04

 レイナが到達したとき、それまで気づかなかった戦闘音が通路の先、曲がり角の向こうで聞こえてきた。急いで剣を抜き駆けつけると、そこには累々と倒れる怪物たちのしかばねがあった。ざっと見ても十や二十ではない。通路としては幅の広い空間とはいえ、所詮通路である。クロ、コー、シュウトが横一列の壁となって全身血みどろで武器を振るっている。シュウトも流石にモーニングスターでは戦えないと踏んだのか第二階層で敵から奪った釘打ちスパイク棍棒クラブで応戦している。乱戦の奥を見通すとまだ十数体がいるようだ。その後ろからサスケが戦利品のダガーなどで戦闘補助をしている。

 彼女の体を怖気おぞけが走る。

 視線が素早く通路内を見回し、ロムを抱えて中腰になっている兄ジュリーを見つけ出すと屍をかき分けるように近づいていく。


「お兄ちゃん」


「おお、コーさんが押され始めてる。代わってやってくれ」


 荒い息の中ぐったりしているロムの容体は気になるが、今はそれどころではなさそうだ。レイナはグッと奥歯を噛み締めると、腹から声を出して戦線に突入する。

 レイナの参戦から数分後、ゼンとヒビキが到着し、シュウトの代わりにヒビキが入ってさらに数分。彼らはようやく敵を全滅させた。

 ゼンが数えたところによると総数五十二体。誰もが無傷ではいられなかった。サスケも、ジュリーもクロが呼吸を整える間、何度か戦線を支えていた。


「何があったんですか?」


 幾らか余力が残っていたヒビキが通路の先の安全を確認しに行く。その先には第二階層の終りを告げる階段があり、彼らは戦闘跡を離脱。第三階層の最初の小部屋セーフティルームで持っていた水を全て使い切って全身を洗浄して包帯を巻くなどする間、ゼンがクロに経緯の説明を求めたのだ。

 それによると、クロが来た時にはすでにロムが通路を埋め尽くす怪物たちと戦っていたのだという。

 つまり、少なくともロムはクロが来るまでの数分間をたった一人で持ちこたえていたことになる。それもこの広い通路で一体も通さずに、罠を抜けてくる仲間のために安全を確保し続けていたのだ。それがどれだけ至難の技か、この場に判らない者などいない。コーが来て、シュウトが到着し交代するまでロムは戦い続けていたというのだからゼンはその鬼神の如き活躍に肌が粟立つ。


「で、容体は?」


 ヒビキは手当てに当たっているレイナとサスケに心配そうに訊ねる。


「体力的に相当消耗しているが怪我の程度はそこまでひどくない」


「よかった……」


 レイナが包帯を巻きながら涙ぐむ。


「しかし、深刻だな」


「何がだ?」


 クロの呟きにシュウトが反応した。


「水を使い果たした」


 この旅のために彼らは一人当たり飲み水換算で一週間分用意してきたつもりだった。それ以上持てそうになかったというのもあるが、それだけあれば十分足りるだろうと誰もが思っていたからだ。ところがどうだ。度重なる戦闘で怪我の手当てのためにも水を使い、気づいたら使い切ってしまっていた。

