第6話 あの子達を守ってあげて

「何様のつもりだ!?」


アカネ達がそろそろ料理を食べ終えようかという時、

オープンカフェに中年の男性らしき叫び声が響いた。


「あらあら、一体何の騒ぎですの?」


多くの客が視線を集中させた先、店員の目の前に、グレーの紳士服を見に纏い、

短髪と長く蓄えられた髭までもが灰色がかっている、灰色ずくめの男が立っていた。


この灰色ずくめの男、顔が赤みを帯びていて、

傍らのテーブルには酒瓶が置かれている事から、酔っ払っているのだと伺える。


「チッ」


アカネは舌打ちをしたが、すぐに平静を装う。


さっさと食事を終えて会計を済まし、立ち去れば良いのだ。


「ローブ、それさっさと食べちゃって」


5人の中で唯一3品の料理を注文し、更に他の料理を分けて貰っていたローブだけが、

未だ完食に至っていない。


ローブはボウルに盛られた日替わりサラダを、フォークで突き刺した。

「うん。でもサラダはあんまり好きじゃなくてね」


「ローブは肉食だからな」


「じゃあ何で頼んだの?ウサギさんになるの?」


「ならない!ほら!これ!」


ローブは尻尾をブンブン振って、僕はウサギじゃないと激しくアピールした。


「じゃあ何なんだ?猫か?」


「猫はアカネコの方でしょ!」


「猫じゃらしに目を奪われる尊いアカネ様……私ちょっとお花を摘みに」


「猫じゃらしは花じゃないわよ」


花を摘みに行こうと立ち上がったマシャだが、アカネの指摘を受けて椅子に戻った。


「おほほ、さすがアカネ様。


博識でいらっしゃる」


実の所アカネが知る限りでは、猫じゃらしは微細な花の集合体なのだが、

アカネは敢えて嘘をつき、マシャのコントロールを行なったのである。

「アカネちゃん、僕って猫なの?」


「ローブはローブよ。兎でも猫でもないし、他のどんな動物とも違うわ」


「そっか」


ローブはニコッと笑い、フォークもろともサラダを頬張った。


「申し訳ありませんっ!」


灰色ずくめと店員はしばらく通常の声量で会話していたが、

店員が大声で謝罪を告げると共に腰をほぼ直角まで曲げ、

灰色男に深々と頭を下げると、すぐに直立へと戻った。


「ですがお客様、ここは飲食店ですので、そのような不潔な物を持ち込まれては、

他のお客様に迷惑が……」


「我々ラッツのシンボルであるこれを不潔呼ばわりか!」


灰色男は店員の目と鼻の先に、ネズミの剥製を突き付けた。


「これ、作り物ですか?」


「本物のネズミを加工して作った剥製だ。綺麗に洗浄してあるから、断じて不潔などではない」


「剥製って、殆ど本物じゃないですか……?」


「ええい、頭の足りん娘め!これ以上このルキサスの逆鱗に触れるな!」


灰色ずくめの男ルキサスは、空いている左手でテーブルの縁をドカンと叩いた。

「ルキサス様、その辺にしときましょうよ……」

「酒が不味くなりますぜ」


ルキサスと同席している若い男達が、ルキサスを宥めようと言葉をかける。


彼等はルキサスの子分達なのだろう。


「お前達は我々のシンボルを侮辱されて、平然としていられるのか!?」


「つっても俺ネズミ苦手で……」

「俺なんかどっかで落としちまいましたぜ」


「何だと!?」


最初こそ店員に絡んでいた筈のルキサスは、その矛先を自分の子分達に向けてしまった。


これではただの悪酔いである。


「みっともないわね」


「おっ、アカネが言うと説得力あるねぇ。流石は義賊のリーダーだ」


「アカネはまだ子供でしょ?お酒飲めないだけじゃんっ!


