【コミックス2巻発売記念】優しい異端



竣祥しゅんしょう殿は、優秀でいらっしゃいますのね」

 感心したように零された鈴雪りんせつの言葉に、彼女お手製の饅頭をご相伴に与っていた竣祥は思わず目をぱちくりとさせた。


「……わたしは、なにかしましたでしょうか?」

 そんなことを言われるようなことをした覚えはないのだが、と首を捻れば、お茶を啜っていた鈴雪は苦笑して首を振った。

「私、重職は世襲制だと思っておりました。けれど、そうではないとお聞きして……」

 言いながら、ちらりと背後に控えている玉柚ぎょくゆうに視線を送った。

「まだお若いのに宰相に抜擢されるなんて、やはりとても優秀な方なのだな、と改めて思ったんです。すごいですね」

 はっきりとした尊敬を込めた瞳で見つめられ、今度は竣祥が苦笑した。

「重職は大きな力を持つ大貴族達が就くことが多いですが、特に世襲とは決められていないのは事実です。けれど、宰相職に関しては我がとう家の世襲みたいなものですので」

 そんなにすごいことではない、と答えると、鈴雪は瞬いて小首を傾げた。

 いくら毎日の朝議に参席して意見をする立場にある王后である彼女でも、政の細かい取り決めや習わしなどは知らないのだろう。教育係であり補佐役である玉柚にしてもそうだ。


 少し冷めたお茶を飲み干して、竣祥は軽く肩を竦める。

「王后様のご実家であるそう家もそうですが、大貴族のほとんどは、娘を王家に嫁がせたり公主に降嫁して頂いたりと、血縁関係が出来ています」

「そうですね」

 代々重職を歴任するような大貴族は、系図を辿れば漏れなく娘が入宮している。鈴雪の実家は公主の降嫁があった為、その子世代である先代は見送られたようだが、その前までは世代で必ず一人は後宮に上がっていた。

 娘が嫁ぐことで王家と強固な関係を築き、その繫がりによって権勢を維持する――それが貴族のやり方だった。


「我が家はその輪から外れているのです」

 自分でお茶を注ぎ足しながら、竣祥は答えた。

「我が家は王家と血縁関係を結ばない代わりに、決して私情を挟まず、時に国王とさえも対立しながら国益のみを追求し、すべてに公平中立な立場として存在することを旨に、宰相職を賜っています。そういう特殊な家系なんです」


 己の血縁が王の傍にいれば情が沸く。その情で以て国益を損なうことなどしないように、陶家では娘を後宮に上げず公主の降嫁も頂かないようにしている。

 中立である為に血縁を結ばないというその信条は徹底していて、重臣と呼ばれるような大貴族の家系とも姻戚にはならないように配慮していた。嫁取り相手は、大貴族のみならず利益を求める商家なども除外し、国政に深く関わることの薄い下位貴族の家か役所勤めの平民の家からにしているくらいだ。

 陶家はこのしゅん国の建国当時から存在し、その頃から延々と宰相職を拝命している重要な家柄ながら、他の重臣達とはまったく違う道を歩んでいる家系だった。

 周囲から一線を引いているその孤高ともいえる在り方はある種異様だが、その異様さがあるからこそ、永遠の中立性の維持と主張が可能となっており、それを誰もが――最大の決定者である筈の国王でさえも認めている。故に、宰相という国王に次ぐ決定権を持つ地位を与えられていた。


 はあ、と鈴雪は圧倒されたような表情で頷いた。そんな特殊な事情のある家門だとは知らなかったのだ。

 そんな鈴雪の様子に、竣祥は「けれど」と苦笑する。

「我が一族に於いて、わたしは少々異端です。分家筋にはそれをよく思っていない方も幾人かいますね」

「異端……と、おっしゃいますと?」

 またも首を傾げる鈴雪に頷き返し、扉の方へちらりと視線を向ける。藍叡らんえいはまだ来ないようだ。

 この話は藍叡にはあまり聞かれたくない。ほんの少しの安堵を抱きながら言葉を継いだ。


「わたしは当代の主上がとても好きなのです。心から尊敬しています」

「……え?」

 予想していなかった突然の告白に鈴雪は面食らう。

 ぽかんとした視線に、竣祥は僅かに眉尻を下げて首を振った

「そういう気持ちを抱くことが、陶家の信条にはそぐわないのです。だから分家の者達にはよく思われていません」

「だから異端だと……」

「ええ、そういうことです」

 説明しながら、馬鹿馬鹿しい決めごとだと改めて思った。


 中立でいる為に馴れ合わないとしているにも関わらず、国中のすべての有権者達と距離を置いて実際に孤立していれば、いずれ立ちいかなくなる。ある程度は家同士の付き合いもあるし、すべての交流を断っているわけではない。そういう建前としているだけだ。

