08

 そのミノタウロスたちはダンジョンで遭遇した個体より明らかに強靭ではっきりとした知能を持っていた。彼らには知る由もないことだったが、目の前の二体は第三世代モデルで大幅に改良されていたのだ。しかも、二体。互いに稚拙ながらも連携してくるので一体に戦力を集中して各個撃破とも行かない。救いなのは前のモデルと違い好戦的ではないことか。


「このままじゃやばいぜ、ジリ貧だ」


 と、コーが言えば


「そんなこと言ったってこいつら互いにかばい合うような戦い方するから分断もできない」


 と、ジュリーが返す。

 乱戦で集中できないこともあり、ロムもヒビキも急所に狙い定めることもできない。不用意に突いて外れた後に急所を狙っていることに気づかれるとますます狙いを定めづらくなるため、積極的に攻撃というのもままならなかった。


「私がやります」


 それまで一度も前に出てこなかったゼンが決意を言葉に宿して一歩前へ出ると、スタッフを構えて一体のミノタウロスに狙いを定める。大きく深呼吸を繰り返して早鐘のように打ち続ける心臓を落ち着かせ、杖のレバーをまさぐって攻撃の種類とレバー位置の一致を確認する。


「ゼン?」


「みなさん、合図に合わせてミノタウロスから離れてください!」


「レイナ」


 ロムが声をかけると、以心伝心なのか二人でゼンの左右を固める。ロムは棍を小脇に抱えてポケットから何かを取り出そうともぞもぞしている。ゼンが狙いを定めたミノタウロスにはクロとヒビキが牽制攻撃で足止めし、もう一体はコーとサスケとジュリーで連携させないよう取り囲む。


「行きます! シャワー!!」


 それを合図に二人が左右に飛び退すさる。杖から噴き出した液剤は水鉄砲のように直線的に飛び出してミノタウロスの額を襲う。クエン酸とカプサイシンをベースにした液剤を浴びたミノタウロスが叫び声をあげて顔を抑えのたうちまわる。そこにロムが用意していた水をぶちまけた。

それが何を意図したものなのか?

 ほんの半拍思考してゼンは答えを導き出すと別のスイッチに手をかけた。


「サンダーボルト!」


 濡れた地面に杖を突き、トリガーを引くと杖がスパークして水を伝って電流がミノタウロスを襲う。電撃を受けるたびにミノタウロスが痙攣し仰け反る。


「もういいぞ」


 ゼンに声をかけたクロがうずくまるミノタウロスの首を据物すえものでも斬るように真っ向唐竹割りに撃ち落とす。

 その時にはすでにヒビキが三人の加勢に動いていた。


「いやあ!」


 裂帛の気合で背後から後頭部に棍を撃ち据える。遠心力を最大限に利用した攻撃はそこそこのダメージと引き換えに棍を真っ二つに折ってしまう。


「ヒビキ、その棍で突け!」

 叫んだのはコーである。言われるがままに彼女は痛みに仰け反るミノタウロスの延髄に狙いをつけて折れた棍の先を突き上げる。ほぼ同時にコーは体当たりをするように剣で心臓のあるべき辺りを突き刺した。確かな手応えがコーの手に伝わる。しかし、一撃で絶命させるということはできなかったようで、ミノタウロスは断末魔の叫びをあげながらコーを振りほどく。飛ばされたコーをロムとジュリーが受け止め、サスケがただ振り回される腕を掻い潜って胸に刺さったままの剣に取り付くと一気にそれを引き抜いた。

 胸からは勢いよく血飛沫が吹き出し、ミノタウロスは膝をついて一声叫ぶと前のめりに倒れた。


「やったか?」


 磨り減った神経がジュリーの呼吸を浅く早くしている。


「大丈夫だ。大丈夫」


 目の前に星が飛んだ状態のコーが頭を振りながら答えた。


「ははは……」


 誰からと言わず自然と笑い声がみんなの口をついて出てくる。

 そこにどこに設置していたものか、天井から声が降ってきた。


「みんな、聞こえるか?」


 声の出所を探すため辺りを巡らせる仕草をモニターで確認していた男は続ける。


「疲れているところ悪いんだけど、ジュリーたちはすぐミクロンシステムに入ってくれ」


 その声に聞き覚えがある四人は互いに顔を見合わせた。


店長マスターがみんなのカードを用意しているんだ」


「どういうことだ?」


 と、コーが聞く。ロムが答えようとして口を開きかけ、険しい顔で唇を引き結ぶ。


「詳しい話は後だ。ゼン、三人で先に行ってくれ」


 言われたゼンはロム同様に何かを警戒しているクロとヒビキの様子に頷くと、二人の背中を押してミクロンシステムの入口へ向かう。ジュリーが思い出したように一度立ち止まると振り向きざまにロムに腰の剣を投げてよこす。