 人は食べ物はなくても一週間は生きていられるという。しかし、水はなければ二日と持たないと言われている。


「大丈夫だと思います」


 と、言ったのはようやく落ち着いたロムだった。


「根拠は?」


「ここがゲーム世界だからです」


「言っている意味が判りません」


「ゼンが言ったことだろ?」


「私が?」


「意図を持って作られてるって」


「確かに言いましたが……」


「なるほど、RPGとして作られているのならそろそろあってもおかしくないな」


 合点のいったジュリーが呟く。


「何がだよ」


 コーが訊く。それに答えたのはサスケだ。


「回復の泉」


「現実世界にそんなもの」


「確かに回復の泉なんてものはあり得ないにしても、こんな大規模なダンジョンでプレイヤーのフォローをしないマスターとは思えないんだよね」


「それは楽観に過ぎないか?」


 ロムの考えにヒビキも賛同しかねるようだ。


「どのみち先へ進む以外に手はないわけで」


 と、ロムは立ち上がる。


「焦らず急ぎましょう」


「その前に現在の状態を確認しましょう」


 と、ゼンが手を広げる。

 怪我の程度と持ち物、特に装備品の状況を確認しようという提案だった。

 全身を覆うジュリーの鎧はミノタウロスの体当たりにも耐え、損傷はいたって軽微だった。ジュリーの鎧を参考に急ぎで作らせたクロとコーの鎧も簡易ながらその防御力を遺憾無く発揮していた。実力差によるものかコーの鎧の方がダメージがあるようだが、防御力を損なっているわけではない。サスケの防具は忍び装束の中に着込んでいる鎖帷子でこちらも壊れている様子はない。もっとも鎖帷子は刃物を通さないのであって打撃を通さないわけではなく、あちこちに打撲の痣が見て取れる。ロムとヒビキは鎧というよりプロテクターであり、こちらもジュリーが作ったロムの防具を真似て作られたヒビキの手甲にそれなりの傷がついているくらいだろうか。戦闘では主に二列目で支援を担当することが多いレイナの鎧はヒビキたち同様革製ではあるがその立ち位置の関係か回避技術の高さなのか、怪我の程度も他のメンバーより軽いようだ。損傷の一番激しいのはシュウトの鎧だった。戦闘スタイルが攻撃に偏重していることにも起因しているようだが、防御を鎧任せにしているとしか思えない。それでいて鎧のない場所は目立った怪我をしていないのだから天才的な戦闘バトルセンスというべきなのだろう。


 武器の方はかなり損傷が激しい。クロは第二階層がパワープレイであるということを確認して以降、戦利品をショートソードなどを都度使い潰してきたのでジュリーから譲り受けた刀を温存できているが、コーの剣はこぼれが酷い。剣道有段者のクロと違ってなまくらでは手数が増えるため自分の武器を優先した結果がここに表れていた。ヒビキの棍もダメージが深刻だ。ロムの特注品と違って硬い木でしかないそれは前衛を担うことが多いせいもあっていつ折れてもおかしくない状態といってもいい。そのロムの棍も先ほどの孤軍奮闘でかなりダメージを負っているようだ。レイナのレイピアもその特質上丈夫には出来ているものの決して逸品ではない。特注品であるジュリーのショートソードも使用者の技量が拙いせいか刃毀れを起こしている。みんなそれぞれに予備の武器を持っているとはいえ所詮は予備であり、決戦を迎えて頼りになるかといえば覚束ない。


「TRPGでは意識しませんけど、武器というのは本当に消耗品なのですね」


「日本でも古来合戦場では業物わざものではなく数打物かずうちものを使い捨てていたというでござるからな。十分の一世界で多少条件が違うとはいえ物理法則は変えられんでござる」


「先に進もうぜ」


「まだ、確認してないものがあります。もう少し待ってください」


 それは、武具防具以外の装備品のことだった。水がなくなったことによる確認である。その他の装備品も在庫状況を確認しないわけにはいかなかったのだ。もっとも確認しなければならなかったのがランタンオイルの数だった。時間を図る目安にするため一時間分で小分けにされているそれは、残り二十三本になっている。これもこのダンジョンがあとどれくらい残っているのかわからない現状では多いのか少ないのか。食べ物は水と同様一週間分を用意して今日が二日目。持ち物としてはだいぶ軽くなったが、その分心細くなったともいえた。


「冒険ってものは大変なもんだな」


 出発前にも装備点検の際にジュリーが言っていたが、本当に大変だ。


「他の装備品で言えば救急セットが半分くらい消費されていますが、他は概ね心配ありませんね」


 一通り確認しおえた冒険者は、クロの言葉を待つ。


「よし、じゃあ隊列を組み替えて出発しよう」


 通路は一本道でアップダウンを繰り返していた。

 サスケの測量が正しければ、第一階層と同レベルまで上がっている。つまり地下三階がいつの間にか地下一階になっているという状況だ。複雑に入り組んだ長い通路を歩くのは、ここまで第三階層では一度も敵に出会ってはいないとはいえなかなか体力的にも精神的にも疲労がたまる。時折トラップが仕掛けられていたのが精神をすり減らすのに一役買っている。

