2◆勧誘
ビルの一角に陣取った応接室には潤沢に金をかけた椅子とテーブルが並べられている。華美にならぬ程度に飾られた部屋には四人の若い魔法使いがいた。
ひとりは暗殺任務に失敗した少年兵――アッシュ。
人狼化が解けた彼は灰色の短髪と子供の素顔をさらしている。少女に刻まれた傷は癒えていたが、その治癒能力は衣類にまでは及ばない。よって彼は上半身が裸のまま両腕を拘束されている。
ふたり目はその暗殺対象たる少女。
見た目麗しい少女の姿をしているが、人狼化したアッシュを圧倒するほどの身体機能を有した魔法使いである。さしたる労もなく、数々の魔法を行使する様は一流の魔法使いからみても規格外の能力だ。すでに水着は脱ぎ、薄い金色の髪を編んだまま黒のドレスに着替えている。
三人目は胸元を開いた派手な衣装に身を包んだスレンダーな青年だった。
顔立ちの整った青年は少女の護衛役として雇われているが、ソファーに身体を沈める姿は雇い主よりもくつろいでいる。また深夜の呼び出しに眠気を隠そうともしていない。
最後のひとりは小柄な若いメイドだった。
少女の冷たい美貌とは異なり、人を安心させる愛らしさをもっている。肩口でそろえた髪は赤銅色で軽く波打っていた。ちょうどアッシュと少女の中間くらいの背丈だが、純白のエプロンのかぶさった豊胸は少女よりも年長であると主張している。
「まったく、こんな夜中になんなのよ、姫ちゃん」
女言葉の青年が雇い主である少女に問いかける。
この場にアッシュという珍客がいる以上、用事は察せられていたがそれでも聞かなければ話がはじまらない。
「本来、姫様の警護はあなたの仕事でしょう。それをないがしろにしながらなんて言いぐさです」
メイドが青年の名を呼び、たしなめる。
「やーよ、いくら仕事でも自分の命は惜しいもの。それに姫ちゃんにならどうにかできても、あたしじ人間爆弾にされた少年兵なんて相手にできるわけないじゃない。人には得手不得手があるの」
「爆弾ですか!?」
不意の情報にメイドが肩口で揃えた波打った赤銅色の髪を揺らす。
「騒がないでください。カウプさん」
メイドに無感情な言葉を投げかけたのは姫と呼ばれる少女だった。
「それに関しては、このとおり処理してありますから」
アッシュから引き抜き、水晶で覆った心臓を見せながら伝える。それは固体の中にあってまだ脈打っている。
その様子に、同じ魔法使いであるウッドはその原理を解析しようと試みたがすぐにあきらめた。
魔法の定理は人それぞれで、なおかつ他者とは比較にならないほど莫大な魔力を行使する少女の魔法は、おなじ魔法使いから見ても理解不能なものだからだ。
ただ内心で「またとんでもないことを軽々とやってのけている」とあきれるだけだ。あまりの力量差に嫉妬心すら芽生えない。
「それで、この子どうするつもり? わざわざあたしとカウプちゃんを呼んだってことは、土に返して観葉植物の肥料にしようって話じゃないんでしょ」
拘束されたアッシュを眺めながら訪ねる。
アッシュは武器を奪われ、両手を植物の蔦で拘束されている。人の姿に戻ったとはいえ、アッシュの腕力は常人よりもずっと強力である。にもかかわらずそれを破れないのは、その蔦がウッドの魔法によって生み出されたもので、彼も一流の魔法使いだからである。
「まず、拷問で雇い主を吐かせましょう」
「それは無駄でしょ。どうみても鉄砲弾じゃない。なにか知ってるようには見えないわ。そもそもそれなら姫ちゃんの魔法でたどった方が早いんじゃない?」
カウプが当然のように提案すると、ウッドが非合理だからやめようとたしなめた。
「それについてはウッドさんの推測通りです。記憶を軽くさらってみましたが、詳しいことは知らないようですね。アッシュという彼の名前と所属していたゲリラ組織くらいはわかりましたが、そこに依頼した相手までは不明です」
「だったら、もう用済みじゃない?」
「いえ、まだ彼にはお話がありますから」
そう言って少女は黄金色の瞳をアッシュへと向けた。
「さて、いつまでも蚊帳の外にしてすみませんね、アッシュさん。まずは会話を円滑に進めるためにも自己紹介からはじめますか。
私のことはスノーと呼んでください。あるいはふたりと同じように姫でもかまいません。方々に敵を作っていますが、ごく普通の商人です」
「普通の商人は他人の魔法をコピーして武器に定着させて荒稼ぎなんてしないわよ」
