第15話 元悪徳貴族、母さんの稽古

「ルカ。今日は私と剣の稽古をしましょうか」


 翌朝、食卓へ行くと、母さんが開口一番にそう言ってきた。

 以前までは母親と呼んでいたが、父さんに受け入れてもらえたからか、彼女のことも自然と母さん呼びになった。

 だが、そんなことより。


「……おはよう、お母さん。すっごく唐突だね」


 母さんから挨拶もなしにそう言われ、眠気が吹き飛んだ。

 今の爆弾発言は何だ。聞き間違いか?


「そうね。でも、今日は良い天気だから稽古には最適の日よ」

「確かに良い天気だけど、僕が言いたいのはそういうことじゃないよ」

「あら、じゃあ何が言いたいの?」

「なんで剣の稽古をしようなんて僕に言ったの?」


 ルカが母さんから剣を習っていたとは考えにくい。

 俺が思い出せる限りではそんな記憶は無いし、ルカの腕はいくら子供とはいえ剣を振っていたにしては細すぎる。


「それはルカが一番よく知っているんじゃない?」

「え?」


 驚いて、母さんの顔を見る。

 彼女はただ優しく微笑んでいた。


「朝食を食べ終わったらすぐに始めましょう。今日は珍しくお父さんも部屋にこもっちゃったから、邪魔される心配も無いわ」


 父さんはいつもなら帰ってきた翌日はルカが嫌な顔をするくらいルカにべったりなのだそうだが、今日に限っては違っていた。

 彼は俺が食卓にやってくる少し前に朝食を食べ終わると、そのまますぐに書斎へ入っていったらしい。

 恐らく、昨日の会話で得た情報について色々と調べているのだろう。


「邪魔されちゃ困るの?」

「もちろんよ。稽古の途中で邪魔が入ったら集中力が切れちゃうでしょう? そうなったら、ルカの実力を測れないじゃない」

「じ、実力って……僕、剣も握ったことないのに」


 背中に冷や汗が流れる。

 母さんはそれ以上何も言わず、朝食の準備をし出した。

 俺は不安を募らせながらも、朝食を食べるために食卓についた。




 空は青く、日の光が心地良い。

 朝食後、俺は母さんに連れられて家の裏手へとやってきた。

 家の裏手は少し広い庭のようになっており、障害物もないため剣術の稽古にはぴったりの場所だ。

 母さんはどこからか持ってきた木の剣を俺に差し出す。


「構え方はわかるわよね?」


 その瞬間、母さんの身にまとう空気が変わる。

 普段の優しそうな笑みは消え、昨日のレッドベアーとの戦いで見せていた凜とした顔がそこにはあった。


「僕、剣なんて――」

「誤魔化さなくていいわ。もう、あなたが何者なのかは知っているから」


 ……やはり、母さんにもばれていたらしい。

 正体について知っているということは、父さんから直接聞いたか、もしくは昨日の会話を聞かれていたのかもしれない。


「……俺が何者かを知りながら、この稽古を提案してきた理由は何だ?」


 俺がガイウス・リーリエだと知っているなら、わざわざ稽古をつけてあげるなんて言わないだろう。

 稽古というのはあくまで名目で、他に目的があるのは間違いない。


「言ったでしょう? ルカの実力を知りたいの。でも、そうね、強いて言うのなら――」


 母さんが、俺に渡したのと同じ木の剣を構える。


「あなたと一度手合わせがしてみたかった。これが一番の理由かしら」


 そう言って、母さんはニッと笑う。

 その顔は、これから行われることへの期待でワクワクしている少女のように見えた。

 正直、ルカの鍛えられていない身体で無茶はできないから手合わせはしたくない。

 しかし、そんなキラキラした瞳で見られると、無下に断ることもできない。

 それに、俺もワクワクしてきているのだ。

 レッドベアーと互角に戦えるほどの強さを持つ母さんと戦えるなんて、光栄じゃないか。


「さあ、早く始めましょう?」


 母さんに煽られ、俺も剣を構える。


「言っておくが、ルカの身体では大した動きはできないぞ」

「そんなの承知の上よ。そっちから来ないなら、私からいくわ!」


 母さんが俺に向かって駆け出す。

 俺は振り下ろされる剣を受け止めようとしたが、ハッとして咄嗟にその場から飛び退いた。

 標的を失った母さんの剣が、そのまま地面へと振り下ろされる。


 ――ドガァーン!


