16.英雄

 その後の話を少しだけしよう。


 盛り場に再び火を放ったのは黒龍の配下――俺ことエイジと数人のオーク族だったという事実は、瞬く間に盛り場全体に広がった。

 「証文」の呪いを知る連中は、「何故、わざわざ契約に反することを?」と訝しがったのだが……一番戸惑っていたのは他ならぬ黒龍だったという。

 そりゃそうだな。黒龍には


 黒龍はすぐに盛り場のリーダー達に「自分は火をつけろだなんて指示していない」と釈明に向かったらしいが、既に盛り場の連中の全てが「黒龍が先に仕掛けてきた」という認識を持つに至っていて、誰一人として奴の言い分を信じる者はいなかった。

 むしろ、盛り場の血気盛んな連中は、黒龍がしらを切っていると感じたらしく、怒りを爆発させつつあった。一部の過激派は全面抗争の準備まで進めていたらしいな。


 だが、実際に盛り場と黒龍の全面抗争は起こらなかった。その前に、黒龍の身に次々と不幸な出来事が起き始めたんだ――呪いが発動した訳だな。


 まず、以前のケースと同じように、黒龍の配下達が次々と謎の熱病で倒れだした。オーク族もリザードマン種も人間種も関係なく、バタバタと倒れていったらしい。

 次に、黒龍とエルフ族が取引していた違法なあれこれが、匿名のタレコミによって騎士団の知ることとなり、黒龍の組織の幹部と数人が逮捕されることになった。黒龍と取引してたエルフ族も、街から追放されちまったらしい。

 更には館から火が出て半焼したり、金を貸していた連中が黒龍の弱り目を狙って夜逃げしたりと、踏んだり蹴ったりの状態が続いたそうだ。

 黒龍自身も原因不明の体調不良のせいで、龍の姿に戻れなくなってしまったらしい。


 他にも細かい不幸が積み重なって、黒龍の組織は一ヶ月も経たない内にボロボロのズタズタになっちまった。

 あれだけ羽振りが良かったのに、身代が潰れる一歩手前まで追い込まれたらしい。


 流石の黒龍もこれには参ったのか、プライドを捨てて盛り場側に泣きついてきた。『呪いを止める為に「証文」の契約内容を変えさせてくれ』ってな。

 「ヒバリの丘亭」の大将達、盛り場の七人のリーダーは、それを快諾――するはずもなく、ある条件を黒龍に突きつけた。


 一つ、黒龍は盛り場一体の土地権利を、盛り場のリーダー七人に譲り渡すこと。

 一つ、盛り場側は土地の代金として黒龍に相応の対価を支払うこと。

 一つ、黒龍は今後、盛り場に対して不可侵を貫くこと。

 一つ、上記条件を持って長年の契約を終了し、「証文」を破棄すること。


 これら条件を聞いた時の黒龍の顔は、そりゃあ見ものだったそうだ。なんとも形容しがたい、この世の悲哀の全てを詰め込んだようなツラだったんだとか。俺も見たかったね。

 追い詰められていた黒龍はこの提案を断れる訳もなく、渋々と言った体で条件をのんだらしい。

 そうして「証文」は破棄され、それに伴い呪いが解けたのか、黒龍の身にそれ以上の不幸が襲いかかることは無くなった。黒龍はそのまま事業の殆どを畳んでしまうと、盛り場とも街とも距離をおいて、館に引きこもってしまったんだと。

 よっぽど堪えたんだろうよ。


 こうして盛り場は邪悪な黒龍と縁を切ることに成功し、ますます悪たれ共の楽園として栄えましたとさ、めでたしめでたし。

 ――え? 何か忘れてないかって? ああ、そうだな。俺のことも少しは語らにゃなるまい。


 何のことはない、俺は盛り場に放火したその夜に街からトンズラして、しばらくの間、以前赴いた山奥の村へと身を隠していたんだ。覚えてるかな? 例の巨大蜂騒動があったあの村だ。