ウッドがスノーの言葉を否定する。他人の魔法をコピーし、定着させるなど魔法使いといえど簡単にできることではない。また己の魔法に尊厳を持つ魔法使い程その手法を憎悪している。
そこでアッシュは初めて相手の素性と命を狙われる理由を知った。
「荒稼ぎしているのは事実ですが、コピーといってもしょせんは定着魔法なんて紛いものじゃないですか。オリジナルと被ってるのは原理くらいなものですよ」
「だからだっつ~の」
本人が心頭しているオリジナル魔法を、簡単な定着魔法で再現可能だと貶めているのが憎悪される根幹であるというのに、劣等感と無縁な少女はまるで気づいていない。
「さて話がそれましたが、本題に戻しましょう。さきほども申しましたとおり、どういうわけか私には多くの敵がいます」
「だから理由は……」
ウッドが言いかけるが、スノーは気にも留めない。
「その敵から私を守るための護衛になってくれませんか?」
「なっ」
その勧誘にはカウプが目をとびあがらせた。
「いけません、姫様このような子供にっ」
「聞いてくださいカウプさん。この子の件でもわかるように、ウッドさんは優秀な護衛ではありますが万能というわけではありません」
背後から「すでに姫ちゃんが無敵万能だから必要ないんですけどねー」という指摘は無視される。
「ですから、いざというときに身体を張って守ってくれる忠犬を育てておきたいのです」
「それにこの子をですか?」
「はい」
疑いの眼差しを消さないカウプにスノーはハッキリと答える。
続いて茶化すようにウッドがたずねる。
「本心は?」
「…………なんとなくです」
「オイっ」
予想外にざっくばらんな回答にウッドもツッコミを入れざるをえない。
「そんな理由ではっ」
言いかけたカウプをスノーがとめる。
「そうですね、理由づけするなら面白かったから……でしょうか。あんなにも情熱的に迫られたのは初めてのことですから。
それに暗殺に来た彼ならもう疑う必要はないじゃないですか。はじめから目的がわかってるんですから」
「姫様それはさすがに無茶苦茶がすぎるのでは?」
本気とも冗談とも判断できない無表情にメイドが戸惑う。
「という訳ですから、あなたはいまより私の下僕です。故に返事はワンかワワン、『スノー愛してるよ』の三択です。あっ、ここ笑うところです」
「断る」
スノーの提案をアッシュはにべもなく断る。
「……なぜです」
すかさず続けられる問いに返答はない。
会話は沈黙の幕で中座した。
秘めた魔力ほどにコミュニケーション能力の高くない主に、見かねたウッドが助け船を出す。
「姫ちゃんに雇われると、ときどきとんでもない無茶を言われちゃうけど、それ以外はわりかしホワイトな労働環境よ?
少なくとも心臓を爆弾に変えて自爆テロしてこいなんて命令は出さないわね。もっとくだらなくて面倒くさいことはあるかもだけど。あんただって元の雇用主に忠誠心なんて残ってないんでしょ?」
「ウッドさんのいう通りです。
気が向いたら心臓だって返してあげますよ。そもそも心臓を残したまま何処に行こうというのです? 今生きてるのは私が血管同士を魔法で繋いでるからにすぎません。素直に言うことを聞いていただけると、私もこれ以上まどろっこしい会話をしなくてすみます」
クリスタルに納めた心臓を手にしたまま問いかける。
「楽には死ねないってのはそういうこと?」
「まぁ、そんな感じでしょうか。あなたにはペットとして私にご奉仕する毎日を送ってもらいます。あっ、ご奉仕と言っても性的な意味はあんまり含みませんからご安心を。そういうのはあなたが成長してからのお楽しみにしましょう」
スノーの言葉にアッシュは解答をださず沈黙を続ける。
「他にもなにか条件があるなら考慮しますが?」
「その仕事、やってもかまわない。でもそれには条件がある」
アッシュはスノーの依頼を受諾すると、自らが望む報酬を彼女に告げた。
◆ ◆ ◆
二年前――少年兵になる前のアッシュは密林の村に住むただの子供だった。
半分だけ血のつながった銀髪の妹と妹の母である継母との三人暮らし。
継母は魔法使いではなく、当時の彼も魔法を扱えなかった。継母はアッシュの実の母親と親友だった。
父親のことについては知らない。彼が物心つく前に幼い兄妹を残していなくなってしまった。
義理の母親から聞く父の姿は英雄のような存在で、アッシュも大きくなったら強い男になるだろうと楽しげに語られた。
