第4話 念の為ご注意を
アカネ達が目的地であるオープンカフェバニーへ到着した時、
時刻はまさにランチ時であった。
オープンカフェだという新聞の記述に間違いは無く、
マダーのテーブルよりふた回り以上大きな、
8人掛け程度のテーブルが複数用意されている。
客入りはそこそこで、ざっと半数のテーブルに客が座っていた。
「ここね」
「わあ、賑わってるね」
少なくとも満員では無いのだが、
各テーブルが大きいのと、テーブルの数もマダーより多いので、
ローブにはここが賑っている様に見えたのだろう。
ローブは物珍しさから、右手を目の上に当ててオープンカフェを一望する。
「ホントに屋根も壁も無いんだねー」
「雨降ったらどうすんだろうな」
「今日が良いお天気で良かったですわね」
四人が初めて見るオープンカフェの感想を口々に述べる中、
ジュリアがひとりで走り出し、外側の空いているテーブルに近付くと、
ヒョイっと跳ねて椅子にのしかかった。
「アカネ、早く注文しよっ!」
「他所で騒ぐんじゃ無いの…」
アカネから叱られても、ジュリアは態度を変えなかった。
「早く早くっ」
「アカネちゃん、あそこで良いのかな?」
ローブがジュリアの座る席を指差している 。
「別に何処でも良いわ。もし貴女が嫌なら他を選んで」
「あそこで良いよ。僕達も座ろ」
「んー、何にすっかなぁ…」
ノゾミは既にテーブルに座り、各テーブルに一冊置かれたメニュー表に噛り付いている。
「ジュリアにも見せて!」
「慌てんなって…」
ふたりを見たアカネは、
ジュリアの身長に対して椅子の高さが明らかに足りていない事に気が付いた。
「ローブ、高い椅子が無いか店員に聞いてきて」
ローブはアカネの指示には愚直に従う筈だが、この時はすぐに動かず、何故か戸惑っていた。
「椅子を買うの?ここは家具屋さんじゃ無くてカフェだし、ウチの椅子なら足りてるけど…」
「そうじゃ無くて…もう良いわ、先に座ってて」
「うん」
アカネは勘違いしているローブに頼るのを諦め、席に着くよう指示すると、
傍に残っていたマシャに話しかけた。
「マシャ、子供用の椅子を貰ってきて」
「アカネ様には普通の椅子より、可愛らしい子供用の方がお似合いですものね」
「ジュリア用だから」
「冗談ですわよ」
マシャはひとり、離れにある小屋へ向かった。
小屋は簡素な造りで、窓と扉が有るのみ。
半開きの窓からは、油と共に加熱された食材の香りが漏れ、嗅ぐ者の胃を刺激した。
小屋の上部には看板が立てられ、赤いウサギの絵と共にBunny(バニー)と書かれており、
これがカフェの厨房なのだと分かる。
マシャの背中を見送り、アカネもテーブルに着いた。
「俺、チキンプレートとオレンジジュース」
「ジュリアはね…ソーダとハンバーグと…チーズバーガー!」
ジュリアの重複気味な注文に、ノゾミがツッコミを入れる。
「おいおい、どっちかだけで良いだろ。だからお前はジュリアホなんだよ」
「ジュリア、食べきれるの?」
アカネはジュリアの胃袋を心配したが、ジュリアは笑って見せた。
「残ったらノゾミが食べるからへーき」
「はあ?俺に残飯処理させる気かよ」
アカネはふたりからメニュー表を取り上げ、すぐ隣に座るローブに手渡した。
「ローブ、次は貴女よ」
「アカネちゃんは頼まなくて良いの?」
「あたしは要らない」
「えぇ、折角来たんだから何か頼もうよ」
アカネはローブの持つメニュー表を一瞥し「コーヒーにするわ」と告げた。
「アカネちゃんコーヒー好きだからね。じゃあ僕も決めよっと」
ローブはメニュー表を大きく開き、上から順に目を通している。
だが、中々決められない様だ。
「うーん、色々有って悩むなぁ。どれにしようかなぁ…」
「ローブ、どれでも好きなだけ頼んで良いわよ」
ローブはメニュー表から目を離し、アカネの方を向いた。
「でも僕、そんなに沢山食べられないよ?」
アカネはノゾミとジュリアを見て、
「貴女が残しても、あの二人が食べてくれるから気にしないで」と言い放つ。
強引な決定に不満を抱いた二人が、アカネに喰らい付いた。
「おいアカネぇ!ジュリアの時と言ってる事が違うぞ」
「アカネのえこひいきっ!」
「お黙り」
「ひでぇ…」
「うわ…」
「えーっと、良いのかなぁ…」
