梨・他

五日間間断なく眠った後、ようやく起き上がる気になったから小指が通るほど薄く窓を開けた。しばらく部屋の滞って澱んだ空気が熱交換されるのを眺めてから、季節が変わっていることを理解して、そのうちまた眠気に身体を奪われた。翌朝、ベッドの端に転がった錠剤を一粒噛んでみた。西洋梨の味がした。





今年最後の餅は柔らかかった。節と徳利で前後不覚に陥り、焼餅の外殻は餅の餅的性格を著しく損じているとぶちあげた私に翌朝彼が差し出したのはクッキングシートに餅を載せ、マイクロウェーブを照射したという怪しげな食品だった。それはどこまでも柔らかかった。どこか張り合いのない柔らかさだった。





春になると、あかりの灯る家がある。子供が誘われよく消える。一人入れば、一人出る。桜の枝を一抱え、腕いっぱいに村へ降る。煮出して染めた糸で織る絣は妙なりよく売れた。ある春、出た子が空手のまま、これでお終い、そう言うと春のあかりはなくなった。村も廃れて、今はない。桜絣の鮮やかさだけ。





ピラミッド状に積まれたたこ焼きが眼前に迫る。俺は両手にソースとマヨネーズの巨大なボトルを一本ずつ抱えている。立ち昇る湯気が顔を撫で、早くかけろと急かしても、力を加えた瞬間この四角錐の均衡を崩してしまいそうで、ボトルの蓋をぐずぐず弄んでいる。きっと、冷めきってしまうまでいつまでも。





救急車に乗ってどこか遠くへ行きたい。いつまでも減衰しないサイレンの音が私のお腹から記憶を一つずつ取り出して、広い敷地の、知らない町の病院の芝生にそれらすべて蒔いてしまって、寒々しいほど青白い蛍光灯の、痛々しいほど清潔な病室に運ばれて、眠りに就いたらもう、起きなくたってかまわない。

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