07

 ロムは頭上で二、三度棍を回し低い姿勢で突きの構えをとる。

 観客席がしんと静まりかえる。

 突きが攻撃として有効なのは、歴史的実践や様々な文献で広く知られている。

 しかし、行うのは非常に難しい。

 そもそもにおいて素人が突いてみてもまっすぐな軌道を描くことができず、狙ったところに届かないことがほとんどである。

 ビリヤードでも台に固定した利き手と反対の手で軌道を補ってさえ正確なショットを打つのはかなりの修練が必要だ。

 まして動く相手、左右三本計六本の刀を振って守る相手の防御をくぐり抜けて攻撃するのは簡単ではない。

 とはいえ観客は彼が第二階層のボスキャラであるサイクロプス相手に徒手空拳で圧勝した実力を数十分前に目の当たりにしているわけで、いやが上にも期待は高まる。


 『ドン』と、鈍い音が響く。


 観戦用小型カメラの性能を超えたスピードだったため、観客席からは一瞬彼がブレて見えただけ。

 そばで見ていた三人でさえ突いたことが『わかった』程度。

 初撃はそれほどのスピードを持った強烈な一撃だった。

 鳩尾みぞおちを撃ち込まれた阿修羅像リビングスタチューは仰向けに倒れかけ、バランス制御の処理に右足を一歩後ろに下げて踏みとどまる。

 機械制御の弱点とも言えるその隙を元の構えに戻っていたロムが見逃すはずもなく、連続して突きを繰り出す。

 第二撃は寸分たがわず鳩尾に、そして間髪入れずにのけぞるように上向いた顎を突き上げる。

 姿勢制御が間に合わず阿修羅像が倒れた隙をついてサスケが素早く横をすり抜け祭壇に走りより宝珠を取り上げる。

 しかし、希望に反して戦闘は終わらない。

 起き上がった阿修羅像はサスケにターゲットを絞り襲いかかろうとする。

 背を向けた相手にロムが攻め込む。

 観客席のモニタからは一瞬消えたように観えるほどのスピードで続けざま繰り出された突きは音が『ドドドン!』と連なって聞こえた。


「うらぁっ!」


 雄叫びをあげたジュリーが大上段から袈裟懸けに振り下ろした一撃が決定打となり、ついに阿修羅像は動きを止める。


 観客席からは声も出ない。

 結果論で言えば圧勝である。

 すごいことはすごいのだが、モニタ越しではその凄さのほどが感じられないせいもあったのかもしれない。

 ただただ呆気にとられるより他にない。

 誰も彼もがそんな心境だったのだろう。


 宝珠を抱えて蒼ざめていたサスケがようやく祭壇から降りてくると、ゼンも三人の元へ歩いてきた。


「おいしいところを持っていきますね」


「だが戦闘時の連携としてはなかなかスムーズでござったぞ。おかげで命拾いをした」


 ゼンの皮肉にサスケが珍しくフォローをする。


「しかし、やっぱロムはすげえな。最後のは三段突きだろ?」


「よく漫画や小説では表現されますが、私も音が間断なく聞こえる攻撃なんて初めて見ましたよ」


 言われたロムは照れ臭そうにはにかみ、話題をそらす。


「ところで宝珠ってなんだい?」


「ファンタジー的には魔法的効力のあるアイテムというところでしょうか? ミクロンダンジョン的には手に入れること自体が目的なので『目的のお宝』です」


「あとは出口を探すだけ?」


「…ええ」


 ゼンの返答に妙な間があったことで、ジュリーは再び気を引き締める。


(やべ、気を抜いてた)


 サスケの見つけた出口となる扉はゴシック調の室内インテリア的デザインで鍵穴はないものだった。

 しかし、鍵がかかっている。


「見つけた扉はこれ一つだけでござる。壁に隠し扉の形跡もござらん。ゼンの出番でござる」


「どこかに鍵となる仕掛けがある。そういうことですか?」


「ったってよぉ、扉自体に特に仕掛けはなさそうだし壁もいたって特徴ないぜ?」


 ゼンはサスケの書いた地図で脱出路があるだろう壁に当たりをつけると、顎に親指を鼻に人差し指を当てて鼻先をトントンと叩きながらブツブツと独り言を呟きながら部屋をめぐる。


「サスケが書いた地図が間違っていることはまずないことから考えて、確かに扉のあるこの壁の向こうに出口がある。扉には鍵がかかっているようですがちゃんと扉として用意されていることはサスケも確認済み。扉自体が偽物フェイクであったり隠しシークレットドアが用意されているということもない。こちらもサスケの見立てでまず間違いないでしょう」