「何が来てるんだ」


 三人が扉の向こうに消えるとコーがロムに訊ねる。こちらも伊達に修羅場は潜っていない。生き物の気配が近づいていることは彼らに遅れたとはいえ知覚していた。

 ロムは無意識に左の肩を落としてゆっくりと息を吐く。


「宿敵です」






 ようやくジュリーたちとの連絡手段を見つけた蒼龍騎が側のマイクで促すと、店長の行方を確認する。


「ジュリーが二番、サスケが三番、ゼンが四番だ。間違えるなよ」


 連絡を終えると、蒼龍騎は彼に背を向け今まさに巨大化を終えようとしていたミノタウロスが出てくるだろうミクロンシステム六番機を睨む三人の男に視線を向ける。


「麻酔弾とかで眠らせられないのかの?」


「アニメか何かみたいに? 無理ですよ、薬液の量ってのは対象によって調整しなきゃならないんです。案外不便なんですよ? まぁ、最初から人間相手だっていうならできますけどね。どこまで効くかは知りませんが、試してみますか?」


「どこまでも怖いな、国家権力は」


「反社会的勢力の方に言われてもね」


 師匠は拳法家、充はアマボクシングで代表クラスの実力者ではあるが二人とも徒手空拳であり、怪物相手には心細い。日下部はフルオートの拳銃を構えているがどれほどの効果があるか未知数だ。むしろ先ほどモニタ越しに見ていた戦闘のように刀剣での攻撃の方がどれほど信頼感があるかしれない。

 日下部は自分で提案した通り、麻酔弾に装填し直し始めた。対人用の麻酔弾がどれほどの効果をもたらすかは本当に未知数で、効きすぎで殺してしまうのは結果オーライだが、全く効果がない場合の心配をしているのだ。しかし、実際のところ手にしている拳銃の口径の小さな銃弾一発で仕留めるのはなんとなく不可能であるだろうことは予想がついていた。野生の猪や熊のエピソードを考えればたとえ手持ちの銃が猟銃だったとしても心許ない。ましてや相手は初めから人の脅威として生み出された怪物なのだ。


「くるぞ!」


 充の警告に日下部が銃を構える。装填できた麻酔弾は手持ち四発のうち三発。即効性の高い麻酔薬はしかし人間用である。その効果も持続時間も未知数だった。

 ミクロンシステム六番機の扉が壊されて中から二メートルを優に超える怪物が姿を表す。狙いを外さないため狙いやすい胸に三発、無言で撃てばミノタウロスが痛みに震えて低く鳴く。


「どれくらいで効く?」


「人なら一分前後ってとこですけど……さて」


一分凌しのがなきゃならんってことだな?」


 怒りに猛るミノタウロスと戦う覚悟を決めた二人が、ミノタウロスの前に進み出る。


「麻酔の効果が出るかどうかもわからないんですよ」


「一分経つたら一旦逃げるよ」


「オレもそうしよう」


 充は音のしないボクシングのステップワークで、師匠も独特の歩法でミノタウロスを左右から囲む。身長差がすでに大人と子供ほどに違う。リーチを考えれば被弾覚悟で懐に潜り込まなければ届かない。しかし、避け続けるだけ、こちらから攻撃しなければいいというなら相手は武術・闘技の持ち合わせがない怪物であり、その攻撃は読みやすいく一分くらいは凌げる。二人ともそれくらいの自信はあったのだ。それでも唸りを上げるような豪腕は当たれば防御の上からダメージを与えてくること必至の破壊力を示しており、それらを避け続けるのは実に神経をすり減らす作業だった。


「これは麻酔の効果があってこれなのか?」


「どうかの?」


「一分!」


 そう叫んだのは店長である。


「三、二」


 ちらりと日下部を見やる余裕のあった師匠がゆっくり数を数える。


「一ッ!」


 タイミングを合わせて同時にバックステップで距離を取る二人。ほぼ同時に日下部が最後の麻酔弾を腹部に撃ち込む。

 短く呻くのを確認した二人は深く踏み込んで渾身の一撃を繰り出す。それで倒れるとは二人とも思っていない。それは日下部に目標が移らないようにするための牽制である。あとは麻酔が効くことを祈ってミノタウロスの攻撃をかわし続けるだけ。二人とも避け続ける間に息が上がってくるのを感じていた。体感的には五分以上に感じているがどれほどだったろう? やがてミノタウロスの攻撃が緩慢になり、足元がふらついてきた。そこからミノタウロスはさらに数分粘り続けたが、やがてがくりと膝をつき、どうと倒れた。