ローブは疑問に感じつつも、再びメニュー表に戻った。
「全く、俺は何でも有るだけ食うブタじゃねぇってのに」
「豚はノゾミじゃ無くてローブタだよねっ!」
「だから僕はブタじゃないって。ほら」
ローブは自らの尻尾を動かしてジュリアに向けた。
確かにその尻尾は、薄桃色で細く短く、クルンと渦を巻く豚の尻尾とは似ても似つかない。
心なしか、耳もピクピクと動いていた。
「アカネ様ー。ジュリアさんの椅子、お持ちしましたわ」
アカネに子供用の椅子を頼まれていたマシャが、四人のテーブルに戻って来た。
マシャはアカネ達の座る物より座高が高い、まさしく子供用の椅子を引きずっている。
「ご苦労様」
「全くですわ。わたくしスタイリストが本業ですから、チカラ仕事はからっきしですのに」
マシャは額の汗を拭う動作をしたが、それ程疲労している様には見えない。
「さてさてそれではアカネ様、ただいまのキッスを…」
「お黙り」
「マシャは何にする?」
ローブがメニュー表をマシャに差し出したが、マシャは手を振ってそれを断った。
「お気遣い無く。わたくしの注文は既に決まっておりますので」
「へえ。何にするんだ?」
「貝と白ワインのパスタですわ。何でも店員さんのお勧めだそうで」
「オシャレでマシャらしいね」
「後はローブだけだな」
「じゃあ、お子様ランチと…ミックスサンドと…日替わりサラダにする!」
ローブが言い終わると、ノゾミがテーブルにドンと両手を突いた。
「おっし、全員決まったな。じゃあ店員を呼ぶぞ」
「しーっ」
大きな声で店員を呼ぼうと深く息を吸ったノゾミの口元に、
マシャが人差し指を当てて押さえ込んだ。
「何だよマシャ」
マシャはノゾミに当てた指を、ノゾミの隣に居るジュリアへと移した。
ノゾミがマシャの視線誘導に従うと、ジュリアはテーブルに突っ伏して眠っている。
「道理でさっきから静かな訳だぜ」
「折角椅子を用意させたのに…」
「騒ぎ疲れたんだろうね、きっと」
状況を把握したノゾミ達は声を小さくした。
「さてさて、店員さんからメモを頂いていますので、皆さんの注文はこちらへ」
マシャは紙切れとペンを取り出し、紙切れをテーブルの上に置いた。
「アカネちゃんはコーヒーね」
「はいはい」
「俺はチキンプレートとオレンジジュース」
「ささっと」
「僕はお子様ランチとミックスサンドと、日替わりサラダ」
「えー、お子様ランチ、と…」
マシャは一通り書き記すと、ペンの先端でジュリアを指し示した。
「ジュリアさんは如何いたします?眠っておられますが」
「ソーダとハンバーグとチーズバーガーらしいわよ」
眠るジュリアの代わりにアカネが答えたが、マシャは虚を突かれた様な顔をしている。
「へ?ソーダは良いとして、ハンバーグとチーズバーガーですか?重複している様な気がするのですが…」
「重ねてダブルバーガー!とかやり出すんじゃねえの?」
「ダブルバーガーならメニューに御座いますけれど…」
4人はしばしの間凍り付いた。
「…ええっと、ソーダとハンバーグとチーズバーガーですわね。
はい!ではこれを店員さんにお渡ししてきますわ」
立ち上がろうとするマシャに、ローブが手を伸ばした。
「マシャ、僕が行くよ」
「まあローブさん、有り難う御座います。それではこれ、お願いしますわ」
「うん。行ってくるね」
ローブはマシャからメモを受け取り、店員へ渡しに行った。
マシャはすぐ椅子に座ろうとはせず、アカネに近付いて耳打ちをする。
「アカネ様、お耳に通しておきたい事が」
アカネは黙って、マシャの言葉に耳を貸した。
「このカフェの客の中に何人か、ラッツのメンバーがおります。
今の所目立つ動きは有りませんが、念の為ご注意を」
ノゾミは眠るジュリアに対し、何やらイタズラを試みていて、
アカネとマシャの密談に気付いていない。
「どうしてわざわざ耳打ちを?」を」
「折角のお出かけですから、
なるべくなら余計な事は知らず、良い気分で帰って頂きくありません?特にローブさんには…」
「それもそうね」
「おい、何コソコソ話してんだよ」
ジュリア弄りに飽きたノゾミが、アカネとマシャの耳打ちに気付いて指摘を入れた。
マシャはすぐさま、パッとアカネから距離を取る。
「これはですね、アカネ様のお耳がそれはもう美味しそうに見えましたので、
