第98話「無垢な口づけ」
――その少女を僕は、知っているはずだ。
あの場所で、ここみたいな森の中で出会った少女。
緑色の服で身を包み、その瞳は澄んだように真っ直ぐな青色。
あの時に出会った彼女とは違うと思うけれど、僕はその少女から目を逸らす事。
それ自体が出来なくなっていた。
「初めまして。私はオルフィア……オルフィア・オル・バーデリアと申します。無理矢理にとはいえ、こちらが招いたのです。念の為に聞きますが、道中お怪我はありませんでしたか?」
「……あ、ええと……大丈夫です」
急に言葉を掛けられ、僕はしどろもどろに答え背筋を伸ばす。
「それは良かったです。では、他の方は退室願いますか?この方を警戒する必要はありませんよ」
オルフィアが放った言葉を聞き、周囲から警戒の声が聞こえて来る。
僕だけをここに残すのが不満なのだろう。
仲間意識というか、まぁ女王ならそれは当たり前だ。
どこの馬の骨とも分からないし、正体も分からない奴が居たら警戒するのが当然だ。
「私の事なら心配の必要はありません。この場に精霊たちも、エルフィアもいます。それにこの方は、そんな行動は取らない事を保障致しますよ。我が名に懸けて」
有無を言わせる事はなく、全員が渋々という形でこの部屋から出て行く。
あれだけ警戒の目を向けられると、その中に殺意が混ざってもおかしくないだろう。
帰り道は気をつけなければいけない。
やがて周囲から人の気配は消え、その場には僕と彼女たちだけになった。
側近であろう老人まで退室させるとは、予想はしていなかったけれど……。
「……じー」
視線を感じてその方向を見ると、少女がオルフィアの背後からこっちを見ている。
「え、ええと……(声に出てるんだけどなぁ)」
「――まず私が貴方にお聞きしたい事がありますが、宜しいでしょうか?」
オルフィアは片手間に少女の頭を撫でて、改めた様子でそう言った。
「はい。ですが、さっきのような無理強いもあったりしますか?」
僕は皮肉を混ぜてそう言った。それを言われた彼女は、笑みを浮かべて答える。
「ふふふ、お望みと言うのであれば、私はそれでも構いませんよ。もっとも私にはもう、貴方に無理強いするつもりはありません」
「そうですか。それは失礼を言いましたね、すみません。――それで質問というのは?」
軽い挑発にもならない挑発の言い合い。
その結果が良かったのか、僕の肩から重りが外れる。
どうやら無意識下で、全身に力が入り込んでいたようだ。
「貴方は何故、この場所を隠している結界にお気づきに?」
「気づいたのは偶然ですよ。でもこの場所には最初から、違和感を感じましたけどね」
「違和感、というと?」
「あまりにも無さ過ぎたんですよ、人の気配が」
人気の無い森というのは、確かに分かる。
分かるのだけれど、ここはまだニブルヘイムの領地でもある場所だ。
国境を越えていない以上、その周囲に村や他の町があってもおかしくないのだ。
だけれど周囲には何もなく、人の気配すら感じられないのがずっと違和感だった。
「なるほど。集落の一つでも曝しておけば、良かったかもしれませんね」
「いえ、そういう訳では無いですよ。あくまでも僕個人の話で、それ以外に――例えばどこか敵対する勢力が居たとすれば、隠すのは必然だと思いますよ」
「そうですか。ならばこの障壁も、無駄ではなかったという事ですね。ですがこの障壁は、それなりの実力者じゃなければ知覚出来ないようになってるのです。ですから私は、もう一つの質問を致します。――貴方は、何者でしょう?」
そう言って、彼女は僕を見る目を細める。
その質問は多分、間違ってはいけない部分だ。
ここで答えを失敗すれば、僕の立場は危うくなるだろう。
「……僕自身、『自分が何者なのか』というのはお答え出来ません」
「それは何故?」
「僕が僕の事を完璧に知っている事はありませんし、屁理屈になってしまいますが、人の印象というのは向き合う人間が初めて対面して分かる事です。僕の場合は、今貴方が感じた事、思った事が、全て僕の『何者』という答えになります。僕の口から『僕はこういう人間です。信じて下さい』などという事を言われても、それは信じるに値しないと思っています。――それが僕の答えです」
「つまりは、私が最初に持った印象が……貴方の全てで宜しいのですか?」
「はい。僕は別に、こう思われたいという願望は無いので。まぁ悪人に見られるのは、勘弁して欲しいですが……」
第一印象で、人に対する印象は左右されやすい。
人間が相手を『どういう人かを判断する』というのは、だいたい顔や表情からだ。
その部分で知りたい事、好きになる所、嫌いになる所と分別が始まっていく。
……つまりは連想ゲームになるのだ。
その連想が近ければ近い程、人間は相手の事を知っていく事も出来るのである。
まぁ僕個人の考えではあるから、一概に全てがこれとは言えないけれど。
僕はそう思っているから、こう答えるまでだ。
「そうですね、よく小さい子供などに懐かれる事が有りそうな雰囲気ですね」
「そ、そうですか。(それはどういう意味だろうか。頭が悪そうという意味だろうか?)」
「さて……後は、それでは貴方の眼を見たいという娘に変わります。エルフィ、もう私は良いのでお好きにしなさい?」
「…………はい、お母様」
そう言って少女は、僕の方へとトコトコと歩いてくる。
その顔には、『好奇心』という文字が見える。
揺れる二つの光は、僕の姿を捉えてそのまま近寄る。
「お兄さん、じっとしてて?」
え――?
僕の頬を両手で抑え、逃がさないように少女は顔を近づけた。
「……んっ」
僕と少女との距離は、完全にゼロになった。
そしてその瞬間、僕の思考が完全に停止したのであった――。
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