魔王が逃げて、何が悪い?

冬野ゆすら

第1話 魔王トゥエリアス

 窓の下で、水面が不自然に揺れている。そのことに気づいて、私はペンを走らせていた手を止めた。

 私──そう、この館の主であり、エレーミア妖皇国に仕える魔王の一人、トゥエリアスである。まあ、魔王と言っても末席に近いし、みそっかす扱いなんだが、まあバリバリ仕事をしたいという性格ではないので、別に問題はない。

 仕事そんなことよりも、大切な楽しいことがある。

 そのうちの一つが、これ──”畏域”への入り口が繋がったとき、だ。

 友人から館の管理を任されて以来、両手で数えられるほどしか遭遇していない現象だが、この館自体がそのために建てられたらしい。だから、泉に変化が現れたら、可能な限りそれを調べろというのが、交換条件だ。これは妖皇も承知ということなので、誰に気兼ねすることもなく仕事をサボ──いや、放…でもなくて、えっと……。

 ま、まあいいか。

 とりあえず流石に広げたままは不味いので、書類は片づけるとしよう。

 ここで書類仕事をしていた理由は単純で、ここが執務室として造られているからだ。ちなみに隣室が私の居室だな。一人暮らしには少々じゃなく広いが、まあそのときの気分で利用する部屋が変えられるのはけっこう楽しい。まあ、この館の造りでは正直、どの部屋にいても変わり映えはしないな。なにせ、全部の部屋から中庭が見えるのだ。それもまあ、交換条件を守るためには仕方のないことだし、慣れてしまったので寝室も同じ造りであるけれど、もう何とも思わない。

 ……まあ、中庭側全てが透明な硝子窓で曇りもせず、窓掛カーテンを引くことすら許されないと知ったときは、流石に愕然となったが。何やら半永久的に曇り除けとなる術具が使われているらしいが、その技術を誰も継承しておらず、技術派の魔王ですら再現に失敗しているという話で、驚くかぎりだ。

 ああ、気づいた者もいるかもしれないが、一面が硝子窓となると、室内の温度調整は非常に大変だ。何故かこちらは居住者に任されているらしく、常時適温にするための術を発動させていないと、かなり辛い。妖魔といえど、人間の身体を模している以上は、外気温の影響を受けるのだ。

 ん? 人間の身体を止めれば、か?

 それはほぼ、不可能だな。まあその話は後でまた機会があるだろうから、そのときに教えてやろう。私は速やかに、”畏域”へ向かわなければならないからな。

 君も来るといい、面白いものが見られるかもしれないぞ?

 その一つが、例えば──瞬間移動、だな。


 執務室からの移動で、私は中庭──泉の前に足をつく。見える範囲を自在に移動する、それは妖皇国に仕える者なら、誰にでも出来る術の一つだ。というより、これが出来ないと出仕が非常に面倒になる。まあ出来ても面倒だからという理由で、宮廷内に部屋を貰って住み込む魔王も少なくないが。

「今日は見えるか。…大時化だな、これは」

 泉の水面に奇妙な靄が立ち上っているのが見える。あれが”畏域”の魔力で、向こうの世界と繋がった証となる。

 このことを誰にも知らせないのかって?

 ああ、必要ないんだ。何せ前の持ち主から、怒鳴られたことがあってな。曰く『そんなことをしている間にとっとと行けぇっ!』で、”畏域”へ放り込まれたんだ。あのときは真面目に消滅を覚悟したな。…まあ、彼奴が私にまで術をかけてたから、何ともなかったが。

 まったく、あれで序列最下位だって言うんだから、恐れ入るよ。元の筆頭位は伊達じゃないな。

 さて、ここからは少々本気が必要だ。君の相手がおざなりになっても、怒らないでくれよ?

 ……着いてこいと言ったくせに、か。はは、まあそれは──魔王相手だ、諦めろ。代償かわりに一つ、大技を見られるのだから。


 私は髪を数本、引き抜いた。掌の中で幾つもの珠にしたそれを、泉の周囲に撒き散らす。仄かな光を放ち始めたら、それで一つ目の術の完成だ。

 実を言えば、これは私の魔力が形を変えたもので、ただの目印である。何しろ”畏域”へ繋がる出入り口はいくつもあって、それが世界中に散らばっている。こうして目印を置いておかないと、自分がどこへ出るのか予想が着かないのだ。


