嘘つきと魔女と嘘つきと



「……はい、もしもし?」

『夜分遅くに申し訳ありません。私、売布警察署扶桑熱患者事件特別対策係の鍵玉と申しますが、こちら八街さんのお電話でよろしいでしょうか』

「合ってます。八街です」

『先日は大変ご迷惑をおかけいたしました。よろしければ、八街さんには事の顛末をお伝えしたいと思いまして』

「あの」

『はい、どうされましたか』

「屏風ちゃんだよね?」

『はい、鍵玉屏風は私です』

 幸は寝ぼけ眼を擦った。

「やっぱり電話だと普通になるんだね」

『そうですか? 別段、いつもと変わらないと思いますが』

「あっ、そうかな? そうだよね」

 現在時刻は午前一時を回ったところであった。眠かったが、幸は話を聞くことにした。

 話の中身はこうだ。

 猟団、杭刃ナインステイクのメンバーは判定黒、ケモノとして扱われることになった。喫茶店での事件の後、捕まったのは夜鳴鶫ソロヴェイという異能を持っていたキツネ目の男だけであり、彼の異能は発動まで時間がかかり(発動の条件は自分の声を対象に何度も聞かせることだった)、発動しても体調を崩す程度が関の山なので仲間から切り捨てられたのだろうと目されている。

 店員を装っていた女。

 帽子を被った亜人の少女。

 老夫婦。

 この四名は今も逃走しているらしく、幸は何とも言えない気分になった。

『必ず見つけ出して逮捕します。あるいは射殺するのでご心配には及びません』

「殺すの?」

『場合によっては。現場においては臨機応変な対応が求められますので』

「無茶はしないでね。怪我はもういいの?」

『はっ、おかげさまで全快しました!』

 屏風の声の大きさは相変わらずだったので、幸は思わず顔をしかめた。

「そいで、どうしてそのことを教えてくれたの?」

『本当はこういうことを外部の方に話してはいけないのですが、八街さんにはお世話になりましたし、気になっているのではないかと思いまして。思い立ったら吉日と申しますから、お電話差し上げた次第です』

「ご丁寧にどうもです」

『いえ、お気になさらず』

「あの二人はどういう扱いになるんでしょうか」

『ああ、あの……あの二人ですね』

 電話越しであっても屏風の忸怩たる思いが伝わってきたような気がして、幸は息を呑んだ。

『上からは放っておけと』

「放っておくんですか」

『放っておけと……! 正直一万発くらい弾丸を撃ち込みたい所存ですが、軽い気持ちで手を出す相手でもないという判断なのでしょう。また機会もめぐりましょう。その時は逃しません』

「でも、あの人のおかげで何とかなったっていうのもあるよね」

『え?』

「だってあのままだったらどうなってたか分からなかったよ。あの車いすの人はちょっとやり過ぎだったけど、でも、《杭刃》の人たちをいったんは大人しくさせたんだし、喫茶店の店長さん以外は誰も死ななかったし」

『……でも、私の前で異能使いましたし、お店をめちゃくちゃにしましたし、あの光ってて尖がってるやつ私の頬っぺた掠めましたし!』

「そうかもだけど、そんな悪い人には見えなかったよ」

『お優しいことですね』

「ごめんね」

『いえ、褒め言葉です。……あっ、やばい、狼森さんが捜しに来てる……では、今日のところはこの辺りで。お休み中のところ申し訳ありませんでした。何か困ったことがあったらいつでも私を頼ってくださいね。それではお休みなさい』

 幸は電話の相手が本当に『あの』屏風なのか確認したかったが、睡魔に負けてしまった。夢かもしれないとも思った。



 幸は瞼を擦りながら学校へ向かっていた。いつもよりゆっくりと歩いていると、向こうから自転車に乗った女が物凄い勢いで彼の傍を通り抜けていき、耳障りなブレーキ音を発したかと思えば戻ってきて幸の隣に並んだ。目も覚めるほど鮮やかな赤色をした自転車。それに跨るのは雪螢である。彼女は自転車を下りて薄く微笑んだ。

「おはよう幸、ご飯食べた?」

「食べましたよ」

「これあげる」

 雪蛍はコンビニで買ってきたであろう中華まんを差し出した。幸はそれを受け取るだけ受け取った。

「具合はどうですか」

「もうよくなった。あいつはまだ効いてるらしいけどね」

「コーチが?」

「あいつ犬っころだから。耳がいいから異能の効きがよかったんじゃない?」

 興味なげに言うと、雪蛍は中華まんを食べろと幸を急かした。

「あいつ、あの車椅子のやつ、幸にはどう見えた?」

「怖い人だなって。でも悪い人じゃないのかもって」

「あいつ、異能を二つ使ってた」

 幸は中華まんを齧った。まだ温かくて、どうせなら冷たいものが欲しかった。

「二つですか」

「そう。一つはあの厄介な、光った雨」

「もう一つありましたっけ」

「火は見えなかった?」

「火ですか?」

 幸はあの喫茶店での出来事を思い返した。

「そういえば、あの人の掌にぼわーっと火があったような……」

「その時、私たちは喋れなかった。声を出せなかったよね」

「それが二つ目の異能なんですか」

「私はそう思う。……《バーバ・ヤガー》って、私、聞き覚えがある。前に、私がロシアの花粉症患者を隔離してるところに行ったって覚えてる?」

 幸は頷いてみせた。

「そこには扶桑熱を研究してる施設があるんだけど、《魔女の館》だとか《ヤガー婆さんの家》だとか呼ばれてた」

「ヤガー……じゃあ、そこの人と関係があるのかもしれないですね」

「分からないけど。そこでどんなことをやってたかは知ってる。全部じゃないけど、あまり面白くはない話かも」

 雪蛍は聞きたいかと訊ねた。幸は迷ったが、口の中の中華まんを飲み込むとともに頷いた。

「そう。……別に、そいつらだけがやってるってことはないだろうけど、人為的に扶桑熱患者を作れるかどうかを試してたんだと思う。あとは、一人の人間にいくつ異能をつけられるかどうか、とか」

