東山ン本大空洞



「何をしたらいいんでしょうか」

「走ったり、竹刀振ったりしてたらいいと思います。きっと」


「竹刀ってこうやって振るんですか」

「全然違います。ええと、まず握り方は、えーと。こんな感じです。こうっ。見えますか?」

「見えません」


「体にいい食べ物とかありますか」

「お腹が空いたら水をいっぱい飲むといいですよ。気が紛れますから。おそらく」


「あのう。どうやったら強くなれるんでしょうか」

「何事も経験です。ちょっと打ち合ってみましょうか。大丈夫。怪我なんて簡単にはしないですよ。たぶん」


 翔一たちが渋々部員になってくれたこともあり、剣道部の廃部は免れそうだった。しかし浜路は人にものを教えるのが苦手なままである。仕方ないので幸が練習メニューを考えたり、うまい指導法を勉強していた。

「あの、八街殿。私は何をすればいいんでしょうか」

「コーチはそこで座って見ててください」

「分かりました」

 浜路は言われるがままパイプ椅子に座る。

「それから八街『殿』というのはちょっと。どうにかなりませんか」

「ですが、八街殿がいなければ私はまたクビになっていましたし、部においても私の力不足のせいでろくな指導ができないのも事実。せめてそのように呼ばせてもらえませんか」

 幸は難色を示した。浜路は椅子に立てかけている竹刀を握った。

「では剣で白黒はっきりさせましょう。立てなくなった方の負けということでいいですか」

「それは脅しって言うんじゃ……もういいです、なんでも」

 幸は竹刀の素振りに戻る。

「ですが八街殿。剣術が上手くなりたいのではなく、狩人になるために強くなりたいのなら、体育館の床で竹刀を振っていても無駄だと思いますが」

「え?」

「狩人とはケモノを打ち倒すものではないのですか? でしたらケモノと戦うのが一番手っ取り早い方法です」

「どうしてもっと早く言ってくれないんですか」

「さっき思いついたものでして」

 幸は真顔になった。

「もしかして怒ってます? じゃあ仕方ないですね。私と打ち合いましょう。ケモノではないですがケモノよりも強い私と。少しは練習の足しになるかもしれません」

「もう一人で走り込みしたり筋トレやってる方がいいような気がしてきました」

「せめて私が傍にいる時にしてもらえないでしょうか……」



「遅い」

「はい」

「どんくさい」

「はい」

「何度言えば分かりますか」

「すみません」

 いかるが堂のアルバイトでは、幸はまだ李に扱かれていた。少しは慣れてきたつもりだったが、彼女から見ればまだまだらしい。

 アルバイトが終わると、幸はまっすぐ帰路につく。今日もまたそうしていると、後ろから自転車のベルが鳴らされた。真っ赤なクロスバイクが彼の隣で停まった。李である。

「お疲れ様です」

 李は無言のまま幸に缶ジュースを手渡そうとした。彼がなかなか受け取らないので、李は不服そうに口を開く。

「りんご、嫌い?」

「少し。でもありがとうございます」

 幸はジュースのプルタブを開けようとする。時間がかかっていたので、見かねた李が代わりに開けてやった。

「ありがとうございます。あの、これ。どうしてくれたんですか」

「少しはマシになったから。覚えがいいのね」

 李は薄く笑う。幸が初めて見る彼女の笑みだった。

「必死になってるだけです」

「それでいい。必死で。必死なやつは嫌いじゃない」

「李さんも必死なんですか。すごく余裕があるように見えますけど」

「不是。見えるだけ」

 李は再びクロスバイクに跨った。

「次もまた扱きます。いいですか」

 頷くしかなかった。多少なりとも李に認めてもらえたのだろうか。幸は嬉しくなって、手の中の缶をぎゅっと握りしめた。



 春の大型連休が始まり、五月になった。とはいえメフの住人が外へ出ることはほとんどない。ご多分に漏れず、幸もまた部活動やアルバイトに精を出す毎日だった。

 連休の最終日、朝食を食べ終わり家事を粗方片付けると、ふと、むつみがどこかへ行こうかと言い出した。