「さて今日は──何が出るかな」

 私が指を鳴らすと、パタンカチリと音がして窓の鍵がかかる。ギギィという音が響けば門扉が閉じたということで、戸締まりと施錠は完了だ。まあ、不在を知ったとて魔王の館に踏み入る怖いもの知らずなど、いるとは思えない。これは元の持ち主から聞いた、館の建て主からの厳命らしい。

 そう言えば、この館には生け垣があるのだが、あれはどうやら門扉が閉まると同時に花開き、魔物を寄せ付けなくする魔物らしい。…済まない、何しろ門扉を閉めること自体が”畏域”へ行くときだけだから、真相を確かめたことがないのだ。だが、このときだけは薔薇が強く香るので、おそらく事実なのだろう。

 ”畏域”の風に当たれば変質する。だから、薔薇の香りで警告を出す。そう、聞いた覚えもある。


「──”畏域”か。結局、何なのかは知らないままだな」

 それでも何をするかは決まっている。だから今日もいつも通り、”畏域”へ向かうための術を発動させよう。


「紡げ、金鳳花ラナンキュラス

 中庭の端に咲いた赤い花ラナンキュラスの蕾を摘み取って、私は呟く。

 言葉を受けた金鳳花が粒子と化して私を包み、胸元に透き通るように赤い蕾が一輪、飾られた。

 私が作った術の一つで、”畏域”で身を守るための障壁だ。

 魔力を見る目を持つ者なら、私が蕾の中にいるかのように見えるだろう。幾重にも重なった花弁は一枚ずつが相当の防御力を持つ障壁であり、それが全て消えるまでが、”畏域”への滞在期限だ。

 花に宿る”畏域”の魔力を使うとは言え、消耗は軽くない。なので一応の保険として、最後の花弁が散ると同時に種となり、先に散らした自身の魔力を辿ってこの地へ戻ってくるように仕込んである。己の意識がなくとも発動するそれは、そうしなければ呑まれて消えるかもしれない危険があるためだ。

 さあ、準備は整った。泉を通り、”畏域”へ向かうとしようか。──私たち妖魔の生まれる領域へ。

    

 妖魔として生まれた者が、”畏域”を大切に思うという話は聞かない。特別な才ある以外は立ち入らぬが正解と、そう言われるほどに忌避されている。故郷という意味では、妖皇国がそれに近いのだろう。生憎と、私はどちらでもないのだが。

 私たち妖魔は、親を持たない。ある日唐突に、必要な知識だけを抱えた状態で意識が目覚める。私もそうだったことを覚えてはいるけれど、それだけだ。どうやって抜け出したのかは覚えていないし、懐かしさも感じない。人間が言うような、故郷としての認識はまあ、この国に対する感覚のほうが近いだろう。


「大切に思えと言うほうが無理な話だな──っ」

 私は息を呑んだ。自分の術に自信があるとは言え、ひっきりなしに波が襲ってくるのだ。その度ごとに花弁が砕け散るし、落ち着けるものではない。

 本来は凪いだ海だと、自分を連れてきた先達に聞いたことがある。けれど、私が”畏域”を訪れるときはいつもこの有様だし──まあ今日は、いつにも増してあれているようだが。

 ”畏域”とは何なのか。私も考えたことがあるが、結論は出なかった。

 私たち妖魔を生み出して起きながら、自我を得た瞬間に手のひらを返して飲み込もうとする、この理解しがたい世界。この時化などその最たるもので、生まれたばかりの妖魔赤ん坊に耐えられる環境ではない。

 だから、あの館が造られた。

 だから、あの館を託された。数少ない、”畏域”への出入りに耐えられる妖魔である私に。

 ”畏域”で消える妖魔を救い出すそのために。


「──それは、わかってるけどな」

 自分でも呆れるほど、それが楽しい。命を救うことがではなく、知己が増える、ただそのことが。

 それに、ここには不思議な物が漂うのだ。朽ちもしないそれらは、とても興味深い代物だ。

 例えば、本。装丁の表には、”尾を食い合う蛇”が浮き彫りにされている。あれには何の意味があるのだろう。

 例えば、扇。鮮やかな色で塗られたそれは、どんな謂われがあるのだろうか。

 例えば、──包丁だろうか。刃渡りが掌ほどしかない上に背が反った、不思議な形だ。だがその刃は薄く、小回りが利くだろうから、手に入れると面白いかもしれない。

 だがそれらは、手に取れない。彼奴もそうだと言っていたし、自分でも試したからそのことは分かっているけれど──ああ、本当に残念だ。


「なあ、──そうだろう?」

 遠くに見える人影に、応えはないと承知で囁きかけるのが止められない。幾度もここで出会ったけれど、言葉を交わせたことのない相手。思うだけで移動が可能なこの”畏域”に置いて、その傍らに行くことが出来ない相手。こちらの存在を認識しているのかさえも定かではないけれど、話しかけないという選択肢はない。

