彼と彼との争いは




体勢を立て直しながら踵で地面を擦り、立膝で着地。背後で崩れ落ちる狂獣の振動を感じながら、俺は安堵の溜息をついた。


倒せた。精霊の力あってこその物とは言え、それでもこの集落の事は守れたのだ。これを喜ばずして何を喜ぼう。



『大義であったぞ主人殿。例え見果てぬ夢だったとしても、勇者として在りたいという願いは確かに今叶えられた。その力が未だ未熟である、というのは別としてもな』


「……毎度思うんだが、その一言多いのは何とかならないのか?」


『無理だな。その一言で耳が痛くなるのであれば、それは核心をついているだけの事だろう?』


「否定はしないけどさ……おっと」



炎の勢いが急速に弱まったかと思うと、途端に体を纏っていた炎が中央の胸甲に向かって収束していく。やがて炎が完全に消え去ると、張り付いていた胸甲がカランと音を立てて地面に落ちた。



『ほう、並の人間ならば三日は使える程度に力を注いだ筈だったのだがもうガス欠か? 随分と荒々しい使い方をしたと見える』



確かに狂獣との激突の瞬間、あの時の俺は無我夢中だった。失敗すれば命は無いという事も手伝い、放出する爆炎の量に一切の手加減を施さなかった。


チラリと背後を振り返り、意識を失って倒れこむ狂獣を見やる。俺との激突の際に突き出された、肩口から生えていた左腕は中程から消失している。

爆発の際に焼き切れたのか傷口からの流血こそ無いが、傷口から先の部分は灰すら残っていない。この事実だけでも一撃に込められた熱量が尋常では無いことが理解できるだろう。


これだけの火力を涼しい顔で扱えるというのだから、改めて精霊の凄さと言ったものを実感させられる。俺が万全の状態で、尚且つ全力を尽くしたとしても、あの狂獣相手には一撃を逸らすことがせいぜいだっただろう。肝心の炎も通じず、そのまま成す術なくやられていたかもしれない。いや、きっとそうなっていた。


だが、精霊にとっては狂獣など路傍で吠える犬程度にしか思っていなかったのだろう。事実彼女が少し手を貸しただけでこの有様だ。自らを万能と豪語し、傲慢な態度を取るだけの実力は十二分についている。


彼女が本気を出せば、或いは大陸一つ程度恐るにも足りないのかもしれない。だが、更に驚くべきは彼女のような存在があと三人もいるという事実だ。人間にも勇者のように化け物レベルの実力を持つ者は何人かいるが、彼女らは更にその上を行くやも知れない存在。この土地が何故精霊大陸と呼ばれているのか、その理由が少し分かったような気がした。



「悪かったな燃費が悪くて。初めて使ったもんだから加減が効かなかったんだよ」


『フン、別に責めているわけではない。初見の物を使いこなすなど我の様な万能にしか出来ぬ事だからな……とりあえずこれは我が預かっておこう。再度力を貯めるには時間が掛かるのでな』



 彼女がそう言って胸甲に手を伸ばすと、一瞬にしてその姿がぼやけ次第に消えていく。流石に彼女自身の所持物であるからだろうが、それにしても何処に消えているのかは気になるところである。



「……あ、そういえば手も足も痛くないな。怪我が治ってるのか?」


『ようやく気付いたか。いくら鈍感とはいえ気付くのが少し遅すぎはせんか? まあ、それも精霊骸装の恩恵の一つだ思っておくといい』


「幾らなんでも説明が雑すぎだろ。治癒魔術でも使ってるのか?」


『……大体そんな感じだ』



 やや言葉に詰まってからのこの一言。確実に嘘である。



「……おい、こっちの目を見てもう一回言ってみろ。これ治癒魔術じゃないだろ?」


『……我の持つ財は莫大だからな。一つや二つ記憶が曖昧な物もある』



 やはり決してこちらに目を合わせず、目を逸らしたまま歯切れ悪くそう呟く精霊。こ、こいつまさか俺の事を実験台に……。



『まあそんなことはどうでも良い。それより主人殿には他にもやることがあるのでは無いか?』


「ぐ……あとで詳しく聞かせてもらうからな」



だが、精霊の言う通りラトラやサウリール達の安否確認もしなければならない。今のところ死体は見ていないが、狂獣の暴れ具合からして逃げ遅れた獣人が瓦礫の中に埋もれていてもおかしく無い。


仮にそうだとすれば救出には一刻を争う。今すぐにでも獣人達の安否を確認しなければ、彼らの命は保障できないのだ。



ーーだが、俺は一つだけ重要な事を忘れていた。



「……本当にコイツを倒すなんてな」



獣人達を探すべく、駆け出そうとする俺に掛けられる声。声の主は俺の歩みを阻む様に眼前に立ちはだかる。



「アンタが倒せないくらいまで強くなってた筈なんだがこれはどう言う事なんだよ、あ?」


「……お前、メリダスか?」


『ほお? このタイミングで現れるとはな』


長老モノリスの孫、メリダス。行方不明だと言われていた彼が、なぜかこの場に立っていた。

















刺々しい表情に角の立つ物言い。メリダスの雰囲気からは、到底友好的なものを感じられない。彼が自分を嫌っているというのは初めから何処と無く理解していたが、何故そうなったのかはとんと理解が出来ない。



