ミクロンダンジョン 近未来非合法冒険活劇 少女救出篇

結城慎二

プロローグ 

雑なダンジョン

前篇

 その迷宮ダンジョンは明らかに手抜き仕事で作られていた。

 ダンジョンマスターはよほどケチだったのか、内部の作りは一目で素人が造ったと判る雑な仕上げできょうめしてしまう。

 マッピングされた第一階層の地図を見ても第二階層までほぼ一本道、ダンジョンというよりラビリンスだ。冒険者を待ち構えるトラップはよほどの初心者でなければ引っかかる方がおかしいくらいの安直さで仕掛けられていたし、配置されているモンスターも申し訳程度だった。


「ハズレだな」


 列の後ろから藍色の拳法着に身を包んだ黒髪の少年はそう言った。

 筋肉の動きなどで技の始動を悟られないためだろうか、動きを妨げない程度にゆったりとした着こなしになっている。裾は邪魔にならないように足首のあたりで布紐で縛られていて、袖は拳が見える程度に折り返してある。


「わかんねーぞ?」


 先頭を歩いていた銅褐色カッパーの鎧に身を包んだせ気味の青年が、少し熱血気味の芝居みた言い方で返答する。

 綿を入れた亜麻色のトレーナーのような上着を着込んでいるのは、鎧の負荷から体を守るためだろうか?

 銅褐色の鎧は胸当て、すね当てと前腕をおおい左腕には傷だらけの鈍色にびいろの円形の盾、革ベルトから吊り下げられている片手持ちの剣は黒光りするさやに収められている。


「第二階層も同じ造りなら、ハズレでござる」


 全身柿色の忍者姿の青年は目だけを出したきんのせいでただでさえ聞き取りにくい上にボソボソとした小さな声で前を行く戦士の青年に言い放つ。


「そうですね、それを確かめるためにも第二階層に上がらなければなりませんよ」


 忍者青年の隣を歩いていた背の低い小太りの青年は鼻にかかった声で妙な節のついた話し方をする。

 紺きょう色の長めのローブのフードをぶかにかぶり、このダンジョンでの戦利品であるランタンを左手に右手に杖を持っている。

 四人の冒険者は、今まさに第二階層へと続く階段を上ろうとしていた。


「お前ら悲観的だなぁ…」


「ジュリーが楽観的すぎるだけですよ」


「…楽観的で何が悪い」


 言ったジュリーはひどく深刻な顔をした。

 もちろん先頭を歩いているジュリーの表情を後ろの三人が見ることはできなかったが、その声のトーンや後ろ姿から明らかに雰囲気の変わったことが容易に伝わった。


「すまぬ」


「いいさ、ここがハズレかどうかはクリアすりゃわかるんだ。さ、行くぜ」


 たどり着いた第二階層の扉を前に気合を入れ直したジュリーが勢い良くその木製の扉を開けると、そこは小さな小部屋になっていた。


「セオリー通りですね」


「ゼン、ジュリー、マッピングの準備をするので少々待ってもらえぬか?」


 ランタンで殺風景な室内を照らしているゼンの隣でふところから新しい方眼紙を取り出す忍者青年は第一階層を記した地図と重ね合わせ、大まかな現在位置をその新しい地図に書き込む。


「サスケ、このダンジョンは三階層だったよな?」


「うむ、外観的にもの立方体でござった」


 準備の終わったサスケはジュリーに目配せをする。

 それに頷いたジュリーは先へと続く扉を開く。

 ゼンの持つランタンの明かりに照らされた通路は、やはり一目で手抜きのやっつけ仕事と判る出来だった。


「ハズレですね」


 その光景に絶句し立ち尽くしていたジュリーの背中に少し優しく押すように手を添え、ゼンは声をかけた。

 それにようやく反応したジュリーが、芝居染みた努めて明るい声でこう言いながら歩き出す。


「しょーがねぇ、ちゃっちゃとこのダンジョンクリアして次のダンジョンにアタックだ」


 四人の冒険者は意図せず歩きづらくなっている通路をまるで子供が遊園地の迷路をクリアしようとするかのようなスピードで進む。やがて目の前に立て付けの悪い木製の扉が現れた。


「……罠あります…と看板掲げているようなものですね」


 ゼンが出来ることなら避けたいという気持ちを隠そうともせずにつぶやく。


「でも、避けるわけにいかないんだろ?」


 後列にいた拳士がジュリーの隣に移動する。


「ロムの言うとおりでござる。一本道である以上、罠と判っていても飛び込む以外にござらぬ」


 サスケがマップを懐にしまいながらジュリーを促すと、ジュリーはひとしきりガシガシと頭をかきむしり細身ではあるが厚みのある剣を鞘から抜いて構え、ロムに目配せをする。

 それに頷いたロムは、軋む扉を開く。

 部屋は八畳ほどの広さだった。

 その部屋の中央付近に大きな褐色のカマキリが一匹。八十センチ級のそれは音に反応したのか、ともすれば愛嬌すら感じさせるハート型の顔をこちらに向けていた。


「マジかよ…」


 ジュリーがつぶやき絶句する。

 ゼンが滔々とうとうとカマキリの蘊蓄うんちくを語り出す。

 カマキリは肉食の昆虫だ。基本的には自分より大きな獲物は狙わないと言われているが、餌の少ない環境なら自分より大きなトカゲやネズミを捕食するし共食いもするほど獰猛どうもうだ。ダンジョンにモンスターとして配置されたこの単独のカマキリ、いつからここに配置されているかはわからないがどう考えても満腹とは思えない。


