第82話「愚王の刺客」

……ムスペル城内、地下牢。

天井から滴が落ちて、水の音が小さく聞こえて来る。

鍾乳洞の中のような湿気が広がり、冷たい風が身体の体温を冷やしていく。

「……ここじゃ、眠れるものも寝れないな」

岩で出来た天井は、この場所を覆っている所為で真っ暗だ。

今のうちに出来る事といえば、僕は回復に専念する事ぐらいだろう。

だが体内の魔力は回復して、体力も回復しなければここに居る意味がない。

あの能力を使ってしまったのは、やはり間違いだったかもしれない。

その所為で、やたらと頭の中で声が響いてくる。

記憶の中に残った声ではなく、この眼に宿った悪魔の囁きとでも言っておこう。

気を抜いてしまえば、知らない間に身体が乗っ取られるという奴だ。

……迷惑な話である。

「……うるさい」

頭の中で頭痛として、ズキンと身体全体に走っていく。

それが耳障りな声と一緒に聞こえて、僕の視界をも霞ませていくのだ。

本当に迷惑な事だ。立って歩くのも辛いとは……。

洞窟のような岩に覆われているこの場所では、空気の循環もかなり悪いのだろう。

呼吸法をミスすれば、恐らく酸素不足になって意識を持っていかれる。

ここからは、慎重に行動しなければならない。

大人しくしながら、という絶対条件は揺るがない訳なのだけど……。

そう思っていながら、僕はどうしても気になってしまう要素があるのだ。

ここから出られたとして、どうやって今の王と謁見するかという事だ。

ディグル将軍が率いる騎士団は、王の命令でしか動かないと思う。

だからこそ、明らかに狙っていたような迫撃だった。

迫撃砲という物がこの世界にあるとは思えないが、火の魔法での狙撃は可能である。

小規模でありながら、一つの家を爆発させる魔法だ。

街中から見えたとはいえ、気になるほどの爆発音もしなかった。

「…………はぁ。考えれば考えるほど、この国の王は何で彼らを殺したのかが分からない」

奴隷という存在が消したいなら、街中に残っている奴隷たちも殺しているはずだ。

でも逃げていく住民の中には、その奴隷の姿も見掛けている。

何か理由があるとすれば、僕が予想出来る事は二つ。

奴隷としての役目から抗った、というのが何かにバレて罰を受けた。

もう一つとしては、誰かが彼女と僕の存在を密告したというのが理由だ。

土の精霊から見ていた事は聞いたけれど、僕が聞いたのはシロが暴走した事とディグル将軍が一枚噛んでいる事だけだ。

それ以外の事があるとすれば、候補の中かあるいは候補の他に理由があるはず。

ザッ……ザッ……。

わざとらしく土を蹴る足音が聞こえて来て、僕は無意識に息をひそめる。

「――お主がフレアという者で、間違いないか?」

「……っ……!?」

この場所は地下牢の奥で、フリードが誰にも見つからないだろうと踏んだ場所。

だからこそ、今目の前に立つ人物を見て言葉を失った。

その厳格な仕草と、纏っている空気の重み。

「我が名はムスペル。ムスペル・アタランテという者だ。してお主の名は?」

その男は、僕を見下ろして名乗る。

「……アタランテ、って」

僕はその名を知っている。いや聞いた事があるだけで、うろ覚えかも知れない。

だけど――僕の頭の中で、何かが蠢くのを感じられたのだった。


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「……誰ですか?あなたは」

「下がっていなさい、フィリス」

目の前に立っている鎧の人物。その纏う空気は、殺気にも似ている重みだ。

『……情報通り。その髪、その瞳――まさしく白き魔女という訳だ』

白き魔女というと、私の追っ手。いや正確には、私の中で休息している彼女の……。

私自身に魔力はあっても、魔法というモノを使う事にはけていない。

出来る事は、身体能力を向上させる魔法と幼い頃から学んだ護身術のみ。

『貴様に恨みはないが、我が王の命令だ。大人しく投降するか、ここで死ね!』

反抗してもしなくても、相手は返事を聞く前に大剣を振り下ろしきた。

もうその時点で、私の結論は出ている。

「……ひとつ、忠告してあげます。魔法を大して使えない私でも、武術の心得さえあれば!――戦える!」

『ぬっ?!ちょこまかと!』

左右に動き、振り回される大剣を避けて間合いに入る。

そのまま彼の動きを応用して、相手の腹部へ掌底を打ち込む。

私の得意の分野に沿って、彼が教えてくれた武術の一部。それを放つ。

掌底破しょうていはっ!!」

『ぐぅ!?……がはっ』

腹部に入れた衝撃は、相手の血液や体液を逆流させる。

身体を打ち抜かれたような感覚は、内臓へと達する事が出来るのだ。

まぁこれは、彼から教えられた技だが……私でも使えたのは確かだ。

「フィリス、逃げますよ!」

「はい!」

私はフィリスの手を取り、外へと駆け出る。

だがその瞬間、何か邪魔されるように足を掴まれたのだった。

『我が……王の命令は、王の意志……貫かなければ――私は……!』

「ひっ!?……は、離して!」

それは純粋な嫌悪から来た声だった。

掴まれた足は、かつて味わった事のあるトラウマを思い出させる。

私が私で無くなった記憶が、魂の奥底から避けたい記憶が……。

鎧の者の兜は外れ、逃がすまいとする表情がこちらを見据えている。

逃げなくてはならない。逃げなければならない。

そんな思考を繰り返しても、怯えた感情で動く事は許されていなかった。

「『――ハク、代わって下さい!』」

自分の口からなのか、それとも彼女の声なのか。

あるいはその両方なのかは分からないけれど……。

その声はいつでも、私を救ってくれている事を確信してしまうのだった。

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