短篇集
夏
優しい陰陽師の千年桜奇跡譚
手紙 if あったかもしれない未来
拝啓 千春様
強く燃えるように草木が色づき、日が段々と早く落ちるようになってまいりました。
少し肌寒い日も増え、秋というよりは冬の気配を色濃く感じます。
あれからどれだけの季節が流れたのでしょうか。
周りの人は、当たり前かも、知れませんが何も変わらずに時が流れているようです。
俺は相も変わらず人斬りを稼業としています。
きっと、そちらに行くことなったとしても、
何処かで会えたとしても、貴女と同じ場所に、隣に立てるとは到底思えませんがせめて一目だけでも、貴女の幸せに笑っている姿を見させて欲しいのです。
俺は今でも________
「
木刀を片手に冷たい地面の上に大の字で転がっている俺を心配そうにしながらしゃがみこんだ女が覗き込む。
茶色よりの黒髪とそれと同じ色の瞳。
何度見惚れたことだろうか。
「顔に傷が」
「これぐらい大したことない」
善意の、優しさのこもった言葉にそっけなく返す。
今思うともう少しましな言い方は出来なかったのだろうかと後悔が募る。
「手当てをしましょう」
苦い顔をして見せたが女は立ち上がり、有無を言わさぬ態度で手を差し出してくる。
「起き上がれないのでしたら私の手を使ってください」
その手には掴まらず、自力で立ち上がった。
女のいいなりにばかりなってたまるか、というちょっとした、そして何の役にもたたない自尊心だった。
この頃の俺はまだ二十代だった。
そんな下らないものなどに拘るほどまだまだ子供だった。
女の名は
俺と同じでこの江戸の外れの村に住んでいる。
年の頃も俺と同じか一つ下だったと記憶している。
ただ、こいつは下級だが武士の娘だった。
親は早くに亡くなり、親戚はおらず、近所の村人の手を少しばかり借り、弟を立派に育てあげた。
そういうことが要因なのか、元来持ち合わせていたものなのかはわからないが聡く、人の機微に敏感で優しく、強い芯を持っていた。
その上、美しいときたら人々はできた娘さんだと持て囃した。
ただ、一つ難点をあげるとすれば我慢をしすぎるところだった。
自分をすべて押し殺し、他の人を優先に考えてしまう。
この事を知っているのは俺と千春の弟である
別に隠しているわけではなかった。
ただ、誰もその事実に気づかないだけだった。
「上がってくださいね」
ただいま、という千春に続きお邪魔します、と形式ばかり言い、入る。
「姉上、また怪我の手当てをしてあげるんですか」
総司は悪いやつというわけではない。
まあ、時々嫌がらせに近い、悪戯をしてくるが大したことではない。
本当の姉ではないが姉上至上主義のようなものだ。
姉のような、母のような存在である千春がある意味部外者である俺を自分たちの領分に招き入れられていることが気に食わないのだろう。
俺よりも六、七ほど下で、十九か二十かだったはず。
千春と全く同じ色の髪と瞳。
この年頃の子らと比べると小柄で綺麗に整った顔は千春の面影がある。
そして、いつも女のように伸ばした髪を頭の高い位置で結っている。
「
窘めてから俺の方に向き直り、ごめんなさいね、と律儀にも謝られ、続いて
姉上が大好きな総司がその言葉に逆らえるはずもなく、渋々といったように謝る。
千春は未だに総司のことを宗次郎と呼ぶ。
いつぞやに聞いた話によるとつい癖で言ってしまうようだった。
「そんなこと、気にしなくていい」
でも、と言い籠るがそれを遮るように総司が俺に聞く。
「今日は何しに来たんですか」
探るような怪訝そうな目を向けてくる。
取って付けたように敬語を使うあたり、怒られたのは俺のせいだと言いたいようだった。
「まぁ、どうせまたどっかで喧嘩でもしてたんだろうけど」
千春に聞こえないように呟いている。
「怪我をしているから手当てをしようかと思って。宗、悪いんだけど薬の入っている箱をとってきてくれないかしら」
心底嫌そうな顔をしたがやはり逆らえないらしい。
「本当にごめんなさいね。あの子も歳三さんのことを嫌いというわけじゃないの」
困ったように眉を寄せている。
「こんな傷ごときに手当てなんていらねーだろ」
ぼそりと独り言のつもりで言ったが予想に反して大きかったようで千春は顔をしかめた。
「小さな怪我だと思って放置をしていると、その怪我をもとに色々なところが悪くなってしまうかもしれなんですよ!」
