堕ちてきた者達

裳下徹和

第1話 ミュージカル星人との邂逅

 呼び鈴が鳴らされて、ぼんやりとテレビを見ていた目を玄関に向けた。

筑野圭介ちくのけいすけ様のお宅ですか。御用があって参りました」

 特に何も考えずにドアを開けると、強面のスーツを着た男性が立っていた。

「筑野圭介さんですね」

「は、はい」

此原久人このはらひさとさんが、借金を残して行方不明になりました。連帯保証人になられている筑野さんに、返済をお願いしたいと思いまして」

 聞いた途端に全身の血の気が引いた。嘘だろ。何かの冗談だと言ってくれ。

 確かに僕は此原の連帯保証人になっていた。だが、あいつが借金を残して消えるような奴だと思えなかった。

 強面の男性は、一枚の書類を出した。僕の自筆の署名と印鑑が、しっかりとこちらを見ていた。

 此原が残した負債は、利息がついて膨れ上がっていた。宝くじでも当たれば余裕で返せる金額だったが、今の僕では到底支払うのは無理だった。

「払えそうですか?」

 力なく首を横に振った僕に、強面の男性は仕事を紹介すると言ってきた。

 マグロ漁船かと思ったが、住み込みである人物の世話をする仕事という事だった。

 僕は、黒いベンツに入れられた。車はゆっくりと走り始めた。

 運転席には、若い金髪の男が座り、黙々と運転していた。

 後部座席には、僕と強面のスーツの男が座った。

 車の中で、僕は押し黙っていた。胸の中は、此原に対する恨み。過去の自分の軽率な行動に対する後悔。これからの展開への恐怖。色々な感情が混ざり合って、心をどう整理して良いかわからなくなっていた。

「着きました」

 丁寧な言葉を使われているのが、逆に怖かった。

 車は大きな一軒家の前に着いた。洋風な造りで、豪邸と呼ぶのが相応しかった。特に普通の家と違うのは、小さい窓と、やけに頑丈そうなで高い塀だ。監視カメラも随所に付いている。一般人の家ではなさそうだ。

 運転席の男が携帯電話で何かを話し、家の門が開いた。門が開くと、ベンツはゆっくりと中に入っていった。

 車から降り、セキュリティ厳重なドアから室内に入った。

 家の中も豪華だった。高額そうな調度品が並んでいる。

「兄貴連れてきました」

 強面の男に兄貴と呼ばれた男が振り返った。

「おう。連れてきたか」

 兄貴と呼ばれた男は、鎖島さじまと名乗った。僕もおずおずと自己紹介した。

「お前には、借金返済するまで、住み込みで猛さんの世話をしてもらう」

「た、猛さん…」

「うちの組の四代目だ。うちの若い衆とは相性が悪くてな。堅気の人間に世話になろうと思ってお前を連れてきた。粗相のないようにな。逃げられると思うなよ」

 目の前が暗くなった。

 鎖島さんの後について、一度裏口から庭に出た。庭の中には小さな小屋が建っていた。大きくはないが、新しく頑丈な作りのように見えた。入り口の上には監視カメラが付いていた。

 防音扉のような分厚いドアを開け、鎖島さんに続き中に入った。

「猛さん失礼します。新しい世話役を連れてきました」

 鎖島さんに促されて室内に入った。

「どうも、ミュージカル星人だ」

 銀色の全身タイツに身を包んだ男が、さわやかな笑顔を浮かべ、椅子に腰掛けていた。

 僕は横目で鎖島さんを見た。鎖島さんも横目でこちらを少し見て、すぐに猛さんに視線を戻した。

「こいつが新しい世話役の筑野圭介です。猛さんの希望通り堅気の人間を連れてきました」

「そうか。ありがとう」

 鎖島さんは、僕に顔を向けた。

「それじゃあ、そういうことだ。この仕事にマニュアルは無い。臨機応変に猛さんの世話をしろ。頑張れよ」

 そういうことって、どういうことですか。頭の中で色々質問、文句が浮かんできたが、何と言って良いかわからなかった。そうこうしているうちに、鎖島さんは小屋から出て行ってしまった。

 小屋の中には僕と猛さん二人が残された。気まずい沈黙が部屋に立ち込めた。

「猛さん…初めまして…。筑野圭介です」

「猛さんか、地球人は俺をそう呼ぶ。まあ、それでも良いが、サンダルフォンという名前の方が、俺はしっくりくるな」

 冗談で言っているのか? 

 僕は言葉に詰まって、猛さんを見つめていた。

 顔から判断すると、年齢は僕と同年代か少し上くらいだろうか。変な格好をしていなければ、美男子とも言えなくはない。

「サンダルフォンは長すぎるか。サンダルだと履物っぽいから、ルフォンと呼んでくれ」

 ルフォン…。口に出すのが恥ずかしい。

「お前は、なんて呼べば良いかな。筑野圭介だから、チッケイあたりが無難かな」

「あ、いや。シンプルに圭介あたりでお願いします」

「そうか、では、よろしく圭介」

 猛さんは、そう言って手を出してきた。手も銀色の手袋に包まれており、光を浴びて鈍く光った。

 僕も手を出して、がっしりと握手した。つるつるとした手触りだった。そして握手したまま、猛さんの目を見つめた。冗談を言っている目ではなかった。この人はいかれているのか? 完全は狂った人にも見えない。僕をおちょくっているのだろうか。つっこんだほうが良いのだろうか。

「ははははは。どうした圭介。何ぼんやりしている。残念ながらドラマチックな出会いではないが、この出会いが後々ドラマチックな展開を見せるかもしれないぞ。胸躍るような未来を想像してみろ圭介」

 そう言うと、猛さんはやおら立ち上がり、踊りながら歌い始めた。

「Seasons of Love」。「RENT」の曲だったはずだ。

 現状にこの曲があうのかどうかはわからないが、この人が間違いなくおかしい人だということはわかった。この人の世話をするのか。借金が返せなくてやくざに捕まり普通の人の世話をするわけが無い。この仕事、僕にやれるのだろうか。不安は不安だが、選択の余地は無いように思われる。やるしかない。


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