 壁は扉のあたりが百八十センチ(実際には十分の一)ほど見えているだけであとは書棚や剥製や骨格標本などが収められている風のショーケースが並べられていている。

 三人は黙って彼について歩くだけだ。


「私が必要と思い持ってきたアイテムで未だ用をなしていないのはこの本だけ…」


 と、取り出したのは食人鬼オーガの空押しされた表紙の本。彼はそれを杖を持つ左手の小脇に抱え、右手で非常にリアルに作り込まれている棚の本などを指で触れてゆく。

 書棚は基本的に棚と一体化して造形されているものの数カ所が取り出したりできるようになっていて、そのうち一冊が手にしている本の表紙を反転した図案で、浮出加工になっているものだった。

 本の隣はちょうど一冊分の隙間がある。

 ゼンは眉間にしわを寄せ、奥歯を噛み締めた。


「何か問題でもあるのか?」


「ジュリー…」


 声をかけられたゼンはみんなにその表紙を向けこう訊ねた。


「どう思います?」


「どうって?」


「オーガです。第一階層のボスキャラとは種が違うオーガ」


「でも、見覚えあるぜ?」


「あるだろうね。すぐそばにいるもの」


 ロムが指差す先にはガラスケースを模した飾り棚の中に収められた三メートル級の食人鬼標本があった。

 腕が長く全身が体毛で覆われている様は類人猿に近いが額には一本角、口は耳まで裂けて全ての歯が牙になっている。

 右手にはジュリーの腰回りほどもありそうな棍棒が握られており、現実に存在しているなら一撃で人を殴り殺せそうな怪物がやや前傾姿勢で直立している。


 しばし沈黙が支配する。


「動き出す?」


 恐る恐る尋ねるジュリーにゼンは冷徹に頷く。


「まず間違いなく」


「ありゃやべーぞ」


「でしょうね」


 実のところ、このダンジョンが完全制覇されたことはない。

 この敵に勝ったパーティがいないのだ。

 ダンジョンの目的はダンジョンの主であった魔法使いの秘宝を見つけて持ち帰ることだ。

 初クリアでは半数以上がこの本のトリックが解けずに入口から生還した。

 クリア後店長や先にクリアした冒険者から話を聞き完全制覇を目指して挑戦するパーティはいたが、彼らは一様にこの最後の敵を攻略することができずリタイアしたり入口から脱出することを余儀なくされている。

 もちろん、パーティの一部はその後も何度か攻略を試みたが、それもいつしかしなくなった。

 店長がリニューアルを考えているのはそんなところにも理由があったのだ。

 難易度の設定を間違えたつもりはない。

 彼は三つの階層それぞれを独立したダンジョンとして難易度を設定したのである。

 そこにはRPGの持つ最大の特徴とも言えるレベルアップの概念の彼なりの再現が意図されていた。

 ミクロンシステムによって十分の一に縮小されたミニチュアとはいえ現実世界である。

 TRPGテーブルトークロールプレイングゲームCRPGコンピューターロールプレイングゲームと違って保存セーブできない環境で、何度も繰り返し挑戦することで少しづつ攻略範囲が広がる。

 そんな成長レベルアップを楽しんでもらいたい。

 アスレチックアミューズメントとして始まったミクロンダンジョンをRPGの主要な舞台であるファンタジーの雰囲気だけを持ってきたようなそれまでのメーカーダンジョンではない、真の体感ARPGアクションロールプレイングゲームとして認知してもらいたいというそんな理想を持って作ったダンジョンなのである。


(そもそも非合法なのにな。何を青臭いこと考えてたんだか)