前菜として一口だけでもご馳走して頂けないかと、交渉をしていた所ですわ」
マシャの言った事が、
単に耳打ちを誤魔化す為に咄嗟に作ったホラ話であると、アカネには思えなかった。
「よせよ、気持ちわりい」
「あら?そちらのフルーツも随分食べ応えが有りそうで…」
マシャは両手を握ったり開いたりしながら、アカネの反対側に座るノゾミに接近した。
「おい…何だよ?」
「頂きまぁーす」
マシャはノゾミの背後に立つと、ノゾミの胸を両手でそれぞれ掴んで揉みしだいた。
「ちょっ、やめろ!」
「んん、中々のお味で」
ノゾミが言葉で拒絶し体で抵抗を示しても、マシャの手は止まらない。
「やめ…ろっ」
ノゾミは顔を紅潮させ、それを隠す様に俯いている。
胸を揉むのを止めようとマシャの腕を握るが、力が入らないらしく意味を成さない。
マシャはノゾミの耳元で囁く。
「オンナを捨て、オトコとして生きて行くと決めたノゾミさんが、
この様に愛でられてうろたえる訳が御座いませんわよね?」
マシャは言葉の最後に、ノゾミの耳をチロッと舐めた。
「く…っ」
「それともノゾミさん…いえ、リンダちゃん?オトコの道は諦めて…オンナノコに戻りますか?」
「てめぇ…っ」
マシャは板の上でパン生地をを捏ねる様な仕草で、
ノゾミの大きな胸を軽く押し潰し、ゆっくりと円を描いている。
ノゾミはもう、マシャにされるがままであった。
「リンダちゃんの華々しい再デビュー……
敏腕スタイリストのこのマシャが誠心誠意、全力でサポート致しますわよぉっ」
「マシャ、その位にしてあげて」
「何してるの?」
ローブがいつの間にか帰って来て、アカネの傍らに立っていた。
何故だかローブは、片手にコーヒーと小瓶を載せたトレイを持っている。
幾らローブがカフェを営んでいるとは言え、今は他店を訪れた客の立場なのだが。
ローブに気付いたマシャがノゾミから離れた。
「ローブさん、お帰りでしたのね。あら、そのコーヒーは一体?」
「これ?店員さんがコーヒーを淹れる所を見学させて貰ったんだ。
ウチのと全然違う器具を使ってて面白かったよ。ついでだから僕が持ってきちゃった」
ローブは説明を終えると、慣れた手つきでコーヒーカップをアカネの前に置いた。
マダーのものと少し違い、ややスッキリとした香りが広がる。
「アカネちゃん、どうぞ。
お砂糖はどうする?ここのは角砂糖じゃ無くて粉だから、ウチと勝手が違うんだけど…」
ローブは砂糖の小瓶と小さなティースプーンを持っている。
アカネは右手の親指と小指を曲げ、残りの指を伸ばして3を作った。
「山盛り3倍でお願い」
「かしこまりましたー」
ローブはアカネの注文通り、ティースプーンに山盛りにした砂糖をコーヒーカップの中へ入れる。
「アカネちゃん、さっきのマシャはノゾミに何してたの?」
「知らなくて良い」
「そっか」
アカネはピシャリと即答したが、
ローブは然程興味が無かったらしく、それ以上の追求はしなかった。
当の本人であるノゾミは肩を大きく上下させ、乱れた呼吸を整えている。
マシャは自分の椅子に座り、付け爪を弄っている。
「はい、出来たよ」
「有り難う」
ローブはコーヒーカップをアカネの目の前に置き直したが、
アカネがそれに触れようとした直前、阻止する様にカップを自分へと引き寄せた。
「どうしたの?」
「アカネちゃん、先に一口だけ貰っても良いかな?」
「良いわよ」
ローブはコーヒーカップを持ち上げて自らの口元へと運び、静かにコーヒーを啜った。
「…どう?」
「うーん、やっぱり僕は甘いの苦手だなあ。アカネちゃんには丁度良いんだろうけどね」
ローブは再三、コーヒーカップをアカネの目前に置いた。
「そう」
アカネがコーヒーカップに手を伸ばし、カップの取っ手に指をかける。
「それにしましても、本日のアカネ様は大変お珍しい限りですわね。
普段は混ぜ物を気になされて、缶入りのコーヒーしかお飲みになられないと言うのに…」
一通り言い終えたマシャは、ローブが自分に冷ややかな目線を送っている事に気が付いた。
「マシャ?ここの店員さんは混ぜ物なんてしてないよ。僕がバッチリ見てたんだからね」
マシャは口が滑ったと言わんばかりに、右手で口元を押さえている。
「オホホホ、これは失礼…」