 冒険者の喉が乾き始め誰とはなしに焦り始めた頃、唐突に階段が現れた。

 冒険者は互いに顔を見合わせ無言で頷きあうと、階段をのぼる。

 マンホールのような扉を上に押し上げ先頭のコーが顔を出すと、そこには清らかな湧き水をたたえた泉を囲む緑豊かな森があった。気温は心持ち暖かく、初夏のようだ。


「ロムの言った通りというか……それ以上のシチュエーションだな」


 ジュリーがつぶやく。


「ええ、私もダンジョンの中に部屋として設置されているものとばかり考えていましたが、やられましたね。憎い演出です」


 彼らはひとまず辺りを警戒しながら順に水を確保し、休憩を取ることにした。

 森は彼らのサイズに合わせて作られたジオラマだろうか。ロムが手近な木の幹に触れるとしっかりとした木の感触がある。手の届くあたりの枝を手繰り寄せるとしなやかにたわむ。


「これ、十分の一の木?」


 ゼンが近寄り、同じように木を触り、あれこれ調べる。


「縮小されたものというより盆栽的なものですね。人の手が加えられていることに変わりはありませんが」


「だとしたらすごい手間だぜ?」


 コーが傷だらけの体を手ぬぐいで拭きながら言う。


「ジオラマというより温室カーデニングでござるな」


「ここは安全圏という認識でいいんだろうか?」


 鎧を脱いで体を拭いているコーを見ながらクロがゼンに訊ねる。


「どうでしょうか? シナリオ的には一息ついた頃に何かしらイベントが発生する可能性も捨て切れませんが……」


「ふむ」


 クロは傷の手当ても兼ねて一人ずつ水浴びすることを提案した。

 コーがそろそろ終わる頃だった。次にジュリーが、その後はゼン、サスケ、シュウト、クロ、ロムの順で男性陣が体を拭き、残るはヒビキとレイナだけとなる。


「…………」


 気まずい沈黙の中、二人の女性は伏し目がちに互いの視線を送り合う。


「どうしたんだよ、早くしようぜ」


 と、コーが言えば


「コーさん、それはさすがにデリカシーがなさすぎですよ」


 と、ロムが突っ込む。


「ん? あー、そうだな」


 と、ややあって二人が躊躇う理由に思い至ったようでガシガシと頭を掻く。


「でも、いつまでもここにいるわけにいかないだろ?」


「それはそうだけど……」


 と、ヒビキも言ってはみたものの流石に踏ん切りがつかない様子だ。


「そうだな。少し離れるとしようか」


 クロの提案で男たちは泉から少し離れることにした。と言ってもいつ何に襲われるかわからない。いつでもすぐさま駆けつけることができる程度の距離にはいることになる。とりあえず彼らは泉のある開けたところから森の中へ少し入ることにした。

 残された二人は、彼らが一応視界にチラチラと見え隠れしているくらいのところに遠ざかったのを見計らって二人で泉に入ることにした。すでに各自が持ってきた水袋に水の確保はした。泉の水はひたるには少々冷たくはあったが、汚れを落とすのに手早く済ませるためだ。水の中に入れば遠くから覗かれてもマシだろうという考えもある。

 二人は返り血などで汚れた鎧や服を脱いでいく。

 ヒビキは腹筋がはっきり割れているなどアクション女優らしく筋肉質ではあるが、すらりと長い手足がその印象を薄めている。いつもはプロテクターに隠されている胸が意外と豊満だ。

 レイナの方はこちらもこの世界で長く戦士として戦っているだけあって均整のとれた魅力的な肢体だ。十代特有の瑞々しい張りのある肌が水を弾いている。彼女の胸も決して小さくはないがヒビキの隣では若干ボリューム的に見劣りするなと、自分で見比べながらため息をつく。

 二人は軽く水を浴びて汚れを落とした後、泉に身をしずめる。

 お湯でないのが残念といえば残念ではあるが、天を仰げば人工とはいえ青い空が広がっている。空気は初夏のように爽やかで心地よい風が木々を揺らしている。二人は心が開放的になり気が緩んだというのか、すぐに上がるつもりで五分ほどその開放感に身を委ねてしまい、人の気配に気づくのが遅れた。


 森に悲鳴が響く。

 それも途中で口を塞がれたような声だった。

 時間つぶしに型稽古をしていたロムがすぐさま泉に向かうと、レイナがシュウトに押し倒されているところだった。彼は無言で駆け寄ると何も言わずにシュウトを蹴り上げる。

 不意を喰らったシュウトは外しかけのベルトを締め直し、蹴られて色の変わった脇腹をさすりながら攻撃範囲から距離を置き、ロムを睨みつけてきた。


「不意打ちとは随分と卑怯な真似するじゃねぇか」


「そういうお前は卑劣なようだが?」


 ざっと状況を確認すると泉の中で仰向けに気絶している全裸のヒビキ、襲われていたレイナは彼の後ろで泣いている。まだ他の仲間は到着していない。対峙するシュウトは戦利品のダガーを抜いて血走った目で睨んでいる。


