後篇

 そこには不快な羽音が充満していた。


「うわっ!」


 ジュリーが思わず声に出したのも無理はない。

 十センチ級の蚊の群れが廊下のような細長い部屋の中を飛び回っていたのだ。


「あんなのに喰われたらたまったものではござらんぞ」


「かといってあの大きさではパンと手でつぶすのも嫌ですね」


「部屋から出るまで刺されなきゃいいんだろ?」


 こともなげにロムが言う。

 確かに本来の蚊ならちょっと手を振って追い払うことも造作ない。

 四人は互いに目配せをすると頷きあい、固まって手を振り武器を振り回しながら部屋を横切って行く。

 頭の上には蚊柱が立ち昇り、耳にさわる羽音が彼らを包む。


「今晩うなされるぞ、これ」


 ジュリーの軽口はしかし、余裕の表れでもあった。

 倒すとなれば苦労するだろう。

 少なくとも二十匹以上は飛んでいる。

 けれどこの部屋を出ていければいいのだ。

 肌へ着地させないよう体を動かし続けていればダメージもない。

 そんな風に考えていたことが慢心に繫がったのか、不意に首筋にぞわわと寒気が走るような感覚を感じた。


「わわっ!」


 反射的に首をすくめ首筋を手で払おうとするジュリーだったのだが、左腕には盾を装着し右手には剣を握っている。

 異変に気付いたロムが味方への配慮を欠いた剣の軌道をかいくぐり、ジュリーの首に取り付いた蚊を払いのける。


「悪りぃ」


「慎重に行くのはやめよう。それだけリスクが高まる」


 ロムの提言を聞き入れたゼンは、サスケと一瞬視線を合わせた。

 サスケも小さく頷く。


「ここはロムの意見に従いましょう。一気に走るんです。」


 言うと同時に走り出すゼンを追いかけるようにサスケとジュリーが後に続く。

 ロムはスナップを効かせたジャブで彼の周りを飛んていた四、五匹の蚊を弾き飛ばしてから仲間の元へ駆けてゆく。

 出口の前で待っていた三人は、彼がたどり着くと同時に扉を開けて外へ出る。

 間髪入れずにロムが飛び出すと、壊れよとばかりに扉を閉めた。


 一瞬の静寂。


 全員があの耳障りな羽音がしないかと耳をすませて身構える。


「大丈夫の、ようだな」


 静寂を破ったのはジュリーだった。


「うむ誰の体にも取り付いておらぬし、羽音もせん」


 それを聞いてこわばっていた全身の力を抜いたジュリーにロムが心持ち鋭く言い放つ。


「いちいち気を抜いちゃだめだ」


「え?」


 見るとロムはいつもの自然体に見える姿で立っていた。


「悪い癖だ。無駄な力はこわりを生み反応を遅らせるからなるべく抜いたほうがいい。けど、気は抜いちゃだめだ。不測の事態に対応できなくなる。体の反応のことじゃない」


 と言いながら自分のこめかみを二度三度と軽く人差し指で叩く。


「ここが働かなくなる。反応どころか思考が止まる」


 そこで一度言葉を区切り、ジュリーの思考が追いつくのを待って改めてこう繰り返す。


「気を抜いちゃだめだ」


 言っていることの意味が理解できると彼はうつむきぐっと嚙みしめる。

 身に覚えがある。

 いや、あるどころではない。


 ジュリーは剣士のなりこそしているが、その本質は文学青年である。

 幼い頃から決して運動系の活動で目立った活躍をしたことがない。

 むしろどちらかと言えば足手まといの部類だったという自覚がある。

 しかし、だからこそというべきか、彼はヒーローに憧れた。

 英雄えいゆうたんを読みあさり物語の主人公に自身を重ねては夢想に時を過ごしてきた。

 こんな冒険に出るようになったのもその憧れの延長である。

 初めの頃の冒険では何度となく油断を突かれて罠に引っかかった。

 あの忌まわしい事件がなければ仲間を危険上等のこんなダンジョンアタックになんか巻き込んでいない。


 もっとも仲間の側でも危険は承知で積極的に関わってくれている。

 特にロムは他の二人と違いあの日が出会いの日だったにもかかわらず、このいつ果たされるともしれない人探しに付き合ってくれているのだ。

 それも重要な主戦力として…。


「…判った」


 低くつぶやいたジュリーは握っていた剣を鞘に戻すと空いた手でパンパンと強く頬を叩き、気合いを入れ直す。


「私たちも肝に銘じましょう」


「ロムの負担を軽減するためにもな」


 そう言ってジュリーが向けた視線の先には、光の届かない暗闇の向こうに続く一本道がある。

 このダンジョンには分岐がない。


 通常この世界で「ダンジョン」と呼べば、それは迷宮を意味する。

 複雑に入り組み、分岐を繰り返し冒険者を迷わせる。

 過去に経験したダンジョンも程度の差こそあれ地図を作成マッピングしなければ先にも後にも進めなくなるくらいには入りくんでいた。


 ところがここはどうだ。


 人を惑わすような仕掛けもなければゾクゾクするような緊張感もない。

 第一層では入り口付近でちょっとした仕掛けを作動させてランタンを手に入れたことが目ぼしいトリックであり、トラップなど事前に打ち合わせで聞かされているコメディアンでもない限り引っかかりようもないものだった。


