第1話 聖地にてお呼ばれに預かりました。
ピッ、ピッ、ピッ、ポーンと子供の頃から聞き慣れた、正午を告げる電子音が聖地と呼ばれる町に響き渡る。
『午後0時となりました。お昼のニュースをお届けします』
その音に一拍遅れ、今人気絶頂だという女性アナウンサーが手元の原稿を笑顔で読み上げ始めた。しかし、彼女に注目する人間は誰一人として居ない。まあ、当然の事だろう。馬鹿デカいビルに設置された大型ディスプレイの向こう側に居る人間に興味があるかないかと言われれば、答えはノーだ。そんな事に時間を費やしている余裕など、横断歩道をひっきりなしに行き交う現代人には無いのだから。
そんな事を思いながらも、俺――
「……ん輩……先輩、聞いてますか!? こんな所で立ち止まってたら邪魔です、よっ!」
「あ痛ぁ!?」
隣からの透き通る様な声と共に、スパンとノートパソコン諸々の仕事道具が入った
「ぶっ……ちょ、殺す気か!?」
「取り敢えず早く立って! そろそろ信号赤になりますよ!!」
反論する暇さえくれずに、同僚は黒いハイヒールをつかつかと鳴らしながら足早に横断報道を渡ってしまう。
「おい、待ってって……あ、あのすいませんでした、大丈夫なので~……」
周囲から槍の様に突き刺さる視線を体中に浴びつつ、俺は急いで起き上がり、すれ違う人達にへこへこと頭を下げながらその後を慌てて追った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「か、体の前半分だけ痛い……。ああ、まだ頭がぐわんぐわんする……」
「だったら返事ぐらいして下さい」
「だからって鞄で殴るのはどうなの?」
一応、年上なんだがなぁ……とぼやいてみるが、同僚の彼女――
……先輩にこの態度とは、良い度胸してるよこいつ。俺だったら絶対出来ん。将来が楽しみなタマではあるけど、その前にクビにならないか心配でならない。
「……先輩、お疲れなんですか? 最近多いですよね、ああやって急にぼーっとする時」
「あのな、言い方をもうちょい考えろよ……。……俺だから良いものの、上司にそんな口きいてないよな?」
「大丈夫です。先輩だけですから」
「それはそれで悲しいんだが……」
ちょっとへこんだが、俺は小鳥遊から尋ねられた事に素直に答える。
「……最近、思い出すんだよね」
「何をです?」
「
自分で言うのもなんだが、俺は結構人生良い線行ってたんじゃないかと思う。いや、正確には今もそうだが、前はもっとだった。
学生時代の成績は上から数えてすぐだったし、進学した大学も全国じゃ名の知れた所。
大学でもそこそこ優秀な成績を収めて卒業し、かなりの大企業である――今の会社に採用された。
配属先は製品開発部門。要するに新しい商品企画を考える部署だ。
そこで俺はガンガン商品を考えて、企画をプレゼンしまくった。一応企画は通ったし、商品も売れたが、あくまで『新人の割には』程度のヤツだ。俺はそれをただ有り得ない程出しまくったってだけで。
一年経った時には、同期の中で一番の出世頭と俺は
それを受けて、きっと俺は
出世頭と言われて四年。俺もそれを疑う事なく突っ走った結果――俺は超デカいプロジェクトの責任者を任されてしまった。
明らかに当時の部長はどうかしていた。弱冠26歳に何任せてんだよアホかと言いたい。だがもっとどうかしていたのは、俺も含め、誰もそれに疑問を持たなかった事だ。
まあそんなこんなで選ばれた俺は頑張った。超頑張った。プロジェクトに関わっていた皆も積極的に協力してくれたし、失敗する訳が無い。そんな事は有り得ないと、本気で思っていた。
……ここまで話せばお分かりだろう。もう既にここで死亡フラグはビンビンに立っていたのだ。
『ありえないなんて事はありえない』――ある漫画の名言だが、それを痛感した。
結果から言えば大失敗だった。
プロジェクトは総崩れ、会社もかなりの赤字を算出。
失敗の原因はよくある小さなミスだった。それが人を介すに連れて、どんどん取返しのつかない事態に発展していったという事は後から気付いた。
正直、誰も悪くないと言ったら嘘になる。けど、それに気付けなかった俺らも同罪ではあるだろう。
部長はこの責任を取って会社を辞めた。
普通なら俺が辞める所だったろうに、何故俺ではなかったのか?