「いきなりどうしたんですか」

 むつみは椅子に座ってだらしなく体を伸ばしている。

「このままどこにも行かなかったら、さち君が学校で馬鹿にされないかと思ってさ」

「みんなどこにも行けませんよ」

「それに、最近は色々と頑張ってるみたいだからね。叔母さんからのご褒美だと思えばいいよ」

 唐突だが嬉しい申し出でもある。幸は喜びかけたが、はたと気づいて疑わしそうにむつみを見た。

「タダイチに買い物ってわけじゃないですよね」

「違うよ。まあ、その後で寄るかもだけど。全く、君は疑り深いなあ。人の厚意を素直に受け取ればいいのに」

「叔母さんがそれを言いますか。……じゃあ、どこに行くんですか」

「ついてくれば分かるよ。さ、準備しなきゃ」

 むつみは眠たそうに目をこすりながらリビングを後にした。



 幸が連れられたのはメフの市役所である。地上六階、地下二階。ベージュ色の建物は建築家、団力だん りきの設計によるものだ。メフ市役所は来訪者を快く迎え入れる。業務時間の間だけは。

 とはいえむつみの目的は庁舎ではなく、建築現場で見かけるような、併設されたプレハブ小屋の方であった。周囲にはのぼりが立っており『狩人はこちら』だとか『環境整備課扶桑熱係』だとかが書かれている。

「……狩人?」

「そう。こっち」

 むつみはプレハブ小屋の中に入る。幸も続いた。中は事務所然としており、窓口がある。その窓口の向かいには古海の姿があった。彼女は二人を認めると小さく手を振ってくる。他には誰もいないようだった。

「あの、叔母さん」

「今から扶桑に行くからね」

「あそこに行くんですか?」

 メフに来た初日、むつみに連れられた桜の木である。危険だから近づかないようにと彼女は言っていたが、どういう心境の変化なのだろうかと幸は訝しんだ。

「あれー、ホントに来たんだ? こんにちはー、幸くん」

「こんにちは。ここでお仕事してるんですか?」

「そうなのー。ホントは休みだってのに狩人係はこういう扱いでさー」

「用意は?」

 できてるよー、と、古海は持っていた書類をぺらぺらと振った。むつみは窓口に行き、手続きを始める。幸はその様子を後ろから覗き込んでいた。

「扶桑に行くときはここで受付を済ませるの」

「手続き踏めば行けるんですか」

「狩人はね」

「二人で行くのー? いいなー、デートじゃん。でも危なくない?」

「浅いところだけだから」

 古海が頷き、むつみはまた別の紙とネックストラップを受け取る。

「ん、そいじゃあ気ぃつけてね」

「あの。それは?」

「これ持って扶桑まで行くの。こっちのは許可証だから首から提げときな」

 むつみは慣れた様子で小屋を出て、今度は扶桑の方角へと歩いていく。幸は慌てて彼女の隣に並んだ。

「バスを使おうか」

 庁舎近くの停留所からバスに乗り、十数分かけて扶桑に着く。幸は初日に徒歩で連れて来られた道のりをぼんやりと眺めていた。そこで彼ははたと気づく。前に来た時は夜で暗かったが、扶桑の根元に敷いてある鉄条網の先にはいくつかのテントが張られていた。

「入れるんですか?」

 むつみは首肯し、鉄条網の近くにいた自衛隊員に書類を見せる。彼は無言で入り口を開けた。彼女がそこを潜り、幸も続く。

 扶桑の根元は開けていた。広場めいた空間には自衛隊員以外にも人がいて、好き勝手に歩き回っている。

「危なくないんですか?」

「ケモノが出てきたらね」

「あのテントは?」

 むつみはあるテントに近づいていく。そこにも市役所と同じようなのぼりが立てられていた。環境整備課扶桑熱係の出張所とある。彼女は、テントの下でぐったりとしているスーツ姿の男に話しかけた。彼はのんびりとした動作で体を起こす。

「……ああ、狩人の?」

 むつみが頷き、古海から渡された紙切れを長机の上に置く。男は大量に積まれたコンテナボックスから一つを探し出して持ってきた。幸はその中を覗く。懐中電灯や発煙筒、無線機などがあった。