 それならば竣祥が藍叡を尊敬して慕っていても問題あるまいに、一族の長として立つには、その態度がどうにも気に入らないらしい。

 一番に反対しているのは、父の弟である叔父一家だ。竣祥が生まれなければ、家督は彼かその息子が受け継ぐことになっていた。

 亡き父は、なにがなんでも弟に家督を譲りたくなかったらしい。

 仲が悪かったとかではなく、どうにも叔父の性質が家長――即ち、宰相職に相応しくないと思っていたようだ。

 それ故に、なにがなんでも男児の嫡子を欲した。その結果が、八人姉妹と末っ子長男という家族構成だろう。父の意地に付き合わされた母はどれだけ大変だったことだろうか。


 騒がしい姉達のことを思い出し、懐かしむように思わず笑みを零してしまったが、鈴雪が対面にいることを失念しかけていて慌てて口許を引き締めた。

「そもそも、そういう異端者を生み出したくなければ、太子の学友になど差し出さなければいいと思いません? 共に学んでいるうちに情も湧きますし、好悪を抱くってものです」

 からりと明るい口調で言えば、鈴雪も微笑んで「ご学友でいらしたんですね」と頷いた。

「太子と生まれ年が近い貴族の子弟は幼い頃から共に学ばせ、将来は側近として仕えられるようにと、王宮に連れて来られるんです」

 その制度には、孤高を保つ陶家であろうとも組み込まれている。

 結局は、そうして人間関係を築くものであるし、付き合いが出来てくるものなのだ。


「――…あっ。でも、わたしは主上の学友ではなかったのですよ」

「そうなのですか?」

「はい。年齢が少し離れていますでしょう」

 一緒に遊んでもらったことは幾度かあるのですが、と笑う。

 鈴雪にはわからなかったのか、小さく首を傾げながら控えていた玉柚を振り返る。有能な侍女であり、藍叡の乳兄弟でもあった彼女は頷き返した。

「確か竣祥様は、主上より五つか六つほど下でいらしたかと……」

「そうです。なのでわたしは、第三太子である青嵐せいらん様の学友の一人として王宮に伺候していました」

 長男であった世太子が不品行故に廃嫡にされたあと、世太子としての座を藍叡と争った太子だ。

 彼は藍叡が即位後に、第一太子と結託して内乱を起こしている。つまり、藍叡と敵対していた人物の側近候補として過ごしていたわけだ。


 竣祥もまた随分と複雑な経歴を歩んできたのだな、と鈴雪がしみじみ思っていると、それが顔に出ていたのか、竣祥は肩を竦めて笑った。

「まあ、おかしな状況だったとは思いますけど。元々はうちの父の方針でして」

 今から思えば、亡父は息子から見ればかなりの変わり者ではあったが、先を読む力がとてもあったのだと思う。

「父の方針としては、いずれわたしが仕えることになる、次期国主の為人ひととなりを把握させたかったようです。蒼雲そううん太子は幼い頃から酷い癇癪持ちで、いずれ廃嫡されるだろうと読んでいたらしく――まあ、事実そうなってしまったわけですけれど。そうなると、主上か青嵐太子のどちらかが新たに世太子になるのではないか、と考えていたそうです」

 しかし、藍叡は生母の身分が低い。世太子になる可能性はかなり低かった。


 蒼雲が廃嫡される前は先王もまだ若く、よちよち歩きの青嵐のあとにも太子が生まれる可能性はあった。竣祥が学友となる頃にはどうなるかまだわからなかった。

 急ぐことはないと様子を窺っていたところ、青嵐の七歳のお披露目がされるよりも前に第四太子が誕生した。しかも生母は重臣である李家の分家筋の出だ。利かん坊と噂のある青嵐よりも世太子の座に近いかも知れない。