落とし穴ピット


 ジュリーが抑揚もなく言いながら仕掛けを避ける。

 床に不自然な円形の陰が浮かんでいる。踏み抜けば人一人が落ちるようにできているのであろう。

 第二階層もそろそろ終わりに近いこのタイミングは確かにこの手の罠の仕掛け時ではある。

 しかし、ランタンのほのぐらい明かりでさえどこにあるのか一目でわかるようでは意味がない。


 落とし穴のふたを杖で突き、中を確認したゼンは眉間にしわを寄せる。


 穴の深さは小柄なゼンでも胸から上は出そうな感じだ。

 しかし、仕掛けがひどい。

 太いとげのある植物が敷き詰められていたのだ。全くもって配慮がない。


「まぁ、引っかからなければどうというものでもない…か」


 妙な節のついた独特の鼻にかかった言い方で一人呟く。


「やはり、気をつけるのは配置されている生物だけと見ていいでござるな」


「ですね」


 サスケは一度地図に視線を落とし、通路の先を指差した。


「第二階層はその先を右に折れれば終わりでござる」


 サスケの言う通り、通路を曲がった先にはダイヤルのついた扉があった。

 ダイヤルは錠になっており、暗証番号で閉じている扉は階層を閉じている扉である。


 ダイヤルを回し鍵を開けるとそこには第三階層へ行く階段があり、四人は無言で登る。

 第三階層も状況は変わらない。

 ただただ続く通路に時折仕掛けられている落とし穴や釣り天井を難なくかわし、待ち伏せモンスターとして部屋に入れられている蜘蛛や蚊を避けながら先を急ぐ。

 単調に過ぎるダンジョンに無造作に仕掛けられる虫。

 彼らが苛立ちと憤りを募らせて、ついにゼンがクリアしたらダンジョンマスターに抗議をすると息巻いた頃、それまでの扉とは少しおもむきの違う扉が現れた。


「これまでの経験や地図の完成度から行って、最後の待ち伏せがある部屋でござろうな」


 サスケが見せる地図は九分九厘埋まっている。

 残りの空白も考えるまでもなく部屋と出口へと続く通路と容易に想像のつく形状だ。


「ボス戦だな?」


 ジュリーが鞘から剣を抜きながら言う。

 心持ち青ざめた表情をしているのは扉の向こうにいるがこれまでの虫よりごわいだろうという予想が外れないという確信があるからだろう。


「おそらく」


 ゼンも手に汗を握っているのだろう。

 杖を小脇に抱え、ランタンを持つ手を変えローブの腰あたりで汗ばむ手を拭う。


「何がいると思う?」


「蜘蛛や蚊ではないことは確かでしょうね」


 ジュリーとゼンがあれこれと想像を働かせている間扉に耳を当て中の気配をうかがっていたロムは、大きくため息をついて仲間に向かいこういった。


「カマキリより危険な虫っているか?」


「虫ですか?」


「ああ、虫だ」


 確信がある。


「カマキリより危険な虫…」


「タランチュラとか?」


「いえ、それはないでしょう。今までの虫も国内の固有種でした。オオカマキリにヤブカ、オニグモにアシダカグモ。さすがに毒蜘蛛は配置されていませんでしたが…」


 蜘蛛の名を出され、ロムは全身が総毛立つのを感じる。


「八本足の話はやめてくれ」


 ロムがいう。

 実際、第三階層では二度蜘蛛と遭遇したが二度ともに怯えて使い物にならなかった。


「ふむ、これらより危険な虫となると何がありますかね?」


 ゼンに話を向けられたサスケは腕を組んだまま瞑目しているような姿勢から二、三度首を振りこう答える。


「何を持って危険というかによるでござる」


「ですよねぇ…」


「吸血虫である蚊、肉食の蜘蛛、大型で獰猛なカマキリ…いずれも危険といえば危険な虫でござるが、反応は中立的ニュートラルでござった」


「友好的じゃあなかったがな」


 ジュリーが緊張を和らげるつもりで軽口を言う。


「それだ!」


 ゼンは人差し指をジュリーの鼻っ面に突きつけ、早口でまくし立てた。


「これまでの虫は積極的な攻撃をする種類ではありませんでした。しかし、ラスボスとして配置をするとなれば冒険者に戦ってもらいたと考えるのがダンジョンマスターの人情」


「つまり、攻撃的な虫が配置されているってことか?」


「ええ」


 ジュリーの質問にゼンは短く答える。


「蜂か? スズメバチとか!?」


「さすがにススメバチはないでしょう。そもそもにおいてスズメバチの蜂毒はただでさえ人にとって危険なことが知られています。まして、我々はミクロンシステムで小さくなっているんですよ。いくら考えなしのダンジョンマスターだって過失致死のリスクくらい考えると思いませんか?」