アカネも酔っ払ったらああなるかもねっ!」


「酒に酔ってキス魔になる尊いアカネ様……わたくしちょいと追加注文をしてまいりますわ」


「あたしは飲まないわよ」


「あらまあ、それは残念」

アカネ達が他愛も無い話をし、ローブが黙々とサラダを咀嚼している中、

ルキサスは未だに荒れ狂っていた。


「お前達はもっとラッツの一員を担っている意識を持て!」


「へ、へぇ……」

「ルキサス様ぁ、それ言うの今日で3回目ですぜ」


「うるさい!大人しく聞かんか!」


ルキサスは酒瓶の上部を握り、瓶底でテーブルを叩こうとして掲げた。


しかし、ルキサスの横から誰かが手を伸ばして酒瓶を掴み、それを止めてしまった。


「誰だ!」


ルキサスが瓶を握った人物に目を向ける。


「誰って、ベンダ様だが」


現れたのは、一本に編んだ茶髪で袖無し、今朝マダーを訪れた男、

ブルホーンのリーダーを務めるベンダであった。


右肩に刻まれた、雄牛のタトゥーも健在である。


「ひとつ良いか?うるさいのはお前の方だよ、灰色ジジイ」


「もう一度言ってみろ」

ベンダとルキサスは、1本の酒瓶のそれぞれ上部と底部を握ったまま続けた。


「ボケるにはちょいと早そうだがまあ良い。ジジイは黙ってろ。ぶっ飛ばすぞ」


「ほう。死にたいらしいな、小僧」


「俺が小僧に見えるたぁ、もう手遅れだな」


ベンダは酒瓶から手を離し、やれやれと言った様子で両手の平を上に向けた。


ラッツとブルホーンの衝突を危険視した客の中には、

料理や飲み物を放置し、料金をテーブルの上に残して立ち去る者も現れる始末。


「小僧、やる気か?」


ルキサスはベンダを睨みつつ、酒瓶をゆっくりとテーブルに下ろした。


その際に鳴った小さい音でさえ、固唾を飲んで動向を探る客を緊張させる。


「おいアカネ、あいつらおっ始めそうだぞ」


「おっぱ……?」


ジュリアはノゾミの発言を部分的にしか認識出来なかったので、その1部分だけを復唱した。


「ジュリアさん?ノゾミさんはおっぱいを揉んで欲しいと言いたかったようですわよ」


「そーなの?揉んであげよっか?」


ジュリアは両手をノゾミに向け、揉む動作の様に開閉して見せた。

「マシャ、そろそろ殺すぞ」


「わたくしを殺すなら美しさで殺していただきますわよ?」


「訳分かんねえ逃げ方すんな」


「ご馳走様!」


ドレッシングや野菜の細片を除いて空になったボウルに、ローブがフォークを置いた。


「じゃあ会計して、さっさと帰るわよ」


「ですが、店員さんはあちらの応対で手が離せなさそうですわ」


「テーブルに置いときゃ良いでしょ。いくら?」


「そんなの覚えてないもん!」


ジュリアは何故か、自慢する様に胸を張って言い放った。


「メニュー表なら値段書いてんだろうけどなぁ」


「ローブ、メニュー表取って来て」


「はあい」


ローブは席を離れ、小屋へと向かう。

アカネ達が退店を急ぐ一方で、

ルキサス達ラッツとベンダ達ブルホーンは一触即発の緊張状態に包まれていた。


「なあジジイ。てめえらの代金はこのベンダ様が肩代わりしてやっからよ。


さっさと消えてくんねえか?」


ベンダはオープンカフェをザッと見渡してから、更に続けた。


「ジジイだけじゃねえ。今ここに居る客全員の代金払ってやるよ。


そうだ、たった今からここはベンダ様の貸切だ!」


「貸切にはさせん。それにどこぞの成り上がりと違って、金なら足りている」


「オツムは足んねえみたいだがなぁ?」


「貴様ぁ!」


遂にルキサスは立ち上がり、ベンダの襟を両手で掴んだ。


だがすぐに、ベンダの後ろに控えていた子分達が割って入り、ベンダからルキサスを引き剥がした。


「ドブネズミがベンダさんに触れんな」

「ドブネズミはドブネズミらしく残飯でも漁ってろ、カス」


「小僧の所は、部下にろくな指導をしていないように見えるな?」


「悪い。正直者な奴等でね」

「口の聞き方に気を付けさせないと、早死にするぞ」


「殺られる前に殺るから心配すんな、ジジイ」


「ルキサス様、いつまで大人しくなさるおつもりで……」

「これ以上黙ってられませんぜ」


リーダー同士だけでなく、それぞれの子分達もやる気のようだ。


「ベンダさんに敵うと思ってんのか?」

「とっととお家に帰んな、カス」


「野郎……!」


ルキサスの子分のひとりが罵り合いに堪え兼ね、ベンダの子分に掴みかかった。


怒声が上がり、男達は団子になって遂に衝突を始める。