当時のアッシュは身体を動かすよりも本を読んだり、村の大人たちの話を聞いたりするのが好きなおとなしい子供だった。妹のシュルヴァのほうがおてんばで性別が逆なのではないかといわれたくらいだ。
食事に不自由する日もあったが、それはアッシュに残る幸せな記憶だった。
アッシュの運命が変わったのは、妹の誕生日の前の晩だった。
愛妹の誕生日を自分のことのように楽しみにしていたアッシュは眠れずにいた。
それは興奮のせいだと思っていたが、不意に胸騒ぎに変わる。
――森が静かだ
言いようのない不安から継母を起こそうか、どうか迷っていると耳慣れない音が響いた。それにともない村のあちこちで火花がはじける。その音が銃声であると気づいたのは血を流して動かなくなった大人をみてからだった。
彼はあわてて妹と継母の手を引きその場から逃げ出した。だが幼い子供の抵抗は、他の村人よりも遠くに逃げるだけの成果しかあげなかった。
すぐに囲まれ、銃器を突きつけられると、相手の指示に従うしかなくなる。
襲ってきたのは近隣に根城を構えたばかりのゲリラたちだった。
彼らは銃器による暴力で村から食料とわずかな財を奪うと、村中の男たちを殺した。
そうやって反抗の気力を奪うと、今度は女たちに乱暴を始める。
アッシュには継母を守る力はなく、妹の目と耳を塞ぐしかできない。悪夢が早くさめてくれと真剣に祈るが、生憎とそれを聞き届ける神は不在だった。
やがて前座が終わると、本番にうつることになる。
ゲリラたちは女と子供たち生き残りを村の中央にある広場へと集めた。蹂躙されつくし、瞳から光を失った女たちを一列に並べる。
そして弾を一発だけ込めた銃を子供に持たせ、彼らのいう『大人になるための儀式』をやらされた。
命乞いする大人たちに銃口をつきつける子供。上手く引き金を引けた子供には、マリファナのご褒美が与えられトラックの荷台へと乗せられる。泣きじゃくるだけで、それができなかった子供は撃たれ死んだ。
アッシュは自分の死を悟った。
仮に引き金が引けても、少年兵として消耗品のごとく扱われ戦場で苦しみ死ぬだけだ。殺して死んでいくか、殺さずに死ぬかの二択はどちらがマシなのか……その結論が出せないうちに彼の順番がやってくる。
彼の前に座らせられたのは偶然にも継母だった。ゲリラたちに蹂躙された姿にアッシュの頭に怒りがよぎる。ここで反抗してみせたところで、自分も継母も殺されるだろう。それでもかまわなかった。一発しかない銃弾でひとり道連れに殺す。あわよくばそこから銃を奪い村を救う。
沸き上がった怒りが彼に行動を促した。だがそれを決行するよりも先に場違いな声がその場に響く。
「ラッキ~チャ~ンス♪」
陽気な声をあげたのは、顔に道化師のようなメイクをほどこしたふざけた男だった。
他のゲリラたちと同じような武装をしているが、その気配だけは別物だった。ふざけているのに、それを咎めようとする者がいないのは、そいつがヒュールズという名でゲリラたちのリーダーだったからだ。それをアッシュが知ったのはあとのことだったが。
「キミ、魔法使いの血筋だね」
当時、その自覚を持たないアッシュにはなんの事かわからなかった。だがそんな彼に関係なく事態は進行してゆく。
「大丈夫、言わなくてもちゃ~んとわかるから。だからね、キミには選択肢を増やしてあげよう。特別にね」
そう言って、ヒュールズは涙で顔を腫らしたシュルヴァを母親のとなりに並べた。
「ボクは~ふたりとも殺せ~なんて残酷なこと言わないよ。好きな方を選んでいい」
アッシュは銃口をにぎったまま頭を回転させ、ヒュールズをにらんだ。だがいまこの男を撃ったとしても、誰も助からないのは理解できた。それと同時にここでどちらかを生き残らせたとしても、その後に殺されない保証もない。
迷うアッシュをヒュールズは急かしもせずにニヤニヤと見下ろしている。
彼の迷いを振り払ったのは継母の言葉だった。目隠しをされながらも事態を察したのだろう。彼女は娘の助命を願った。
「アッシュ、シュルヴァをお願い……」
残酷な願いにアッシュは顔をゆがめる。だが彼は銃口を継母に合わせると、その願いに従い妹の命を救った。
それ以来アッシュは少年兵としてゲリラに加わり、いっさい笑わなくなった。
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