彼らを来訪する者は
集落に着いてから三日目の朝。とは言え朝特有の清々しい目覚めとは程遠く、部屋の中には
陽の傾きから見るに、どうやら昼頃まで自分は眠りについていたらしい。重たい頭を体ごと持ち上げ、眠気を覚ます為に、日に照らされた宙に舞う埃を何とは無しにボーッと見つめる。
それにしても、昨日は一日にあり得ないほどの密度が籠っていた。初めて知った精霊の存在に、強敵との激戦が二回。魔獣を狩っては野営し、また魔獣を狩るというルーチンワークをこなしていたのがつい三日程前までの日常だったと考えれば、随分と自分の生活は様変わりしたと言えるだろう。
今でも夢見心地というか、起こった出来事が実は夢だったのではないかとさえ思う。今も自分は夢の中で、まだ勇者達と共に当て所の無い旅を続けているのでは無いかと。
だが、この体に伝わる感触が、今俺が現実の中に居るのだということをしっかりと伝えてくれる。そう、この手に感じるふにょんとした柔らかい何かが……。
「……んん?」
何か。何か。ナニカ。今この手の中にあるのは一体何なんだろうか? 布団にしては弾力が強く、マットレスにしては柔らかすぎる。
二度、三度。ふにゃん、ふにょん。本当に何だろうか、検討もつかない……
「……主殿、随分と寝起きから積極的なのだな?」
……いや、正直薄々気付いていた。自分は今、触ってはいけない領域に触れてしまっているのだと。ただ、やってしまったという事実から必死に目を背けていただけなのだと。俺はゆっくりと首を振ると、慎重に頭の中で厳選した言葉を紡ぐ。
「成る程、たしかに俺は今触ってはいけない物を触っているのだろう。だが、今一度よく考えて欲しいーー」
一度言葉を切り、溜めを作って一言。
「ーー精霊が人になるなんて思わないだろう?」
隣で寝転びながらニヤニヤと笑みを浮かべる赤髪の少女。その正体は、先日俺の下僕になると宣言した火の精霊だった。
なぜ俺の布団に居るのか。そもそも何故人型なのか。少なくとも昨日までは単なる火の玉だったではないか。そんなとりとめもない思考が頭の中をぐるぐると回っている。
「おーいバグスー? 昼飯も出来たから、いい加減起きてーーあっ」
「あっ」
ノックもなしに入ってくるラトラ。考えうる限り最悪のタイミングである。こんな時に限って鍛えられた俺の体は反射ではなく硬直という選択肢を選んでしまった。その結果、ラトラが目にするのは見知らぬ幼女のまな板を揉む変態の姿だ。
「……待てラトラ。話し合おうじゃないか。話せば分かる。そもそも親しき仲にも礼儀ありと言って、ノック無しに個室へ入るのはーー」
「問答無用だこの色情魔!!」
ネコ科もかくや、目にも留まらぬ速さでラトラが駆けると、次の瞬間俺の顎がかち上げられる。彼女の膝蹴りだ、と気付いたのは鋭い一撃を食らってからの事だった。
ジンジンと痛む顎をさすりつつ、テーブルに並べられた料理を口にする。相変わらず火を使わないものばかりだが、それでもなお美味しいのは作った者の力量のおかげだろう。
当の作成者であるサウリールは、曖昧な笑いを浮かべながらこちらを見ている。今回ラトラをそこまで叱らないのは、こちらにもある程度非があるからか。確かに貸した部屋で居候が異性といちゃついていれば殴りたくもなるだろう。というか燃やす。俺なら。
とはいえ、その怒れる子猫であるラトラは、今現在すっかり大人しくなっていた。理由は明白、目の前に座っている火の精霊のせいである。
いきなり自分たちの信仰対象と飯を食う、という人生に一度あるはずもない経験を彼女たちはしているのだ。無理もない、というか仕方ない。だが、精霊も居候する以上これからほぼ毎日この光景が広がることになるのだから、少しでも慣れておいてほしいところだ。
これが本当の借りて来た猫か、などと下らないことを考えていると精霊が生肉を口に運びながら話しかけてくる。
「ふむ、食い物などというのは初めて口にしたが、中々悪くない。口寂しさを解消する慰み程度にはなる。貢物にも幾つかあったような気もするが、今思うと惜しい事をしたものだ」
……とまあ、このように居候初日の癖して偉そうにバクバクと料理を頬張っている。遠慮という言葉など彼女の頭の中には欠片もないのだろう。厚顔無恥というか、傍若無人というか。
「……お前なぁ、仮にも居候なんだから少しは遠慮したらどうだ? てか遠慮しろ。さっきからどんだけ肉食ってんだ」
「フン、上位種たる我がなぜ人間如きに気を遣わねばならん。そも、我に対し貢物を送っていたのはこ奴らの仲間であろう? なればこの卓に並ぶ品々も我の物よ」
「なら俺はどうなんだ? 立派な人間だぞ?」