 だから、話しかけた。それだけのはずだったのに、彼は何かを──一点を指し示す。まるで、私に何かを告げるかのように。


「──見つけた」

 荒波の中、忙しく忙しく明滅しながら如何にも確かに点り続ける、小さな灯り。ああ、あれだ。それこそが探していた魂だ。

 声が届くはずはないのに、呟きを聞き取ったかのように彼は姿を消した。なぜ、譲るのだろう。”畏域”で動ける身であるなら、自身で保護すればいいものを。

 納得も理解も出来ないところではあるけれど、それで魂を護り損ねるのはただの阿呆だ。

 私は胸元の花びらを一枚千切った。消えると同時に結界の一重が自ら離れ、その灯りを──生まれたての魂を包み込む。


「間に合った」

 明滅が収まって、淡い光を放つだけとなったのは、その言葉が聞こえたからだろうか。時化は治まる気配を見せないが、もう気にもならない。

 保護できた魂に手を伸ばせば、まるで驚いたかのように幽かに震えてから、私の結界に治まった。

 さて、どうやって話しかけようか?


あなたを消して──その魔力を奪い取る……』


 その魂からは、冷たく昏い想いが伝わってきた。

   

 ※ ※ ※

   

 凪いだ海。浮かび沈む様々な想い。魔素が満ちて生き物がいない世界。

 それが”畏域”であり、ここがそれだと、わたしは知っています。

 時折目覚めて、想い出に浸り。またいつしか眠り、漂う──それをずっと、繰り返してきたことも、これから先も繰り返していくことも、知っています。その覚悟で眠りについたのですし、いつか──そう、いつかはきっと、迎えが来るはずですから。未来永劫の彼方であっても、必ず。

 なのに、わたしは目覚めました。いつものような、幸せを感じる目覚めではなくて──とても強引な何かに揺さぶられたかのように。

 これまでも、時折はそういうことがありました。魂が生まれると、”畏域”が震えます。それで目覚めさせられることに否は唱えようがありません。だから、わたしは幾度か目覚めて、また眠りについていたのです。

 今もそれ。だから、再び眠りにつけばいい──そのはずなのに、どうしてわたしは、覚醒しているのでしょう?

 もう、戻れません。あの夢を見る幸せに──永遠に続く幸せに、戻ることが出来なくなりました。

 その上、魔素を吸い上げることも出来ないのです。わたしという”魂”を存続させるために、欠かすことが出来ないものなのに。

 ──消してしまいましょうか、原因となった魂を。

 ”畏域”で生まれる魂は、己を守ることが出来なければ消滅する定めにあります。それをわたしの手で行っても、何の罰もありません。腹立ち紛れの報復に何の意味があるかなど、どうでもいいのです。ただ何もせずに、いられないだけ。


あなたを消して──その魔力を奪い取る……』

 ああ、それはとてもいい考えです。このままでは、わたしが消滅してしまう。大切な思い出を守ることが出来なくなってしまう。

 でも──出来るのでしょうか、そんなことが。微睡み漂うだけだったわたしに、誰かを消すことなど、出来るでしょうか?

 消してしまうこと自体に、忌避はありませんが…不安は、あります。


『ダメだよ。消えるのはあなただから』

 そんな声が聞こえます。わたしの心を読みとったかのように。

 ええ、そうでしょうね。術を使うだけの魔素もなく、吸い上げることも出来ず。わたしを守っていた術も消えた。魂しか残されていないわたしに待つのは、消滅のみ。

 そう、消滅が待つだけなのです。微睡みの夢ではなく、完全なる消滅──わたしだけでなく、大切に守ってきた思い出が、この”畏域”に溶けてしまう。なのにその原因となった魂は無事に生き残る、なんて…許せると、思いますか?