「…確かに」


 ジュリーもスズメバチについては納得したようだが、なお一層顔面の蒼白さが増した。

 サスケも覆面で顔を覆っているが目は明らかにしょうすいしたように見える。

 当然、ゼンも額に脂汗を浮かべている状態だ。

 現状、まともに戦えるのはやはりロム以外にいそうにない。


「これまでみたいに避けて通るってわけにはいきそうにないのかい?」


 ロムは努めて軽い雰囲気を声に乗せて訊ねてみた。


「わかりません。しかし、ダンジョンマスターがラスボス戦を想定しているとすれば出口がロックされている可能性もあります」


「ダンジョンの構造を考えると可能性は低いと思うがな」


 サスケが少し強く補足する。


「ええ、私もそう思いますよ。しかし、楽観に過ぎると手痛い目に遭う」


「わかった。三人は出口の確保を頼む」


「また一人で戦うのか?」


 ジュリーが後ろめたそうに尋ねる。


「相手も生き物だからな」


 小さな間がダンジョンを支配する。

 やがてジュリーは右手に握っていた剣をロムに手渡した。


「二人はオレが守る。なぁに盾の役くらいは務まるだろ?」


 言いながら左腕に装着していた盾を外すと両手で持って構えてみせる。


「ぐだぐだしててもらちが明かない腹ぁ決めようぜ!」


 それはゼンとサスケに言っているようで自分自身に言い聞かせている言葉だった。

 冒険者は扉の前で各人持ち場に着く。

 光源であるランタンだけをゼンが持ち、ゼンの武器である杖を受け取ったサスケが盾を両手に構えるジュリーと並んで扉に手をかける。

 互いに無言で準備の確認を済ませるとサスケが力任せに扉を押し開け、ジュリー、サスケ、ゼンの順に部屋を駆け抜ける。

 一呼吸おいてロムが部屋に入ると睨むようにぐるりと部屋を見渡す。


 虫は一匹。


 蜂ではない。

 蝿のようだがふた回りは大きく色も茶色い。

 突然の乱入者に飛び上がったのだろう、鈍い音を立て旋回している。


「虻だ」


 ロムが叫ぶ。

 三人は出口の扉を目指してまっすぐ壁際を進んでいた。

 扉は左側奥、入り口から最も遠いところにあったが、サスケが作った地図で想定していた通りの位置にある。

 扉に取り付いた三人は、あらかじめ打ち合わせていた通りゼンが扉の正面に立ち、守るように二人が彼を背に杖と盾を構え虻を目で追う。


「虻って刺すよな?」


 ジュリーの質問に扉をざっと目視で調べながらゼンが答える。


「メスならね。産卵のために吸血するのだったかと…ありました! ダイヤル錠ですよ。まったく…」


 しゃがみこんだゼンは即座にダイヤルを回し始めるが立て付けが悪いせいか回転が渋い。


「このっ! 回れ!」


「時間がかかるのか?」


「かもしれません。おそらく扉の立て付けが悪くてダイヤルが引っかかっているのでしょう」


 ランタンを足下に置きノブに片手をかけ、二度三度と前後させながらダイヤルを回すゼン。

 その度に少しずつ回るのだがランタンの明かりが手元が照らしていないので今の番号がよく見えない。


 虻は威嚇態勢なのか三人に近づくような円軌道を描く。


「ジュリー、拙者ゼンを手伝うでござる」


「え? ちょっ…」


 ロムは、部屋の中には入っているが虻の動きを観察しているばかりでまだ動かない。

 いや、正しくは動けないでいた。

 部屋を照らすはずのランタンは今ゼンの足元にあり、ジュリーとサスケの足が部屋に大きな影を作ってしまっているのだ。

 状況はサスケもジュリーもわかっている。

 サスケは足でランタンを蹴飛ばし部屋の明るさを確保すると杖をゼンに返してドアノブを握ってドアを調節する。

 手元の暗くなったゼンは杖をいじって杖を発光させると読み取りやすくなったダイヤルを回し始める。

 サスケの手伝いもあってかダイヤルの回り具合もましになっているようだ。


「くそったれ! 急げよっ!」


 盾にぶつかってくる虻の恐怖に顔を引きつらせながら叫ぶジュリー。

 大声を出すことで緊張と恐怖を紛らわせているのだろう。

 そして、ランタンの明かりが暗いながらも部屋全体を照らしたことにより、ようやくロムが動き出した。

 ジュリーが執拗にアタックを繰り返す虻を盾で殴りつけ防いでいる。

 しかし、飛んでいる虫を撃ち落とすだけの打撃力はなく、せいぜいが部屋の中程まで弾き飛ばすくらいでしかない。

 その後ろでは扉の立て付けの悪さをサスケが調整し、ゼンがダイヤル錠の解錠作業をしている。

 ロムは誰に気付かれることもなく部屋の中を移動し、ジュリーに弾かれる虻を観察する。

 ジュリーの剣に刃はない。

 ただ殴りつけても倒すには至らないだろう。

 効果的な攻撃は部位の付け根を狙うか刺突で仕留めるか…。

 しかし、どちらも相手が空中では力が逃げるので致命的な破壊力を生むのは難しいかもしれない。


(そういや昔爺さんが…)


