第12話 戦いの予兆

 8月9日。終焉祭当日

 今年も無事、この日を迎えることが出来た。町中に黄色い声が飛び交い始めたのは、朝の8時頃だったろうか。海斗の住む東京エリア第6区も例外でなく、全ての地区が壮大な盛り上がりを見せている。

 が、その中でも別世界と言っていいほどの世界を構築しつつあるのは、日本一の大都市、東京エリア第一区。

 銀色に染められたビル街には似つかわしくない、出店の数々。どこから出してきたのか西洋造りのド派手な馬車に乗る、国の重鎮。真昼間っからこれでもかというくらいビールを煽る、一般の人々。

 いつもの倍以上の人口がこの地に集まっているとのことで、気温はおそらく40度以上。少し先の景色がぐにゃりと歪んで見える。

 「今年もとうとう来たんだな」

 街の喧騒の中、海斗は終焉の塔を眺めながら、ぽつりと呟いた。

 あの塔で平和の提唱が行われてから早いもので丸十年。あの日の事を、海斗は一日も忘れたことがない。

 平和が始まったと同時に、自分が化け物にされた日。そんな事がふと頭に浮かんでしまうのは、毎年恒例のことだ。が、そんなことはどうでもいい。海斗はフルフルと首を左右に振り、時計台の方に視線を移した。

 午後一時。祭りが本格的に始まり、国民全員が戦争のない世界に祈りをささげる時間だ。

 できる事ならば今日は家にいたかった。元々このような場所を海斗は好まないし、祭り自体があまり得意ではない。

 それでも比較的まともな身だしなみでこの場にやってきたのは、一重に柚葉の懇願があったからだ。

 柚葉は今日、學校の代表として、駅前に設置された舞台の上でダンスを披露することになっている。要は祭りを始める前の余興だ。そんな自分の晴れ姿を見に来てくれと、一週間以上前から耳にタコができるくらいしつこく言われているのだ。なのでどんなに人込みが嫌だろうと、今日の終焉際には必ず参加しなければならない。

 柚葉はユニが消えたあの日から元気がない。

 元々ユニがずっと一緒に住まうという話ではなかったし、帰る予定が出来たのだろうと理解はしたらしいのだが、だからと言ってすぐに割り切れるものではない訳で。お別れの言葉くらい言ってくれればいいのにと、当初は泣きべそをかいているくらいだった。海斗の前ではなんでもないような態度をとりながらも、きっと陰では寂しさに打ちひしがれているに違いない。

 故に今日は、これ以上妹の悲しむ顔を作らないためにも、絶対に駆け付ければならないのだ。

 海斗は舞台下に着くと、ほっと一息。少し早めに出てきたつもりだったが、人垣が予想を超えて多く、来るまでに戸惑ってしまった。

 海斗は改めてあたりを見渡す。そこでは溢れんばかりの人が今か今かと嬉々とした表情を浮かべ、舞台上を見つめていた。

 そろそろかな。

 そう思ったまさにその時、町中にファンファーレが鳴り響いた。軽快な音楽がスピーカーを通して流れ出すと、そわそわとしていた群衆が待ちわびたと言わんばかりに、両手をあげて踊り出す。

 時間を待たずして、10人ほどの女子中学生が舞台袖から登場した。その中央にいるのは、ミニスカートを太ももくらいの高さで履いた、ブロンドショートヘアーの少女。

 柚葉が満面の笑みを浮かべ、相当練習したのであろう振付を必死に行う。海斗の存在に気が付いたようで、少し恥ずかしそうなそぶりを示しながらも、最後まで目立ったミスもなくダンスをやり終えた。

 最後にダンサー全員が大きな花束を観客に投げ、余興は終了となる。

 会場が盛り上がりすぎて、まさに熱気の波の中にいるような感じだった。

 さて、これから祭りはさらに激しさを増していく。柚葉の晴れ姿も見れたことだし、このまま真っすぐ家に帰ろう。柚葉はこの後友達と屋台を回ると言っていたし、もうお役ごめんだ。

 と、海斗が踵を返して舞台下を後にしようとしたまさにその時――。

 台地を割るような轟音があたりに響き、今まで狂ったように踊っていた人々の動きが、ぴたりと制止した。


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 街の雰囲気が瞬時に変わった。

 海斗は足をその場に落ち着け、音のした方を振り返る。

 とあるビルの真下。様々な出店が並ぶ街の一角が、土埃をあげていた。ただの事故ではない。それが一目で分かるくらい、現場の状況は悲惨だった。そこ付近にいる人はまさにパニック状態。何が起きたかを理解する余裕などなく、慌てふためき逃げ回っている。