アカネがコーヒーカップを下ろした所に、ローブが問いかける。
「アカネちゃん、どう?僕の淹れたのとどっちが美味しいかな?」
「香りが良いけれど、豆の差ね。ウチのは安いから負けて当たり前。気にしなくて良いわ」
「そっか。砂糖は入れ過ぎじゃ無かった?」
長らく立っていたローブがアカネの隣に座る。
「確かにちょっと多かったわね」
「ごめんね。ウチではずっと角砂糖だから、加減が分からなくって…」
ローブが自分の後頭部を撫でている。
「良いのよ」
「うー、ん…」
いつの間にかテーブルに突っ伏して眠っていたジュリアが、漸く目を覚ました。
両手を天に向かって大きく伸ばし、上体を逸らして伸びをしている。
「あれっ!?料理が無い!」
ジュリアはコーヒー以外に何も置かれていないテーブルを見て、大きく驚いている。
自分がどれだけの間寝ていたかを把握していないので、
食事が既に終わってしまったと勘違いしている様だ。
ジュリアからすれば、アカネが飲んでいるコーヒーは差し詰め食後の1杯と言った所か。
最もアカネはかなりの少食で、元来殆ど食事を口にしないのだが。
ジュリアは隣のノゾミに疑いをかけ、掴みかかって揺さぶった。
「ノゾミ!ジュリアのハンバーガー食べたでしょ!?」
「知らねえよ…」
「ジュリアのハンバーガー返せっ!」
その時アカネは、揺さぶられるノゾミの尻と椅子の間にぬいぐるみを発見した。
「ねえローブ、あのぬいぐるみノゾミが持ってるみたいだけど、あの後どうなったの?」
「ウチに有るぬいぐるみと後で交換するんだって。今はノゾミの物だね」
「ふぅん…」
「わたくしの助言が功を奏しましたのよ」
マシャがニッコリと笑った。
「再燃しないと良いけど」
「そうだね」
「だからさぁ、料理はまだなんだって」
ノゾミが真実を語っても、ジュリアはそれに耳を貸さない。
「ノゾミは信用なんないね」
「んだよそれ。アカネからも言ってやってくれよ…」
「ジュリア、大人しくしないとホントにご飯抜きよ」
「アカネまでノゾミの味方するのー?」
「ジュリアさん?お料理はまだですのよ。わたくし達もお腹ぺこぺこですわ」
「そうなの?」
マシャの言葉を聞いたジュリアは、ノゾミを揺するのを止め、ピタリと大人しくなった。
「はい!お行儀良く出来ましたわね」
「俺、マシャより信用無いのかよ…」
ノゾミが顔を手で覆い、酷く落ち込んでいる。
「ぬいぐるみの恨みね」
ノゾミはジュリアを引き寄せ、深刻な面持ちで告げた。
「おいジュリア。あんまりマシャを信用し過ぎるとその内、
人形みたいに弄ばれちまうぞ。気を付けろよ」
「ノゾミさん?」
マシャが口で笑っているが、目が全く笑っていない。
「な?怖いだろ?」
ジュリアはノゾミに呼応し小さく頷いた。
「うん、なんかゾォッとした」
「アカネちゃん、料理遅いね…えっ?」
ローブが周囲を見渡すと、ある男の客の腰にぶら下げられた、ネズミの様な物を発見した。
ローブは目が良いので、彼女からすればネズミと断言しても差し支え無い。
しかし、ここは衛生管理が求められる飲食店である。
本来そんな場所に不衛生なネズミが居てはいけない。
「アカネちゃん、あれなんだろ?」
アカネはローブと同じ方向を見たが、すぐに目を逸らし、
ローブの頭に手をかけて自身と同様にさせた。
「どうしたの?」
「他人の詮索は良くないわよ」
その時のアカネはいつもより口調が強かったので、
叱られたと感じたローブは素直に従い、先程見かけた物をなるべく忘れる様努めた。
「うん、ごめんアカネちゃん」
アカネはマシャを疑ってこそ居なかったが、この空間は安全とは言えないのだと再認識した。
ローブとアカネが見たネズミの様な物は、
ギャンググループラッツのシンボルである、本物のネズミを使って作った剥製だった。
アカネはこの事を知っており、
ローブがたまのカフェを楽しむ上での心理的な邪魔をさせたく無い一心で、
彼女に余計な情報を与えない為に目を逸らさせたのである。
アカネは彼等ラッツがこの場で騒ぎを起こさなければ良いんだけど、
と懸念した。
アカネ達の料理が出来上がるまでには、まだ時間がかかりそうだ。
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