普段、声を荒らげることのない千春が少しだが荒らげる。
その声に驚いたのか通された部屋の外がばたばたと騒がしい。
「姉上!どうなさいましたか!」
大きな箱を両手で抱え、はあはあと息を切らしながら走ってきた。
「いいえ。歳三さんが怪我をしているのに手当てをしなくてもいい、何て言うから思わず言ってしまっただけよ」
おっとりとした口調で総司を落ち着かせるように言った。
その言葉を聞くなりむすっとした顔のまま、俺の側まで来ると半目で俺の顔をじろりと睨み、言い放つ。
「姉上の好意を無下にするんですか」
「ほっとけ」
「姉上、仕方ないので下拵えをしてきます。何かあったらすぐに呼んでください」
部屋からでた直後も俺を睨み続けた。
ここまできたら称賛に値する。
恐らく、総司は俺の気持ちを知っている。
姉である千春の気持ちも知っている。
だから、面白くないのだ。
俺たちは特別な関係というわけではないが、まるで取られたかのような錯覚をおこしているのだろう。
「今日また喧嘩ですか」
質問と言うよりは確信をしているような言い方だ。
これは二人に言うつもりはないが相手が全面的に悪い。
俺はここらではそれなりに強い。
とある剣術道場の門下生である。
この道場は、名のあるとはいえ、豪農の子でさえも剣の教えを請える。
勿論、総司も同じ門下生だった。
強いというだけで自分の名をあげるためかはしらないがしょっちゅう喧嘩を売られた。
ここで戦わなければ腰抜けなどと罵られ、道場の師範である近藤さんの顔に泥を塗ることになる。
俺の次に狙われるとしたら総司だろう。
相手は余裕で卑怯な手を使ってくる。
数人がかりで襲ってくるかもしれない。
そんなことになればいくら総司とはいえ、厳しい。
それにそのせいで怪我をすれば千春も藤山さんも悲しむ。
俺は道場に入るまでは何かにつけて喧嘩をしていた。
周りからはバラガキだと呼ばれるほどに。
だから都合が良かった。
だが、総司はその事に気がついている。
あれは鋭い。
隠していることでも簡単に、そして目敏く見抜く。
だから俺を追い返しはしない。
でも、やっぱり面白くないのだ。
守られているという事実。
自分も戦いたいが少し怪我をするだけで辛そうな顔をする千春を思うとできないのだ。
「ご自愛ください」
こんな風に俺に労るような優しい言葉をかけてくれるのは今となっては千春か近藤さんくらいか。
「私、歳三さんの傷ついている姿を見たくないんです」
じっとこちらを見つめながら言う。
一点の曇りもない
俺とはまるで真逆だ。
だからこそ。
「俺には守りたいものがある」
少し前にも同じやり取りをした覚えがあった。
きっとその言葉じゃ納得できなかったのだろう。
たが、俺にはこれ以上言えることはない。
案の定、不服そうな顔をしている。
こんなやり取りがあってから数週間ほどたった某日、近藤さんからこんなことを言われた。
京で一旗あげよう、と。
大きな鉄の船___黒船というらしい___が江戸の港辺りにやって来たか来ないかの頃から治安が著しく悪くなっていた。
特に京では尊王攘夷がどうのこうのといい、暴れまわる浪士が溢れ返っているようだった。
そこで、剣の腕の立つ者を募り、不逞浪士の取り締まりをさせるという御触書が出たのだった。
大方、今後、暴れるかもしれない者どもに役職を与え、今、暴れている者を押さえつけよう、とでも考えているのだろうか。
まあ、集める理由がどんなものであろうと近藤さんが行くのならば総司も来るだろう。
なら、ついて行く以外の回答があるだろうか。
ここを去ることに未練がない、とははっきりと言えない。
総司が着いて来るのならあいつは一人きりになる。
それが少し、気がかりだった。
総司は近藤さんから告げられた日に早々に伝えたらしかった。
するとにこにことしながらよかったわね、と言ったらしいかった。
あいつはこれからどうするのか。
動乱の京は危ない。
決して連れていくことはできない。
それらを聞くために沖田家を訪れた。
ここを
「はぁーい」
高くか細い声が奥から聞こえてくる。
どうやら総司は奥で最後の荷物確認でもしているようだった。
「あら、歳三さん。どうかなさいましたか?」
俺からここを訪れることは今までにほとんどなかった。
「浪士組の件で。今、いいか」
「ええ」
どうぞ、と言われ、いつもの部屋に通される。
「いいのか」