 舞台下にいる人たちも、何が起きたのかを徐々に理解し始めたらしく、硬直の姿勢を一斉に崩す。それからは早かった。辺りは荒れ、呑気な祭りムードは払拭されていく。

 誰がこんな事を。

 沸々とせり上がってくる怒りを感じ、拳を強く握ったまさにその時だった。

 「全く、酷い騒ぎようですね。平和ボケしている証拠です」

 以前聞いた時から感じていた、人の心を凍り付かせるような冷酷な声――。

 先日海斗が路地裏であった黒ローブの男が、そこにいた。

 そして、その男が腕に抱えている一つの影。

 「ユニ……」

 助けを求める碧眼の美女は、男の腕の中で項垂れていた。


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 ユニを見た途端、海斗は罪悪の念を感じずにはいられなかった。

 自分はなんて愚かなことをしてしまったのだろう。男がユニを襲う事など、予測できていたでないか。あの日感情的になってユニを追いだしてしまった海斗は、彼女をすでに他人とみなし、ついぞこのような事態になる事を忘れていた。否、自分とは関係ないことだと気にも留めなかった。もっと言ってしまえば、最初からユニと自分の間には何の関係性もなかったのだ。

 どすするべきかと、海斗は思考する。

 ユニと初めて会ったあの日とは、明らかに状況が違う。人の目が多く、祭りの中心は今まさにあの男だった。海斗はこの時、ここでユニを見殺しにすることで今以上の自己嫌悪に陥るのではないかという恐怖と、ここで動けば群衆に獣人であることが露見するという畏怖。二つの中で揺れていた。

再びの逡巡。人の悲鳴が秒ごとに移り変わっていく。

「可笑しいですねえ。こうでもすれば一番に向かってくる人間がいると踏んでいたのですが」

 挑発的な一言。その一言が、黙考を続ける海斗の耳介を嫌らしく撫でる。

 俯くのを辞め視線を現場の方に据えると、男は限定的な敵意を海斗に向けていた。

 そのマントの奥にある歪んだ表情を想像し、海斗は絶句した。何故なら奴は、自分がすぐにでも挑んでくるのを望んでいるのだ。ユニが狙いならば捉えてすぐこの場から離れればいいのに、どうしてかそれをしない。

 男の行動には、可笑しな点がいくつも介在していた。

 一体奴の狙いは?

