俺の子専用保育園!?〜引きこもり女装レイヤーの甲殻類特効遺伝子を異世界へ〜

山盛

プロローグ

第1&2話 天国へ逃げれば

『バチィッ』


『俺』の目の前で火花が激しく飛び散り、

ファンシーなドレスを着た1人の少女がゆっくりと崩れ落ちる。

彼女の握っていた長槍が手から離れ落ち、闇色の地面で軽く弾んで二、三度地面を叩いた。


『俺』はついさっきまで少女だったその亡骸に駆け寄り、

固く閉じられもう二度と開かないであろうまぶたを見て脱力。

その場にペタンと女の子座りをしてしまう。

が、すぐに顔を上げ、少女の命を奪い去った怪物を憎悪の眼で睨み付ける。

注射器や聴診器、メスやハサミなどの多種多様な医療機器を寄せ集めた不定形な姿は、

怪物と呼ぶには余りにも無機質。


「悪魔め……!」


『俺』は自身の胸のペンダントから棒状のアクセサリーをカチッと取り外し、

片手で事足りる短い物ではあるが、それを両手で握って逆手に構える。


「お願いクリードゥリック。

私に……アンジェネリックに力を貸して!」


そして少女の亡骸を見下ろし、僅かに膨らんだ両胸の谷間目掛けて腕を振り下ろす。

瞬間、周囲の闇を打ち消す程の強烈な閃光が『俺達』を飲み込んだ。


閃光が収まり視界が闇一色に戻ると、少女の亡骸が『立っていた』。

生き返ったのではない。

『俺』の意思で自在に動かせる武器に『した』のだ。


『ビシュンッ』


怪物が振り下ろした聴診器の一撃を、『俺達』はそれぞれ逆方向に飛び退いて回避した。

さあ、ここから『俺達』のターンだぞ。


……と思った矢先、階下から登って来る足音によって、

『俺』は虚構の世界から現実世界へと強制送還される。

折角人がゲームで遊んで盛り上がってる時に……と、俺は怒りで歯を強く噛み合わせつつポーズをかけたが、

モニターのすぐ横にあるデジタル時計に目をやると、時刻は午後7時を僅かに過ぎていた。

ああ、もう夕食の時間か。


毎晩これくらいの時刻になると、

母さんが俺の夕食を用意し、2階に有るこの俺の部屋まで持って来てくれるのだ。

俺が中1で引きこもって以来、母さんは毎日ずっとこれを続けている。

表面上は無愛想に接しているけど、正直頭が下がる。


足音が部屋の前で止まり、フスマが開かれた。

俺がそちらを振り向くと、母さんではなく父さんが立っていて、料理も見当たらない。


しばらく振りに見る父さんは、どこか元気が無さげだ。

しかも、とっくに帰宅してただろうに、父さんは仕事着の黒いスーツを着ている。

仕事人間の父さんが、今からどこかに外出でもするんだろうか。

そもそも、どうして母さんじゃなくて父さんが来たんだろう。


「シツ、どうして毛布なんか被ってるんだ。

しかも頭からスッポリと」


父さんが言った通り、俺は黒い毛布に全身くるまっていて、そこから顔だけを出している。


「落ち着くんだよ」


「なら良いが、もう6月だぞ。

ただでさえ痩せてるんだから、汗かき過ぎるなよ」


父さん、理由は言えないけど痩せてるのはワザとだよ。


「ああ」


「それはそうとしてだな、シツ。

実は、母さんがガンにかかっていたらしくて、入院になったんだ」


ガン。

それは、日本人の死因で最多を誇る不治の病だ。

母さんは死んでしまうのか?