お茶を出されて早々、本題を切り出す。
「いきなりですね」
うっすらと微笑みながらそう返してくる。
「もし、嫌だと、淋しいと言えばあなたは居てくださいますか?」
いつもと変わらない顔のまま聞かれる。
それは、と思わず言い籠る。
「ごめんなさい、意地悪な質問でした」
会いにくくなる前にあなたの少し困った顔が見てみたくて、とくすくすと上品に笑いながら続ける。
「だって、あなたは困った顔を全然しないんですもの」
私はいつだってあなたに振り回されているのに。
その言葉に自分の行いを振り返ってみたが覚えがなかった。
「いいんです。歳三さん、あなたが決めたことなんでしょう?」
本心なのかまた、自分を押し込めているだけなのか。
千春の顔をじっと見つめてみる。
「ただ、こんなことを言ってはいけないのかも知れませんがきっと生きてください」
穏やかな光を瞳に湛えながら言った。
その数刻後、俺たちが京に向かうため
人がままばらに散り始めてもあいつは残ったままだった。
総司と何やら話している。
「歳三さん」
話が終わったのか俺のところまでやって来る。
「ねぇ、これを持っておいてください」
千春が差し出したのは俺が知っている一番昔から肌身離さず身にていた簪だった。
淡い桜のような儚い簪。
控え目だが千春を象徴するかのような。
「いつか落ち着いたら、この世の中が平和になったら、私、きっとあなたに会いに行きます。だから、だからそれまでこれを預かっていて欲しいんです」
御守り代わりとして。
「なら、総司の方がいいんじゃねぇのか」
「あの子には御母堂様から
今まで誰にも、一度だって己の願いを口にしたことがなかった千春が願ったことはこんなにも小さなことだった。
千春の分身とも言えるであろう簪を預かること。
俺は想いを断ち切るように一瞬だけ目を瞑る。
「わかった。約束する」
「おーい、
近藤さんの呼ぶ声がする。
「ああ!今行く!」
そう振り返り叫び、千春をもう一度見る。
「元気でな」
「はい、歳三さんもお元気で」
ゆっくりとした動作でこちらに向かってお辞儀をする。
俺は千春に背を向け歩き出した。
「武運長久をお祈り申し上げます」
か細く震えている声が俺の背にのる。
もう、振り返らない。
今振り返ってしまうときっと、もう歩けなくなる。
総司や近藤さんが後ろを振り向き、手を振る。
後から聞いたが千春は俺たちの一行が見えなくなるまでずっと頭を上げなかったらしかった。
「土方さん、さっき姉上と何、話してたんです?」
興味津々と言った風で聞いてくる。
「もしかして伝えたんですか?」
少し機嫌の悪そうに言った。
嫌なのなら言わなければいいのに。
「そんなことするか」
それをしてしまえばどうなるか互いにわかっている。
互いが互いに枷になりたくなかった。
相手が大切だからこそ、相手の邪魔になりたくなかった。
だから、あからさまに相手を想う言葉を言いたくなかった。
だから、あいつは『会いに行く』という言い方をしたのだろうと思う。
自惚れだと言われればそれまでなのだが。
「じゃあ、何を」
俺は青く澄んだ空を仰ぎ、答えてやった。
「約束だ。命を賭けてでも守らなければならない」
「へぇ、これから命を賭けて戦うのに」
「戦って勝つための約束だ」
「ふーん」
聞いておきながら興味がなかったのか近藤さんの所へ駆けていった。
それから
千春が死んだらしかった。
らしかった、と言うのも亡骸が見つかっていなかったからだ。
近所の人たちからの手紙によると夜も更けた頃、千春の家に賊が押し入り、最後、火の手が上がったそうだ。
賊の中には女も混ざっており、出てきた亡骸が千春のものなのか、その賊のものなのかは終ぞ分からなかった。
その話を聞き、総司をすぐに村へやった。
千春はあいつにとって唯一無二の存在だ。
俺と近藤さんが行くようにいうと特殊にもきっちりと頭を下げ、礼を言い、飛んで行った。
帰ってきたやつは律儀に報告に来た。
行ってみたが本当に姉が死んでしまったのかはわからなかったそうだ。
だが、家は全焼。
原形を
「それでも、姉上はきっと何処かで生きています」
総司は千春によく似た真っ直ぐな目をして、俺や近藤さんに言い放った。
結局のところ、葬儀は行わなかった。
必ず何処かで生きているとそう信じていたからだ。
もしかしたら、ただ、認めたくなかっただけなのかもしれない。
