第66話

 姫条を見ると、彼女は地面にへたり込んでいた。辛うじてクロスボウを構えてはいるが、表情は苦悶に歪んでいる。



「おい、大丈夫か……?」


 駆け寄った俺はそれが愚問であるのを知った。真っ青な顔色に速い呼吸。ブラウスは既に鮮血で濡れている。


「……ごめんなさい。私が油断したせいで……」


 姫条が掠れた声で呟いたとき、クロスボウが消えた。そのまま少女は力尽きたように意識を失う――。


 咄嗟に受け止めようとして、失敗した。俺の手をすり抜けて姫条の頭が地面へ落ちる。



 なんだよ、これ。



 地に広がった黒髪に呆然となる。気配を感じて顔を上げると、運動部員がバットを振り上げていた。その向こうに遠ざかっていく陽來の後ろ姿がある。



 ――また俺は守れないのか。

 頭の中がチカチカした。


 こんなはずじゃない。

 そう思った瞬間、俺はバットで生徒の脚を払っていた。膝から崩れ落ちた運動部員の取り落としたバットがカランカランと転がる。


 そうだ。あのとき、俺は彼女を守れなかった。

 せき止められていた記憶が流れ込む。

 倉庫。複数の男子生徒。押さえつけられた少女。その手首に巻きつくミサンガ。

全てのシーンが一本の線に繋がり、俺の血を沸騰させる。



 俺は取り囲む運動部員を見渡し、倒れる姫条を見下ろした。



「……借りるぞ」



 聞こえないのを承知で言った。

 どうすればいいのかなんて知らない。こんなことなら、やり方をマユリに聞いておけばよかった。


 姫条の上に覆いかぶさる。青白い貌に自分の顔を近付けた。目蓋を閉じて重なる。ぐにゃりと上下感覚がなくなった。瞳を開けると天井が見え、腹部に激痛が走る。


 激痛。しばらく味わっていなかった感覚だ。懐かしすぎて涙が出る。


 俺は腹を庇いながら身体を起こすと同時に唱えた。



「死神コード〇一〇一二、受容体解放」



 姫条の声が自分の口から発されるのは奇妙な感じだ。

 右手首のミサンガが脈打った気がした。


 頼む、マユリ、力を貸してくれ。


 この中にいる少女の魂へ祈る。漆黒は呼応するように増幅器から生まれ出で右手に巻きつき、その形を作った。


「これは……」


 クロスボウができあがるものとばかり思っていた俺は、手に収まる大振りの太刀を見つめ瞬いた。

 漆黒の日本刀だ。鞘はなく、剥き出しの刃がぬらりと鋭利な輝きを放っている。

 以前、姫条が言っていたことを思い出す。


 霊装武器は持ち主の魂が基盤となり作られる。だとしたら、持ち主の魂が違えば、武器の形状が変わってもおかしくはない。


 俺は柄を両手で握り締めると、こっちの様子を窺っている運動部員を斬り上げた。手応えはないが、斬られたそいつからは黒い靄が立ち昇っていく。

 いける。

 俺は雄叫びを上げて剣を振るった。上段から叩きつけるように振り下ろし、斬り上げるのを繰り返す。剣術としては滅茶苦茶だ。それでも俺を取り囲んでいた奴らはわずかな時間で倒れ、靄を放出していた。


 重なる身体を越えフラつきながら俺は倉庫から出る。夕焼けが顔を照らした。


「待てよっ!」


 叫ぶと大小二つの人影が振り向いた。

 小さい方、陽來が片眉を上げるのがわかった。


「その傷であれだけの自縛霊を全て封印するとは、少々いつきんを見くびっていたかな」

「黙れ、犯罪者。陽來の身体で血生臭いことしやがって」


 唸るように言うと、二人がはっとする。


「キミは……」

「下がって。彼の相手は私がする」


 陽來を守るように一歩前に出た白衣の美女は「死神コード〇〇〇九九、受容体解放」と唱えた。


「無謀よ。その武器は生身の私には効かない。キミが私に封印されるだけ」


 雲林院先生は漆黒の槍を顕現させると構える。

 臨戦態勢の雲林院先生を見つめ、俺は笑った。


 それは、的外れな警告に対しての嘲笑というよりは、やっとこのときがやってきたという高揚感から湧き上がってくる歓喜の笑みだった。



「先生、俺に肉体が欲しいか訊きましたよね。答えはノーです。だって、俺はたった一つの目的のために幽霊になったんだから」



 そう、完全に思い出した。俺の魂を現世に繋ぎ止めていた未練は――


 俺は白衣の向こう、こっちを見つめてくる陽來を捉える。



「――今度こそ俺は彼女を守ってみせる」



 剣を構えたとき、夕日に染められた俺の全身が白く、まるで真夏の陽射しを浴びたように烈しく煌めいた。

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