 疑念が渦を巻いて心中を絡み取ったまさににその時――。

 「何やってんのよあんた―!」

先刻まで舞台上で踊っていた少女が男に飛び掛かった。

 「柚……!」

 その少女とは無論、ミニスカート姿の柚葉だった。

 か細い足で相手の顔面を捉えたように思えた。が、柚葉の不意打ちにも一切の焦りを見せず、男はそれを回避。

 「ほう。こっちの方がよっぽど強いかもしれないな」

 「何言ってんのあんた。ユニを早く放しなさい」

 瞬時に柚葉は獣化。可愛らしさの中にもたくましさを思わせる猫の姿を体現すると、ギラリと光る三白眼でキッと睨みを利かせる。

 そんな柚葉に対し、男は飄々と、

 「けど、今は邪魔してもらう訳にはいかないんだ」

 ユニを抱えたまま一瞬のうちに間合いを詰める。地を蹴ったことさえ気づかない 程の俊足に、柚葉のみならず海斗も目を疑う。

 もはや驚く暇さえなかった。

 「すまないね」

 男は柚葉の顔の前に手刀を振り上げると、それを勢いよく――。

 「あんたの相手は俺なんだろ。だったらこいつは勘弁してくれねえか?」

 振り下げられた一撃を、海斗が紙一重の所で防いだ。

 「これはこれは。やっと出てきてくれましたか。待ちくたびれましたよ」

 口元をにやりと歪ませ、男は言う。

 「お兄ちゃん」

 海斗の背中で、柚葉が驚嘆の声をあげた。兄が救いに来ることを一寸として疑わなかった信頼の色が、その声音に宿っている。

 そして、もはや自分がここにいることのメリットがないことを理解し、柚葉は間もなく離脱。

 「何が何だか分かんないけど。お願いねお兄ちゃん」

 海斗は無言の返事を返すと、

 「ユニを攫ってどうするつもりだ。無駄な争いを生んでどうする」

 男に向かって泰然と言い切った。

 「望みですか。言うならば、戦い自体が望み、とでも言いましょうか」

 「戦いが望み?」

 相手の言っていることの意味が分からない。行動も突発的で、計画性など微塵も感じられない。この男は不気味だ。

 「海斗さん」

 海斗が男と向き合い数秒が立った頃、今まで意識を失っていたユニがめを覚ます。

 ユニが海斗を見ている。しかし、彼女が何を思っているのかは分からない。

 「ユニ……」

 胃に鉛を落された如く体が重い。言葉が出ない。ユニを見れない。

 どうして? どうして? どうして?

 考える時間を、男は与えてはくれなかった。自分の身体の前にユニの矮躯をグッと突きだし、笑う。

 「この子は私の計画に必要なんです。そしてあなたもね。いやーここまで泳がせたかいがありました。あなたもこの娘に、それなりの情が生まれているようですし」

 「さっきから何を言ってやがるんだてめーわ!」

感情を押さえることが出来ず、激高を露わにする。崩れたアスファルトを蹴ると、男の背後に俊足で回り込んだ。

 ユニを人質に取られている時点で、長期戦はなるべく避けたい。ユニの体力の問題もあるし、周りへの被害も出来たら最小に抑えたいのだ。

 全身を覆う黒ローブが視界に入ると、海斗は思い切り右手を振りかぶる。ここで決める。ユニに衝撃を与えず、この男だけをくたばらせる、重い一撃。

 「すこし、急ぎすぎかな」

 刹那。海斗は恐怖で瞳を丸くした。一撃を放つ直前、男がユニを抱えた方と逆の手で海斗のこぶしを受け止めたのだ。男はこちらを見ていない。背中越しに海斗の行動を読み、最大の一撃を相殺したのだ。

 「嘘……だろ……」

 「あいにく、私は嘘が嫌いでね」

男は見下すような目で、海斗をちらりと見る。虫を払うような動きで攻撃をはじき返すと、余裕とばかりにユニを地面へと下ろし。

 「そこで見ているといい」

 恐怖に顔を歪めるユニに、珍しく威圧的な態度で言った。

 ユニは瞬き一つできないまま、その場に固まり膝をついている。早く逃げろと、海斗も叫べなかった。ユニは腰を抜かし、戦意などはとうの昔に消え去っている。まさに苦悶の表情だ。

 少し離れた所から戦況を見守る柚葉も、既に獣化を解き、悔しそうに口元を歪めていた。自分が助けに走った所で、どうにもならないことを分かっているのだろう。

 「ふっ」

 いい判断だとばかりに、男は鼻で笑う。

 そして、唐突に肩を落すと、窘めるような口調で語り始める。

 「海斗君。君は今、自分たちに向けられている恐怖を感じているかい?」

 「何を急に」

 いいながら海斗ははっとした。戦いに集中していたせいで、周りの状況確認を怠ったのだ。今まで幾度となく自分を苦しめてきた『あの蔑み』が、戦場に向けられていることに気づく。

