第72話「見えない想いは注がれる」

ドクン、ドクン――!

鼓動が繰り返され、フレアは奥歯を噛み締める。

聞こえてくる誘惑の声は、同じ言葉と罪を繰り返す。

――殺セ、殺セ。ソイツハ餌ダ。

違うという事は分かっていても、徐々に意識が遠くなっていく。

『あぁ?こいつ震えてやがるぜ?』

『はははは、嘘はせよ。こいつはあの噂の奴かもしれないんだろ?演技かもしれねぇぜ?』

『それもそうだなぁ。さて、どうするか……』

男たちはそんな言葉を交わしているが、彼の耳にはそんな会話は届いていない。

自分の中にある黒い衝動を抑えるのに精一杯だからだ。

抵抗し、逆らい、塞ぎ込み、遠ざける。

彼女と出会って、それは分かっている工程だ。

だが分かってはいても、身体が言う事を利かない場合は話が別である。

――逆ラウナ、殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ殺セ。

「うるせぇな、バカヤロー!!」

彼は言われ続けた言葉を遮る為、体術をしながら込み上げる衝動を振り払った。

『ぐぉっ!?』

腹部に一撃入れ、地面に肘で叩き付けた。

『こんのガキ!』

そしてもう一人の顔を鷲掴みにして、壁へとぶつけた。

致命傷では無いにしろ、気絶させる点では効果はあるだろう。

雨が降っている中で、彼は壁に背を預けて溜息をする。

「――流石にもう限界かな。ははは、でも頑張った方かな、多分」

座り込む彼は、灰色に染まる空を眺める。

「大丈夫ですか?」

「……ハク?」

「今はシロですよ。もう既に結界張ってますので、シロたちの姿は見えてないです」

彼女は彼を見た瞬間、事態を察知している。

張った結界は、視覚に影響を与える魔法結界。それが彼らの姿を隠しているのだ。

彼女は彼の状態を見て、そのまま近寄る。

雨に降っている所為で、肌寒いぐらいに身体が濡れている。

布で出来た服は、彼女の肌に張り付いてつややかにしている。

少女という容姿だが、水が滴るその姿は魅惑を誘うだろう。

「えっと、あまり見ないで欲しいです……」

自分の今の状態が分かっているのか、目を逸らして彼女は言った。

ドクンと脈を打つ身体は、恥じらいの中にも求める物がある。

彼女は恥じらいながらも、彼の頬に手を添えて小さく吐息を吐いた。

彼もそれは分かっている。目を閉じ、それを待った。

「……っ」

彼女は目を閉じて、彼にそっと唇を重ねる。

その瞬間、彼らを中心に魔法陣が広がっていく。

結界を張っているとはいえ、高い魔力を持っている者に見える可能性がある。

だけどそんな事、彼女にはもう関係なくなっているようだ。

「んん……んっ……っ……」

重ねた瞬間、小さく声が漏れる。

舌を絡めて、抱き締められ、身体には熱を帯びていく。

視覚を狂わせているとはいえ、彼らからは街の様子が見える。

だけどそれは、もう二人には関係ないのだろう。

気にしている素振りも、そんな暇もないようだ。

「……はぁ、はぁ……どう、ですか?」

頬を赤く染めながら、彼女は彼に問いかける。

座っている彼も、自分が彼女を抱き締めていた事に気づき頬を染める。

『――ま、魔力回復は済んだだろう?早く離れたらどうだ!』

彼女の中にいるもう一人の彼女が、じたばたとしながらそう言った。

自分の肩を抱いて、身体を庇うようにしている。

その彼女の様子は、魔力を共有している今の状態なら見えるだろう。

「えっと、シロもハクも、ありがとう。助かったよ」

彼は指で頬を掻いて、申し訳無さそうにそう言った。

幽霊のように浮遊している彼女は、鼻を鳴らして消えてしまった。

「帰ろう、フレア!みんなが待ってるよ」

彼女に腕を引かれ、風の魔法で空中を移動する。

帰った瞬間、子供たちがガヤガヤと迫ってくる。

それは帰ってきたという証でもあり、子供たちの表情には安堵した様子が浮かんでいた。

帰りの遅かった彼らは、身体が温まる料理を作りその日を過ごした。

こんな幸せな時間が長く続けば良いと、彼らは願っているのだろう。

だがそんな子供の中で、少女はただ一人感じるのだった。

それは獣の血を引いている彼女だからこそ、分かる事なのだという事。

それを彼が知るのは、また少し後の話であった――。



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