「得物はどうします?」

「鉈で」

「好きっすね、鉈」

 男は鉈用のケースを机の上に置く。むつみが中を検めた。

「あらら、錆びてますね」

「いいよ、これで」

「って、あらあら、持ってくのそれだけでいいんすか。しかも二人だし、お連れさんは……」

「ちょっと行って戻ってくるだけ」

 むつみは鉈ケースをベルトに差しながら歩きだす。そうして、他のテントはタダイチやいかるが堂の出張所だとも幸に説明した。

「スーパーとドラッグストアのが、なんでこんなところに」

「商売だよ」

 幸は不思議に思ったが、食料も薬も探検に役立つのだろうと考え直した。

 扶桑に近づいてみると周囲の地面は割れていた。その先は洞窟のようにして穴が広がっている。幸がじっとそこを見ていると、むつみは穴を指差した。

「あの中に入るから」

「え? 入るんですか」

「そう。それも狩人の仕事なの」

「……入るんですか」

「おや、怖い? だったら狩人になるのは無理かな」

 幸は気づいた。むつみは自分を諦めさせに来たのだ。だったら思い通りになってたまるかとお腹に力を入れて、拳を握り締めた。



 ここは東山ン本ひがしさんもと大空洞。

 大崩落の際に発生した、扶桑の根元から繋がる地下空間の一つだ。中は扶桑の幹や根っこがあり、大崩落の際に穴底へ落下した建造物が絡まって異様な光景を作っている。全貌は未だ明らかになっていない。

 大空洞に入れるのは役所の許可をもらったものだけである。

「結構明るいんですね」

 幸は足場に注意しながらゆっくりと進む。

 地下には所々に照明があった。スロープ状になったコンクリートの足場は大空洞の壁沿いに作られているが、手すりを乗り越えると一巻の終わりというやつである。落ちれば最後、穴の下まで行くか、途中にある建造物に体をぶつけて死ぬだろう。途中には休むための踊り場のような場所もある。長い時間をかけて先人たちが作ってきたものだ。足場があるということはそこまで探索が進んでいるという目印でもある。

「これ、どこをどう歩いてるんですか」

「扶桑の周りをぐるーっと回ってる感じかな」

 当初、復興は扶桑周辺より始まったが、度重なる余震やケモノの襲来のせいで復興作業は中断を余儀なくされた。今では鉄条網と自衛隊員が扶桑の周囲に目を光らせているが、彼らだけではケモノに対処しきれなかった。しかし、大空洞を調査することは扶桑や、扶桑熱の原因を究明することにも繋がる。動いたのはメフ市役所であった。彼らは『環境整備課扶桑熱係』なる部署を設立し、ケモノの対処、扶桑周辺の調査に乗り出したのである。幸はまだ知らないが、メフの中では警察や自衛隊員も大して役に立たないというのが通説だ。

「来る途中に山が見えたでしょう」

「三野山でしたっけ」

「そう。あれもここと同じような場所なの。ここよりは人が少ないけどね」

 幸は手すりにつかまりながら歩くが、むつみは常と同じようにすたすたと歩いている。差を痛感した彼は勇気を振り絞った。

「どこまで続いてるのかな、ここ」

「一番下がどうなってるのかは誰も知らないよ。でも、狩人はそこを目指してる。壁に割れ目があるの、見える?」

 ごつごつした地肌はひび割れが多い。幸が通れそうな大きなものもあった。

「ケモノはそこを通って地上に出るの」

「えっ……」

「見つけたら仕留めなきゃいけない。パトロールっていうのかな。そういうのも狩人の仕事なんだよ。無駄かもしれないけど、ケモノの数を減らすのもさ」

 十分ほど下っていくと、大穴に途轍もなく巨大な輪郭が浮かんできた。頼りなげな灯りに照らされたそれは、密集した建造物のようである。壁面から伸びる植物の蔦や扶桑の枝らしきものに絡まって穴を塞ぐようにしていた。近づくにつれ、人家やマンション、商店の看板などが見えてくる。

「あれ、何なんですか」

 むつみは立ち止まり、手すりに背中を預けた。

「昔のメフだよ。大崩落の時に落ちてった住宅街とかがああなってるの。狩人はメフの旧市街って呼んでる。地震が起こるでしょ? あれは扶桑が成長してるんだよ。そうすると大空洞の様子も変わるの。旧市街もそう」

「そこが一番下じゃあないんですよね」

「まさか。見えないけど、あの先にも同じような場所があるよ。……地上から見える部分を扶桑の根元とかいうけど、実際、扶桑の本当の根っこはもっとずっと下なんだよ」

 眩暈がしそうな話だった。幸は大きなものをずっと見ていると、気持ち悪くなってきてその場に蹲りそうになる。

「今日はここまでにしておこうか。旧市街まで降りるとケモノと出くわすだろうし」

「いるん、ですよね」

「そりゃあね」

 むつみは幸の横を通り過ぎて来た道を戻り始めた。彼は、扶桑のもたらした大穴をじっと見つめる。漆黒色のそれは、何者かが大口を開けて自分たちが飛び込むのを待っているかのように思えた。