「主殿は別に決まっておろう。我を従える事が出来るのは、我に力を示した者のみだ」
「その主が言ってることなんだから大人しく従ってほしいんだが……」
「それは違うな」
ずい、と身を乗り出し顔を近づけてくる精霊。少し顔を動かせばキスが出来そうなほどの距離に、彼女の端正な顔立ちが近づいてくる。自分の顔が若干熱くなったのを感じるが、これは奴が火の精霊だからだと信じたい。
「主殿よ、これは資格の問題だ。我と対等に在りたいのであれば、そ奴らには相応の『資格』が必要になる。いくら主殿の頼みとはいえ、我が只人に
完全に横暴な、勝者としての理論だ。だが、そう見えるのは俺という存在が本質的に弱者たる立場だったからだろう。正真正銘、精霊という上位者である彼女からしてみれば立派に筋の通った主張なのかもしれない。
だが、あくまで主導権は主である俺にあるはずだ。否が応でもある程度は従ってもらわないと困る。
「なら、主の頼みを断るのはどうなんだ? お前にそれだけ資格がある、と言うのなら俺が主である必要性は無いと思うが」
「……フン、考えたな主殿。小賢しいが、今は
大人しく頼みを受け取ってくれたことに対し、心の中で胸を撫でおろす。下手な受け答えをして彼女の機嫌を損ね、暴れられてしまえば抑えることはほぼ不可能に近かったが、己の立場に拘ってくれたことが幸いだった。
彼女は手に掴んでいた肉を口に放り込むと、席を立ってその場を後にする。向かう先は、元来た部屋のドア。
「我は暫し休息を取る。何か用立てがあるならば起こすと良い」
「え、ああ……」
そう言い残し、ドアの向こうへと消えていく精霊。彼女がいなくなった後、俺はサウリール達へと頭を下げる。
「悪かったな。居候させて貰ってる身で我儘言って……あいつの態度は、俺が責任持ってどうにかさせるから」
「いえ、そんなに気にしないで下さい。私達は本当に緊張していただけですので。それにしても、精霊様大丈夫でしょうか……」
物憂げに彼女が消えていった扉を見つめるサウリール。大丈夫、とは一体どういうことだろうか? 俺がそんな視線を向けていると、彼女は追加で説明を加える。
「なんだか、精霊様の背中が少し寂しそうに見えちゃって……ごめんなさい、多分気の所為かもしれないですけど」
気にしないで下さい、と言葉を続けたサウリールは、そのままサラダを口に運ぶ。ラトラも緊張から解放されたようで、自身の前に並んだ肉を頬張り始める。だが、俺はというとそんな彼女の言葉が頭の中でリフレインしていた。
寂しい。そんな感情が精霊にあるのかどうか。彼女のこれまでの態度を見れば、大抵の者は『無い』と答えるだろう。
事実、俺もそうだ。こちらの事情を一切考慮せず傍若無人に振る舞う彼女が、そんな細かい問題で悩む様には思えない。
だが、頭の中はその結論で決着がついているというのに、どうにも胸の奥に引っ掛かりが残る。一体これはなんだと言うのか。
……まさか彼女に同情してるとでも言うのか? 馬鹿馬鹿しい、あいつ程同時する必要が無い奴は居ない。そも、根本的にアイツは『勝者』で俺は『敗者』。その立ち位置が一回だけ奇跡的に入れ替わっただけで、その根っこのところは一切変わっていない。
いや、そもそもあれは勝ったと言えるのだろうか。俺の疲弊具合に対して、あいつの様子は明らかに五体満足といった様子だった。戦いによる汚れこそ付いていたが、傷らしい傷は付けられていなかった気がする。
……では一体アイツは何の為に隷従を?
ーードンドンドン!!ーー
家の中に鳴り響く激しいノックの音で、俺の思考は中断させられる事になった。急な訪問に首を傾げるサウリールを制止させ、俺が席を立ち玄関へと向かう。
「はいはいどなた……って、確かアンタは」
ドアの前に立っていたのは、洞窟で長老を取り巻いていた若者の内の一人だ。一人だけ特徴的な金髪をしていた為よく覚えている。
だが、あの時の威圧的な雰囲気とは打って変わって今ではすっかり大人しくなっている。いや、どちらかといえばこれは……怯えか?
彼の深刻そうな表情をまじまじと見ていると、彼が静かに口火を切った。
「……アンタが『精霊の
「せっ……まあ、否定しきれないけどその渾名は何とかならなかったのか? まあいい。頼みとは何だ?」
俺がそう聞き返すと、暫しの逡巡を挟む。一つ深呼吸をし、意を決したかと思うと彼はがくりと膝をついた。
「な……?」
「頼む……メリダスの事を救ってくれ!」
音がしそうなほど激しい土下座と共に放たれた言葉には、また俺の生活に一波乱を呼ぶ予感がした。
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