誰かがテーブルにぶつかり、その弾みでルキサスの持っていた酒瓶が地面へ落下した。


「止めて下さい!困ります!」


店員が必死に叫ぶも、男達は誰一人として聞く耳を持たない。


まはらながら残っていた客達も、大慌てで逃げて行ってしまう。


バニーに残ったのはラッツとブルホーン、

アカネ達5人、そして店員だけとなってしまった。

ローブが小屋から出て、争う男達を横目に軽い足取りでアカネの元へ戻る。


「ただいまー。何だか大騒ぎだね」


「ローブ、ありがとう」


アカネはローブから受け取ったメニュー表を開き、5人全員の注文の総額を暗算すると、

ポケットに手を入れた。


しかし、そのま2、3秒硬直してしまう。


「どうしたの?アカネちゃん」


「あいつ、さっき全部払うって言ったわよね?」


アカネは争う男達に視線を送ったが、多数の子分達に阻まれてベンダの姿は良く見えなかった。


「ええ、わたくしもしっかりと聞きましたわ」


「俺も聞いたぜ」


「はいはーいジュリアもー!」


「じゃあ、あたし達の代金も任せましょ。みんな帰るわよ」


アカネを筆頭に、他の四人が次々と席を離れる中、

ローブは男達から離れて座り込む店員を見つめていた。

店員は両膝を立てて地面に座り、足に顔を埋めている。


同業者であるローブには、その悲痛な様子がいたたまれなかった。


「うーん……」


「ローブ、どうしたの?」


「店員さん、可哀想だなあって……」


「だから?」


アカネのあっさりとした返しに動揺したローブは、小さくピョコンと跳ねた。


「え?えっと」


「所詮赤の他人でしょ?ここが潰れるならカフェが減って良いじゃない」


「そう、なのかなぁ?」


ローブは首を傾げている。


ここに来れなくなった客がマダーに集中するなどとは、

一度たりとも考えた事が無かったからだ。

「おい、俺のぬいぐるみ知らねえか?椅子の後ろに置いてたはずなんだが……」


「あのぬいぐるみなら、ジュリアさんが持っていますけど?」


「なにぃ!?」


ノゾミが離れのジュリアに目をやると、確かにマシャが言った通り、

ジュリアはノゾミの物になった筈のぬいぐるみを振り回して遊んでいた。


「早いぞー!シュババババ!」


「ジュリア!今すぐ返せ!」


ノゾミは犬や狼よろしく歯を剥き出しにしながら、ズカズカと歩いてジュリアに迫った。


ジュリアはノゾミが視界に入るや否や、ぬいぐるみを抱いてノゾミに背中を向ける。


「帰るまでくらい良いじゃん!」


「駄目だ。それはもう完全に俺の物なんだ」


ノゾミはジュリアの頭上から手を通し、ジュリアが抱いているぬいぐるみを掴んで引っ張った。


「ケチー!」


ジュリアは簡単にぬいぐるみを返すまいと、引っ張り返してノゾミに抵抗している。


「離せジュリア!」


「ノゾミが離せー!」

「またやってる」


「ぬいぐるみさん、引っ張りだこなのは嬉しいでしょうけども、

本当に

引っ張られるのは可哀想ですわ」


アカネとマシャはジュリアとノゾミを呆れた様子で見ているが、

ローブは二人のやり取りなど眼中にすら無く、

店員とこのオープンカフェを気にかけてそちらを向いている。


「ぬぬぬぬぬ……」


「こんのぉーっ!」


大の大人が本気を出せば、小さな子供に負ける道理は無い。


それはこの二人にも当然当てはまり、

綱引きならぬぬいぐるみ引きに勝利したのはノゾミであった。


「うわぁー!」


ノゾミの力に耐えかねたジュリアの指が限界を迎え、ぬいぐるみを離してしまったのだ。


ただし、勝利したとは言っても勝者にとって好ましい結果に終わるかどうかは、また別の話になる。


「うおっ!」


ジュリアから解放されたノゾミは勢い余って尻餅をつき、

ぬいぐるみを後方へ高く投げ飛ばしてしまった。

「あっ」


ローブの視界にぬいぐるみが映り、彼女が反応を示した時には時すでに遅く、

それはよりによって男達の真ん中に落下してしまう。


「あらあら……」


「あちゃー、やっちまったよ」


「ノゾミミズの馬鹿ー!」


「アカネちゃん、僕がぬいぐるみを取ってこようか?」


とローブが言った直後、アカネがローブの左手を握った。


「帰るわよ」


ローブはアカネと向き合う。


見ているようで見ていないような、冷たいアカネの目は相変わらずだった。


「えっ、でもぬいぐるみが……」


「なら落ちるより先に空中で取れば良かったじゃない。貴女なら出来た筈よ」


「それは……」


「この店や店員に情を持って行かれて、周囲への警戒が緩んでたのね」