俺は衝撃を受け、両手で持っていたコントローラーを離してしまう。

コントローラーはフローリングの床に落ち、カンと硬い音を立てた。


「母さんがガン!?」


「ああ。

確か、乳ガンとか言ってたかな。

それで入院の準備とか色々有るから、

父さんはこれから母さんの居る病院に行って来る。

シツ、とりあえず今日の夕食はこれでなんとかしてくれ」


父さんは胸ポケットから折り畳まれている紙幣を取り出し、

目一杯腕を伸ばして床に置いた。


「じゃあ、父さんは行くからな」


父さんはフスマを閉め、完全に閉める寸前で手を止めると、

「汗かき過ぎるなよ」と言い残し、隙間をそのままにして階段を降りて行く。

父さんが1階に降りたのを音で確認すると、俺は毛布から右腕を出して紙幣を拾い上げる。


「五千円札だ……」


意図的に少食を貫いている俺なら、これだけで1週間は食べれそうだ。

自分が食事をする風景をを思い浮かべた所、胃袋がグウウと鳴る。

母さんは入院だし、父さんも行ってしまっていつ帰って来るのかも分からないので、

これを持って自分で買いに行くしかない。

だが、俺は過去に受けたイジメのトラウマからか、

家の外に出るのが怖くて仕方無いのだ。


全く、父さんも息子に向かって無茶を言う。

最も父さんからすれば、長年連れ添って来た嫁が死の病を宣告されたのだから、

俺が受けた以上の衝撃や不安に苛まれているとしても無理はない。

俺から父さんに文句は言えないな。


また胃袋が鳴り、それに釣られて口の中にツバが溜まる。

ガン入院がいつまで続くか、いつになったら終わるのかは、

医者の医の字も知らない俺には予測もつかない。


だけど、当分の間母さんの手料理は食べられず、

見舞いなんかで父さんの負担も増える事から、

俺は最低限自分の身の回りの仕事だけでも、なんとかこなさないといけない。


まずは食だ。

少食にしているとは言っても、流石に1日1回は食べないとヤバい。

しかし外には出たくないし、ほぼ出られないと言っても良い。

出前の電話もしたくない。


ネットで注文すれば電話をせずに済むけれど、

どの道配達員と顔を合わせなくちゃならない。

自炊は、以前ボヤ騒ぎを起こしてから禁じられている。

母さんが自分で作ると言い張るので、冷凍食品の類はウチには無い。


以上、引きこもり男子の四面楚歌でした。


こうして自分の生活を振り返ってみると、驚くくらいに俺は母さん依存だ。

下手すると、母さんがガンで死ぬより先に俺が餓死してしまいかねない。

痩せたままで居たいとは言え、いくらなんでも餓死は御免だ。

少食の為の人生じゃなくて、人生の為、ある目的の為の少食なのだから。


「んっ!?」


俺はふと、このあわや餓死の状況を打破する名案を閃き、

口を閉じたまま区潜った声を発した。


俺が家から出られないのは仕方無い。

今から外界への恐怖を克服するのは無理だ。

先に餓死してしまう。


なら、俺は家から出なくて良い。

いや、家どころかこの部屋すら出る必要も無い。

俺とは違う全く別の存在が、俺の代わりに買い物をしてこれば万事解決だ。

これなら、俺は負担の一切を回避できる。


俺はガバッと勢い良く立ち上がり、

ずっとくるまっていた毛布を……いや、俺そのものを完全に脱ぎ捨てた。

今この部屋に立っているのは、シナヤマシツではない。


「魔法天使……アンジェネリックアンジェリカよっ!」


吹っ切れた俺は自室を後にして1階に降りる。

玄関のドアを僅かに開き、隙間から外を確認。

通行人が居ないのを確信すると、俺はドアを押し開けてパッと外界に躍り出た。

素早く鍵を閉め、この家の住人だと悟られないよう、全速力で走って家から離れる。

コスプレの一部である天使の翼を模した背中のパーツが、地を蹴る度に揺れているのが分かる。

首から下げているペンダントの付属品である短小なロッドが弾み、俺の胸を叩く。


「はは……」


やった。

このまま自室で生涯を終えると思っていた俺が、

まさかこうもあっさりと脱出してしまうとは。

これなら母さんも安心してガンと戦える。


十分家から離れると、俺は大きく深呼吸をして息を整えた。

外の空気を吸ったのも、どれくらい振りだろうか。


俺の記憶が正しければ、この辺りは通行人が少ない。

いくら女装をしているからと言って、

積極的に他人の注目を集めたいワケじゃないから、

俺は真っ直ぐ、目的地であるコンビニを目指す。


はいもう着いた。


割と最近、俺が住む品山家のすぐ近くにコンビニがオープンしていたのは、

以前にネットで調べて知っていた。