 村長は理由も聞かずに家に匿ってくれたよ。


 山奥へ逃げ込んだ理由は色々あるが、一番は身の安全の確保だな。

 何せ、あの黒龍を陥れたんだ。すぐに報復される可能性もあった訳で。


 ――俺と大将が立てた作戦、その最終段階が、あの放火だった。

 黒龍の配下になり一定の信頼を得る。更には盛り場の連中や黒龍の配下まで、関係者の殆どに「エイジは黒龍の配下である」という認識を植え付ける。そこに至った段階で、俺の手で盛り場に「攻撃」を仕掛け、「黒龍側が先に盛り場に手を出した」という図式を作り上げて「証文」の呪いの発動を促す、という面倒くさくてリスクが高いという、バクチみたいな作戦だったのさ。

 俺だけが火を付けたんじゃ、俺と大将の狂言と判断されるかも知れないってんで、オークの野郎達も巻き込んじまったが……ま、あいつらどうせ外道だから構わねぇわな。

 火をつける場所もあらかじめ決めておいた。「ヒバリの丘亭」の付近に集めておいた、近々廃棄予定の屋台やらなんやらに火を放ったのさ。だから実質被害はゼロだ。

 ま、事情を知らない人間からすれば立派な放火案件なんだが。


 呪いは本当に発動するのか、発動しても黒龍の側にきちんと降りかかるのか。その辺りを心配していたんだが、どうやら上手くいったらしい。


 当然、俺自身も呪いに巻き込まれる可能性があったんだが……色々と手を尽くした結果、どうにかこうにか免れることが出来たらしい。

 まず、放火した日の次の朝に届くように、黒龍宛に「退職届」を送っておいたんだ。大将に代筆してもらってな。しかもただの退職届じゃない。黒龍を馬鹿にする、ありとあらゆる悪口が書かれたもんだ。

 黒龍は自分を馬鹿にする人間を決して許さない。部下がそんなことをすれば、良くて追放悪くてその場で処刑だ。俺の「退職届」にどんな反応をしたのか、残念ながら俺自身は見てないから分からないのだが、まあ、そこは大将がノリノリで書いたもんだからさぞや怒り心頭だったんじゃねぇかな?


 山奥の村に身を隠したのも、半分は呪いを避ける為だった。大将の話によれば、前回の呪い発動時に街の外に居た関係者は比較的被害が少なかったらしい。だから、街から出来るだけ離れた場所に逃げ込んだ。

 ま、毎日のように爺さん達の酒盛りに付き合わされたんで、被害ゼロとは行かなかったかもだけどな……。


 とにかく、黒龍に三行半と突きつけることと、街から距離を置くこと。この二点で俺は無事に呪いに巻き込まれずに済んだって訳だ。


 そんなこんなで山奥の村に隠れ潜んで一ヶ月と少し経った頃、大将が村までやって来た。ようやく事態が落ち着いたので、俺を迎えに来てくれたんだな。

 そうして大将と一緒にトカゲ車に乗って街へと戻る道すがら、事の顛末を話してもらったって訳だ。

 大将があまりにも嬉しそうに話すもんだから、俺も思わず嬉しくなっちまったよ。体を張った甲斐があったってもんだ。


 ――だが、物語は完全無欠のハッピーエンドでは終わらない。


「エイジ、黒龍の野郎は引きこもっちまったが……オメエへの復讐だけは済ませるつもりらしいぞ。街中でまだ、オーク族がオメエのことを探しているのを見かける」


 トカゲ車に揺られてようやく街まで半分ほど、辺りの景色が山林のそれから街道沿いのそれに変わった頃、大将がポツリとそんなことを呟いた。


「だろうな」


 俺は短くそれだけを答える。

 覚悟していたことだ。今回のこの作戦で俺は、黒龍をはじめとした色んな奴から恨みを買ったことだろう。


「……盛り場の連中にも、何も言わなくていいのか?」

「ああ、いい。俺一人が泥をかぶればいいことだからな」


 盛り場の連中には、俺が演技で黒龍の配下になっていたという事実を明かしていない。

 「証文」が無くなった今、嘘をつき続ける理由はないんだが……俺が盛り場の為に体を張っていたと知れば、俺に敵意を向けていた盛り場の連中が気に病むことになるかもしれない。