「つまり、今危険な状態ですよ」


 正直カマキリが人を襲うかどうかはわからない。しかし、可能性は低くない。

 ロムは自分に合った武術を求めて様々な道場を覗いた中で見た蟷螂とうろう拳のつかい手を思い出していた。その演武はゆらゆらと揺れているようだったが、目の前にいるカマキリはどうだ。こちらに気づいてじっと見つめて微動だにしない。


「蟷螂拳と違ってゆらゆら動かないもんなんだな」


 それを聞きとがめるようにゼンがとげのある返答をする。


「カマキリは待ち伏せ型の狩りをする昆虫です。基本的にじっとして動かずに相手の隙をついて一気に襲い、生きたままかじりつくんです。小さい頃に観察したことはないのですか? 揺れるのはかくの時の仕草ですよ」


「…それってつまり、今目の前でじっとしているのは…」


 カマキリから目をそらさず、少し声をうわずらせるジュリーにこれもまた冷たくゼンは答える。


「ええ、十中八九ロックオンされてます。気を抜かないでください」


 それを聞き、ジュリーは周りに聞こえるほど大きな音を立ててつばを飲み込んだ。


「だが、いつまでも睨み合うというわけにもいかぬでござる。長引けば長引くほどこちらに不利となろう」


「た、確かに…」


「ガチでやりあって勝算あると思う?」


「ありますよ。恐ろしくハイリスクですから避けることを勧めますがね」


 ロムの軽口に聞こえる質問に対して、ゼンが間髪入れずに答える。


「じゃあ、リスクは最小限に」


 無意識に左の肩を一度下げ、ロムはゼンの前に右手を出した。

 無言の要求にこれも黙って杖を手渡し、ジュリーとゼンを押すように壁際をゆっくり進み出すゼン。

 それとは反対側へとこれもまたゆっくり移動しながらロムは杖を大きく振り回す。カマキリは目の前で風を切る杖に反応し、ゆっくりと上体を揺すり出す。かく行動だ。

 思惑通りだったのだろう。口角だけを釣り上げ一度杖を床に打ちつけると流れるように杖を回して行く。人が見ればそれがじょうじゅつの演武であることが分かったはずだ。

 三人には、それが合図になる。彼らはそれまでのジリジリとした壁際移動から慎重ながらもすみやかな足取りの退避行動に移る。ロムの演武はカマキリを強く刺激している。上体を起こして杖の動きに合わせてゆらゆらと揺れるカマキリは鎌状の前脚を体に引きつけ、バッとはねを広げて体を大きく見せる。


「!」


 目の前で翅が展開したことに一瞬足がすくんだ三人の気配にピクリと反応したカマキリをあえて挑発するように壁に杖を打ち付け、再び注意を自分に向けさせるロム。感情の読み取れないカマキリの顔が再び彼を捕らえ、まさに蟷螂拳のような仕草でこちらを威嚇してくる。


(むしろありがたい)


 ロムは最初の居合抜刀のごとき身じろぎもしないカマキリと対峙するより、慣れ親しんだ動きの流れの中に身を置くことに全身のこわりがほぐれるのを感じた。

 気を取り直した三人は再び慎重に壁際を出口の扉まで進む。

 カマキリは時折ジャブのように鎌を繰り出すが、ロムはそれを杖で弾く。しかし、決して攻めには転じない。

 その間に三人は出口へと辿り着き、扉を開けて外へ出る。


「ロム!」


 ジュリーの呼びかけを受け、ロムは初めて攻撃に転じた。

 攻防一体は拳士としての真骨頂である。繰り出される右の鎌腕を絡め取るように杖で巻き込み関節にしょうていを打ち込むとピシリと亀裂の入る音が聞こえた。絡めた杖をさっと引き、素早く体を攻撃した右側に移動する。

 カマキリが鎌を構えてロムを正面に据えようとするのに合わせ、彼はさらに移動する。一気に移動しない慎重さとなおも挑発するように杖を振り回す豪胆さ。扉を開けたままロムがたどり着くのを待っているジュリーの目にうつる姿は頼もしさとうらやましさを彼の心に感じさせる。

 最初に出会い、彼をこの過酷な冒険に付き合わせることになったのも彼が強かったからだ。本来ならその日、あのダンジョンを共に冒険すればそれでサヨナラだったかもしれないロムとのこれが三度目のダンジョンアタックなのだ。戦士として、剣士として共に戦いたい。せめて隣で協力したい。ジュリーはギリリと奥歯をみ締めた。