「やるのぅ、若いの」


「じいさんこそ」


 息の弾む中、一気に汗の吹き出してきた充がそう答えたあたりで、三人の冒険者がミクロンシステムから出てきて開口一番、素っ頓狂な声をあげた。


「なっ! どうなってんだこれ!?」






 もうずいぶん疼くこともなかった左肩の傷が、ぞわぞわと疼く。このひりつく感覚は以外にない。

 ロムは大きく息を吐くと感覚を研ぎ澄ます。


「こ、こいつは……!?」


 現れたのはやはりネズミであった。あの時と同じドブネズミだ。個体としてはあの時のものより一回り小さいがそれでもそこに倒れているミノタウロスよりも大きい。


「クロさん!」


 ロムはクロを呼んでドブネズミの注意を引く。ドブネズミは攻撃的な気配を彼に向けてきた。


「俺がやります。三人でレイナを守ってください」


「無茶だよ!」


 ヒビキが言う。


「大丈夫」


 腰にジュリーから預かったショートソードを吊るし、棍を構えながらうっすらと笑みを浮かべる。

 クロはコーに指示を出し、ヒビキとレイナを一箇所に集める。


「それじゃあ、リターンマッチと行こうぜ」


「リターンマッチ?」


 コーがその言葉を聞きとがめる。


「私がさらわれた事件知ってますよね?」


「ゲームエクスポミクロンダンジョン崩壊事故のこと?」


 ヒビキの問いにこくりと頷く。


「最上階手前の部屋で『実質ラスボス』としてドブネズミが配置されていたそうです」


 と、ジュリーの言葉をそのままに答える。


「直接戦ったロムと最上階に上がる途中だったゼンさんとお兄ちゃんが目撃しただけで私は実際に見てないんですけど、その時左肩を大きく噛まれて生死の境を彷徨さまよったそうです」


「あの左肩の傷はその時の……」


 コーはわずか数日ではあったがロムと同居していたのでその傷は見ていた。


「……それは一人で戦いたいだろうな」


 クロは結果がどうなろうと見守ると決めた。


 棍の状態は決して良くない。こんなに戦闘続きになるとは正直思っていなかった。


(本気で戦闘に使うとこんなに損耗するものなんだな)


 などとこの切羽詰まった状況でなんとなく思ってしまう自分の心持ちに自然と笑みがこみ上げてくる。


(大丈夫。冷静だ。あの時とは違う。一方的に勝たせてもらうからな)


 そう決意すると、キッとドブネズミを睨みつけて殺気を向ける。一気に警戒レベルを上げた雰囲気に変わったドブネズミは姿勢を低くしてロムの様子を窺い出す。


(あの時もそんな感じだったか?)


 後手に回るのは得策ではないと思ったロムは先手必勝とばかりに間合いを詰めて突きを繰り出す。


「に、二段突き?」


「いや、三段だ」


 クロとて視覚情報はコー同様二段突きに見えた。しかし、聴覚がドドドと確かに聞こえた。もっともそれもかなり重なった音でともすれば一つに聞こえたかもしれないほどの間隔だ。

 それは達人の域だった。その狙いも寸分違わず眉間に繰り出されていた。

 ネズミがざっと距離を取る。

 しかし、逃げる気配はなく逆にこちらを攻撃しようと身構える。そこに追い討ちの突きが繰り出された。先ほどのような神速の三段突きではないが、かわりに間断なく繰り出し続ける突きは狙いを定めずネズミの体を打ち続ける。それを嫌って距離を取ろうとするネズミを追撃し、どんどん壁際に追い込んでいくロムだったが、その破壊力はネズミを倒す前に棍自体の寿命を縮めたようでついに途中で折れてしまう。

 攻撃の止んだ隙をついたというのか、ドブネズミが反撃に出る。後足で立ち上がるとそのミノタウロスより大きな体で覆いかぶさるように噛み付いてきたのだ。その直前、ロムの左肩がゾワゾワと疼き、彼は握っていた棍の残骸を顔へめがけて投げつけるとさっとネズミの間合いから飛び退る。棍が当たったことで一瞬動きが止まったのを幸いに退がった先で剣を抜くと取って返して剣を横一線、腹をめがけて叩き込む。しかし、傷にはなったが致命傷には程遠く、逆にショートソードが曲がってしまう。


「なんじゃこれ」


 思わず普段使うことのない表現が口をついて出てきた。

 剣が曲がるのも無理もない。ここは十分の一に縮小された世界だ。しかし、無機物はミクロンシステムの適用範囲外。実際には6センチほどの金属板に過ぎないものであり、そんなものでいく十度となく戦闘を重ね幾百と振り続けられてきたものなのだ。当然金属疲労も出てこよう。それがたまたまここで重なったに過ぎない。だが、これで手持ちの武器がなくなった。