 およそ女性が振るった剣とは思えない音と共に、剣が触れた地面が抉れた。


「……本気で殺しに来てるじゃないか!」


 身体強化だけでなく、剣に硬化までかけてやがる。

 あんなもん生身で受け止めようとしてたら、前世の俺でも剣ごと叩き斬られてたぞ。


「師匠の教えなの。例え自分より劣る相手との練習でも本気でやりなさいって。私も昔、師匠に何度も殺されそうになったわ」


 とんでもない師匠がいたもんだ。

 その教えを守っている母さんも母さんだ。


「でも、仮にも自分の息子だぞ? もう少し手加減してくれても良いじゃないか」

「あら、師匠は自分の子供なら尚更手加減するなと言ってたわ」

「いや、それにしたって……」

「それに、師匠はあなたからそう教わったって言ってたのだけど?」


 え、そんなこと教えたか?

 それに、俺が指導したのは第一部隊の隊員達だけだし……。

 ……あ、そういえば、訓練の時にそんなこと言った気がするな。

『実戦で相手を見くびったら殺されるぞ』

『子供の将来を考えるなら、中途半端な稽古はつけるな』

 確か、そんな理由と共に口にした言葉だったはず。

 まさか、その発言が今の俺を苦しめることになるなんて。

 過去の俺をぶん殴りたい。お前のせいで殺されそうだ、と。


「でも、流石ね。最初は受け止めようとしてたのに、一瞬で勘づいて避けられるなんて」


 別に母さんが身体強化をかけていると気づいていたわけではなく、ルカの細腕で母さんの剣は受け止められないだろうと思って避けただけだ。


「だけど、それがあなたの本気ではないでしょう?」


 そう言って、母さんは楽しそうに笑う。


「ほら、早く本気にならないとドンドン攻めていくわよ?」


 母さんが剣を構え直し、再び俺に向かって斬りかかってくる。

 もう受け止めようなんて考えない方が良いだろう。

 身体強化は身体への負荷が激しいからなるべく使いたくない。

 隙を見て、一撃で決めるしかなさそうだ。

 俺は母さんの攻撃を躱すことに徹した。


「避けてるだけじゃ勝てないわよ?」


 母さんが煽ってくる。

 俺がなかなか攻撃してこないのが不満なのだろう。

 だが、煽っていても隙を見せることが無いのは流石と言うべきか。

 おかげで攻撃したくてもできない。


「……はあ、はあ」


 たった数回攻撃を避けただけで、ルカの身体は悲鳴を上げ始めた。

 やはり、ルカはあまり外で身体を動かすようなことはしていなかったらしい。

 これからはちゃんと身体を鍛えよう……この戦いを生き延びられたらだが。

 これ以上は避け続けられる自信が無い。

 ここは一か八か、攻撃に転じるしか――。


「おーい。マーラ、ルカ。さっき凄い音がしたけど大丈夫かい?」

「カイン!?」


 突如現れた父さんに驚き、母さんの動きが一瞬止まる。


「隙あり!」


 俺は身体強化と剣の硬化を行い、母さんへ向かって剣を振るう。

 しかし、母さんも素早く反応して俺の剣を受け止めようとする。

 そして、互いの剣が触れ合った瞬間。


「きゃ!?」


 俺の剣が、母さんの剣を斬った。

 刃の部分が衝撃ではね飛ばされる。


「はは……俺の勝ちだな」


 母さんは、柄と鍔だけになった剣を呆然と見つめていた。

 俺は肩で息をしながら、体勢を戻そうとする。


「っ!」


 その時、急激な目眩がした。

 立っていることもできなくなり、俺はそのまま地面へと倒れる。


「ルカ!?」


 誰かが俺の名前を呼ぶ。

 両親が駆け寄ってくる姿を最後に、俺の視界は暗転した。

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