「そんなことができるんですか?」

「さあ。ただ、私は前にやってた仕事の関係があったから。だから知ってた」

「前のって……悪いことをしてたんですか」

「分からない。組織が渡したものがどういう風に扱われてたのか。想像はできるけど」

 幸は何となく黙ったが、雪蛍は話を続けた。

「一人の人間が二つ以上の異能を使う。これはあんまりないこと。異能は一人に一つきりだから。……だから、幸みたいな異能じゃない限り、あの車椅子女が二つの異能を使うなんてありえない」

「普通は一つなんですか」

「そう。老虎……私の前の上司もそういうことを知ってた」

「じゃあ、あの人が二つ使えるのは」

「うん。やっぱり《ヤガー婆さんの家》と関わりがあるのかもしれないってこと。あんまりいい連中とは思えないから、気をつけた方がいい」

「そうします」

「本当? 幸は変なのに好かれるから、ちゃんと気をつけてね」

「そうですか?」

 雪蛍は笑った。おかしそうに。

 幸は不思議そうに小首を傾げた。

「でも、魔女っぽかったですね、あの人」

「どこが?」

「結局のところ、ぼくらと同じで花粉症なんでしょうけど、なんだか魔法使いみたいな感じだなって」

「じゃあ私も魔法使い?」

「……ちょっと違うかな」



 ボードゲームの歴史は古く、紀元前まで遡る。古今東西、津々浦々の人間が卓を囲んでゲームに熱中してきた。そのようなことを幸は熱弁した。話を聞き終えたむつみは冷めきった表情で告げた。

「一人でやるものじゃないってことじゃない。結局のところさ、一緒にやる人がいないと駄目なんじゃないの?」

「そう言うと思ってました」

 幸は得意げに言ったので、むつみはイラっとした。

「一人用のボードゲームもあるんですよ」

「……一人でやるの? 何だか寂しさの極みだなあ」

「そんなことないですよ」

「私は嫌だなあ」

 幸は困ったような顔になる。むつみはそこで何かを察した。

「まさか買ってきたとか言わないよね」

「言ったらどうしますか」

「君には有難迷惑という言葉を贈るよ」

「そんなあ、困りますよ。やってくださいよう」

「やっぱり買ってきてたんだな」

 しかも幸は一人用のボードゲームをいくつか買ってきていて、それを未練がましくテーブルの上に並べだすものだから、むつみは頭に手を遣った。

「こんなに……誰も遊ばなかったらもったいないじゃない」

「その時はぼくがやりますからいいんです」

「ああ、そういうこと」

 むつみは適当なゲームを一つ手に取って、何となく説明に目を通した。

「これ、カードだけなんだ。カードだけなのにボードゲームって言うの?」

「言うみたいですよ」

「ふうん」

「やってみたらどうですか」

「考えとく。それより古海に聞いたよ。また変なことに首を突っ込んだみたいだね」

 意地悪い笑みを浮かべるむつみは、ゲームよりも楽しいものを見つけたような顔をしていた。

「日限さんのことですか」

「たぶんそう。うるさいおじさんでしょ? 何だか、まだ市役所に来てるみたいだよ」

「今度は何を言いに来たんだろ」

「諸々の手続きだってさ。あの、何て言ったっけ? 魔区の喫茶店。そこを引き継ぐとかなんとか」

「そんなこと話していいんですか?」

「市役所中に聞こえるくらいおっきい声で言ってたみたいだから平気でしょ」

 その様子が目に浮かんで、幸は微笑ましい気持ちになった。

「叔母さんは《バーバ・ヤガー》って知ってますか?」

「ババ……? さあ、知らない。でも魔女だの魔法使いみたいなのは魔区にだっているからね。普通の人からしたらさ、私たちみたいな花粉症持ちはそうも見えるだろうし」

「叔母さんが魔女……」

「余計なこと言ったら引っ張るよ」

「似合いますよね」

 むつみは立ち上がった。幸は部屋に戻ってドアを閉めた。

「こらっ、開けなさい」

「嫌です」

「開けなさいったら」

「嫌ですったら。開けたら魔法でぼくをカエルとかコウモリに変えるつもりでしょう」

「そんないいものに変えるわけないでしょう。どうせならお菓子にして食べてやる」

「やっぱり魔女じゃないか」

 魔法なんてものはこの世にない。あるのは異能で、それもただの病でしかない。

 人は嘘をついて、自分を隠して、時に他人をも騙して生きていく。

 幸は思う。

 自分は病人だ。魔法使いではない。でも、嘘つきにはなりたくなかった。それが難しいなら、この家にいる時くらいは本当の自分でいられるようにしようと、そう思った。

「もう、分かったよ。何もしないから出ておいで。お菓子でも食べながらさ、君が買ってきたゲームをしようよ」

「本当ですか?」

 幸はにっこり笑って、むつみの猫なで声につられてドアを開けた。

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