 ジュリーが自分の不甲斐なさに歯噛みをしている間、ロムはカマキリを威嚇しながらじりじりと壁際を移動し続け、ようやく出口の扉にたどり着こうとしていた。時折繰り出される鎌腕は杖で弾き、フェイントの攻撃はしても有効打は当てない。あくまでも安全にこの部屋を抜け出すことを最優先に考えていた。


 それは決して見た目ほど楽な戦いではなかった。


 ここが最終決戦というのであれば、多少の怪我を覚悟することで目の前の敵を倒すことも可能だろう。大きさもロムの半分以下、繰り出される攻撃も速さはあるが重さはない。そもそもカマキリの前脚(鎌腕)は獲物を捕まえて逃さないためのものであって相手に致命的ダメージを与えるためのものではない。ここまでの攻防を彼なりに分析した限りにおいて、むしろ負ける要素こそ少ない。一連の攻防から考えると現状獲物として狙われているかどうかも疑わしい。しかし、万が一捕獲された場合脱出できるかどうか? 喰われるようなリスクはおかしたくない。相手はここに閉じ込められるまで野生として生きていたと思われる。決して隙を見せるわけにはいかないのだ。


 たどり着いた出口にはドアノブに手をかけたジュリーが、眉間にしわを寄せた真剣な目でロムとカマキリを見つめている。

 ここがこの戦いの正念場。

 ロムは八畳ほどの部屋の中、カマキリの間合いで対峙している。

 扉の正面に立った彼は、カマキリを睨みつけその背を仲間に向けたまま言った。


「三つ数えたら部屋を出るからすぐに閉めてくれ」


「わかった」


 ジュリーの返事を聞いたロムは一際ひときわ大きく杖を回し一度大きく退かせると足を止めて斜に構え、杖の先をピタリと相手に向ける。体重は親指の付け根に乗せ、心持ち膝を曲げ力をためる。

 呼応するようにカマキリもまた動きを止め、こちらの様子を伺う。

 静寂が空間に満ちた。


「一…二…」


 廊下で待っている中の様子が見えないサスケとゼンにも部屋の中の緊張感が伝わってくる。


「三っ!」


 弾けるように廊下に跳び退しさるロム。

 半拍遅れてジュリーが力いっぱい扉を閉める。

 ランタンの明かりが照らす廊下に安堵が広がった。


「悪趣味です」


 ゼンが呟く。


「野生の昆虫を捕まえて安易にダンジョンに配置するなんて、やっていいことと悪いことの区別がつかなくなっているとしか思えません」


 いきどおるゼンに「でもよ」とジュリーが問いかける。


「ここがのダンジョンだとしたら…」


「…残念ながら、ここはのダンジョンではありません」


 被せられた言葉にジュリーは黙ってしまう。


「このダンジョンにはあの時のような巧妙さがありません。おそらくこの先も思いつきに過ぎない危険な罠が仕掛けられているでしょうが、あの時のダンジョンのように冒険者に慎重さがあれば対策が打てるというようなものではないでしょう」


「この先にもカマキリのような罠があると見てるでござるか?」


 四人は再び歩き出す。地図を書きながらサスケは隣りを歩くゼンに問いかけた。


「ええ、きっとモンスターとして配置されてます」


 ゼンの言葉には確信が込められている。


「なら、隊列を組み直そう」


「ロム?」


 言って、ジュリーは立ち止まり後列を歩いていたロムを振り返った。見るといつもの飄々ひょうひょうとしたものとは違う渋い表情が浮かんでいた。


「私も賛成しますよ。このダンジョンに後ろから襲われる心配はありません。先頭の攻撃力を上げて一気に正面突破しましょう」


「わかった」


 ロムがジュリーの隣に並びその後ろにゼンとサスケ。隊列を組み直した四人は周囲の警戒を最小限に先を急ぐ。その歩みは街の小道を行くような気安さでサスケがマッピングが追いつかないからと二、三度立ち止まらせたほどである。幾つかの角を曲がり、やがて冒険者は扉の前にたどり着いた。

 急造で立て付けの悪い木製の扉。先ほどのものと一緒だ。誰もが一様に同じような罠があるとそう思うほどに安易な構造だった。

 ロムが扉に耳を当てるが特に中の様子がうかがい知れるわけでもなかった。


「でも、気配はある。集団の気配だ」


「それだけわかれば覚悟ができる」


 言ってジュリーは腰の鞘から細身ながら厚みのある片手剣を抜き、フッと短く息を吐いた。


「確認だ。明らかな敵意がない限り部屋を突っ切る。それでいいんだな?」


「ええ。各自自分の身は自分で守る。私も頑張りますよ」


「じゃ、遭遇戦エンカウントだ」


 ジュリーの宣言と同時にロムが扉を開け、四人は部屋に踊り込んだ。

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