 フェイやリンからは、「なんで話してくれなかったんだ」って責められるだろうしな。

 恨まれ役は恨まれ役のまま、恨みを連れてこっそり姿を消すのが一番なんだ。


「エイジ……オメエって奴は本当に損な性格をしてやがるぜ! 自分を犠牲にして他人を守る――そういう奴の事を何て呼ぶか知ってるか? 『英雄』って言うんだ! オメエはまさしくその『英雄』って奴かもしれねぇな。黒龍から俺達のお宝を――盛り場を守ってくれた、英雄エイジだ!」

「よしてくれよ大将。俺はそんな大人物じゃねぇぜ……」


 『英雄』ね。ま、悪い気はしないけどよ。

 「英雄エイジは、邪悪なドラゴンを手練手管で出し抜いてお宝を手に入れました。めでたしめでたし」……この異世界での物語を締めくくるには、ぴったしのエピソードかもしれねぇな。


   ***


 街へ着く頃には、辺りは既に夕焼けで染まっていた。

 もう少しで日が暮れる――俗にいう「黄昏時たそがれどき」がやって来る。人目を忍ぶには良い時間帯だ。

 俺はトカゲ車の荷台に身を潜めながら、大将に例の階段の辺りまで送ってもらうことにした。


「……本当にこんな所でいいのか? 何もねぇように見えるが」

「大丈夫だよ、大将。が来るまで、そこの建物に身を隠す手はずになってるんだ」


 俺が指さしたのは、俺の世界へと繋がる階段のある建物だ。ここに来て、大将に異世界云々の話をするのも大変だからな。あの建物の中に隠れるってことにしておいた。


「あばよ、エイジ。達者でな」

「大将も体に気をつけて長生きしてくれよ」

「フン! オメエより長生きしてみせるさ!」


 別れの挨拶は、たったそれだけ。多くの言葉はいらない。

 短い付き合いだが、俺と大将の間には今、確かな信頼関係があった。だから、これで十分なんだ。

 荷台からひょいっと飛び降り、無言のまま階段に向かって歩き出す。背後でトカゲ車の動き出す気配があったが振り返りはしない。

 あばよ大将。本当に……長生きしてくれよ。


 そのまま階段の方へ向かうと、そこにはいつの間にやらシリィの奴が待っていた。相変わらず神出鬼没な奴だぜ。


「もういいのかい? エイジ」


 尋ねるシリィに無言で頷く。


「そう。もう、いいんだね――さあエイジ! 君の世界への扉は開かれているよ! このまま階段を上れば、元の世界へ一直線! もうこちらの世界に引っ張られることはないはずだよ!」

「……そう願いたいね」


 一歩一歩、確かめるように階段を上る。

 最初の一ヶ月と、次の一ヶ月の思い出が頭の中をグルグルと回る。

 ――そして気付けば、俺は見慣れたボロアパートの階段を上っていた。先程まで異世界に居たのが夢だったかのような、そんな気分だけがこの胸に残っていた。


 ――これで、俺の異世界での冒険の話は終わりだ。

 シリィの言った通り、これ以降、俺があちらの世界に転移することはなかった。

 ヨアンナのこととか、心残りもあったんだがな……もう、俺があちらの世界でやるべきことは無くなったらしい。


 もし、何かの間違いでこの日記帳を俺以外の誰かが読んだなら、きっとこう思うことだろう「こんなのは全部、ただの妄想だ」って。

 だが、俺の名誉の為にきちんと明言しておく。この日記帳に書かれたことは、全て俺が体験した事実だってな。

 もちろん、俺が見聞きしたものを書いたので、ある程度のバイアスがかかっていることまでは否定できない。

 だが、事実だ。事実なんだ――。

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