 今ダンジョンに挑戦している冒険者たちは、彼らの事情から鑑みてきっと再挑戦はしないだろう。

 この後伝えることになっているあの情報を知ればなおさらである。

 だからこそ彼は彼らにこの難攻不落のラスボスを倒してもらいたいと願っている。

 おそらく、彼らを待ち受けるであろう今後の冒険はそれくらいの力がなければその先へ進めない。

 そんな確信があったのだ。

 そんな店長以下会場に集まった観客の見つめるモニタの向こう、四人の冒険者は戦う決心をしたらしい。


 彼らにしても自分たちの目的を達成するためにはこんなところで逃げるわけにいかないという思いがあった。

 ゼンが第二階層で手に入れた紫紺の本と棚にあった濃紺の二冊の本を合わせると案に違わず凹凸はピタリと合わさり、棚にも綺麗に収まった。

 何かしらの電気信号が本から発生し、書棚から食人鬼の収められている飾り棚へと送られたのだろう。

 バンと勢いよく棚の戸が開け放たれると、のそりと食人鬼が出てきた。

 すでに戦闘態勢を整えていたジュリーとサスケはさっと飛び出し互いにうまく連携して体重の乗った斬撃を繰り出すが、効いている様子はない。

 食人鬼の反応は決して俊敏ではなく、落ち着いて捌けば攻撃を避けられないものではない。

 しかし、不意打ちに近い初撃以降は適度に避けられ受けられしてダメージを与えられているのか判断がつきかねた。

 時折繰り出される大振りな攻撃は唸りを上げ、恐怖感から二人の精神力を少しずつ削っていく。


「結構当たっているはずですが、倒せませんね…」


「何か見落としているんじゃないか?」


 危機的状況ではないと見てか、ロムはゼンの側で傍観の構えを取っていた。


「見落とし…ですか?」


 ゼンは顎に親指鼻に人差し指を添えて、うつむき加減で何かを考える。


「おそらくあのオーガはダメージ累積型ではないのでしょう。だとすればどこかに急所があるとか…。それを隠すために体毛で覆われている?」


 ゼンの推測は当たっていた。

 そこまでは観客たちもわかっている。

 問題はどこが停止スイッチなのか。

 どんなスイッチなのかである。

 ゼンは一度二人の戦いの様子を確認し、書棚から例の本を取り出した。


「第二階層で入手したこちらの本には何も書かれていなかったのでこの本の中身を確認しなかったのですが、もしかして何か書かれていたのでしょうか?」


 言いながら開いて見たが中は何も書かれていない。

 念のためにともう一冊の本を開こうと表紙に手をかけた際にほんのわずかな違和感を覚えた。

 しかし、違和感の正体が掴めない。


 戦闘中の二人は次第に追い詰められていた。

 食人鬼がこちらの攻撃に対して的確に反応し始めていたのだ。


「やばいでござるな」


「ああ、教育型コンピュータかなんかを搭載してるらしいな。こりゃあ長引けば長引くほど不利だぜ」


 二人は強くはなっていたがそれは基本の型を素振りして身につけた謂わば付け焼き刃である。

 そもそもにおいて攻撃のバリエーションが少なくこの手の攻防では最初から不利な状況にあった。

 すでに彼らも薄々目の前の敵がダメージの累積で倒すタイプではないと気づいている。

 だから狙いを定めてあちらこちらと撃ち込んでいるのだがどこも反応はない。


「ホントに生きてるみたいだ…」


 ロムが呟く。

 体毛で覆われた見た目も戦いに順応する行動もさることながら、斬撃や刺突を受けた時に痛みで目を瞑るなどの表情にもリアリティがあって最新のロボット工学の技術力に舌を巻いていた。


「…ロム」


 力ない声かけに振り向くと、ゼンは困惑の表情を浮かべこちらを見ていた。


「この表紙、どこかおかしくありませんか?」


 どこかと言われてもロムにはわからない。

 第二階層で入手して以来まじまじと見たということもない。


「どこって言われてもな」


「違和感があるのです。どこがどうと聞かれても答えられないのですが、どこか違うんです」


 それがわからないことによる苦悶が眉間に浮かぶ。


「あー…食人鬼の加工が変わってる?」


「ありえません」


「じゃあ、色とか」


「色…」


 言われてみれば全体的に違って見える。

 紫紺の表紙にもう一方の表紙の色である濃紺がほんのり色移りしているようだった。

 表紙をそっと撫でるとその色は手に移る。

 それは暗示ヒントに違いなく、問題は何を表しているか、彼がそれを読み解けるかにかかっていた。


「そろそろ限界そうだ。行かなきゃ」


「待ってください!」


 歩きかけたロムを呼び止める。


「でも、このままじゃ」


「もう少しなんです。この謎が解けなければオーガを倒せないんです」


 言われたロムはちらりと二人に視線を向ける。優勢だった戦況は圧され始め、今では防戦一方だ。


「二分だ。それ以上は待てない」


「わかりました」


 頷いて表紙に視線を落とすゼン。

 表紙には食人鬼の顔が空押しされている。

 つまり顔のどこかがヒットポイントということだ。

 第二のヒントは色移り。なぜ色移りさせたのかだ。


「先ほど手に取った時は色など手につかなかった。つまり本を合わせて棚に置いた時、オーガの起動スイッチとともに色移りの仕組みも働いたということになる」


 改めて表紙を見る。

 全体的に色移りをしているように見える。

 先ほど手でこすったところと左目のあたりが紫紺を見せている。


「左目…」


「ん?」


「左目にだけ色移りがありません。これが弱点でしょう」


 今度はロムが眉間に皺を寄せる番だった。


「そいつは難しいな」


 体長三メートルというのは問題ではない。

 問題なのは瞬きの方だった。

 打撃を与えれば目を閉じ、顔への攻撃でも目を閉じる。

 さっきまでは痛みや恐怖の演出だとばかり思っていたそれが、巧妙に仕掛けられた防御だったとわかったからだ。

 しかし、成功させなければ勝ちはない。

 見開かれた目はロムの棍先とほぼ同じ大きさと思われる。

 よほど正確に狙わなければまぶたに邪魔される恐れがある。


「杖を借りられないかな?」


「杖を、ですか?」


「ああ」


 ゼンは杖を差し出し棍を受け取る。

 武器を交換したロムは石突いしづきを食人鬼に向け素早く走り出した。

 チャンスは不意を打てるこの一回だけ。

 そう思うことで集中力を高め、脱兎の如く駆け寄ってまっすぐ左目をつきあげた。

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