 部屋の中を飛んでいた蝿をジャブで軽く握りこみ、地面に叩きつけていた。

 叩きつけられた蝿は失神し、しばらく動かなかったのを覚えている。

 目の前を飛ぶ虻は見た目十五センチ級で掌に握り込むというわけにはいかないが、叩き落とすことはできそうだ。

 問題は失神するほどの衝撃を与えられるかだが他に有効な手段も考えられない。

 意を決したロムはタイミングを見計らって距離を詰めると目の前を飛ぶ虻に真上から平打ちで剣を振り下ろす。

 不意を打たれた虻は地面に叩きつけられほんのわずかだったが動きを止めた。

 時間にして一秒ほどだろうか。

 ロムには十分な時間だった。

 胸を足で踏みつけ頭部と胸部の間に剣を突き入れ切断した。


「なんというか…お見事」


 剣を返してもらったジュリーは剣先に付着している体液に若干の嫌悪感をにじませながらそう言った。

 背後の心配がなくなったゼンとサスケはほどなく開錠し、四人の冒険者は出口へと続く廊下を進む。

 その先に待っているのは電子的なファンフーレだった。






「ひどすぎます!」


 冒険を終えたゼンが、ダンジョンマスターに食ってかかる。

 気の弱そうな四十がらみで瘦せぎすの男はその剣幕に愛想笑いを浮かべるだけだった。


「なんですかあの敵の配置は? あなた、人を殺したいのですか!」


「そ・そんなつもりは…毒のある虫は選んでいませんし…」


「そういう問題ではありません!」


 憤懣ふんまんやるかたないゼンをなだめすかすジュリー。

 マスターは助けを求めて視線をサスケやロムに向けてくる。


「主人、あのダンジョンでは擁護できぬ。まず迷路が単純にすぎる、構造が雑で雰囲気が台無しでござる」


 と、こちらも歯に衣着せぬ辛辣さだ。

 マスターはしょぼくれ肩を落として一見いちげんである彼らに愚痴をこぼし始めた。

 曰く、冒険者は一度クリアすると二度と同じダンジョンにはアタックしない。

 常連はすぐにクリアし「もっと刺激を」と求めてくる、と。


「ダンジョンを作るのにどれだけの手間とお金がかかると思ってるんでしょうか? こんなに出費がかさむとは思ってませんでしたよ」


 今にも泣きそうな様子に毒気を抜かれたのか、ゼンは呆れた顔で仲間を見やる。


「マスター、俺はRPGはよく判らないんだけど、マスターは結構詳しいの?」


 カウンターの端で冷めてしまったホットココアを手持ち無沙汰にかき混ぜながら、ロムがマスターに訊ねる。


「あー、いえ…恥ずかしながら子供の頃によくコンピューターゲームをやってたくらいで…」


 それを聞いたゼンが一瞬、眉間に怒気を見せたが何か思うところがあったのだろう大きく深呼吸をして抑揚を抑えた調子で訊ねる。