実を言うと当時の俺も辞職願は既にデスクの引き出しに準備していたのだが、部長はそれを止めた。
「お前が辞める必要は無い。先の長くない私より、将来性のあるお前が残った方がよっぽど合理的だ。元はと言えばお前を選出した私が悪かったんだしな。ああ、心配は要らないぞ? 私ももう定年間近だし、これはむしろちょうど良いくらいだ。お前はここに残って、また社に貢献してくれ」
そう言ってくれた元凶の救世主様のおかげで、俺はなんとかクビだけは免れた。
しかし責任はそれでも降りかかる訳で、こうして営業部門に異動させられ、日々外回りに勤しんでいる。
けど、上手く行っていないかというとそうでもない。
俺は意外に営業にも適正があったらしく、そのおかげで営業成績は他に比べて上々だ。
だが他の奴らは、途中から入ってきたよそ者が上位に居る事が面白くないらしく、異動して三年経つが未だに俺は連中からハブられている。
まあけど余り気にしてはいない。そもそも
「……いつも疑問なんですが、先輩のそれは左遷って言うんですか?」
「左遷だろ。大失敗したおかげで出世コースからは外れた訳だし」
「……左遷後に上手く行ってるから疑問なんですが」
「まあまあだよ。けどあの失敗が無ければ、今頃俺は結婚でもしてたと思うんだけどねー……」
後悔はある。あれが成功してれば、とかは随分考えた気がする。
しかし、今頃悔やんでもやり直せる事など出来やしないんだから、過去は過去の事として切り替えて生きていかないと駄目だろう。もう29だし、大人としてそこら辺は折り合いをつけている。
「……ま、しゃーないよな」
終わった事を振り返っても無駄なだけだ。
「小鳥遊、昼飯どうしようか?」
「何でも良いですよ」
「じゃ、適当にファミレスで良っか」
「はい」
俺はいつもの様に小鳥遊に尋ね、小鳥遊もいつも通りに返答する。
昼食を取ったら、また営業周りだ。そして定時2時間前くらいに社に帰って、報告書をまとめて終わり。
帰宅したら録りだめてる経済ドキュメンタリーと、中学の頃からの趣味であるアニメを一気に観ながら夕食を取って就寝。
これが今の俺の日常。
何の変哲もないまま一日が過ぎていく。
それなりに満足している。
昔の様な忙しい日々に戻りたいとも思わないし、考えない様にしている。
まだ過去に
これぐらいがちょうど良い。
願わくば、これから先も穏やかに普通を謳歌したい。
「先輩、顔が気持ち悪いです」
「辛辣だねぇ、人が人生について考えてるのに」
「24の私が言うのもあれですけど、29の先輩が人生語るべきじゃないと思います」
小鳥遊は冷ややかな目でそんな事を言ってくる。
俺は苦笑しながらも、24歳に人生について問うてみる。
「じゃあ人生語っていいボーダーラインはどのくらいなの?」
「……50、とか?」
「半世紀生きれば人生語れる権利があると。それまでは人生語りやがるなって?」
「いや、そうじゃないですけど……」
「小鳥遊が言ってんのは人生の『重さ』を語んなって事だろ? 確かにそれは俺にゃ語れん。けど、俺は誰だって人生くらいは語って良いと思ってるよ。だって過去を振り返るのは簡単だし、どれだけ誇張したって、あんまりにも酷くなけりゃ嘘じゃないからな。それを他人が『重さ』と取ろうが『自慢』と取るかはそれぞれだけど」
「……そんなもんですかね」
「そんなもんだよ」
俺はあっさりと言い放つ。小鳥遊は納得がいかないのか、唸りながら顎に手をやって考え込んでいた。
こういう時だけは生意気な小鳥遊が可愛く映る。そのまま普段も黙ってれば美人なものの……いかんせん、中身は図太い神経だけで出来ているからなぁ。騙された男は何人居るんだか……。
俺が内心で被害者達に同情していると――それは起こった。
前触れも予兆も無く唐突に――俺のすぐ横を中心として、淡い青色の光を放つ幾何学模様が歩道と道路を跨いで急速に描かれていた。
「先輩、何ですこれ!?」
「俺が知るか!!」
訳が分からない。一瞬、プロジェクションマッピングという単語が頭をよぎったが、恐らくそれは無いだろう。こんな真っ昼間でスクリーンも無しに投影なぞ出来るはずが無いし、大体投影機が何処にも見当たらない。というか、やるとしても予告も無しでそんな急にやるか……?
そうこうしている内にも幾何学模様はその領域を徐々に広げていた。そこに居合わせた人々の大半は駅の方に必死に逃げようとしていたが、中には面白がって模様の中に踏み込んでいる奴らも居る。
まあ、俺らもこの不思議な模様の中には居るんだけれども。
「何なんですか、本当にこれ……?」
小鳥遊が不安そうな声で呟く。
同時に、俺はある一つの答えを導き出していた。
――まさか、これが流行りの異世界召喚って奴か? と。
……いやいや、有り得んだろ。
そんなファンタジーたっぷりの世界がこの世の何処にあるんだ?
俺はアニメが趣味ではあるが、その前にれっきとした
だ。
大体、科学的根拠が無さ過ぎる。幽霊の方がまだ信ぴょう性が――――、
――俺は思考を放棄して、この場に居続ける事を決めた。
「ちょっ、先輩!? 何で悟った様な顔してんですか、早く逃げましょうって!!」
「小鳥遊、俺を置いていけ」
「はあ!?」
「仕事はいつ引き継げても良い様にしてある。詳細は俺のデスクを参照してくれよな」
「この期に及んで何馬鹿な事口走ってんですか!?」
「大丈夫だ、問題ない。ほら、周りを見渡してみろ。同志達が同じ結論に至ったらしい、わんさか集まって来てる。
「先輩を残して行ける訳が無いでしょう!? 早くここから――」
二の句が継がれる事は無かった。
次の瞬間、俺達は光を増した幾何学模様に包まれ、俺の意識はそこで途絶えた。
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