手の中で弄んでいた簪をじっと見つめる。
あいつはそう容易く
きっと、結んだ約束を手繰り寄せて、また俺たちの前に現れる。
だから、その時まで俺も何がなんでも切るわけにはいかねぇんだ。
俺はこの世の中を平和にしておく。
会えなくてもいい。
だから、だから。
どうか生きていてくれ。
「
吉村の声で我に返える。
「
「あ、ああ。そう、だな」
本当にどうしちゃったんですか?らしくもない、などと言ってくる。
「それより、何のようだ?」
「あぁ、そうでした。不要になったものを回収してまして」
副長の部屋には無さそうですね、と俺の部屋を見渡して言った。
「もう、副長なんていねーよ」
基本、何も置かないことにしている。
いつ、何があってもいいように荷物の整理はつけている。
「これを捨ててくれ」
今し方まで書いてあった文をくしゃりと握り潰して渡した。
「いいんですか、それを捨てても」
大事なものでは、という風な言い方をしてくる。
「構わねーよ」
どうせ届きもしない、自己満足の手紙なのだから。
その言葉を呑みこみ渡した。
「本当に捨ててしまいますよ?」
「しつこい」
そう言い、部屋を追い出した。
もし、届いたとしてもあいつからしたら迷惑以外の何ものでもないだろう。
どこかで笑っていてくれるのなら。
それ以外、あいつに望むことはない。
俺は今、昔の
時々頼まれる用心棒の真似事もしていたりする。
さっきいた吉村にも仕事を宛がおうとしたがまだ、ここにいます、と断られた。
江戸幕府が瓦解し、新撰組の面々もばらばらとなった。
突然現れた、とある女に助言され、今も生きている。
その女はこの時代にあまりにもたくさんの人が亡くなりすぎるので陰と陽のばらんすがどうのこうの、と言い、今とは別の人間として生きるのならば生かす、と俺たちを助けた。
維新志士などと名乗っているやつもそうらしかった。
ただ、仇討ちはするな、と。
そのように新政府の方にも命令しておく、と。
確実に差別的なものがないとは言えないが予想よりも大幅に無かった。
ふらりと現れてふらりと消えた。
本当に謎の多い女だった。
死んだとされ、生かされた人間の戸籍も作り、同姓同名としたそうだ。
総司も近藤さんも俺と同じで江戸の外れに住んでいるらしい。
総司は元々新撰組で女中とし働いていた
壬生の頃から互いに慕っていたように見えたので本当に良かったと思う。
他の面々も大方は無事だった。
しかし、いくらかは死んでしまった。
「お久しぶりです、土方さん。何年ぶりでしょうか」
また、厄介なのが来た。
入る前は一言ぐらい声をかけろと何度言えばきちんとするのか。
心底機嫌がいいのか、いつにも増してにこにことしている。
「そう怪訝そうな顔しないでくださいよ。折角、あなたに会いたいと言っている人を連れてきたのに」
「俺に?」
軽く眉を潜め聞くと大きく頷いた。
「入ってきてください!」
うっすらと障子に人影が写ってくる。
この影は知っている。
でも、まさか、そんな。
「夢、なの、か……」
「そんなに嫌でしたか、私が生きているというのは」
泣いてます。
そう言い、俺の左頬に手をやった。
「約束ですもの。それにやっぱり、私はあなたの傍でしか笑うことなんてできなかった」
にっこりと微笑む。
俺が見たかったあの笑みだ。
俺は軽く立ち上り、机においてあった簪を取り、千春の髪に挿す。
自分の手が震えているのが分かる。
「俺には、何もない。それでも、傍に、いてくれる、のか?」
上手く言葉が紡げない。
夢のようにしか思えない。
「勿論です。私は昔からお慕いしておりました」
俺が引き寄せたのか、千春が手繰り寄せたのか、はたまた、二人の想いが導いたのか。
どちらにせよ、
約束は果たされた。
拝啓 千春様
強く燃えるように草木が色づき、日が段々と早く落ちるようになってまいりました。
少し肌寒い日も増え、秋というよりは冬の気配を色濃く感じます。
あれからどれだけの季節が流れたのでしょうか。
周りの人は、当たり前かも、知れませんが何も変わらずに時が流れているようです。
俺は相も変わらず人斬りを稼業としています。
貴女が幸せに笑えるのは俺の隣だと言ってくれ、本当に嬉しかった。
だから、俺も本当の言葉を記します。
俺は今でも、
愛しております。
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