「プレイしている我々が言うのも何ですが、ミクロンダンジョンはとある事件を契機に国際的に非合法とされています。まぁ非合法活動は金になるとはよく言われることですが、これはアジトを転々とできないなど非常にリスキーな商売です。なぜ、ミクロンダンジョンを運営しようと思ったのですか?」


「…わたし、RPGは子供の頃に遊んだ程度なんですが機械いじりは好きでね、ミクロンシステムには前々から興味があったんですよ。で、例の事件の後もミクロンについてはネットの噂などを追っていたんです」


 ジュリーとサスケはゼンの質問の裏を理解できたのだろう。

 真剣な表情でダンジョンマスターの話を聞き漏らすまいと身構えた。


「みなさんなら知ってるでしょうが、民生用に出回っていたミクロンシステムは表向き回収・破棄されたことになってますけど闇で取引されてましてね。工学部の血が騒いじゃいまして、えぇ、買っちゃったんですよ」


 と、こめかみの辺りを指でかく。

 3人は先を急がせたいのをぐっとこらえて話を促す。

 ひとしきり自分語りをしたマスターは、ようやく彼らが聞きたい核心部分にたどり着いた。


「──というわけでダンジョンを経営するといいらしいと聞いて始めたのが半年前。非合法商売ですから客単価は高くてもお客は決して多くない。なのにたった半年で三度の改装ですよ。おかげで生活はカッツカツで…」


「素人の設計したダンジョンじゃあリピーターはこねーよ」


 ジュリーが言う。


「そんなこと言ったって、表立って依頼なんてできませんよ。なんせ非合法なんですから」


「そうですね。しかし、あなたは運がいい」


「え?」


 ゼンは少々気味の悪い満面の笑みをたたえてマスターの肩に手を置いた。


「あなたさえよければですが、我々がダンジョンを作ってあげましょう。腕によりをかけてね」


「え? いや、しかし…」


 戸惑うマスターに未だ忍び装束のまま覆面さえ外していないサスケが言う。


「その男は業界では少々名の知れたTRPGのシナリオライターでござる。少々意地悪なトラッパーとしてファンもいる男でござる」


「はぁ…」


「そしてこの男はアマチュアモデラーとして実力を認められている男でな、主人が作るよりいいダンジョンを作ることができる」


「格安でお受けしますよ。そのかわり…」


 三人はマスターとの交渉を始め、今月の収入と新しいミクロンダンジョンの手がかりを手に入れた。

 いつもながら見事な交渉術だとロムは呆れるばかりだった。彼がこのパーティに誘われた時は「こいつら大丈夫か?」とさえ思ったというのに。

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