『それは、…許せないと、思うけど』

 その言葉に、私は笑っていました。どうやらこの魂は、相当に自我がはっきりしているようです。生まれたての魂など、本能でしか動けないはずなのに。

 興味深い存在です。わたしが正常であったなら、きっと……いえ、止めましょう。わたしは正常ではないし、正常に戻る術は失われたのですから。


『ねぇ。──その術が取り戻せるとしたら、どうする? わたしを消して、知識を持っていく?』

 わたしはその囁きに、言葉を失いました。

   

   ※ ※ ※

   

(とりあえず興味は引けた……かな)

 怖かった。めっちゃ怖かった。ぶっつけ本番で相手を籠絡するとか、何その無茶ゲー。無理させないでよね、こっちは自分のことだって分かってないんだからさ。何もわかんないままにいきなり消されるとか、そんなん勘弁してください、だよ。

 あ、わたしが誰かって?

 残念ながら、それはわからないね。何しろ、気がついたらここにいて、流れ込んでくる知識と格闘してたから。いやー、脳味噌があったら焼き付け起こすんじゃないかってくらい、とんでもない情報量だったわ。必要なことだけは自然に浮かんでくるって感じで、助かりそうだけど。

 とりあえず、自分が魂だけの状態で、妖魔っていう存在だということだけは理解したところ。

 わたしを消そうとしたお姉さんを止めたのは、わたしの方が上位の存在だから。

 よくわからないけど、わたしは純粋にこの”畏域”とやらで生まれた存在で、お姉さんはそうじゃない。だから、もともと異物扱いで、監視されてたらしい。今までは何もせずに漂うだけだったから見逃されていたけど、わたしを消したらアウト。抱える想いも何もかも、この”畏域”に潰されて消える。だから、ちょっと頑張った。

 『術を取り戻せる』、それも嘘じゃない。ただ、かけ直すことが出来るかどうか、それはけっこうな賭になるし、今のわたしには出来ない真似だ。

 何しろ、魂だけだからね。それに、この”畏域”自体が、術を忌避する傾向にある。まあ、魔素を充満させることで維持する空間で、術が魔素を消費して発動するものである以上、当たり前かもしれないけど。

 ん、何で知ってるって?

 さっき言ったでしょ、知識と格闘した結果だよ。ええ。格闘ですよ、格闘。理解出来るからってどうでもいいような瑣末ネタまで流し込まれて、死ぬかと思いましたよ、わたしは。

 え、誰にって?

 ああ、それはわかんない。知識の中にないからね。

 んー、”畏域”の造り手についても情報がないなあ。誰かが造ったものだろうって推測は出来るんだけど。


『そう──あなたはメモリアなのですね』

 知識庫と、浮かんで来た。妖魔が携える術の代わりに、知識を持って生まれる魂のことらしい。術自体は後天的に使えるようにもなるみたいだけど、そもそもの「術を使うために魔素を吸い上げる」という方法がわからない。

 うわ、これちょっとやばいかも。術はわかっても使えないってことだよね?


『かまいませんよ。わたしが教えましょう』

 え? ……いいの?


『ええ。わたしを共に、生かしてくれるなら』


『ちょっとまて早まるな! お前たち自分が何をやろうとしてるか分かってないだろ!?』

 そんな声が聞こえた気がしたけど、答えなんて決まってる。

   

   ※ ※ ※

   

 馬鹿かこいつらは!?

 消滅の危機にある魂に、己の魔力を分け与えることで”共に生かす”ことは可能だ。だが、互いに魂である状態では、分け与える魔力がない。与えられるのは、魂そのもの──つまり、存在そものだ。

『魔王である私がいるのに、頼りもせずに消滅する気か?』

 生まれたての魂と、消滅が確約された魂。そんなもの、存在を分けあったところで永くはない。


『じゃあ、手伝ってくれる?』

『当たり前だ』

 そう答えた瞬間に、奇妙な浮遊感に襲われて──私は暗闇の中を墜ちていた。


「気持ち悪いな、これ」

 服も髪もたなびかないことから、墜ちているという錯覚だと認識出来た。しかし、気持ち悪さはかわらない。何かが喚いているような気もするが、その言葉も聞き取れない。

 何も見えない暗闇の中で目を閉じる。視角を封じた上で、認識を上書きすればいい。

 私は墜ちていない。ここは地の底で、自分で建っている。周囲は──そう、暗いなら私が明かりを出そう。また、髪の数本を引き抜いて。


『もったいないよ、綺麗な虹色なのに』

 虹色?