「済まんが退いてくれないか? こっちにも用事があるんでな、話なら後にして欲しい」


「まあ焦んなって。アンタが危惧してる様な事態もそうそう起こっちゃいねぇよ。それに、このタイミングで出てきた俺に対して含む所があるんじゃねぇか?」



……確かにメリダスの言う通り、あからさまな迄のタイミングで出てきた彼に対して思う所はある。だが、彼の望み通りにここで問答するのはそれこそ思う壺だ。


無視して彼の側を通り抜けようと足早に駆ける。想像に反してメリダスは俺の行動を邪魔しようとはしない……が、真横まで来た瞬間彼が小声でボソリと呟いた。



「良いのか? あいつらがどうにかなっても」


「っ!!!」



思わず出そうになった右手。意思力でピクリと指先が動く程度にまで抑えたが、一瞬で俺の怒りは爆発した。


あいつら。ぼかしてこそいるが、この言葉が何を意味するかと言うことくらいは俺にも分かる。

サウリールとラトラ。俺がいない間であれば、この混乱の中で彼女らをというのはさほど難しい話ではない。奥歯を強く噛み締め、静かに問い掛ける。



「……あいつらに何をした」


「怖い顔だな。そんなにあの女達の事が大事だったか? 体で懐柔でもされたかーー」



だが、その言葉を聞いたらもうダメだった。一気に踏み込み、全力の右ストレート。不意を打った形になったからか、突き出した右拳は勢いよくメリダスの頰を穿つ。


二メートル程は吹き飛んだか、もんどりうって地面へと倒れこむメリダス。接触の瞬間に爆発も添えてやろうと思ったが、ヤツからはまだ話を聞く必要がある為殺すわけにもいかない。溢れ出そうになる殺意を懸命に抑えた結果がこれだった。


 だが、全力で殴られたというのにメリダスはニヤニヤとした不快な笑みを浮かべている。



「そう怒んなって……あんまり調子のって後悔することになっても知らねぇぞ」



 だが、その言葉一つで俺は止まらざるを得ない。彼女たちがどうなっているのか確認できない以上、不用意な行動はとれないからだ。


 歯噛みしながら立ち尽くす俺に、腫れた頬を押さえながら嗤うメリダス。どちらが優位な立場かは、一目見れば分かるだろう。



「よしよし、自分の立場は理解できる様で何よりだ。そんじゃそこから動くなよ? 手元が狂って変な所に刺さったら、苦しむのはアンタなんだからなぁ」



鋭く伸びた爪を一撫ですると、その切っ先と共にドロリとした殺意を向けてくる。

実に醜悪だ。これまでの旅路でもそういった不愉快な物はいくらでも見て来たが、今のメリダスはそれに劣らず見苦しい。



『随分と主の事を目の敵にしている様だな。見たところ、貴様との接点はあまり無かったように思えるが?』


「……あ? ンなもん決まってんだろうがよ。コイツが俺にとって邪魔になるから、それだけだ」


「邪魔? お前にそんな事をした覚えは無いんだが」



俺がそう聞き返すと、メリダスは唾を一つ吐き捨てる。



「アンタにその自覚は無くてもな、十分に邪魔なんだよ……アンタがこの集落にいる限り、俺の権力は絶対にはならねぇからな」


「……権力?」


「ああ。本来なら炎の精霊に捧げ物をする祭祀としての立場、唯一精霊と繋がっていられるというその事実が、この集落において全員を纏められる条件なんだよ」



心底恨みがましくてしょうがない、そんな表情で俺をジロリと見つめるメリダス。その目に光は無く、ただただ深い闇をたたえている。



「それがなんだ? 精霊に認められた? それもポッと出の旅人如きが? ンなもん認められる訳ねぇだろ! アンタが居なければ、アンタさえ居なければ!」


『……ふう、やはり小物は小物か。我の力を権威付け程度に利用などと、余りの下らなさに笑いすらも漏れぬ。興が覚めた、後は適当にどうにかしておけ』



問答は終わりだ、と言わんばかりに精霊は溜息をつくとその姿を消す。興味が無い事にはとことん関わらないその姿勢は、例え主人が危機的状況であろうと一切変わっていないようだ。



「ケッ、まあいい。精霊にも見捨てられた気分はどうだ? 所詮強い奴がいなけりゃ、アンタは何も出来ねぇだろ」


「……虎の威を借ろうとしてたのはお前の方だろ? 俺を殺した所で、精霊からの協力が得られるとでも思っているのか。それどころかアイツの機嫌を損ねて、逆襲の憂き目に遭うかもな? 全く無駄な事を」


「……死ね!!」



怒りを爆発させたメリダスが、一息に地面を蹴る。


速い。やはり獣の因子が入っている為か、魔力による身体強化もかかっていない状態では考えられない程の速度だ。


だがーー狂獣よりは遅い。


爪の切っ先が向かうは胸の中心。直撃を食らえば心臓を貫かれ絶命は必至。しかしながら、あからさまに避ければサウリール達の身柄が危ない。


ならば、僅かに体をずらすことで致命傷を避ける。この選択肢しかない。


肩を僅かに引き、爪の入る角度を斜めに。丁度肩の辺りに凶刃が突き刺さる様に調整をしてーー



「……は?」



だが、そんな俺の思惑は全て無駄になる。


胸の中央から伸びた、銀に煌めく白刃。誰が見ても致命傷と分かる一撃が、突き出ていた。

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