に差し出す。

「名古屋の?ずいぶん重いですね、なんだろう?ありがとうございます じゃあ、お先に失礼します」

そう言い残して笑顔でエレベーターに乗って去って行った。

「ハァハァ」

また息が上がる。

「とにかく間に合ってよかった、しかし、ひどいな、極度の運動不足だな」

その週末から僕はウォーキングとジョギングを始める決意をする。

「イタ、土曜日少しジョギングしただけで、このあり様だ」

日曜日の夜、筋肉痛の脹脛に湿布を貼りながら、月曜日が待ち遠しく思う、

月曜日を待ち遠しいなんて今まで思ったことないのに・・・

フェイスブックを開くと彼女からのメッセージがあった。

<堤部長 名古屋ご出張 お疲れ様でした(p_;)\(^^ ) 味噌煮込みうどん今晩作ってみました (⌒¬⌒*) 母とふたりで「 ふぅ~ふぅ~」しながら頂きました とっても美味しくて身体も心も温まり元気が出ました☆^^☆ ご馳走様でしたでは また明日(θωθ)おやすみなさい☆>

「味噌煮込みうどん、食べてくれたんだでも、この絵文字どうやって打てばいいんだ?」

味噌煮込みうどんの入った土鍋と湯気の立っている熱々のうどんを本当に旨そうに食べている、彼女の写真を見てそんなことを考えて、一層彼女への想いが募っていくのを感じる。

<味噌煮込みうどん 旨そうですね 今夜は冷えるから身体暖まってよかったです 次は東北 秋田県へ出張です>

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