 その言葉に、私は目を開けた。無意識に触れた髪──長く伸ばしたそれは、やはり黒い。ただ、私たちを照らす明かりを反射してか、虹色の輝きに見えなくもない。そのせいだろうか。

 まあ、それはいいとして、だ。


『なんだこの蟠りは?』

 黒い何か。闇のような何か。蠢く何か。見た目で言えば、地に墜ちた雲。としか表現できないような何かが、私の目の前にいた。

 ときどきそれが人のような形になり、崩れたかと思うと子供のような形になり、また崩れ。それをまるで壊れた幻灯機のように、繰り返す。


『魔力不足で、術の制御が出来ていません』

 冷たい声で答えが返された。だろうなと私は溜息をつく。だから、待てと言ったのだ。

 泉を見張れと言われたのも、それに唯々諾々と従っているのも、存在するだけが精一杯の魂を保護するためだ。術を使う余力があるなら、そんなことをする必要はない。


『出来てるよ、制御は! ただちょっと、その…魔力が足りなくて、最後の仕上げが……』

『つまり、失敗しかけてるんだな』

『──はいYES

 まあ、私なら何とか出来なくはないのだが……他人の術に割り込むとなると、相応の心構えもいる。何より、こいつらが何をしたのか、まったくわからないのだ。そもそも私は、なぜこの場所に引き込まれた?


『あなたの魔力を戴くつもりでした。…ただ、術の影響で魂に手を出してしまったようでして。…ほら、しっかり制御なさいな』

『……あのなぁ……どういう術だ、それ』

 この状態でも、双方に意志があることも驚くべきことだが、…主従関係がおかしくないか、この二人?


『お聞きにならないほうが、よろしいかと』

 どこだ。どこに対して聞くなと言ったんだ、今。

 術か? ”禁術”だと言いたいんだよな、つまりは?

 だがその前に、私の魔力にまで手を出したとは、二人分の魔力を制御するつもりだったのか?


『わたしも併せて三人分ですね。…ご安心ください、それが得意ですから。…ほら、しっかり。私にはその術が理解出来ないんですよ』

 怖いことをさらりと言ったが、それが”禁術”である。使ってはならないとされる術の中でも禁忌に指定されると、妖魔わたしたちの認識から外れるようになる。例え書庫に記録があっても、手にした書物の中に記されていても、見つけることが出来ないのだ。

 ──なぜ、そんな術を使える?

 メモリアと言えど、妖魔には違いない。禁術を使えるはずなどないのに。


『それはまた、後ほど──魔力をお貸し下さい』

 ああ、そうだったな。術を完成させないことには、抜け出せないのだから、それが急務だ。


『いいだろう、解放してやる。好きなだけ持っていけ』

『え──…!?』

 ゆっくりと、私は魔力生産を解禁する。その魔力量に、どうやら驚かすことが出来たようでなによりだ。

 通常の妖魔は魔素を錬成することで魔力を生み出す。だが私は、自力で魔力を発生させることが出来るのである。妖魔においては数少ない、魔力生成型なのだ。

 …まあ、魔力酔いを起こして人格が変わるからやるなと、彼奴にも釘を刺されてはいるんだが。


『ちょっと、大丈夫なんでしょうね!? 術が成功したとたんに襲われたりとか、イヤだからね!?』

 ああ、それも面白いかもしれないな。或いはそのまま結界内に捕らえて、契約を迫るのも悪くない。メモリアと、自在に魔力を操る妖魔の二人が配下となったら、一目置かれることだろう。


『あ、の……、冗談、だよね…?』

『当たり前だ、阿呆。庇護者を襲う気になるほど飢えてはおらんわ』

『二人ともちょっと黙ってなさい』

 びく、と震える気配がして沈黙が訪れた。…ちょっと調子に乗ったようだ。やはり、性格が変わってしまうのだろうか。自覚がないのが一番怖いな。


『成功しました──術が発動します』

 その言葉と同時に、弾き出されるような感覚が私を襲った。

 周囲を見れば、”畏域”の中──いや、その深海域だ。

 どういうことだ? 結界は発動したままで、まだ数枚とはいえ余裕がある。だが、これまでにどれほど試しても、海の中には入れたことすらなかったのに。


「答えろ──何が起きた?」

 結界の中、座り込む少女に問いかけても、答えはなかった。よく見れば意識はないようだ。

 だが、あの場にいた魂は二つ──ここには一人。本当に、術は成功したのか?