(これはまずいぞ)


 ネズミの執拗な攻撃をかわしながら、ロムは打開策を考えようとするが目の前の脅威が思考をまとめさせようとしない。


「まずいな……」


 クロもいう。


「オレの剣も状態は良くありません」


「三節棍が残ってるけど、これでネズミを倒せるかな?」


「クロさんの刀は?」


「ダメダメ、クロさんの刀まで失ったらもう……」


「いや」


 ヒビキの言葉を遮ってクロは腰から鞘ごと刀を抜く。


「クロさん!?」


「コー。金属はミクロンシステムで縮小拡大できない。……だったな?」


「え、ええ」


「今すぐ、サスケの刀を取りに行ってくれ」


 半ば絶望しかけていた三人は、希望の光を見出しパッと表情を明るくする。


「はいっ!」


「コーちゃん、短刀も一緒だよ」


「判った!」


 走る背中にヒビキが声をかけ、クロがロムに刀を投げてよこす。


「ロム! これを使え」


 くるくると回転しながら彼の元へ飛んでくる刀。それを攻撃してきたネズミを足場に飛び上がり空中で受け取ると素早く鞘から引き抜いて撃ち下ろす。深々と切り込まれたネズミが一声鳴いて体を振り、ロムは振り飛ばされた。


「ロム!」


「……大丈夫」


 レイナの声に失いかけた意識をつなぎとめられ、ロムは再びドブネズミと対峙する。構えは青眼。刀の腰が伸びているのに気がついた。


(雑な振り方してるとこうなるか……)


 だが、反省は後回しだ。今はこの腰の伸びた刀だけが唯一の武器である。

 「きゅう猫をむ」とはこの場合どちらのための慣用句なのか。そんなことを考えている自分にまだ余裕があると考えていいのか、切羽詰まっての現実逃避なのかとちらりと悩みかけ、どっちでもいいかとその件に関して考えることを放棄する。

 襲い来るネズミの噛み付き攻撃を見切りでかわし、爪は刀の刃を当てるように弾き、少しずつではあるが前脚に傷をつけていく。しかしこれでは致命傷にはなり得ない。ダメージを数値化できるならこちらのダメージなどないも等しく、相手のダメージはそれなりだ。しかし、どちらがしているかと言われれば素人目にはロムと言うかもしれないが、心得のあるものはまずネドブズミの方が有利と答えるだろう。それほど紙一重の戦いをしている。


(いつまで持つか)


 とロムが考えるのは刀のことかこの戦いの均衡か? 今のままならば均衡が崩れるとはすなわち彼の敗北を意味している。その命運は刀の寿命が握っていると言っていい。


「クロさん!」


 ミクロンシステムから大小の刀を抱えて戻ってきたコーが手に汗握っているクロを呼ぶ。

 コーからその大小を受け取ると、クロは小刀の方を抜くと、神速とも言える摺り足でドブネズミの後ろに回り込み、横一文字に一閃する。

 突然の痛みに振り向いたドブネズミの頭の上をサスケの刀が通される。


「最後の武器だ。突け!」


 受け取ったロムは前の刀を打ち捨てて、鍔の広いその忍者刀を青眼に構えて腹から裂帛の雄叫びをあげ、再びドブネズミの注意を自分に引きつける。


(突きは確かに得意技だけど棍と違って二段三段と突ける気はしないし、一突きで倒せる自信もないぞ……参ったねぇ、下手を打ったらまた刀が折れるし…………さて、どうしたもんかね?)


 一撃で命を断てる。そんな急所はいくつもない。

 ロムはゆっくりと構えを下段に下げていく。それを消極姿勢と受け取ったのか? ドブネズミはガバと立ち上がりあの時同様覆いかぶさるように噛み付いてきた。ロムはその動きに合わせるように踏み込んで切っ先を上に向けて心臓めがけて突き入れる。ロムの膂力と刀の切れ味に、覆いかぶさってくるドブネズミの自重と勢いが合わさって刀は深く深く胸に突き刺さる。ドブネズミの全体重を受け止めてなおロムが握る手に力を込めると刀は一気にドブネズミの体を突き抜け、鍔元まで突き刺さった。


「くぁ!」


 漏れるような声をあげのしかかってくるネズミを横倒しにすると、腹に足をかけて一気に刀を引き抜いた。血が吹き出し、ピクリピクリと痙攣したドブネズミは絶命した。

 戦い終わって天を仰いだロムにレイナが駆け寄り、返り血もかまわず抱きついた。

 それはロムたちの長い、長い戦いの終焉であった。

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