 歩いて帰ろうか。むつみはそう言った。

「前よりはましじゃないのかな」

「何がですか」

「あの時はべそかいてたじゃない」

「……そうですね」

 以前にも通ったことのある道だが、今日の幸には少し違って見えた。大空洞は真っ暗で真っ黒で、この世のものとは思えない光景だった。だが、一条の光明を見たような気もしていた。あの中に、もっと先に、ずっと奥に。そこに何かがあるような気がしてならなかった。

「どうして連れてきてくれたんですか」

 幸はむつみの背に問いかける。

「だって、協力もしないって言ってたじゃないですか」

「んー? 別にしてないよ。連れてっただけじゃない。これで学校で話せるね。扶桑に連れてってもらったって」

「まだ言ってる」

「さち君はさ、どうして狩人になりたいの?」

 振り向いたむつみは穏やかな顔つきだった。幸は逡巡する。

「先は長いんだぜ少年。急いだってしようがないよ」

「でも、なってみたいんです。そうしなきゃ分からないこともあります」

「うん、そりゃそうだね。……私が狩人になったのは十八の時だったかな。学校出てさ、気づいたらそうなってた」

 幸は、むつみが自分のことを話すのを聞いて少し戸惑った。嬉しくもあった。

「狩人を手伝ったのがきっかけだったかも。街にケモノが上がってきてね、その時に。それからは暇だったし、誘われて大空洞に潜ってたりしてた。在学中に旧市街は抜けたかな。二年生の冬休みの時だったと思う。だからさ、さち君もそうしたいんならそうしなよ」

「え?」

「素質あるかもよ。私は、初めて大空洞に行った時はあんまり動けなかったからね」

 むつみは口の端を歪めた。

「怖かったからだよ」

「怖いもの、あるんですね」

「君はさ、将来のことを誰かに任せちゃだめだよ。誰かを理由にしたら余計に後悔するからね」

 幸は小さく頷く。

「誰かのせいにはしません。誰かのおかげってことにします」

「ひねてやがんの。まあ、それならいいかな。それじゃあ帰ろうか。今日は何か食べたいものはあるかい」

 幸はむつみが素直なじゃないことを短い付き合いながらも知っている。それでも今日のことは素直に受け止めようと思った。



 メフの拾二区にある全天候型のバッティングセンターにはクローズの札がかかっていた。入り口の前に立った黒ずくめの男はその札を気にしなかった。男は分厚い指でごついサングラスの位置を調整して大股で歩く。彼の名は茄藤良二かとう りょうじ。赤萩組の二次団体組織、大小野会おおおのかいの若頭である。若い頃は武闘派でならしたものだが、接待と不摂生で体を動かす時間も減った。一九〇センチ近い体躯は横にも大きくなり、のしのしと歩くその姿は熊のようである。

 囃し立てるような声が聞こえる方へ向かうと、打席に立つ弟分と、椅子に括りつけられている男が見えた。二人を子分連中が囲むようにしており、輪の外には見知らぬ男たちが正座していた。

「タニヤマァてめえどういう状況だこりゃあ」

 タニヤマというのが茄籐の弟分である。スーツを着るのが苦手らしく、えらく長い牙の生えた猪がプリントされた真っ赤なジャージと素敵な笑顔がトレードマークの若者だった。

 タニヤマが金属バットを振ると鈍い音がした。飛んだのはボールではなく、椅子に縛りつけられた男の意識だった。

「ホームランでしょこれ!」

「外野フライだろ」

「スリーアウト、チェンジ。次おれな」

 茄籐は熊ですら怯えて逃げ出すであろう胴間声を張り上げた。タニヤマたちは慌てて彼に向き直り、深く頭を下げる。茄籐はタニヤマの頭を小突いた。

「あんなスイングじゃ内野の頭も越えやしねえよ。何してんだてめえら」

 タニヤマはへらへらとした笑みを浮かべる。

「チンピラが赤萩組うちを騙って、ジャリから小遣い巻き上げてたんで。今、締め上げてます」

「あァ?」

 茄籐は正座している二人の男を見下ろした。目が合った方は息を呑んだ。

「こいつらがか」

「ちっ、ちが……! おれたちじゃないんす! ミキってのが勝手にやってたことで!」

 口を開いた男の顔面にワニ革のブランド靴が突き刺さった。蹴られた男はだるまみたいに転がった。

「チンケな末端エダのエダのエダもいいとこですよ、こいつら。蘇幌のガキから金取るだけ取ってアガリも納めねえときてる。どこの代紋使ってたのか分かってねえみたいなんで」