「成功しています。疲労が激しく、休んでいるだけでしょう」

 そう言って私を見る瞳は、朱い。ここまで鮮やかな朱を持つ妖魔がいたかと、私を驚かせるほどに。


「そうは言うが、…お前一人だよな?」

 いえ、と少女が苦笑した。


「予想していた術と違っていたようです。お互いの魂を対として永遠を過ごす術でしたが──魂だけが対になってしまったせいか、私は身体を得られませんでした。私の魂は、ここにあります」

 示されたのは、朱い石が嵌まった指輪だ。つまりはそれが、いま話している彼女の本体ということになる。


「預かろうか?」

 何の気なしにそんなことを言っていた。気なしというか、まあ…術を使えないメモリアに持たせておくよりも安全ではないかと言う理由はあるのだが。

「お願いしたいところですが、彼女を守れなくなりますから──大丈夫ですよ。勝手に使っていいと、了承は得ています」

「そうか」

 ならばまあ、しつこくは言うまい。だが、私が聞きたいのはそれだけではなくて。


「今、何が起きているかわかるか?」

「今、ですか」

 そう答えた少女は周囲を見回した。深海らしく、真っ暗な中で見えるものはほぼ、何もない。


「──ああ、魔素の渦がある。あれに引き込まれているようです」

「渦?」

 私の目には何も見えなかった。どうやら少女は魔素の流れを見ることが出来るようだ。


「一点に集中して、そのまま消えています──おそらく、外界へ放出されるものと」

「外界へ?」

「おすすめはしませんよ? どこに出るか、わからないのですから」

 そう言えば、聞いたことがあったな。自我を得られなかった妖魔は海に沈み、妖獣となり放出される、と。目にしたことはなかったが──そうか、渦に呑まれるから外界へ出られるのか。だとすれば──それに乗るのも、一興か。


「身体の主は常識知らずで、主は怖いもの知らず。…わたし、目覚めない方がよかったでしょうか……」

「お前を配下に加えた覚えはないが?」

「あら、冷たいお言葉。お役に立たないと思います?」

 主に対する敬意が全くないような気もするが、まあそれは別にかまわないか。だが私の配下になるつもりなら、せいぜいこき使わせて貰おうか。


「お前、──名はあるのか?」

 妖魔に名はない。だが、二人同時に保護するとなれば、面倒なので名をつけたい。そう思っての問いかけだったが、意外な答えが返された。


真赭まそほ、と」

 どこかで聞いた気がするその名は、──旧世界での水銀を指すことを、私は知っている。さて、どこで知ったのだったか。


「では、真赭。まずはお前と契約しよう」

「はい」

 差し出された指輪を受け取り、引き抜いた自分の髪をあわせて握り込む。掌を開いたときには、少しだけ豪華になったそれが現れた。


「ああ、リングだけ加工されたんですね」

「珠を増やせなくもないが、まあその方がいいかと思ってな」

 シンプルな銀だったそこを、絡み付く蔦のように作り替えた。その際に私の魔力を練り込んだから、…まあ彼女に手を出そうとすればすぐに気づける。守るための契約というより、助けに行くための契約という方が正しいだろうな。

 飽きずに眺めているところを見ると、意匠は気に入ったようだ。

 さて、真赭はこれでいいとして──彼女をどうするか、だな。


「真赭。彼女は、目覚める気配はあるか?」

 声をかけると、居住まいを正して彼女が向き直る。


「いえ──ありませんね。提案ですが、外界へ出ることを推奨します。この様子だと、当分は目覚めそうにありません」

「そうか。…ふむ、なら」

「え、あの、えっ!?」

 私は真赭を抱き上げた。

 ふむ、やはり女性だな。顔を赤らめるあたりが面白い。人間を模した身体である以上、まあほぼ同じだけの体重になるはずだが。


「二人分の重さがあるかと思ったが、そうでもないな」

「当たり前、です…魂に重さなんて──」

 びくりと身体を震わせて、真赭が私にしがみつく。ああ、そうか。そう言えば──流されているのだったか。


「このまま流されていくのも癪だな。──もっと強くしがみついてろ、こちらから行くぞ」

 答えはなく、ただしがみついた力が強くなる。


「あと五秒で飛び出します」

 真赭からそんな言葉が告げられる。同時に結界の最外郭が弾けて消えた。

 三秒、二秒とカウントが進む度、次々と弾け消えて行く。


「一秒……零」

 その言葉と同時に、私たちは外界に飛び出した。

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