 また獣人だ――。

 民衆の目が、声が、心が――分厚い矛になってこちらに照準を合わせている。

 「お前はあれが怖いのか?」

 海斗が問うと、男は面食らったような顔貌を作り、

 「ああ、怖いさ」

 と、伏目勝ちに言う。

 予予想外の返答に、今度は海斗の方が面食らった。

 「善か悪でしか判断できないこ奴らが憎く、そしてとても恐ろしい」

 口調に心なしか勢いが宿る。それからまくしたてるように男は口を動かし、

 「大衆の意見に全てを委ねるこ奴らが憎い。君もそう思うだろう? 我々が一体何をした? 戦争で戦い、全てをかけたではないか」

 やはりこの男も元軍人――獣人だ。

 「だから全てを壊そうと?」

 すると男は、不敵に笑う。

 「破壊に意味などはない私が欲しているのは、破壊が正当化される正しい世界」

 「破壊が正当化される、正しい世界だと?」

 男の発言に、海斗は訝し気に目を見開く。

 「そのためにはこの娘が必要なのだ」

 海斗はとうとう最後まで、男の発言の真意をくみ取ることが出来なかった。実際今日までの男の行動には一貫性が見いだせない。

 計画を実行するためにユニが必要だと男は言った。ならば何故、初めて海斗と敵対したあの日、ユニを襲おうと考えなかったのだろう。

それに今だって、この場から撤退することなど、たやすいはずだ。どうしたって、奴の行動には整合性を見いだせない。

「分からないと言った顔だな」

海斗の気持ちを代弁するように、男は言う。

「分からねえというより、てめえの考えてることなんぞ分かりたくもねえ」

 ともあれ、どんな思惑が奴にあろうと、海斗がするべきことはただ一つだ。

 奴を止める事――。

爆風を散らしながら空を移動し、相手に突進。

 全力で行く――。

 ぐっと力を込め青筋立つ拳を勢いよく放った。がその一撃は無情にも空を切る。

 「何度やっても同じこと」

 おそらくローブの下には余裕の表情が浮かんでいるのだろう。

 が、海斗は思わず舌なめずりをした。実の所、その攻撃自体が囮。相手が自分の攻撃を避けた際、宙に浮いた右足を海斗は見逃さなかった。すぐさま姿勢を低くし、相手の大腿部を掴むと――。

 「遅いな」

 男は続く海斗の行動も見越していた。足を掴まれる前にそれを回避。直ちに姿勢を持ち直す。前かがみになりバランスを崩す海斗の首根っこを掴むと、顔面を砕けたアスファルトに何度も打ち付ける。

 「ぐわぁぁぁぁぁ……」

 自分の悲鳴で、鼓膜が破れそうだった。

 「ふふふふふ、痛いでしょう? これが戦い。あー気持ちい。これですよ。やはり人生はこうでなくては」

 ダメだ、殺される――。

 この男は異常だ。人を殺すことを道楽のように楽しんでいる。

 

 諦めかけたその時だった。ほぼ閉じてしまっている視界に、眩い光が射していく。

 「まずい」

 すると黒ローブの男は力を緩め、海斗を打ち付ける手を止めた。

「なんだ、これ……」

 海斗の目の先では、今の今まで瀕死の危機にあったユニが、体中から閃光を迸らせていた。

 そして、発光するユニを中心に暴風が巻き起こり――。


 自分はこれと同じものを見たことがある。

 10年前。毎日戦場で無駄な血を流していたころ、自分は全くこれと同じ経験をしたのだ。

「ここで暴走されては困ります」

 海斗が見据える先に、黒ローブの男が現れる。依然として表情は伺えないが、今の奴には先ほどまでの余裕などは微塵も残されていない。遠目から見てもその事実は明らかだった。焦燥感にかられ、物腰柔らかな口調も、崩れ始めている。

 「誤算でした。あなたにここで暴れられては困ります」

 ユニの首元を、すっと手刀で打つ。するとユニは気を失い、その場に静かに倒れ込んだ。辺りをつんざく風は止み、体を覆っていた光も一気に消え去る。

 海斗はゆっくりとその場に立ち上がり、

 「おい! 何だよ今のは!」

 怒気を張り上げ、必死に問いただした。

 が、男はそんな海斗に見向きもしない。苦虫を噛み潰したような顔になりながらユニを抱えあげると、とうとうその顔貌を覆っていたローブを捲し上げ、それから思い出したように、海斗の方に身体を向ける。

 ローブの下から出てきたのは、どこにでもいるような若い男の顔だった。堀が深く端正な顔立ちをしているが、そこに一切の感情は存在しない。逆立てた銀髪は男の冷酷さを匂わせ、切れ長の目には本来誰にでもある人間の温度が皆無だった。

 男はその酷薄な眼光を海斗に向けると、困ったような口調で言う。

 「すみません。私は一度この娘を連れて撤退します。この娘の処刑はこれから1時間後。午後の3時に行いますので、助けたかったら来てください。そうですねえ。場所は終焉の塔で行いましょう」

 淡々と儀礼的な口調で宣言する男。海斗は深い戦慄を覚え、無意識にぐっと息を呑む。

 処刑だと――。

 なんとか抵抗しようと試みるも、痛みが依然として体を蝕み、ただ立っているのがやっとだった。

 そんな弱りきった海斗を、男は憐みの宿った目で見下し、

 「では、会えたらまた会いましょう。臆病者の獣人さん」

 「まて! お前の本当の目的は……」

 叫び手を伸ばした直後、男は爆音とともに消えていた。無論そこにユニの姿はなく、あるのは半壊状態の街並みと、海斗に向けられる群衆の畏怖の眼差しだけだった。

                  

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