「ヒビキさんを頼む」


 後ろを向かずにそれだけ言うと、ロムは棍を一度頭上で大きく振って構える。

 シュウトは舌打ちをすると、惜しげも無くダガーを投げつけてきた。かなり練習していたのだろうか? 狙いは確実にロムの胴を捉えていた。もっとも、それを避けられないロムではない。もちろんそれは織り込み済みのようで、本命は隙をついてモーニングスターを手に取ることだったようだ。

 攻撃範囲では棍を持つロムが、一撃の攻撃力ではモーニングスターを持つシュウトにアドバンテージがある。

 しばしの睨み合いがあり、シュウトが鉄球を振り回し始めると互いに泉から離れていく。


「オレはずっとテメェが気に食わなかったんだ」


「じゃあなぜ直接俺に言ってこない」


 その問いには、牽制の一撃で答えが返ってきた。射程の外からの牽制攻撃は避けるまでもない。力も乗っておらずすぐに手元に引き戻して鉄球を回す。シュウトの方でも下手に攻撃して避けられた時のリスクを考えてのことなのだろう。ロムの棒術をしっかり警戒しているようだった。

 そのまま数分間の睨み合いが続く。レイナは必死に自身を鼓舞してヒビキに近寄り、荷物の元まで移動する。

 埒が明かないと思ったロムが棍を手放し、徒手で構え直す。するとシュウトがニヤリと笑い、あろうことがモーニングスターそのものを投げつけてきた。と、同時にこちらに向かって走り出す。

 モーニングスターを難なく避けたロムは、次に来るだろう攻撃に備えていた。繰り出された拳を見切って避ける。何かがかすめた感触でチリリと右腕が痛むが、それに構っている暇はない。連続で繰り出されるパンチは大ぶりで軌道こそ読みやすいが、逆手に握り込まれたダガーの分の見切りが神経を使うのだ。テレホンパンチのラッシュなど避けること自体は難しくないが、避けているだけでは勝ち目がない。だから見切りで最小限に避けつつ反撃の機会を伺っているのだが、手数が多くてなかなかに余裕がない。とはいえ、無酸素運動の連打がそう長く続くはずもない。一方のロムが行なっている回避運動は有酸素運動に分類されている。


 一般に攻め疲れと呼ばれる現象がある。スポーツなどで一方的に攻撃している方が負けることが度々あることに対して言われるものだ。今の二人の状態がまさにそれで、攻撃が決まれば相手にダメージを与ることができるが決まらなければ攻め側の疲労がよりたまり、ガス欠を起こす。

 シュウトは攻撃が全然当たらないことによるフラストレーション。息が上がり、腕が上がらず足がついてこない肉体疲労からくる攻撃のブレと焦りに思考の鈍りを感じていた。


「当たれよ!」


 ついに吐き出すように叫んで大振りをかます。

 そんな隙をロムが見逃すはずはなかった。予備動作に前に出される膝に内側から蹴りを入れ、体制が崩れたところにみぞおちを狙って縦拳を叩き込む。そこから流れるようにダガーを握っている右の拳を左手で上から握ってアッパーカット。振り上げた腕で顔を掴むと足払いでそのまま仰向けに打ち倒す。

 すぐさま両手のダガーを蹴り飛ばし離れて様子を見ると、口から血を流しながらもゆらりとシュウトは立ち上がった。

 人は意外に強靭である。

 一度や二度殴られたくらいで気など失わない。ましてや頭に血が上った人間はアドレナリンの作用で痛みにも鈍感だ。しかし、互いに無手となったこの状況で日々稽古を怠らなかったロムがシュウトに劣ることなどあり得ない。力押しで殴りかかるシュウトを迎撃し、的確に急所に突きを繰り出し続ける。注意することがあるとすれば、絶妙なタイミングで織り交ぜてくる。目潰しの類などだが、今のロムにそれを卑怯だ反則だと思う感覚もない。十分の一世界で怪物たちの襲撃をかいくぐってきた。生き残るためにはどんなことでもするべきだと彼は思っている。命のやり取りを繰り返した彼は、全て織り込み済みで戦っているのだ。

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