「蘇幌だァ? そりゃあいけねえわなお兄ちゃんたち。……タニヤマァ、ここで一番わけぇのどいつだ?」

 タニヤマは、青いジャージを着たものを指差す。

「こないだ花粉症こじらせてメフに来たってやつス」

「おう。そいつに振らせろ」

「っス。おい、握ってみ」

 タニヤマは青ジャージに無理矢理バットを持たせた。

「球も新しいのに代えてやんな」

 下っ端が、失神している男と正座していた男を取り換えた。青ジャージが打席に立つ。

「振れ」

「うおおっ」

 鈍い音と短い悲鳴がした。茄籐は青ジャージからバットをもぎ取ると、彼の尻をそれで叩く。

「バッカお前、腰が入ってねえんだよ。男ならでけえの一発狙ってくんだよタコ」

 茄籐は見てろと言ってバットを思い切り振った。先よりも音は大きかったが悲鳴は聞こえなかった。

「こうだよ! こう! 手だけで打つんじゃねえよ。全身で振るんだよ」

「もっぺんやってみ」

 青ジャージは叫びながらバットを振る。勢いあまってすっぽ抜けたそれが、中空に弧を描いた。

「はっは! それでいいんだよそれで! おいタニヤマァ、お前ちょっと来い」

「っス。おい、そいつ鍛えとけな!」

 楽しそうな声が上がった。茄籐とタニヤマはそこから離れた場所へ歩いていく。

「珍しいスね兄貴。打ちに来たんスか」

「いや、ちっとな。今、外に人を待たせてんだけどよ。その人のこたあ叔父貴から頼まれててな」

「本家の?」

 茄籐の言う叔父貴とは赤萩組本家本元の幹部、鵜塩うじおという男のことであった。茄籐がメフに来る前から可愛がってもらっていたので頼み事されると弱いのだった。そも、両者の立場は明確だ。断れるはずもなかった。

「誰が来てんスか」

 足音が聞こえてきたので、タニヤマは入り口の方をねめつけた。やってきたのは蘇幌学園の制服を着た、燃えるような赤毛の少女である。

「あァ、困りますよ。勝手に入ってきてもらっちゃあ」

「遅いから見に来たんやろが。なんや楽しそうに遊んどるしな」

 タニヤマは瞠目した。茄籐に物おじせず、しかも上から目線で話しかける少女が殺されるのではないかと思ったのだ。

「……タニヤマァ、この人はな、親父の娘さんだ」

「親父のって……」

 赤毛の少女は厭世的な笑みを浮かべる。

「ゆうても末っ子やし、妾腹の子じゃ。気にせんでええで」

 めちゃめちゃするわボケ。タニヤマは内心で突っ込んだ。

「事情があってな。うちで匿うことになってる。とはいえ困りますよ、好き勝手に出歩いてもらっちゃあ」

「だから挨拶に来たんやろ。見つかってもうたしな。あァ、鵜塩さんがあんたには世話ぁなっとるゆうとったわ」

「そいつぁどうも」



 組長の娘をメフでの住まいに送り届けた後、茄籐は煙草に火を点けた。車中に紫煙がいっぱいに広がった。車を運転するタニヤマは、ミラーで兄貴分を盗み見る。

「兄貴、おれぁ事情を聞かない方がいいんスよね」

「構わねえよ。実のところ俺も聞かされてねえんだからよ」

「そうなんスか」

「叔父貴にはいつも通り頼むとしか言われなかったからな」

 大小野会は赤萩組のメフ支部のようなものだ。組から出た扶桑熱患者の受け皿になっている。だが、茄籐はそれを割に合わないと感じていた。

 茄籐は鵜塩の小狡いところを知っている。本家への不満など決して表には出すまいが、彼は自分のそういった感情を見抜いているに違いない。茄籐はそう感じていた。

「何かはあるんだろうがよ」

「何かっスか」

「あァ、それからな、またやられたぞ」

 タニヤマからみょうちきりんな声が発せられた。

「また藍鶴会スか」

「裏取るまで動けねえなあ」

 茄籐は舌打ちする。下部組織だが、赤萩組の看板を背負ったところがまた一つ潰された。相手はほとんど決まり切っているが、黒幕の尻尾を掴まないと手が出せないのも確かである。半端な真似をしてケチでもつければ藍鶴会が図に乗るのは目に見えていた。

「親父の娘さんはどうするんスか」

「とりあえず若いのつけとけよ」

「うス」

 しかし組長の娘とは厄介なことになった。茄籐はあの赤毛の少女をどう扱うものか考えあぐねていた。あるいは、鵜塩に何か試されているのかもしれなかった。

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