 様々な要因を吟味した結果、一先ひとまず青嵐の学友とするが、第四太子がお披露目をする頃になったら、そちらの指導役学友となれるようにしよう、と竣祥の進路を定めた。


 第四太子の紫耀しようは、物静かな藍叡に懐いていた。藍叡も慕ってくる幼い異母弟を邪険にすることもなく構ってくれていたので、自然と竣祥も彼と共にいることが多かった。

「幼いというか、若い頃の主上は今ほど恐いお顔をしていることもなくてですね、親切で、とてもお優しい方だったんですよ。……ね、玉柚さん」

「そうなの?」

 話を振られた玉柚は苦笑した。

「……そうですね。眉間に皺寄せてばかりの主上が本当はお優しいのは、鈴雪様もご存知でしょう?」

 鈴雪は笑って頷いた。竣祥も嬉しく思ってにこにこと微笑む。


「もっと小さい頃は本当に大人しくて、よく泣くし、弱々しい方だったんですよ」

「えぇ……? とても想像が出来ないですね」

「わたしもその弱々しかったという頃は存じ上げないです。主上にもそのような時代があったのですねぇ」

 それぞれで藍叡の幼い頃を想像してみるが、鈴雪と竣祥は当時を知らないのでまったく想像が出来ない。しかも、今は尊大な態度の男が、弱々しくよく泣くようだったなんて。

「口数が少なくていらっしゃるから、大人しいと言われれば、なんとなく想像はつきますけれど」

「大人しいというよりは怒りっぽいですしね。よく泣くというのも……」

 わからない、と二人で玉柚を見ると、彼女は「でも事実です」と涼やかな顔で答える。

「十歳を過ぎる頃までは、私の方が背丈も大きかったですしね」

 やはり、今の藍叡からはどうしても想像が出来ない。思わず顔を見合わせ、誰からともなく吹き出し、声を上げて笑い始めた。


「不在の人間を肴に、随分なことを言ってくれているな」

 そこへ不機嫌そうな声が紛れ込んできた。


「おや、主上。遅かったですね」

 朝議を終えたあとに少しだけ茶話会をすると約束していたのに、なにか用があって遅れていた藍叡がようやくやって来たのだった。

 竣祥の声を溜め息ひとつで無視をして、腰を下ろす。玉柚はすぐに茶器を差し出し、お茶を注いだ。

「……あら。申し訳ありません、王様」

 玉柚の動作を横目に見つつ机の中ほどに置かれていた皿の上を見て、鈴雪は眉尻を下げた。

「お饅頭、残りひとつでした」

「は?」

 鈴雪の言葉に、飲もうと持ち上げかけた茶碗を思わず戻し、彼女へさっと視線を送る。すまなさそうにしている鈴雪の示す先には、大きめの皿の上にぽつんと載る饅頭がひとつ。


「おや、いつの間に……」

 握っていた饅頭を頬張りながらそんなことを言うので、藍叡は竣祥を睨みつけた。

「いくつ食べたのだ、お前は」

「さぁて……? いや、あまりにも美味しかったもので」

 今日の茶菓子は、以前藍叡が食べてみたいと言っていたので、厨を借りて鈴雪が作ったものだったのだ。いくつかは寧貴妃と黄賢妃の許へ差し入れたが、それでも皿の上に十数個は載っていた筈なのだが。

 竣祥は悪びれもなくもぐもぐと口を動かして飲み込んだ。

 その様子を藍叡は心底呆れて見ていたが、仕方なく、最後のひとつを手に取った。

「お味はどうですか?」

「……悪くない。甘さも程よい」

 素っ気なく答える様子に、竣祥と玉柚は顔を見合わせてにやにやと笑みを浮かべた。その様子に気づいた藍叡の目つきが鋭くなる。

「それはよかったです。また今度、もっとたくさんでお作りしますね。」

 そんな幼友達同士のやり取りを知らん顔で、鈴雪はおっとりと告げた。


 またお茶会をしよう、というささやかな約束を取りつける言葉に、竣祥は笑って頷き、藍叡も頷くように視線を下げた。


「だが、次はこれを呼ぶな。また食われてしまってはつまらぬ」

 冷たい言葉を投げかけられて睨まれた竣祥は、ええっ、と大袈裟に驚いた顔をして見せた。

「あんまりですよ、主上。王后様お手製の、こんなに美味しいお饅頭をご相伴に与らせてくれないなんて!」

「知らぬ。今、散々食っておっただろうが」

「美味しいものは分け合ってこそ、更に美味しくなるものなのですよ」

「生憎と、俺はそのような環境で育たなかった」

「あら。私とはよくお菓子を分け合っていたではありませんか」

「……お前は、兄弟みたいなものだったではないか」


 そんな三人のやり取りを、鈴雪は幸せそうに眺めていた。




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