「……うん」


ローブは小さく頷く。

「そんな調子で喧嘩の中に突っ込んで、怪我でもされたら困るのよ」


ローブにはこれ以上返す言葉が見当たらなかった。


普段無意識に立てたり動かしたりしている尻尾も、今は力無く垂れ下がっている。


「帰るわよ」


繰り返すアカネ。


これ以上は拘束すら不要と、ロープから手を離した。


ローブはこれで最後にしようと、店員の座っている方を振り返る。


「えっ?」


長らく地面に座り込み、店を荒らされる絶望に打ちひしがれていたと思われた店員が、

自分から男達に近寄って行く。


予想外の行動を見たローブは、店員の発言に耳を傾ける。


「そのぬいぐるみを返して下さい!」


店員は男のひとりにしがみ付いて訴えた。

「うるせぇっ!」


男は乱暴に店員を払いのける。


「ああっ!」


店員は大きくよろめいて倒れたが、すぐにまた起き上がる。


「返して下さい!それは弟がとても大事にしている物なんです!」


「弟?」


ローブは店員の言葉をで最も引っかかった部分を復唱した。


「おいアカネ、帰るんだろ?」


「ノゾミの馬鹿ー!」


ノゾミがアカネ達に近寄って来た。


ジュリアはぬいぐるみの恨みを晴らそうとノゾミに付随し、

彼女の腰辺りを両拳でポカポカと叩いている。


「待って」


「如何なさいました?」


「ねえ、あのぬいぐるみってどこの?」


「俺が知ってるはずないって。聞くなら最初に隠し持ってたジュリアだろ」

「ジュリア、あのぬいぐるみはどこで手に入れたの?」


アカネに問われ、ジュリアは半ベソになりながら答える。


「孤児院で貰った。ジュリアンパンのお礼だって」


「じゃあ、あの店員さんの弟は孤児院に居るって事?」


ローブがアカネに視線を送りながら、確認を取るように話した。


「そうなるわね」


「引っ込んでろっ!」


先程とは別の男に、店員はまたしても突き飛ばされる。


店員があまりにもしつこく食い下がるので、気が散った男達は休戦状態に入っている。


「嬢ちゃん、このボロいぬいぐるみがそんなに大事なのかぁ?」


殺気立つ男達の中からぬいぐるみを持ったベンダが抜け出し、うずくまる店員に歩み寄った。


「それは私が弟に作ってあげた物で、弟はそれをとても大事にしていたんです。


どうしてそれがここにあるのか分かりませんけど……とにかく返して下さい!」


「こんなもんに必死になんなよ。なあ」


ベンダは店員の目の前にぬいぐるみを落とし、店員がそれに手を伸ばした途端、

右足でぬいぐるみを踏み付けた。


「あっ……」

「へっへっへ……」

「ざまぁねえな」


ベンダより後ろに居る男達の内数人が、店員に向けて下卑た笑い声を上げた。


「アカネちゃん、どうする?」


「もう少し見てましょ」


「へへ、そうだ嬢ちゃん。


このベンダ様の女にならねえか?そうすればぬいぐるみなんざ山程買ってやるし、

何ならここよりもっと広い店を用意してやっても良い。なあどうだ?」


ベンダは腰を軽く折り曲げ、店員を覗き込んだ。


『ゴッ』


しかし、店員はベンダの誘いに乗るどころか、

ぬいぐるみを踏みにじるベンダの靴のつま先に、握り拳を振り下ろした。


「あ?」


「へぇー、あの子チンピラ相手に良い度胸じゃねえの」


「でも、後が怖いですわね」


「ローブ、あたし達の原則原理は分かってるわね」


アカネがローブに視線を注ぐと、ローブもアカネに目を合わせ、コクリと頷いた。

「僕達マーダーマダーは、子供の為に戦う!だよね」


アカネは腕を組んだまま、ローブを指差した。


「大正解」


アカネに叱られ力無くうなだれていたローブの尻尾。


今は完全に元気を取り戻し、中程でピンと真上に立っている。


ローブは軽く腰を落とし、臨戦態勢に入る。


「ベンダ様に逆らおうってのか。このアマ……」


ベンダは右足を後方へと伸ばし、店員を蹴る為の予備動作を行なった。


「ローブ、あの子達を守ってあげて」


あの子ではなくあの子達と言ったのは、ぬいぐるみを人数に含めているのかも知れないし、

あるいはここに居ない孤児院の弟をも含んでいるのかも知れない。


そして、アカネが指示を言い終えるのと同時に、ローブの姿はアカネの側から消えていた。


風が巻き起こり、アカネの長い黒髪を散らしている。


ローブが消えるのとほぼ同時に、彼女の飛び膝蹴りがベンダの側頭部を捉えた。

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