7.薄れていく記憶の中で(1)

 「ヒバリの丘亭」で寝泊まりしていることもあって、早朝に店を開けるのは俺の仕事だった。

 酒場に不釣合いなくらいに頑丈で大きな扉を開け放ち、一箇所にまとめておいたテーブルや椅子を手際よく並べていく。そうこうしている内に、まず大将が、そしてしばらく経ってからフェイの野郎とリンが仲良く出勤してくるというのが、いつもの光景だった。

 必然、朝の内は大将と二人っきりになる時間が多くなる。黒龍や証文の件を尋ねるなら、そのタイミングが最適だろう。そう考えていたのだが――。


「駄目だ、オメェは首を突っ込むな」


 朝、出勤してきた大将に世間話でもするかのように黒龍と証文の件を尋ねてみたのだが……見事に取り付く島もなかった。昨日も「おめえには関係ねぇ」と突っぱねられたが、どうやら大将は俺をこの件に深入りさせたくないらしい。


「首を突っ込むなって言ってもよ、大将。俺も一応は当事者なわけだし、もう少しくらい事情を知っておきたいんですがね?」

「……ふんっ! 当事者だぁ? 当事者ってのはなぁ、事態の要になってる人間のことを言うんだ。いてもいなくても関係ねぇ奴を当事者とは言わねぇな。……エイジ、今ならお前は『ただ巻き込まれただけの人間』でいられる。これ以上深入りはするな、いいな?」

「なっ……」


 大将は「話は終わりだ」と言わんばかりに背を向けると、厨房の方へスタスタと入っていってしまった。

 ……オイオイ、ここまできて「部外者」扱いか? たかだか一ヶ月の仲だが、大将とはそこそこの信頼関係を築けてたと思ったんだがな。流石にカチンときたぞ。

 思えば、昨晩の深酒が響いてたんだろうな。この時の俺はかなり短気になっていた。なので、大将に「今更になって部外者扱いはないだろう!」と食って掛かってやろうと思ったんだが――。


「……エイジ、テメェには帰る場所が――帰りたい場所があるんだろう? 仮の宿を守ろうと躍起になって、危ない目に遭うことはねぇんだ」


 厨房の中から、大将のそんな言葉が飛んできた。今までに聞いたことが無い位に優しい声で。

 ――なんだ、大将には全てお見通しだったって訳か。俺のこの街での生活が――「ヒバリの丘亭」での日々が、ただの「腰掛け」だってことに。

 もちろん異世界云々のことまでは知らないんだろうが、それでも俺がそう遠くない日に「いなくなる」人間だって、とっくの昔に察してたんだな。


「黒龍の野郎も、今はまだテメェのことを『ちょっと面白い奴』くらいにしか気にかけてねぇはずだ。テメェを狙って云々、なんてことは無いだろうよ。精々、下っ端連中が因縁つけてくるくらいだろう。

 ――だが、これ以上本格的に首を突っ込むってんなら……あいつは容赦なく牙をいてくる。そうなってからじゃあ、手遅れだ。だからな、エイジ。これ以上は関わるんじゃない」


 ……なるほどな。大将は大将なりに、俺のことを心配してくれてたわけだ。見た目も言動もおっかないが、基本的には人情に篤い人なんだよな。等と、大将の優しさに少しだけホロリと来てしまったが、俺の中には相変わらず「それでも盛り場の為に何かせずにはいられない」という気持ちが渦巻いていた。

 自分でも一体全体、何でそんなことを思っているのか謎で仕方ないんだがな。俺の中の何かが「ここでは退けない」と言っている。


「大将!」


 だから、大将を追って厨房へと向かった。

 大将は振り返る事も言葉を発することもなく、黙々と仕込み作業を始めている。その背中からは「話は終わりだ」という強い圧を感じた。

 それでもあきらめず、俺は呼びかけを続ける。


「大将! 俺にも何かやらせてくれよ! 確かにアンタの言う通り、俺にとってこの街もこの店も『仮の宿』だ。でも、俺はここが気に入ってるんだよ! この店が、このクソッタレな盛り場が!」

「……それが命懸けの仕事になっても、か?」

「そうだ。今までだって散々危ない橋を渡ってきたんだ。そんなもん、今更だ!」

「仮の宿の為に命を張れるってか? エイジ、オメェにそこまで思わせるものは一体なんだ? 人情か? 義侠心か?」

「それは……」


 言われて言葉に詰まる。

 そうだ、俺だってなんでこんなに盛り場や「ヒバリの丘亭」を守りたいと思うのか、命を懸けてもいいと思う程の強い感情が自分の中にあるのか、よく分かってないんだ。

 大将を説き伏せるには、きっとそれを明確な言葉にしなきゃいけない。


 だが、そのことについて考えると、途端に頭の中にモヤが湧いたように思考がはっきりしなくなる。

 俺のこの激しい感情の源が何なのか――俺を駆り立てるものの正体が見えない。

 くそっ、俺の頭はどうにかなっちまったのか? アラフィフにもなって自分の感情の正体一つ分からないなんて。もどかしくて、なんだか頭痛までしてきやがった!


「――エイジ、ちょっと深呼吸してみようか?」


 その時だった。

 それまでだんまりだったシリィが、俺の耳元でそんな言葉をささやいてきた。しかも、なんだかやけに優しい声音で、だ。

 大将だけでなくシリィまで俺に優しく接するだなんて……もしかして俺、もうすぐ死ぬのかね?


「エイジ、雑念は捨てて。自分の心の声に耳を傾けてみなよ。大丈夫、考えるんじゃなくて感じるんだ――そして、自然に出てきた言葉を店長さんにぶつけてごらんよ」


 なんともシリィらしからぬ言葉が続くが……不思議とそれが心に染みてくる。言われた通りに深呼吸してみれば、頭痛も治まっていく。


「……そう、そのまま自分の心の中に潜っていくんだ。深く深く、沈むこむように。さあ、何が見える――?」


 シリィの言葉が、まるで催眠療法か何かのように俺を心の深淵へと導いていく。

 周囲の映像と音は消え去り、時間は意味をなさなくなる。ただ、俺の視点は自身の心の中にだけ埋没していく。

 そして、その底に待っていたのは――。


   ***


 ――そして光が、色が、音が急速に戻ってくる。

 眼の前では背を向けたまま、大将が俺の次の言葉を待っている。

 ふと周囲を見回すと、先程までそこにいたはずのシリィの姿がない。用事が済んだからどこかへ行ってしまったのだろうか?

 相変わらず意図が読めない奴だが……おかげで次に進めそうだ。後で会ったら礼を言わなきゃな。


 俺の心の奥底にある感情、その正体は分かった。

 あとは、それを大将にありのままの言葉で伝えるだけだ。

 意を決して、口を開く。


「大将、聞いてください。俺は……俺には、見殺しにしてしまった仲間がいたんです」

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