忘れた街のアルディア

来ノ宮 志貴

第1話




 あたたかい雨の中を、少年がふたり走ってゆきます。


 ピチョン・ペチョン・パチョン と、アルディア。

 パチョン・ペチョン・ピチョン と、ドゥカ。


 2人は走ってゆきます。

 まるで何か、探しているかのように。




 ピチョン・ペチョン・パチョン

 パチョン・ペチョン・ピチョン


 二人が、街の中央塔の前を通り過ぎたとき。


 ゴーン・ゴーン・ゴーン


 大きな鐘の音が響き、塔の小さな窓から《時計番》が、ヌッと顔を出しました。


「ゴーンと鐘が4つ鳴りました。時計番ハイメが、午後4時をお知らせします」


 街の人々は、中央塔の大きな文字盤を見上げ、くちぐちに「ありがとう、ハイメ!」と、時計番に手をふりました。

 そして、何か急に思い出したかのように、あくせく動き出したのです。


 今までおしゃべりしていた2人が「さようなら」とあいさつを交わして別れました。クルッと向きを変えて歩き出す人もいます。仲良しの老夫婦が散歩に飛び出してきて、赤ちゃんは4時になるのを待っていたかのように泣き出します。

 ハイメはそれを見下ろして、コクリとひとつ頷くと、ズズッと小さな窓から顔をしまいました。




 ピチョン・ペチョン・パチョン

 パチョン・ペチョン・ピチョン


 その頃、アルディアとドゥカは、中央塔から離れた南の丘にやって来ました。


「見てよ、アルディア。ジョルディンが倒れている!」

「ああ、ドゥカ。おかしいと思えてならなかったのは、これが原因だったんだ。朝から、オルゴールの音色が聞こえなかった」


 ジョルディンは、アルディアとドゥカの住む街の《オルゴール番》です。

 オルゴール番ジョルディンは、南の丘の城壁の上で、日が昇ってから沈むまで、オルゴールを奏でます。

 そして夜は、南の丘から下りて、街の管理をするのです。

 新しい家を建てたり、石畳を整備したり、花壇を手入れするのが、ジョルディンの仕事です。

 ですが、夜の街でジョルディンが働く姿を、街の人たちは見たことがありません。ジョルディンの本来の仕事を知らない人は多くいます。ですから、オルゴール番などと呼ばれているのです。


 けれど、そのジョルディンが、今は大きなオルゴールの箱を城壁の上に置き去りにして、草の上に倒れています。

 ポツリ、ポツリと降る雨粒を、ガラス玉のような瞳で受け止めるばかりです。


「早く、サー・グリースを呼んでこなくちゃ」

「ああ、管理人の館へ行こう」


 アルディアとドゥカの2人は、西の丘にある管理人の館へ走り出しました。




 ピチョン・ペチョン・パチョン

 パチョン・ペチョン・ピチョン


 雨が強くなってきて、2人の靴はグチョグチョです。


 ビチョン・べチョン・バチョン

 バチョン・べチョン・ビチョン


 2人は、小さな足で大きな飛沫を作りながら、管理人の館へやって来ました。

 門扉の前で、アルディアが突然、ピタッと止まります。

 ドン、とドゥカがぶつかりました。「アルディア?」とドゥカが顔を上げると、若く綺麗な人が驚いた様子で2人を見返しています。

 「ああ、驚いた!」と、先に声を上げたのはドゥカでした。


「誰かと思ったら、マダム・マリシャールだったのか! とってもキレイなんだもの、驚いちゃった」


 ドゥカが言うと、マダム・マリシャールはクスクスクスと笑いました。


「時間を戻してもらったんだね?」


 アルディアが尋ねると、マダム・マリシャールは、


「ええ、そうよ。サー・グリースにね」


 と言って、大きな目でパチリとウインクします。


 西の丘に建つ管理人の館に住むのは、《時の管理人》のグリースです。

 いつの日のことだったでしょう。このマダム・マリシャールが、グリースに敬意を称して「サー・グリース」と呼んだことから、それまで「管理人」と呼んでいた街の人々も「サー・グリース」と呼ぶようになったのでした。


 バサッと傘を開いて「サー・グリースなら中にいらっしゃるわ」と、マダム・マリシャールが教えてくれました。

 2人がお礼を言うと、マダム・マリシャールは、またクスクスクスと笑って、ズプリ、ズプリと、雨の中を街へと下りてゆきました。


 2人が館に飛び込んで「サー・グリース!」と声をそろえて呼ぶと、サー・グリースが、接客室から玄関フロアへ出て来ました。手にはマダム・マリシャールの薔薇色の時計を持っています。時間部屋へ片付けようとしているところだったのでしょう。

 館の中はピカピカに磨き上げられていて綺麗です。けれど、サー・グリースの靴はいつも砂埃にまみれていました。時間部屋の床にだけ、砂が敷き詰められているためです。


「おや、アルディアとドゥカじゃないか。君たちは今朝、時間を戻したばかりだろう。もっと戻して欲しくなったのかい? それとも、進めて欲しいなんて馬鹿なことを言いに来たんじゃなかろうね」

「そんなことを言うわけないじゃないか」


 そう言って、アルディアがフンと鼻を鳴らします。

 アルディアが不機嫌になるのもおかまいなく、サー・グリースは時間部屋へと入ってゆきます。その後に続くアルディアの服の裾をチョイチョイと引っ張って、ドゥカが囁きました。


「ねえ、アルディア。それよりジョルディンのことを」


 その小さな声を、サー・グリースは聞き逃しませんでした。

 マダム・マリシャールの時計を決められた棚へとしまうと、「ジョルディンが、どうかしたのかい?」と、振り返ります。

 「ええ」と答えたのはアルディアでした。


「ジョルディンが倒れているんです」

「ああ、それは大変だ。オルゴールの音が聞こえなかったのは雨のせいではなかったのだね」


 サー・グリースはこんもりとした砂の小山をザクザクと上り、部屋の奥の壁にかけられている大きなネジをひとつ手に取りました。壁には他に同じネジが5つ並んでいました。サー・グリースが持っているネジには《JORDIN》と文字が刻まれています。

 時間部屋から出て、アルディアとドゥカの2人と館を飛び出したサー・グリースの靴は、さっきよりも汚れていました。








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