その時は女装で外出なんて思い付きもしなかったから、

調べただけで終わりだったけどね。


歩いて3分もかからない近さだが、

逆に俺はこれだけ近い場所へさえ、これまで自分で行けなかった事になる。

家から出る行為そのもののハードルが非常に高く、

距離や体力の問題は二の次三の次だったんだ。


さあ、とっとと買い物を済ませて帰ろう。

俺は悠々とコンビニの自動ドアをくぐった。


外の暗さとは対照的にコンビニ内はとても明るく、

店内の配色も相まって、引きこもりの俺には眩しいどころか『白く』さえ感じられた。

店員の挨拶が飛んでこなかったが、俺にはむしろ都合が良い。


俺は弁当のコーナーを目指した。

出来るだけ、野菜が多めに入っている物が好ましい。

コンビニ弁当に健康を求めるのもどうかしてるが、

それでも意識するに越した事はないだろう。


膝を軽く折って陳列棚を物色し、

数あるラインナップの中から、俺は豚野菜炒め弁当税込み498円を選択した。

これで良い。

両手を揃えて弁当を持ち、レジに行こうと立ち上がった時、

視界の隅っこに光の反射を感じた。


そちらを見上げると、コンビニ奥のコーナー上方、天井付近に丸い鏡が設置されている。

道路の曲がりカドに良く立っている、カーブミラーとか言う奴に近い。

鏡には小さいながらも、いや鏡自体が姿見なんかと比べて小さいのだが、

コンビニ弁当を大事そうに持つコスプレ少女の姿が映っていた。


ピンクを基調としたフリルの多いロリータなデザイン、

金髪ストレートの頭上には天使の輪、背中には天使の翼を備え、

首のペンダントからはロッドが垂れている。

ここ2、3年練習していたメイクの技術が生かされ、とても男性には見えない。

2次元キャラクターの、魔法天使アンジェネリックアンジェリカそのもの。


俺はしばしの間、鏡に映る仮の自分に酔いしれていた。

150半ばの低身長ありきだが、

食事量を減らし、無駄な筋肉や脂肪を削って肉体をシェイプアップすると同時に、

食費を浮かせて衣装代を貯めた甲斐が有ったな。


毎月始めに『生活費』を渡され、

母さんの手料理にかかる材料費を引いた分がその月の小遣いになる、

マメな母さんが組んだ画期的なシステムのお陰とも言える。


そうだ、俺の部屋にも姿見を置こう。

これまでは手鏡くらいでしか、自分を見たことがなかったんだ。

これ1着だけじゃ飽きるから、他のコスプレにも挑戦してみようかな。


次から次へとああしようこうしようが湧き出して、

俺の意識全体を生きたみの風が駆け巡る。

少なくとも店員は必ず居るにも関わらず、

気を良くした俺は軽くスキップを踏みながら、今度こそレジへ向かう。

レジの前で足を揃えてピタリと立ち止まり、豚野菜炒め弁当税込み498円を置く。


「温めますか?」


店員に聞かれて見上げると同時に、俺はその声に記憶の深部を貫かれた。


店員は背が高く、体の線がやや細い。

コンビニ店員用の黒い制服を着ていて、左胸の名刺には『ちかやま』の4文字。

その名刺より上は確認できなかった。

より正確には、確認する必要が無くなった。


5年前、俺に理不尽で一方的な暴行を働き続け、俺の中学生生活を未来諸共、

その制服みたいに真っ黒に塗り潰してくれた張本人ちかやまだ。

下の名前は忘れたんじゃなくて、そもそも知らない知る気も起きない。


心臓の鼓動が高鳴り、バクンバクンと強く脈を打つ。


「あの、温めます?」


再度ちかやまの声を聞いて、胃の中は空っぽなのに吐き気が込み上げた。

本能的に口を両手で押さえる。


「お客さん?」


3度目の声で俺は耐え切れなくなり、一切合切を放棄して走り出す。

背中からちかやまがまた何か言ったが、聞き取れなかった。


「うわああああああ!」


俺は無我夢中で逃げた。

ちかやまからだけでなく、

必死に忘れようとして心の奥底に封印していた、暗黒の過去から。


こんなに近くにちかやまが居るなんて、俺には到底耐えられない。

もっと遠くに逃げないと。

自宅も安全じゃなくなった。

もっと、遠くに、逃げないと。


「どこへ?」


壊れかけの俺が自分に問うた時、偶然にもその答えが目の前に現れ、

俺は我に帰った。

白くて大きな、赤い光の。


『ピィーーーーーポォーーーーー』


我に帰った瞬間、

それまで脳がシャットアウトしていたけたたましく鳴り響くサイレンを伴い、

俺の全身に衝撃を超えた『破壊』が走る。


そうだ、天国へ、逃げれば……。

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